第47話「御神体」
空の頂で燃える太陽が、じりじりと大地を灼いていた。
木々の葉擦れの音に混じり、どこか遠くでけたたましいほどの蝉時雨が響いている。
草の匂いが濃密になり、踏みしめる土の感触は、一歩ごとに深く沈み込むように柔らかさを増していく。
私たちは、屋敷の裏手から森へと向かっていた。
十二人の男たちが前を歩き、私と真人がその後ろに続く。
口をきく者は誰一人としておらず、ただ規則正しい足音と、衣擦れの乾いた音だけが、木々の間に吸い込まれては響き渡っていた。
私は、真人の背中だけを見ていた。
手を繋ぐことはなかった。
けれど、その肩幅、歩くたびにわずかに揺れる髪の先、そのすべてを見失うまいと、何度も瞬きを繰り返しては、網膜に焼き付けた。
木々が深くなるにつれて、道は人の手が入った痕跡を失い、細い獣道へと変わっていく。
ふと、幹に巻かれた白い紙垂が目に入った。
苔むした石柱が、まるで墓標のように道沿いにいくつも並んでいる。
誰がこれを設えたのか。いつからここに在るのか。
そんな問いは、浮かび上がる前に、目の前の異様な光景に呑み込まれて消えていった。
やがて、森が開けた。
目の前に現れたのは、神社と呼ぶにはあまりにも歪な構造物だった。
鳥居らしきものはあった。
しかし、その上部はねじくれた円環のように歪んでおり、中心には梵字にも似た禍々しい刻印が彫り込まれている。
その先に続く石段は、参拝者を上へ導くのではなく、まるで地の底へと誘うかのように、ところどころが崩れ落ちていた。
拝殿と思しき建物は、木造ではなかった。
石と土と、そして無数の細い獣の骨のような素材が混じり合って壁を成している。
祀られているはずの神の像はなく、代わりに建物の中心には、黒々とした巨大な円柱が一本、天を突くように、あるいは地から突き出すようにして屹立していた。
(……ここが、御神体のある場所)
誰かがそう言ったわけではない。
でも、その場に立った全員の足がぴたりと止まったとき、私の身体もまた、見えない力に縛られたかのように硬直した。
その構造物の周囲には——池があった。
大小さまざまな円形の池が、半ば地面に埋もれるようにして点在している。柵も囲いもなく、ただ黒々とした水を沈黙のまま湛えていた。
水面には、緑色の薄い膜が漂っている。夏の水辺でよく目にする、ありふれた濁った緑。
けれど、その色はどこか違って見えた。
濃すぎる。まるで絵の具を溶かしたかのように不自然で、水面が呼吸をしていないかのように、奇妙な粘度があるようにすら思える。
近くを通り過ぎると、微かに鉄錆びのような匂いが鼻先をかすめた。
私は思わず、息を止めていた。
男たちは、何事もなかったかのように進んでいく。
誰一人として池に視線を向けようとしない。
まるで、その存在に気づいていないかのように、彼らの歩みは少しも乱れなかった。
そして、境内の中央で一同が集う。
真人が立ち止まった。
十二人の男たちが、彼を中心に円を描くようにして立ち止まった。
誰も笑わない。
誰も語らない。
私は、息を深く、深く吸い込んだ。
喉が、焼けるように痛かった。
(ここで——すべてが始まる)
吸い込んだ息を、吐き出すことも忘れていた。
私の心臓の音だけが、やけに大きく内側で響いている。
視線を上げると、そこには、時間が止まったかのような光景が広がっていた。
境内の中央で、すべてが沈黙している。
風は吹かない。
鳥も鳴かない。
十二人の男たちは円を保ったまま、まるで風景の一部と化したかのように、ただそこに在るだけだった。
その絶対的な静けさを、破ったのは——真人の手だった。
「……こっち」
囁かれた声は、あまりに小さく、けれど私の耳にはっきりと届いた。
私の手が、彼の手のひらにそっと包まれる。
指が、祈るように、あるいは確かめるように、ゆっくりと絡み合った。
あの夜、逃げるために掴んだときとは違う。
そこには、彼の体温と、抗いがたいほどの静かな力があった。
これは——導く者の手だった。
真人は、中央に屹立する石柱の向こうへと、私を引くようにして歩き出す。
その背中を追って、私もまた、操られるように足を動かした。
石柱の陰に隠れるようにして、これまで見落としていた建物が、その姿を現した。
祠、というにはあまりに大きく、拝殿、と呼ぶにはあまりに粗末だった。
けれど、どこかその両方を連想させる、異様な形状。
半ば地面に沈みかけた石の基礎。 崩れかけた屋根。
そして、異様なまでに幅の広い、重々しい木製の扉。
鳥居も賽銭箱もない。
ただ、この場所が永いあいだ固く封じられていたことだけが、その佇まいから痛いほどに伝わってきた。
真人は、建物の前で歩を止めると、境内の隅に立っていた長髪の男へと、静かに視線を送った。
男は無言で頷き返すと、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
そして、扉を閉ざしていた分厚い木の板に、両手をかけた。
ごとり、と重い音を立てて、板が外される。
それはただの板ではなかった。
何本もの太い縄が裏側に巻きつけられ、長い年月のなかで木と一体化しているようにさえ見えた。
板が外された瞬間、湿った空気がふっと外へ流れ出した。
温度は低いのに、その匂いは——奇妙に生温かい。
まるで、墓が開かれたときのような、あるいは、何かが内側でずっと呼吸をしていたかのような気配だった。
男が手をかけ、大扉が、ゆっくりと開かれていく。
ギ……ギィ……
その軋む音は、耳ではなく、私の骨の芯にまで直接響いた。
中は、暗くはなかった。
けれど、光源がどこにあるのかはわからない。
ぼんやりとした光が、空間そのものから滲み出ているかのようだ。
その光は、中心にあるものから発せられているようだった。
そこに在ったのは——ひとつの岩だった。
真っ白。
濁りのない、何も混ざらない、この世のどんな白とも違う、異様なほどに純粋な白。
磨かれたわけでもないのに、その表面は自ら発光するかのように淡い光を反射している。 それは自然に形成されたのではなく、絶対的な意志によってそこに置かれたのだと、その存在感が告げていた。
私は、息を呑んだ。
岩の表面が、ごつごつと、不自然に波打っていた。
それは、風化ではなかった。 崩れでもなかった。
目を凝らすと——その岩肌には、無数の人の顔が浮かび上がっていた。
苦しんでいるような。 祈っているような。 叫んでいるような。
輪郭は溶け合うように曖昧なのに、その表情だけが、やけに鮮明にこちらを向いていた。
それを見た瞬間、私の足が一歩、後ずさった。
(……これが、御神体)
言葉を失うというのは、こういうことだった。
声ではなく、思考の奥で、ぱきりと何かが折れる音がした。
ぐらつきかけた私を支えるように、真人が、繋いだ手を強く握りしめる。
そして、私の耳元で——
「これが……日本を守ってきた『神』だよ」
そう、静かに言った。




