8 誕生日パーティー 1
庭園で眠っている間に記憶を思い出してから数日が経った。
落ち着くには十分な時間が経っているというのに彼女の心はまだ沈んだままだった。
あの日は家族という居場所を失ったように感じた日であるとともに、『あの人』と出会ったことで誰かが傍に居てくれることの暖かさを感じた日であった。
その時の私の心は、記憶を通じて今世の私にもダメージを与えるほどに傷ついていたのだろう。
そうでなければ、ここまで影響を受けるはずがない。
ここ数日私は毎日庭園のあの場所に向かっていた。
これまでは何も感じなかったあの場所がなんだかひどく安心する場所になっていた。
部屋には、あの日侍女に頼んで摘んでもらった花があったが、その花は私の悲しみを吸ったかのように通常よりも早く萎れてしまった。
部屋の中で心の支えの1つとなっていたその花が段々と元気を失っていく様子をみて、私はよく分からない喪失感を感じていた。
そんな私の様子に気づいたのか侍女たちは毎日新しい花を飾るようになった。
私はそうして毎日変わる花を通して庭園の風景を思い浮かべていた。
こうして過ごす中で私はどうにもならないようなことをずっと願っていた。
──今世にも『あの人』がいてくれないかしら
『あの人』も同じ時代に生まれ変わっていたら
きっと、彼はとても優しく多くの人に慕われる存在になっているだろうな──
そのような不確定なことに希望も持ってしまうほどに、私は現実と向き合えていなかった。
そんな私を少しずつ現実に戻してくれるのはまた、傍に居てくれる人の存在だった。
たいして返事もしない私に笑いかけ、話しかけてくれた侍女のリアのおかげで、徐々に悲しみを忘れて楽しいことに目を向けられるようになっていった。
気づいた頃には沈んでいた心は嘘だったかのように穏やかな日々を過ごしていた。
そして、いつの間にか私の誕生日パーティーは明日に迫っていた
♢
目を覚ますと朝日が窓から降り注いでいる。
少しまぶしく感じながら体を起こす。
いつものように侍女がドアを開けた。
「あら、起きていらっしゃったんですね。おはようございます、ヴィオレッタお嬢様。そして、お誕生日おめでとうございます!」
「ふふっ、ありがとう」
ヴィオレッタは花のような笑顔を浮かべて感謝の言葉を口にした。
彼女の髪は朝日を浴びてきらきらと輝き、眩しいほどに美しかった。
「さぁ、お嬢様。今日は徹底的に磨き上げさせていただきますからね!」
侍女はいつも増してやる気に満ち溢れており、気合十分といった様子だった。
私はそんな侍女をみて少し面白い気持ちになりつつ、お願いするわと伝えてベッドから降りた。
それからは数時間もの間、侍女たちに磨きつくされた。
いつもの倍以上の時間を費やして磨き上げられた私は、すでに疲労感を感じていた。
しかし、せっかく侍女たちが張り切って準備をしてくれているため、顔に出してしまわないようにだけ注意した。
ドレスを着て最後のヘアセットをするために鏡の前に座る。
侍女たちはどの髪型が合うのか知り尽くしているようで、流れるような手つきでセットしていく。
髪は編み込まれたハーフアップにされており、花と蝶をモチーフにした髪飾りを付けられている。
お母様が選んで下さっただけあって、本当にドレスに合っており、魅力を引き立てていた。
支度が終わりくるりと回って全身を見たくなる衝動を抑えつつ、パートナーが迎えに来てくれるのを待つ。
支度がおわったと侍従に伝えて数分もたたないうちに、パートナーがやってきた。
彼は部屋に入ると私を見てピタリと動きを止めたが、すぐに優しく微笑んだ。
「誕生日おめでとう、ヴィオレッタ。とても綺麗だよ。」
相変わらず同年齢だと思えないほど落ち着いた所作である。
結んで横に流したやわらかい黄赤の髪に髪と同様の色の瞳を持った彼は、ボーフォート侯爵家の子息で、生まれた時からの付き合いである。
ボーフォート侯爵様とお父様は親交が深く、その子息である彼と私は交流する機会も多かったため、パートナーが必要な場面では互いにパートナーを務めている。
「ありがとう。テオドールも素敵よ。」
定型文のような挨拶をかわし、私たちは会場に向かうために部屋を出る。
♢
廊下を歩いているとテオドールが口を開く。
「君、今日はどうしたんだい?」
「え?」
突然テオドールが予想もしなかったことを聞くものだから驚いてしまった。
そんな私を見て、より不思議そうな顔をしたテオドールは私を観察するように見つめながら話し始める。
「なんだか、雰囲気が変わったような気がするんだけど───君そんなに穏やかな表情してたっけ?それに動きも少し丁寧になったようだしさ」
「いや、別に変わってないと思うのだけど」
「変わったよ、心当たりないわけ?」
「心当たり?」
心当たりなんて───正直あり過ぎる。
確実に記憶を思い出したことだろう。
しかし、記憶を思い出したなど言えない。
ましてや、内容はもっと言えない。
それに言ったところで信じてもらえないだろう。
とりあえず心当たりはないと答えようとテオドールの方を見ると、嘘ついても分かるからと言うような表情のテオドールと目が合う。
これは───完全に誤魔化すのは無理そうだわと悟った私はとりあえず悪夢だと言うことにした。
「悪夢を見たわ」
「へー?どんな悪夢だったんだい?」
疑い深そうな目をしたテオドールはより詳しく聞き出そうとしてきた。
この目をしたテオドールは執拗いし、誤魔化しは効かないと過去の経験から知っていたため、私は少しだけ本当のことを言うことにした。
「すっごく怖い夢だったわ。殺されかけたの」
「殺されかけた?そう───それは怖かっただろうね」
少し考えるような様子を見せたが、殺されかけたという言葉が彼のなかではかなり大きかったようで心配するような表情に変わる。
よかった、誤魔化せたわと思っているとテオドールは私の方を見て口角を上げた。
私はそんなテオドールの表情をみて顔が固まる。
「まぁ、誕生日パーティーが終わったらまた詳しく聞くことにするよ」
面白いものを見つけたといったような顔で言うテオドールに一体何を聞かれるのだろうかと震えながら、私は誕生日パーティーを終えたらどうやって逃げようかと策を考え始めた。