37 騒乱の夜 2
「立てますか、セレス。……お説教は後です。今は、私の背中を守りなさい」
「……っはい!」
シルヴァン先生の背中に守られながら、セレスは弾かれたように顔を上げた。
先生は剣を一閃させ、飛びかかってきた魔獣を薙ぎ払いながら、視線だけをセレスに向けた。
「セレス。大体のことは把握していますが、何があったのですか」
「黒いローブの奴らが地面に何かを刺した後、僕が張った結界が壊れて、魔獣が生まれたんです。……奴らは魔獣に襲われて瀕死です」
セレスが早口で告げると、先生は眉一つ動かさずに頷いた。
「なるほど。とりあえず奴らは拘束しておきましょう。また逃げられては困りますし」
先生が指を鳴らすと、突風がロープのようにうねり、倒れている黒ローブの男たちを壁際に移動させて拘束した。
これで口封じの自害も、逃亡もできない。
だが、問題は目の前の脅威だ。
「まずはこの魔獣をどうにかするしかありませんね」
「はい……! でも先生……」
「えぇ、隙を見てセレスにはあの植物をどうにかしてもらわねばなりません。根源が解決しない限り永遠に湧き出てくるでしょう」
先生の冷静な指示。
しかし、セレスはギリッと奥歯を噛み締めた。
「……ちっ」
倒しても倒しても、魔獣は際限なく湧き出てくる。
それを捌くために、僕たちの魔力は確実に削り取られていく。
何より——先生の状態が万全ではない。
涼しい顔をしているが、先生は光魔法の行使による衰弱から回復したばかりだ。
魔力回路は戻っていても、生命力の回路はまだ完全には復活しきれていないはずだ。
その状態で、高レベルの剣術と並列魔法行使を続けている。
負担が大きすぎるのだ。
「ふっ……!」
先生の剣閃が、夜闇に銀の軌跡を描く。
振るう腕には鋭利な風の刃が纏われ、迫り来る魔獣を次々と弾き飛ばしている。
その動きに無駄はなく、呼吸も整っているように見える。
圧倒的な実力差。
しかし、戦況は先生にとって最悪だった。
「ガアアッ!」
魔獣の一体が、先生を無視して、その背後にある屋敷へ飛びかかろうとする。
中にはヴィオレッタや使用人たちがいる。
「——させませんよ」
先生は残像が見えるほどの速度で移動し、魔獣の前に立ちはだかる。
斬り伏せるのではない。
風の障壁で押し戻す。
屋敷に近い場所で敵を爆散させれば、その衝撃で窓が割れかねないからだ。
「ちっ……!」
先生が苦々しく舌打ちをする。
魔獣たちは本能で理解しているのか。
それとも、そう命令されているのか。
背後の建物を守るために、攻撃魔法を封じていることを理解し、わざと攻撃しているようだ。
先生は、一撃で群れを葬り去るだけの大魔法を行使できる。
だが、それには数秒の隙が生まれてしまう。
無限に湧き出し、絶え間なく襲いかかる獣の群れは、その数秒すら彼に与えてくれない。
(……厄介ですね。このままでは、キリがない)
先生の額に、一筋の汗が流れる。
傷一つ負っていない。
動きも鈍っていない。
だが、綱渡りのような防衛戦を強いられ、回復しきっていない体には負担が大きい。
いずれ限界が来て、防衛ラインが一箇所でも崩れれば——そこから全てが終わる。
「先生……っ!」
セレスが援護の光弾を放つ。
植物を狙おうとするが、魔獣の壁が厚すぎて射線が通らない。
焦りの中、数発撃ったところで、指先の光がプツリと消えた。
「くそっ、もうガス欠かよ……! 燃費悪すぎなんだよ、この身体!」
セレスは焦燥に顔を歪めた。
技術や知識はあっても、今の彼はまだ子供だ。
魔力を貯めておく「器」が小さすぎる。
先生の負担を減らすどころか、自分の魔力が先に尽きてしまった。
その隙を見逃さず、三体の魔獣が同時に動いた。
一体が先生へ、残る二体が左右から屋敷へ。
先生が目を見開く。
三方向同時——セレスの心臓がドクンと音を立てる。
「——セレス!」
背後から、緊迫した声が飛んできた。
振り返ると、屋敷から飛び出してきたリアムが、息を切らせて立っていた。
「何しに来たんですか、無能。……邪魔です、帰って!」
セレスは八つ当たりのように怒鳴った。
しかし、リアムは引かなかった。
彼の瞳は、恐怖に震えながらも、孤独に戦う先生の背中を見据えていた。
「見ただろう。先生は僕たちを守るために、攻勢に出られないんだ。……そして君も、魔力が尽きている」
「だ、だから何だよ! 君に何ができるって言うんだ!」
「できるさ」
リアムは一歩踏み出し、震える手をセレスへと差し出した。
「僕を使え」
「……は?」
「僕には、制御できないほどの無駄な魔力がある。……君なら、これを扱えるはずだ」
セレスは呆気にとられ、次いで心底嫌そうな顔をした。
「はぁ? 正気ですか? 貴方のその雑な魔力なんて入れたら、僕の繊細な回路が腐るんですけど。生理的に無理」
「選り好みしている場合か!!」
リアムが怒鳴り返す。
その視線の先で、先生がさらに増えた魔獣の群れに対し、一歩も退かずに剣を振るっている。 その背中は、まだ倒れていない。
けれど、このままでは確実に——。
「……先生」
もう迷っている時間はない。
セレスはギリッと奥歯を噛み締めると、リアムを睨みつけた。
「——チッ! 背中貸して! 死んでも文句言うなよ、無能!」
「ああ、好きにしろ!」
セレスが背を向けると、リアムはその小さな背中に両手を押し当てた。
集中する。
体の中で暴れ回る熱い奔流を、全て目の前の少年に流し込むイメージで。
「う、ぐ……っ!!」
リアムの口から声が漏れる。
魔力を無理やり引き抜かれる感覚は、血管を内側からヤスリで削られるような激痛を伴った。
同時に、受け入れる側のセレスもまた、苦悶に顔を歪めていた。
「ぐぅっ、うっわ……!気持ち悪いくらい多いな……!何なんだよこの魔力量!」
セレスの体内で、他人の異質な魔力が暴れ回る。
しかし、彼は天才だった。
流れ込んでくる泥水のような魔力を、瞬時に濾過し、純粋な光の魔力へと変換していく。
セレスの全身が、まばゆい黄金のオーラに包まれた。
「……あはっ。すごい」
セレスが顔を上げる。
その瞳には、狂気じみた万能感が宿っていた。
「これなら……全部、消せる」
セレスは両手を前方にかざした。
照準は、先生を囲む魔獣の群れ、そしてその奥にある植物本体。
「——消えろ。『天光の殲滅』!!」
ドォォォォォォンッ!!
セレスの両手から、先ほどとは桁違いの、極太の閃光が放たれた。
それは夜の闇を真昼のように塗り替え、直線上にいた魔獣たちを、断末魔の声すら上げさせることなく蒸発させた。
地面が抉れ、植物の一部が焼き尽くされる。
「あはは! すごいすごい!無能だと思ってたけど、魔力源くらいにはなるじゃん!」
セレスは狂ったように笑いながら、光弾を放ち続ける。
背後で魔力を供給し続けるリアムは、顔面蒼白になり、脂汗を流しながらも手を離さない。
「くっ……口を……減らせ……!さっさと……片付けろ……!」
「はいはい、命令しないでよね。……ほら、もう一発!」
嫌悪と罵倒。
けれど、二人の魔力は皮肉にも完璧に噛み合い、最強の砲台となって戦場を蹂躙し始めた。
それを見ていたシルヴァン先生は、冷静な瞳を一瞬だけ驚きに見開いた。
「……まさか。リアム様の魔力を、セレスが変換して……?」
それは、誰も予想し得なかった、最悪で最強の共同戦線だった。




