第4話「触れた指先、重なる体温」
学園祭の本番当日。
校舎全体が、沸騰するような喧騒と熱気に満ちていた。
わたしは進行係としてステージの袖に立ち、次の出番を待つ生徒たちを、どこか他人事のように眺めながら誘導していた。
そのときだった。
手元の名簿に目を落としたわたしの視線が、ひとつの名前に吸い寄せられて止まる。
――真人。
ただそれだけで、顔にじわりと熱がのぼるのがわかった。
数分後、制服の上にフードつきのパーカーを羽織った彼が、舞台袖に姿を現した。
「あっ、先生……」
「ああ、真人くん。もうすぐ出番だね」
「あ、はい……ちょっと緊張してて」
そう言ってはにかむ彼の顔が、わたしの胸の奥を、熱を持った羽根でそっと撫でるように掠めていく。
その瞬間、足元で何かがつまずく鈍い音がした。
照明用の太いケーブルに誰かの足が引っかかり、積み上げられていた機材が、バランスを崩してこちらへなだれ込んでくる。
「先生っ!」
とっさに腕を強く引かれた。細いけれど、確かな力を持つ指。
彼の手が、わたしの手を固く、固く掴んでいた。
あたたかくて、少しだけ汗ばんだその体温が、皮膚を通してまっすぐに心臓へと流れ込んでくる。
「大丈夫ですか……?」
心配そうな声が、やけに近かった。
わたしはその顔を見上げることができず、ただ頷くだけで精一杯だった。
だめだ、こんなのは。
そう思うのに、身体の奥に注ぎ込まれた熱は、まだじんじんと燻っている。
彼が舞台に立つと、わたしはステージの袖から、その姿を目で追ってしまっていた。
照明に照らされた汗の粒、女子生徒たちと交わされる親密な視線。
そのすべてが、どうしようもなく気にかかる。
恋という言葉を口にすれば、きっとすべてが崩れてしまう。
だからわたしはこの感情に名前をつけないまま、ただひとり、観客にも演者にもなれない場所で、彼のすべてを見つめていた。
◇
深夜。カーテンを閉め切った部屋の空気は、わたしの体温だけで満たされていた。
ベッドにもたれたまま天井を見つめる。
恋なんて、するつもりはなかった。相手は生徒で、十歳も年下の男の子。
理屈では、社会では、それは決して許されない過ちだ。わかっている。わかりすぎている。
それでも、あの手の感触が忘れられない。
ステージ袖で強く掴まれた瞬間。あの温度と、強さと、なにより、わたしを守ろうとした彼の意志の重み。
あれだけは思い出してはいけないと、自分に言い聞かせても、記憶は鮮明に蘇り、下腹の奥をじんわりと疼かせる。
彼に触れられたい。ただの「先生」としてではなく、ひとりの「女」として。
そんな感情が自分の中にあることを、もう認めざるを得なかった。
これを抱えたまま、明日また教壇に立てるのだろうか。
真人の名前を呼んだとき、平静を装えるだろうか。
息を深く吐いて、目を閉じる。
壊したくない。でも、この関係が壊れるのを、どこかで望んでいる自分もいる。
ねえ、真人は、どう思っているのだろう。
問いかけたところで、答えが返ってくるはずもない。
けれど、眠れない夜の静寂だけが、わたしの鼓動をいやに強く響かせていた。