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贄ノ国 episode 0.  作者: ななめハンバーグカルパス
第一部 三章 ひとひら、夜香る
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第11話「ひとひら、夜香る」

 数日ぶりに登校した真人は、驚くほど何事もなかったかのように、教室の空気に馴染んでいた。

 あの夜、わたしの腕の中で震えていた彼。

 雨音だけが響く部屋で、初めて互いの肌に触れた、あの熱。


 そして今朝、わたしの家から制服を着て、少し照れたように「行ってきます」と囁いた彼。

 そのすべてを知っているのは、世界でわたしだけのはずだった。


 なのに、わたしの目の前にいる彼は、制服をきっちりと着こなし、涼しい顔で自分の席に座っている。

 そのあまりの切り替えの早さに、わたしは教壇の上から、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


 今日は現代文の授業で、班ごとの小発表がある。

 柊沙都ひいらぎさとという快活な女子生徒と真人が同じ班になったのは、ほんの偶然。

 けれど、その偶然が、ささくれのようにわたしの胸を逆立てた。


「じゃあ、この詩の“孤独”って、“いま”で言うとどういうことだと思う?」


 沙都が真人に話しかける声は、ころころと弾むように明るい。

 真人は少しだけ首を傾げ、それに答える。


「うーん、SNSで繋がってても、誰にも本音を言えないとか……?」

「わかる。え、真人くん意外とちゃんと考えてるんだね」


 沙都の屈託のない笑い声に、周囲の数人がつられて微笑む。

 その輪の中心に、真人はいた。その笑顔は、わたしの前では決して見せない、少年らしい無防備な光を放っている。


 教卓の上で握りしめたペンのキャップの内側で、指先がじっとりと汗ばんだ。

 喉の奥がひりつく。ほんの数時間前、朝の光が差し込む部屋で、わたしはこの子の制服を脱がせ、その唇を貪るように塞いだというのに。


 どうして、あんなにも自然に、世界の一部に戻っていけるのだろう。

 声を荒らげたいほどの怒りではない。けれど、胸の奥で何かがぐらぐらと煮え立つような、静かな熱が止められなかった。


 これは、嫉妬だ。教師としてではなく、ひとりの女としての、醜く、純粋な感情。


 授業の喧騒のなか、彼がふと、こちらを振り返った。

 教卓のわたしと、目が合う。

 その瞬間――彼の瞳が、ほんのわずかに、悪戯っぽく細められた気がした。


 まるで、わたしの心のざわめきをすべて見透かし、それを楽しんでいるかのように。

 その無言のやりとりが、わたしの胸に、またひとつ、どうしようもない波を立てた。

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