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35 静かな異変 8

翌朝。

食堂に現れたシルヴァン先生は、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。


「おはようございます。昨日はご心配をおかけしました。もうすっかり良くなりました」


その肌は陶器のように白く、立ち振る舞いにも一切の乱れはない。

けれど、先生の隣でスープを飲んでいたセレスが、呆れたように小さく鼻を鳴らしたのを私は聞き逃さなかった。

おそらく、まだ本調子ではないのに無理をしているのだろう。

セレスはというと、上品にスープを口に運びながら、完璧な「良い子」を演じていた。


「このスープとても美味しいです! シェフの方に後でご挨拶させてください」

「まぁ、気に入ってくれて嬉しいわ。セレスくんは本当に礼儀正しいわね」


お母様は嬉しそうだが、私とお兄様は知っている。

セレスが今朝、寝起きに「あーあ、朝から他人の顔色窺うとか最悪」と毒づいていたことを。

私たちが視線を向けると、セレスは見えない角度でスッと目を細め、『こっち見んな』と無言の圧力をかけてきた。

私たちは慌てて視線を皿に戻す。


「そうだわ。伯爵様、あの植物を買ったお店を思い出しましたわ」


お母様が不安げな表情で切り出した。

街外れにある園芸店で、お母様がよく珍しい種や苗を買いに行く馴染みの店だという。


「ありがとうございます、侯爵夫人。……食事が済み次第、私が確認に行って参ります」

「僕も行きます」


即座にセレスがスプーンを置いた。


「先生、まだ顔色が悪いし。万が一、変なのがいたら困るでしょ?」

「セレス、私は大丈夫だと言っているだろう?」

「信用できないなぁ」


微笑みながら眉を下げた先生と可愛らしく頬を膨らませているセレス。

微笑ましい光景。

けれど、事態はもっと深刻だ。

私はナプキンを膝に置き、意を決して顔を上げた。


「私も行きます」

「ヴィオレッタ様?」

「あんな恐ろしい物をお母様に売ったのがどんな人なのか、私も知りたいんです。……私の家が狙われた理由を知りたい」


私の言葉に、隣に座っていたお兄様も頷いた。


「ヴィオレッタ一人では危険だ。私も行きます。……それに、次期当主として、事態を把握しておく必要がある」


先生は少し困ったように眉を下げたが、私たちの決意が固いことを悟ると、静かに頷いた。


「分かりました。……ただし、絶対に私の傍を離れないでくださいね」









私たちは馬車に乗り込み、街外れの園芸店へと向かった。

到着した店は、色とりどりの花に囲まれたこぢんまりとした場所だった。

店主である初老の男性は、突然の侯爵家の来訪——それも、美しい魔術師と子供たちを引き連れた一行に、明らかに動揺していた。


「い、いらっしゃいませ……! 本日はどのようなご用件で……?」


店主が揉み手をして出迎える。

先生は、逃げ場のない穏やかな笑顔で切り出した。


「単刀直入にお聞きします。……先日、侯爵夫人にお譲りした『紫色の花』のことですが」


その瞬間、店主の肩がビクリと跳ねた。


「あ、あれは……その、何か不備でもございましたでしょうか?」

「いえ、大変『元気』でしてね。あまりに珍しい品種なので、入手ルートを知りたいのですよ。……貴方は、あれを誰から仕入れたのですか?」


先生の声は柔らかいが、目は笑っていない。

店主は脂汗を流しながら、視線を泳がせた。


「あれは……いつも来る卸業者ではなくて……ふらりと来た、流れの行商人からでして……」

「行商人?」

「はい。ひどく高値でしたが、『異国の珍しい花だ』と言われまして」


店主は、怯えながらもぽつりと本音を漏らした。


「正直なところ、あんな毒々しい色の花、売れるわけがないと思っていました。高すぎて、ウチのような店には不釣り合いだと断ったんです。……ですが」


店主は、不思議そうに首を傾げた。


「その商人は言ったんです。『大丈夫だ、置いておけば必ず売れる』と」

「……え?」

「『この花の価値を見抜いて、必ず買っていく人が表れる』……そう言われたんです。そうしたら、本当にその日のうちに侯爵夫人がいらして、即決されて……」


私とお兄様は、背筋が凍るような感覚を覚えた。

店主は操られていたわけでも、脅されていたわけでもない。

ただ、敵の掌の上で踊らされていただけだ。

敵は、お母様の性格、好み、そして行動パターンを完全に把握していた可能性がある。

この店に置いておけば、お母様が屋敷へ持ち帰るだろうと予測して、罠を仕掛けたのだ。


「……ふーん」


セレスが、冷ややかな声を出した。

店主を無視して、店先の土をじっと見つめている。


「ねぇおじさん。その行商人、どんな格好してた?」

「え? あ、ああ……黒いフードを目深に被っていて、顔はよく……」

「そっか。ありがと」


セレスは興味を失ったように視線を外した。 先生は深く息を吐き、店主に告げた。


「ご協力感謝します。……今後、その商人が来たらすぐに知らせてください」









帰りの馬車の中、車内は重苦しい沈黙に包まれていた。 先生が低い声で呟く。


「……偶然を装った、罠ですね」


お母様の行動や好みを計算に入れた計画。

単なる嫌がらせのレベルを超えている。


「あの植物は、おそらく異国の固有種でしょう。しかし、あんな危険性があるものをそう簡単にこの国に持ってこれるはずがない…」


先生は言葉を濁したが、その先にある言葉を想像して、私は身震いした。

きっと誰かが糸を引いている。

この国に持ってこられるようにした黒幕がいるはず。

自分の知らない何かが私たちを狙っている。

無意識に手に力が入り、服を握りしめていた。

すると、お兄様の手がそっと私の手にかぶせられ、ギュッと握られる。


「……先生」


セレスが、窓の外を流れる景色を見ながら、ポツリと言った。


「あの店、臭かったよ」

「……臭い?」

「うん。あの植物と同じ、腐った土の臭い。……あのおじさんには付いてなかったけど、店の周りに微かに残ってた」


セレスは、ガラス玉のような瞳で、どこか遠くを見つめるように目を細めた。


「罠が失敗したこと、もうバレてるかもね。……焦って、尻尾を出しに来るかもしれない」









その夜。

月明かりすらない暗闇の中、屋敷は静寂に包まれていた。

誰もが寝静まった深夜。

庭の奥にある温室の周りに、音もなく蠢く影があった。

一つ、二つ、三つ……。

黒いローブを纏った人影が、闇に溶け込むように現れる。

彼らの手には、見たことの無い文様が刻まれた短剣や、禍々しい魔道具が握られていた。

セレスの張った『天光の檻』によって、植物の呪いは封じ込められ、計画は頓挫した。

だからこそ、彼らは来たのだ。

物理的に結界を破壊し、強制的に災厄を撒き散らすために。


「……対象を確認。結界を破壊する」


先頭の男が、無機質な声で囁く。

彼らが温室へ一歩踏み出そうとした、その時だった。


「——やっぱり来た」


頭上から、鈴のような声が降ってきた。

黒いローブの男たちが、ハッと見上げる。

温室の屋根の上。

月光を背に受けて、小さな影が座っていた。


「害虫駆除の時間だね」


セレスが、ニヤリと三日月のような笑みを浮かべる。

その瞳は、夜闇よりも深く、冷酷に輝いていた。




いつも読んでくださり、ありがとうございます。

気付けばクリスマスイブ。

時間が経つのは早いものですね。

普段はマイペースな更新ですが、この年末年始は少しだけペースを上げて、物語を紡いでいこうと思います。


‖年末年始の更新について

本日から年始にかけて、毎日の更新を目指します。

(※執筆の進み具合によっては、隔日となる場合もございます)


年始までのひととき、お時間がある時にお付き合いいただけますと幸いです。

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