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贄ノ国 episode 0.  作者: ななめハンバーグカルパス
第一部 二章 ひとひら、狂う
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第7話「捜索」

 その夜、わたしは真人のアパートの前に立っていた。

 学籍資料から書き写しただけの、無機質な文字列の住所。人気のない住宅街に、同じような顔つきで並ぶアパートの一角。


 彼の部屋のドアの前で、わたしは呼び鈴を押すことができなかった。

 インターホンの沈黙よりも雄弁に、ポストから溢れたチラシの束と、ドアの隙間から漏れる埃っぽい匂いが、彼の不在を告げていたからだ。


 足元のコンクリートの冷たさが、スカートの裾越しにじわりと体温を奪っていく。

 わたしはその場にへたり込んでしまった。

 いったい、どこへ行ってしまったの、真人。


 そこからの数日間、わたしはまるで何かに憑かれたように、彼を探し続けた。


 教師としての仮面を剥ぎ取り、ただの女として、都内の安ホテル、ファストフード店、駅のホームを片っ端から歩いた。

 わたしが彼を探す理由。その禁じられた想いを言葉にした瞬間、築き上げてきたすべてが崩れてしまう。その恐怖だけが、わたしを独りにした。


 そして、手がかりを掴んだのは、意外な場所だった。

 ネットカフェ。雑居ビルの気怠い空気のなか、受付のカウンター越しに見えた利用者リストに、彼の苗字を見つけたのだ。


 ここに、いる。喉がカラカラに渇き、膝が笑っていた。

 それでも、もう引き返せなかった。


 薄暗い通路の奥、F-23と書かれたブースの前に立つ。

 ドアに触れた指先が、自分の心臓の音を拾っているかのように震えていた。


 コンコン、とノックする。返事はない。

 もう一度、少しだけ強く。


「……はい」


 中から聞こえたのは、消え入りそうな、か細い声だった。

 その声を聞いた瞬間、堪えていたものが決壊しそうになるのを奥歯で噛みしめ、わたしは震える手でゆっくりとドアを開けた。


 薄暗い個室の蛍光灯が、頼りなく明滅を繰り返している。

 その隅で、真人は膝を抱えて座っていた。ボサボサの髪、青白い頬、しわくちゃのTシャツ。その姿は、わたしが知っている、教室の隅で静かに本を読んでいた彼ではなかった。


「……真人くん」


 名を呼ぶと、彼はゆっくりと顔を上げた。

 その目がわたしを捉えた瞬間、幻でも見ているかのように大きく見開かれる。


「あ……せん、せい……?」


 その声を聞いた瞬間、わたしはもうだめだった。

 一歩、また一歩と彼に近づき、その埃っぽい肩に手を伸ばす。

 わたしの指が触れた瞬間、真人の肩がぴくりと震え、そして、まるで糸が切れたように力が抜けた。


 彼はわたしの胸元に顔を埋めると、嗚咽を漏らしながら、家に変な人たちが来たと、途切れ途切れに話し始めた。


「もう大丈夫……もう大丈夫やけん。ここにおるっちゃ、うちは……ここに、おるけん……!」


 わたしは彼の痩せた身体を強く抱きしめた。

 教師としての理性も、世間体も、常識も、彼の震えの前ではすべてが無意味だった。


 どれほどの時間が過ぎただろう。


 ようやく真人が落ち着いたころ、わたしは涙で濡れた彼の頬を親指でぬぐい、自分でも驚くほど穏やかな声で告げた。


「……ここじゃ危ない。家に、来る?」

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