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16 灰色の瞳の兄 2

ようやく暖かい陽気を取り戻し始めた、ある午後のことだった。

窓辺に座った私は、ほんの少し開けられたガラス窓の隙間から流れ込む外気に目を細める。

どこか懐かしいような香りが混ざっていて、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 「……今日は、久しぶりに外に出てみようかしら」


もう自由に外に出ても良いと医師に告げられたのは一か月以上前のことだった。

しかし、何かあってはいけないと庭園に行くことは許可されていなかった。

昨晩ついに庭園に行くことが許可されたのだ。

今日は朝起きた時からずっと胸がふわふわと落ち着かなかった。


療養生活は二か月にも及んだ。

少しずつ体力は戻ってきていたけれど、それでも外に出て良いという許可が下りたのは、まるで『許し』を得たようで、嬉しさと同時に、ほんの少しの緊張が胸を締めつける。


(やっと、外に行けるわ…!また、日差しの下を歩ける)


日の光や葉の香り、肌を掠める風がこんなにも恋しくなるだなんて。

療養しなかったら分からなかっただろう。

朝食を取り終え、私は侍女と廊下をゆっくりと進む。

外には出られなかったが屋敷内を歩いていたこともあって、特に問題なく歩けていた。

以前と少し違うのは、その一歩一歩が庭園に近づくたびに喜びに変わっていることだ。


 「お嬢様、無理なさらぬように」

 「ええ。ありがとう、リア」


扉が開かれた瞬間、春の陽光が私を迎えてくれた。

庭園の草木は寒さを乗り越え、柔らかな緑をのびのびと広げていた。

遠くから小鳥のさえずりが聞こえ、風が髪をさらりと撫でていく。

私はそっと口元を緩め、深く息を吸い込んだ。


 「……久しぶりだわ」


声に出してみると、言葉が小さく震えた。

見慣れていたはずの庭園をゆっくりと見渡す。


ふと、庭園の奥に一人の少年の姿が見えた。

紫の髪が陽に透けて淡く輝き、佇む背中はまるで風景に溶け込むように静かだった。

灰色の瞳がじっと空を見つめていて、けれどその表情は読めない。


(リアム兄様だわ)


二か月前、紹介されたお兄様。

私が病室にいた間、お兄様もまた、貴族としての教養や作法を詰め込まれる日々を送っていたと聞く。

だから、これまで直接顔を合わせる機会もほとんどなかった。

けれど、どこか──不思議と、彼に惹かれてしまう。

なんだかお兄様は言葉に言い表しにくい雰囲気を持っているのだ。

私はゆっくりと庭園へと足を運んだ







 「お兄様…!」


声をかけると、お兄様はゆっくりと振り返った。

その灰色の瞳は、一瞬私を見つめたあと、やや困ったような微笑みを浮かべる。

どこか作られた笑顔。

けれど、優しさだけは滲んでいた。


 「お加減、もう大丈夫なんですか?」

 「はい、おかげさまで……やっと、庭園に出られました」


風が二人の間を通り過ぎる。

沈黙が数秒、けれど嫌ではなかった。

私はお兄様の隣に立ち、しばらく一緒に庭園を眺めた。

お兄様は、年上のはずなのに……どこか年の差を感じさせない親しみやすい雰囲気を纏っていた。

しかし、ふとした瞬間に別人のような雰囲気に変わる。

言葉使いではなく、表情でもない、何か深い影のようなもの。


 「お兄様は、よくここにいらっしゃるんですか?」

 「えぇ、静かですから。庭の匂いも、風も落ち着きます」

 「私も、そう思います。久しぶりに外の空気を吸ったら、嬉しくて……胸がいっぱいです」


そう言葉にしながら隣のお兄様に顔を向けると、彼の目元が少し緩んだ気がした。

けれど、その瞳の奥には、言葉にならない何かが揺れていた。


 「……ヴィオレッタ嬢」

 「はい?」

 「今、少し……心が、沈んでいませんか?」

 「え?」


私は、突然の言葉に一瞬何を言われたのか分からなかった。


(どうして、そんなことを……)


確かに、私はさっき一瞬だけ、前世の記憶に引きずられた。

あの夜。あの痛み。あの絶望。

忘れたかったはずなのに、なぜ今になってまた浮かんできたのだろうと思っていた。


動揺を隠しきれていない私をお兄様がそっと見つめる。


 「……失礼、変なことを言いましたね。気にしないでください」

 「……いえ。でも……どうしてそんなことを?」

 「私は少し、人の気持ちが分かる時があるんです。言葉じゃなく、……感情の揺れが、伝わってくる」


お兄様の声は低く、けれど丁寧で。

まるで自分自身の中の何かを探り、確かめているようだった。

 

(お兄様にも、なにか言えないことがあるんだわ)


私の心の底が、わずかに軋んだ。

 

(もしかして、この人も…私と同じように、この痛みを知っているのかしら)


 「…何も聞かないのですか?」

 「聞いてほしいのですか?」

 「いいえ、そういう訳ではないのですけれど……私、時々……怖い夢を見るんです。叫び出したくなるような、逃げ出したくなるような……でもそれが叶わない夢」


お兄様は何も言わず、私の言葉をただ受け止めてくれる。

その沈黙が、私にはなぜか心地よかった。

夢について話すのは初めてではないのに、あの時とは少し違っていた。

あの時は誤魔化そうと必死だった。

しかし今は、まだ詳しく言う勇気がないけれど誤魔化そうという考えはなかった。


 「……私も、似たような夢を見ます。……だから1人ではないですよ」


お兄様がぽつりと呟いたその言葉が胸に染みていくのを感じる。

まるで、冷たい水が喉を潤してくれたように。


視線を上げ再び庭園を見ると、花が温かい風に揺れている。

季節が確かに変わろうとしている。


 「……お兄様」

 「なんでしょう?」

 「よかったら、また……一緒に、庭を歩いてくださいますか?」


彼は、ほんのわずかに驚いたように目を見開いた。

けれどすぐに、優しく微笑んでくれる。


 「もちろん、喜んで」


この庭園での時間で、お兄様との距離がほんの少しだけ近づいた気がした。



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