表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

【アップ】2025年8月3日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】


本日は機材の事情で録画できなかった為、同箇所のメッセージ・動画をアップしております。


使徒行伝解説 第21章 第22章 

「パウロの第3回伝道旅行④」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=JT-Sqa0CY7o


(シンプルに聞く 口語訳聖書 第44巻)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=haPAIJJwEiA&pp=ygUk5L2_5b6S6KGM5Lyd44CP77yI56ysMjLnq6AyMuOAnDI256-A0gcJCa0JAYcqIYzv


聖書


『使徒行伝』(第二二章二二〜二六節)

『ヨブ記』(第二二章一〜一四節)



讃美歌〜♫


228番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=iVzRH2XUs8Y


376番

https://www.youtube.com/watch?v=VPhABWzl0Uw&list=RDVPhABWzl0Uw&start_radio=1


※8月3日礼拝説教の動画はありません。



2025年8月3日 礼拝説教 聖書箇所 


パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。

「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」 

使徒言行録22章25節


人間が神にとって有益でありえようか。賢い人でさえ、有益でありえようか。

ヨブ記22章2節


はじめに

わたしたちの信仰と生活は、何によって守られているのか。共通の正義を求めて。

「パウロの話をここまで聞いた人々」とは、おそらくは、以前からパウロを殺そうと「アジア州から来たユダヤ人たち」(21章27節)他、パウロの教えと行動を誤解し、反発している人々。この人々は、「声を張り上げて言った。『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておけない。』」彼らは、同胞を「イスラエルの人たち」と呼び、「この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている」(21章28節)と主張し、それが死に値すると主張していた。異邦人とユダヤ人の隔ての壁云々よりも、彼らは、自らの主張を是とする上で徹底していた。「彼らがわめき立てて上着を投げつけ」とは、多分ステファノ殉教の時がそうであった(7章58節)ように、石を投げつける準備をした。また「砂埃を空中にまき散らすほど」に、その怒りと悪意を顕にした。それは、ローマの官憲に保護されているパウロに対するあらん限りの威嚇と脅迫、激しい憤りの表れであった。

「千人隊長はパウロを兵営に入れるように命じ」た。おそらくは、ヘブライ語でエルサレムの人々に語りかけられたパウロの弁明を千人隊長は理解できなった。事態の収拾を図り、千人隊長は、「人々がどうしてこれほどパウロに対してわめき立てるのかを知るため、鞭で打ちたいて調べるようにと言った。」千人隊長は、パウロの身柄を確保し、自身の罪状を推定して、その自白を得ることを目的として鞭打ちを命じた。それは、ローマの官憲において、一つの公義を敢行しようとしたこと。その益は、騒ぎを収めることにあった。しかし、その手段において不正を行おうとした。それは、パウロの警告において明らかになる。「パウロを鞭で打つため、その両手を広げて縛ると、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。『ローマ帝帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。』」言わば、パウロは、何の罪でも裁かれていないローマ市民を鞭で打つのは合法か、と聞いた。パウロが立つ所は、当時の古代ローマの市民に適用された「市民法」、当時の官憲が守るべき法である。

「これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところへ行って報告した。『どうなさいますか。あの男はローマ帝国の市民です。』」当時、ローマの人々の自由に反することを行うことほど凶悪なものはなかった。それほど、ローマの市民であることの特権は神聖なものとされ、その侵害は許されなかった。わたしたちは、正当な疑いを抱くほどに、事柄について合法性や共通の正義を主張できるだろうか。苦難の中で、ヨブは、三人の友人の一人、テマン人エリファズから返答を受けた。それは、「人間が神にとって有益でありえようか。賢い人でさえ、有益でありえようか」との問いである。この問いは一見すると信仰的な問いに見える。しかしながら、その本質は、人間を超越したお方に対して、果たして人間は益となり得るか、との問いであって、ここには、人間の責任的な問いは欠落している。つまり、無責任な問いなのである。エリファズは「あなたは甚だしく悪を行い限りもなく不正を行ったのではないか」と疑うが、その根本にも、幸福でよい生活を求めるなら、自ら正しい生活をし、良き結果を得なければならないという、人間中心の道徳観がある。悪と不正は、神の御前に問われているのではなく、自らの正義に照らして問われているのである。ここには、真の謙遜に至る正義は存在しない。

おわりに

現代社会の闇は、人間中心の合法性においても覆われている。それがすべて明らかになる日は、キリストの日。信仰と生活を分離せず、謙遜と従順を、ただ神の栄光のために。



(Mynote)


二〇二五年八月三日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守る事が出来、神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「キリストの裁きの日には、全ての人がどこに置かれますか。」

「キリストの羊は、羊飼いの右に、山羊は左に置かれます。」

イエス様は、私達の罪のために十字架に付けられ、葬られ、三日目に死人の内より甦り、天に上られた。「最も小さな人にした事は、私にした事なのです」イエス様が語ったこの箇所が引用された。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第二二章二二〜二六節)

『ヨブ記』(第二二章一〜一四節)

人の正義と、神様の正義の事に就いて記される。人の間でどれだけ正義と言われても、神様と人との間でそれが正義に無ければ、それは正義ではない。この点を信仰に依り思い知らねばならない。

パウロはこの時、人の正義により裁かれ、また許された。パウロがローマ人だった事に恐れをなし、それまでパウロを捕えて取り調べようとして居た人達は手を引いた。当時、ローマ人は高貴で、咎を調べる際に「裁判に掛けずに調べる事」等は、許される事に無かったのだろう。

人の間に「正義の戦い(聖戦)」なる言葉がある。けれどこの「正義の戦い(聖戦)」は、夫々の人の正義により変わってしまう。しかし神様が人に教えた正義は永遠に変わらず一つに在る。聖書に聴き、信仰に依りその正義を知らねばならない。人の間だけの正義は、逆転する事が容易く在るからである。時には冤罪もある。

しかしクリスチャンにしても、神様から教えられる正義を聖書に聴いても、その正義を常に守る事は出来ない。長く生かされればそのぶん自分なりの思考が頑なになり、経験により他人より優越に立とうとする欲望もさかり、その点では子供の方が善悪を判断する思考・感覚に近いかも知れない(神様から生まれてすぐだから、本来、神様に教えられた正義から離れてない?)。この経験を、全ての人は負う。

そこで、共通の正義とは何かを問う。世界平和を守る為の正義。もしこの正義が、「長く生かされればそのぶん自分なりの思考が頑なになり、経験により他人より優越に立とうとする欲望もさかり…」とした内実を持つ人々により決められたなら、その正義は神様の正義から離れたものになる。その可能性が有る…と言う事は、その事実が「有る」と言う事である。灯台下暗しの感覚で、人はこの事を忘れる。各自が自分の正義を振り翳し、その正義に沿わないものを非難し無きものとする。この事は歴史に見て来たであろうか。

常に神様に、初めに神様から教えられた本来の正義を聴き、その為に聖書を読み、各自が自分の在り方を先ず信仰に於いて知らねばならない。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


BE YOURSELF「あなたはあなたらしく」

アーサー・ホーランド師(2021年12月3日フライデーナイト)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7MvpK7gGbJg


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin/videos?app=desktop


星のカケラ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ