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41 前途多難なお茶会 1

エピステーメ侯爵家の豪奢なサロンには、柔らかな朝の陽光がたっぷりと差し込んでいた。

繊細な刺繍が施されたクッションを抱きしめながら、私は一人、ふかふかのソファの上で身悶えしていた。

本日は王宮で開かれる、王子の側近候補を見定めるためのお茶会の日だ。

以前も招待されていたが、誘拐事件が発生し、療養のために参加できなかった。

その際は、参加したくなかったこともあり幸いに思っていたが、今回は断る理由がないため参加を余儀なくされた。

また、お兄様の紹介も兼ねていることもあり、なおさら行かなければならない。


本来ならば、初めての王宮での同年代とのお茶会に緊張で胸を押し潰されているはずだった。

しかし今のヴィオレッタの頭の中は、全く別のことで支配されている。


(……先生の、ばか)


クッションに顔を埋めながら、昨晩の出来事を思い出しては、カァッと耳の先まで熱くなるのを止められなかった。


昨夜、屋敷の静まり返った廊下でのことだ。

シルヴァン先生がこの屋敷に滞在するのは昨日が最後で、今後は以前同様通いでヴィオレッタたちの家庭教師を続けることになっていた。

それも当然だ。

そもそも先生はお父様が不在の間、私の魔力づまりに対応するために屋敷に滞在して下さっていたのだから。

あの日無意識に魔力を発現させたらしい私には、今後命に関わるような魔力づまりは起きないだろうとのことだった。

また、シルヴァン先生はお忙しい方だからずっとここに居る訳にもいかない。

対応できる代わりの者を屋敷に滞在できるようにしてくださったから、もし何かあっても問題ないとのことだった。

まぁ、その対応できるという人物に問題があるように感じるのだけれど。


今日が最後になると聞いた私はそんなことを考えていた。

すると、夜の帳が下りた廊下で、銀糸のような月明かりを背に受けた先生は、いつになく真剣な面持ちでヴィオレッタの前に片膝をついた。


「これからは、四六時中お側でお守りすることはできなくなります」


目線を合わせたシルヴァンの瞳は、吸い込まれそうなほど深く、そしてどこか逃げ場を失うような仄暗い熱を帯びていた。

大きな手が、ヴィオレッタの頬から髪へと滑り、優しく、ひどく大切に扱うように撫でる。


「……どうか、ご自身の身を一番に大切にしてくださいね。自分の身を他者のために差し出せることは非常に稀有な心掛けかもしれませんが、貴方に傷ついてほしくないと思っている人がいることを忘れないでください」


まるで、世界で一番価値のある宝物に触れるかのような手つきだった。

甘く、低い声が耳の奥をくすぐり、ヴィオレッタの心臓は早鐘のように打ち鳴らされた。

前世の記憶を思い出した今のヴィオレッタにとって、死の恐怖から救い出し、常に優しさで包み込んでくれるシルヴァン先生は、絶対的な安心感の象徴であり、同時に、淡い恋心を抱かずにはいられない存在だった。


「んんん……っ」


再びクッションに顔をぐりぐりと押し付けていると、ふいに頭上から冷ややかな声が降ってきた。


「……ヴィオレッタ。朝から誰のことを考えて、そんなどうしようもなく緩んだ顔をしているのかな?」

「ひゃっ!?」


顔を上げると、いつの間にかサロンに入ってきていたお兄様が、呆れたような、しかしどこか不機嫌さを隠しきれない冷たい目で見下ろしていた。

八歳にしてすでに完成された貴族の美貌を持つ彼は、本日のお茶会のために仕立てられた上質な礼服を完璧に着こなしている。


「お、お兄様……! ち、違います、別に誰のこととかじゃなくて……!」


慌てて取り繕うとするヴィオレッタだったが、感情魔法の使い手であるリアムの誤魔化しは通用しない。

彼には、ヴィオレッタから発せられる『特定の誰かへの甘いときめき』が手に取るようにわかってしまうのだ。

それが誰に向けられているものかなど、リアムにとって推測するまでもないことだった。

リアムはふぅと小さくため息をつくと、優雅な動作でソファの隣に腰を下ろした。

そして、ローテーブルの上に用意されていた美しい三段のティースタンドから、淡いピンク色のマカロンをスッと指先でつまみ上げた。


「……ほら、口を開けて」

「え?」

「いいから」


強引に、けれど乱暴にならない絶妙な力加減で、リアムの手がヴィオレッタの口元へと迫る。至近距離で見つめてくる彼の瞳には、普段の完璧な貴族の仮面の奥で揺らめく、仄暗い独占欲がはっきりと滲んでいた。


「今日、王宮でヴィオレッタをエスコートするのは私だよ? もう少し、目の前の私のことも意識してくれないと困るな」

「っ……」


意地悪く囁かれた言葉と、逃げ場のない距離感に、ヴィオレッタはビクッと肩を揺らした。

顔が限界まで赤くなるのを感じながら、抗うこともできずに小さく口を開き、差し出されたマカロンをパクリと咥える。

サクッとした食感とともに甘い木苺の香りが広がったが、ヴィオレッタは恥ずかしさのあまり、俯いてモグモグと咀嚼することしかできなかった。

そんな彼女の様子を見て、リアムは少しだけ満足そうに、けれど微かに自嘲するような笑みを浮かべた。


「……朝から貴族様の平和なお遊戯を見せられて、ひどく胸焼けがしてきた」


その時、サロンの隅から冷や水を浴びせるような声が響いた。

声の主は、一人がけのソファに深く腰掛け、分厚い魔導書を読んでいたセレスだった。

本日のお茶会には当然お留守番となる彼は、忌々しそうに本を閉じ、リアムとヴィオレッタの二人を冷え切った視線で射抜いた。


「僕は子犬のじゃれ合いを観察するために、この部屋にいるわけじゃないんですが。早くその馬車とやらに乗って、僕の視界から消えてくれませんかね」


十歳にも満たない子供とは思えないほどの、鋭く、容赦のない毒舌。

ヴィオレッタはむっと頬を膨らませた。


「セレスったら!可愛げがないわ」


ヴィオレッタはただの生意気な弟分としての軽口だと思っているが、セレスの瞳の奥には、僅かな『嫌悪』が渦巻いていた。


「君たちに振りまく可愛げは持ち合わせていないので」


セレスがふいっとそっぽを向いたその時、サロンの重厚な扉が静かに開かれ、初老の執事が深々と一礼した。


「リアム様、ヴィオレッタ様。王宮へ向かう馬車の準備が整いました」


その報告を聞いた瞬間、お兄様の纏う空気が一変した。

先ほどまでの意地悪な義兄の顔は消え去り、エピステーメ侯爵家の次期当主として相応しい、一切の隙もない完璧な貴族の仮面が顔に張り付く。

リアムはスッと立ち上がると、ヴィオレッタに向かって優雅に右手を差し出した。


「さあ、行こうかヴィオレッタ」


ヴィオレッタはごくりと唾を飲み込み、その手を取った。








侯爵家の紋章が刻まれた豪奢な馬車に乗り込み、車輪が石畳を叩く。

やがて視界に広がったのは、圧倒的な威容を誇る王宮と、色とりどりの花が咲き乱れる広大な庭園だった。


「エピステーメ侯爵家、リアム様、ヴィオレッタ様がご到着されました」


案内役の騎士に導かれ、お茶会の会場となっている庭園の東屋へと足を踏み入れる。

そこにはすでに、豪奢な衣装に身を包んだ同年代の子供たちの姿があった。

ヴィオレッタが緊張のあまりリアムの背中に少しだけ隠れるようにした、その時だった。


「お!エピステーメ侯爵家が来たのか!?」


突然、鼓膜を弾くような快活で大きな声が響いた。

バッと顔を上げると、燃えるような赤髪を短く刈り込んだ、体格の良い少年が真っ直ぐにこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。

彼はお兄様の完璧な貴族のオーラなど意に介さない様子で、挑戦的な琥珀色の瞳を輝かせ、ニカッと不敵に笑う。


「父上から聞いてるぜ。すげぇ魔力を持ってるってな! 挨拶なんか後でいい、俺と手合わせしようぜ!」

「……は?」


初対面での突然の決闘の申し込みに、ヴィオレッタは目を丸くした。

お兄様もまた、予想外の直球すぎるアプローチに、仮面の奥でわずかに眉を顰める。


「ちょっと、アルブレヒトの。はしたない真似はおやめなさい。王宮内で騒ぐなど、公爵家の名折れですわよ」


赤髪の少年の背後から、氷のように冷たく、ひどく澄んだ声が響いた。

声の主は、東屋の席に優雅に腰を下ろしたまま、こちらに一瞥もくれずに紅茶のカップを傾ける銀髪の少女。

彼女はカップをソーサーに戻すと、ようやく冷ややかな視線を彼へと向け、小さく鼻で笑う。


「まずは自分の名を名乗るのが、貴族としての最低限の礼儀でしょう」

「わ、わかってるよ!」


彼はむっとした顔で少女を睨み返したあと、コホンと大げさに咳払いをして、ドンッと自分の胸を叩いた。


「俺はアルブレヒト公爵家のレオンハルトだ! よろしくな!」


胸を張って名乗るレオンハルトの横で、シルヴィアは優雅に立ち上がると、寸分の狂いもない完璧なカーテシーを披露した。


「お見苦しいところをお見せしましたわね。わたくしはクインシー公爵家のシルヴィアと申します。……まさか――」


シルヴィアはそこでスッと目を細め、氷の刃のような視線をヴィオレッタへと向けた。


「噂に聞くエピステーメ侯爵家のヴィオレッタ嬢とお会いする機会があるとは思いませんでしたわ」


なんだか含みのある言葉に、ヴィオレッタは肩をビクッと跳ねさせた。


(うわぁ……っ、仲良くできるかしら…私)


だが、ヴィオレッタが心の中で頭を抱えるよりも早く、隣に立つリアムから『ゴゴゴ……』と幻聴が聞こえそうなほどの冷気が立ち上った。


「へぇ……?」


リアムは完璧な貴族の笑みを浮かべていた。

だが、その瞳孔はスッと細まり、絶対零度の怒りを孕んでいる。

感情魔法の使い手である彼の機嫌が急降下したことで、周囲の空気がビリビリと重く震え始めた。


「初対面で決闘の申し込みに、私の大切な妹への興味深い言葉…。なるほど、公爵家のご挨拶というのは、随分と個性的で面白いですね」

「おっ、やる気か!?」


リアムから放たれる剣呑な魔力に当てられ、勘違いしてさらに目を輝かせるレオンハルト。


「……それはお互い様ですわね」


扇子で口元を隠し、お兄様の威圧感にも一歩も引かないシルヴィア。


「お、お兄様、落ち着いて!」


涙目でリアムの袖を必死に引っぱるヴィオレッタ。

一触即発のカオスな空気が弾けそうになった、その時だった。


「あははははっ! だから言ったでしょう、殿下。今日のお茶会は、いつもよりずっと賑やかで面白くなりそうだと」


不意に、庭園の入り口のアーチの方から、腹を抱えて笑う楽しげな声が響き渡った。

ピタリと全員の動きが止まり、声のした方へ一斉に視線を向ける。

そこから歩み出てきたのは、二人の少年だった。

一人は、このカオスな状況を見て愉快そうに肩を揺らしているテオドール。

そしてもう一人は、彼の一歩前を歩く、美しい白髪に気品あふれる瞳を持った少年。


「……まったく。僕が居ない間に、随分と派手に盛り上がっているじゃないか」


呆れたようにため息をつきながらも、その口元には微かに面白がるような笑みを浮かべている。

この国の王族である殿下、その人だった。

第41話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、主人公と同世代にあたる新たな貴族令嬢と子息が登場いたしました。

二人ともなかなかに一筋縄ではいかない個性を持っているので、これからのお茶会は少しばかり面白い空気が漂いそうです。彼らが織りなすやり取りを、楽しんでいただければと思います。


ブックマークや評価(☆)、ご感想などをいただけますと、今後の物語を綴る上での大きな糧となります。

お手隙の際にでも、お力添えいただけますと幸いです。

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