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39 騒乱の夜 4

ヴィオレッタの絶叫と共に放たれた『鎮静』と『治癒』の波動。

それは、荒れ狂う嵐を一瞬で凪に変えるような、奇跡の力だった。


「はぁ……はぁ……」


ヴィオレッタの肩が大きく上下する。

兄を守りたい。

その一心だけで無意識に搾り出した力は、彼女の意識を一瞬で刈り取ろうとしていた。


(何が起こったの…?)


急に体の中から溢れてきた温かい光に、自分でも困惑を隠せない。

けれど、そんなことよりも今は——。


「ヴィオレッタ……」


掠れた、けれど確かな声。

腕の中に視線を落とすと、薄く目を開けたお兄様と目が合った。

苦痛に歪んでいた表情が和らいでいる。

 

「…!お兄様!」


お兄様が生きている。

あんなに酷かった傷からの出血が止まっている。

それを確認した瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。

視界がぐにゃりと歪んでいく。


(良かった…)


ヴィオレッタの体から力が抜け、カクリと崩れ落ちた。

完全に、魔力と体力を使い果たしたのだ。

泥のように重くなる体。

けれど、心だけは羽のように軽かった。


だが、その安堵は、刹那の夢だった。


世界を支配していた「静寂」の縛りが、唐突に解けたのだ。


『グ……ル……ルル……』


喉を鳴らす音が、静寂を食い破る。

動きを止めていた魔獣たちが、再び赤く瞳を輝かせ始めた。

ヴィオレッタの力は凄まじかったが、それはあくまで一時的なもの。

諸悪の根源である植物は健在であり、地下からの毒の供給は止まっていない。

むしろ、強制的に抑えつけられた反動で、植物の脈動はより激しく、狂暴になっていた。


「チッ……! やっぱり、時間稼ぎにしかならないか……!」


セレスが舌打ちをする。

彼もまた、立っているのがやっとの状態だ。

残った魔力で、 数体は倒すことはできても、この数を相手にすれば数秒で食い殺されるだろう。

けれど、セレスは逃げなかった。

肩を上下させながらも、力が抜けて立つことが出来ないヴィオレッタと、満身創痍のリアムの前に立ちはだかる。


「……僕の視界で死なれると、寝覚めが悪いんだよ」


その冷ややかな言葉とは裏腹に、一歩も退こうとしないその背中が、今はとても大きく、頼もしく見えた。

シルヴァン先生も、血に濡れた剣を構え直す。


「ええ。……私の生徒には、これ以上触れさせません」


二人が死力を尽くして構える。

だが、現実は非情だ。

魔獣の群れは、先ほどまでの比ではない殺気を放ちながら、地面を蹴った。


『グオォオオオオオッ!!!』


咆哮と共に、黒い波となって押し寄せる死の軍勢。

防ぎきれない。

彼ら四人以外の誰もが死を覚悟し、目を閉じかけた、その時だった。


——夜空が、閃光に染まった。


「……え?」


セレスが呆気にとられた瞬間。

天から無数の「光の剣」が、豪雨のように降り注いだ。


それは魔法というより、神の裁きだった。

正確無比。

群れを成していた数十体の魔獣すべてに対し、その脳天に一本ずつ、純白の剣が突き刺さったのだ。


『ギャ……ッ!?』


断末魔すら上げられなかった。

光の剣に貫かれた魔獣たちは、内側から浄化されるように瞬時に白い粒子となって崩れ去る。

圧倒的な数の暴力が、たった一瞬で「無」に帰した。


「な……」


セレスは口を開けたまま動けない。

自分の最大火力でも数体を消し飛ばすのがやっとだったのに。

これは次元が違う。

魔法の精度も、威力も。


静まり返った庭に、一人の男が音もなく降り立つ。

夜風に靡く銀のマント。

氷のように冷徹で、けれど炎のように激しい怒りを湛えた瞳。


エピステーメ侯爵——お父様だ。


お父様は、呆然とする私たちや、崩れ去った魔獣の残骸には目もくれず、ただ一点を見据えた。

その視線の先にあるのは、全ての元凶——温室に植えられている毒々しい植物。


「……あれか」


低く、短い呟き。

お父様が片手を軽く持ち上げる。

それだけの動作で、温室上空の空間が歪み、巨大な魔力が収束していく。

顕現したのは、先ほどの剣とは比較にならない、巨大な光の大剣。

断頭台の刃のように、植物の真上に浮かぶ。


「消えろ」


お父様が手を振り下ろす。


ドォォォォォォォォォンッ!!


巨大な剣が、植物を垂直に貫いた。

衝撃波が庭を揺らすが、奇妙なことに、その破壊の力は植物だけに集中していた。

周囲の地面を砕くことなく、対象だけを完全に、細胞の一つ残さず消滅させる、神業の魔力制御。


ジュッ……。


光が収まると、そこには何も残っていなかった。

植物も、根も、毒気も。 ただ、綺麗な更地があるだけ。


「…………」


言葉が出なかった。

これが、侯爵当主の力。

これが、お父様の光魔法。

凄い…本当に…。

以前、屋敷で行われた私の誕生日パーティーの際に、お父様が見せた魔法とはまた違う。

美しく、誰もが目を奪われるような輝かしさを持ちながら、そこには温かさは感じず、ただ敵だけを見据えているような鋭く、冷たい光だった。

圧倒的な強さを前にして、私は以前シルヴァン先生に助けてもらったあの時のような安心感を感じていた。

同時に、あの時みたいに心臓の鼓動がうるさいほど速かった。

けれど、あの時とは少し違う。

私は…興奮しているのかもしれない。

あまりのも綺麗で圧倒的で、安心感を人々に与えるこの魔法に、私は…魅了されている。

憧れる。

人を助けることの出来るほどの力に。

私も—


ヴィオレッタが目を輝かせていたように、他も者たちもそれぞれに違った反応を見せていた。

驚きから動けない者、称賛する者、当然だという顔をする者、恐怖する者。

しかし、彼らは共通して、ただ呆然と立ち尽くすしていた。


そこへ、遅れてドカドカと足音が響いてきた。


「確保ぉぉッ!! 周囲を封鎖せよ!!」

「負傷者の救護を最優先!!」


多数の騎士たちが、剣を抜いて雪崩れ込んでくる。

しかし、彼らが目にしたのは、すでに塵一つ残っていない戦場と、その中央に静かに佇む主人の姿だけだった。


「……遅い」


お父様が振り返り、冷たく言い放つ。

傍に来た騎士が青ざめて平伏した。


「も、申し訳ありません!! すでに制圧が完了しているとは……!」


お父様は騎士たちを一瞥した後、すぐに殺気を消し、ボロボロになった私たちの元へ歩み寄った。

コツ、コツ、と革靴の音が近づいてくる。

お父様が、血まみれのお兄様と、動けなくて座り込んでいる私を見下ろした。

その瞳と目が合った瞬間、ヴィオレッタの心臓が早鐘を打った。


(…怒られる) 

 

反射的にそう思った。

なぜお兄様が血まみれなのか問われるかしら。

どうして立たないのか指摘されるのかしら。

……それとも、邪魔だと言われるのかしら。

お父様の瞳を前にすると、自分がひどくちっぽけで、何か悪いことをしたかのような気持ちになる。

私は、ただお兄様を守りたかっただけなのに。

怖くて、視線を伏せそうになった時——。


お父様が、その厳格な瞳を静かに細めた。


「……よく耐えた」


その一言だけが、夜風に溶けた。

叱責でも、尋問でもない。

それはどんな称賛よりも重く、彼らが「守りきった」ことを認める言葉だった。


 「ぁ……」


ヴィオレッタの瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。 張り詰めていた心が、その一言でようやく解けたのだ。


「……やれやれ。やっとお役御免ですね」


シルヴァン先生が、ふっと息を吐き、緊張の糸が切れたようにその場に座り込んだ。

セレスもまた、大きなため息をついて地面に大の字に寝転がった。


「あーあ、疲れた。……ま、無能だと思ってたけど、最後だけは役に立ったんじゃない? お二人さん」


憎まれ口を叩くその顔には、隠しきれない安堵の色が浮かんでいた。


お父様は、子供たちの元を離れると、座り込んだシルヴァン先生の元へと歩みを進めた。


「シルヴァン伯爵」

「……お見苦しいところを」


先生が苦笑して立ち上がろうとするが、お父様は手でそれを制した。


「傷の具合は?」

「問題ありません。……ただ、少しばかり休暇をいただきたい気分ですね」

「ああ。……私の留守を、よく守ってくれた。感謝する」


お父様は、手に光の粒子を集めると一匹の蝶を生み出した。

その蝶は、ひらりと舞い、先生の体の中へと吸い込まれていく。

すると、シルヴァン先生の表情から険しさが消え、穏やかなものへと変わっていった。


こうして。

エピステーメ家を襲った長く恐ろしい夜は、お父様の帰還によって幕を下ろした。


けれど、これは終わりではない。

異国の影、貴族派の陰謀。

そして、ヴィオレッタの中に眠っていた力の覚醒。

すべての歯車が、この夜を境に大きく回り始めたのだ。

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