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贄ノ国 episode 0.  作者: ななめハンバーグカルパス
第一部 一章 誰にも知られずに咲く
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第4話「触れた指先、重なる体温」

 学園祭の本番当日。

 校舎全体が、沸騰するような喧騒と熱気に満ちていた。

 わたしは進行係としてステージの袖に立ち、次の出番を待つ生徒たちを、どこか他人事のように眺めながら誘導していた。


 そのときだった。

 手元の名簿に目を落としたわたしの視線が、ひとつの名前に吸い寄せられて止まる。


 ――真人。


 ただそれだけで、顔にじわりと熱がのぼるのがわかった。


 数分後、制服の上にフードつきのパーカーを羽織った彼が、舞台袖に姿を現した。


「あっ、先生……」

「ああ、真人くん。もうすぐ出番だね」

「あ、はい……ちょっと緊張してて」


 そう言ってはにかむ彼の顔が、わたしの胸の奥を、熱を持った羽根でそっと撫でるように掠めていく。


 その瞬間、足元で何かがつまずく鈍い音がした。

 照明用の太いケーブルに誰かの足が引っかかり、積み上げられていた機材が、バランスを崩してこちらへなだれ込んでくる。


「先生っ!」


 とっさに腕を強く引かれた。細いけれど、確かな力を持つ指。

 彼の手が、わたしの手を固く、固く掴んでいた。

 あたたかくて、少しだけ汗ばんだその体温が、皮膚を通してまっすぐに心臓へと流れ込んでくる。


「大丈夫ですか……?」


 心配そうな声が、やけに近かった。

 わたしはその顔を見上げることができず、ただ頷くだけで精一杯だった。

 だめだ、こんなのは。


 そう思うのに、身体の奥に注ぎ込まれた熱は、まだじんじんと燻っている。


 彼が舞台に立つと、わたしはステージの袖から、その姿を目で追ってしまっていた。

 照明に照らされた汗の粒、女子生徒たちと交わされる親密な視線。

 そのすべてが、どうしようもなく気にかかる。


 恋という言葉を口にすれば、きっとすべてが崩れてしまう。


 だからわたしはこの感情に名前をつけないまま、ただひとり、観客にも演者にもなれない場所で、彼のすべてを見つめていた。


 ◇


 深夜。カーテンを閉め切った部屋の空気は、わたしの体温だけで満たされていた。

 ベッドにもたれたまま天井を見つめる。


 恋なんて、するつもりはなかった。相手は生徒で、十歳も年下の男の子。

 理屈では、社会では、それは決して許されない過ちだ。わかっている。わかりすぎている。


 それでも、あの手の感触が忘れられない。

 ステージ袖で強く掴まれた瞬間。あの温度と、強さと、なにより、わたしを守ろうとした彼の意志の重み。


 あれだけは思い出してはいけないと、自分に言い聞かせても、記憶は鮮明に蘇り、下腹の奥をじんわりと疼かせる。

 彼に触れられたい。ただの「先生」としてではなく、ひとりの「女」として。

 そんな感情が自分の中にあることを、もう認めざるを得なかった。


 これを抱えたまま、明日また教壇に立てるのだろうか。

 真人の名前を呼んだとき、平静を装えるだろうか。


 息を深く吐いて、目を閉じる。


 壊したくない。でも、この関係が壊れるのを、どこかで望んでいる自分もいる。


 ねえ、真人は、どう思っているのだろう。


 問いかけたところで、答えが返ってくるはずもない。

 けれど、眠れない夜の静寂だけが、わたしの鼓動をいやに強く響かせていた。

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