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13 尊敬とは違う何か

石壁の一部が、轟音と共に内側へ向かって砕け散る。

粉塵が舞い上がり、一筋の眩い光が暗闇を切り裂いた。


「な、何事だ?!」


黒いローブの者たちが、明らかに狼狽した声を上げる。

彼らは咄嗟に身構え、砕けた壁の向こう、光の差す方向を警戒した。


光の中から、ゆっくりと人影が現れる。

逆光になっていて顔ははっきりと見えないけれど、その立ち姿に見覚えがあった。


「…先生…?」


掠れた声が、やっと喉から絞り出た。

祈るような気持ちであった。


人影は躊躇なく部屋の中へ足を踏み入れる。

その手には、青白い光の塊を浮かべていた。

光がローブの者たちを照らし出す。

彼らは一斉に何かを叫びながら、その人影───シルヴァン先生に向かって飛びかかろうとした。



しかし、先生は軽く彼らに目を向けるだけだった。


「───眠りなさい」


凛とした声と共に、ローブの者たちは、まるで糸の切れた人形のように、次々とその場に崩れ落ちていった。

あっけないほど、一瞬の出来事。

先生の魔法は、あまりにも圧倒的なものだった。

今はその強さにただただ安堵した。


静寂が戻る。

舞い上がっていた粉塵がゆっくりと落ち、部屋の中には先生と、動けずにいる私、そして意識を失ったローブの者たちだけが残された。


先生はローブの者たちが動かなくなったことを確認すると、真っ直ぐに私の方に寄って来た。

その足音は、いつも屋敷で聞こえるのと同じ、落ち着いた確かな響きを持っていた。

それが今は、何よりも心強い音に聞こえた。


「エピステーメ嬢」


穏やかな声が、私を呼ぶ。

先生は私の前に屈み込み、その手がそっと私の肩に触れた。

冷え切っていた体に、その温もりがじわりと染み渡る。

まるで、凍っていたものがゆっくりと溶け出すような感覚だった。


「…せん、せい…」


見上げた先に、心配そうに細められた先生の瞳があった。

いつも私に知識を教えてくれる時の真剣な眼差しとは違う、けれど、確かに私に向けられた優しい眼差しだった。

それを見た途端、張り詰めていたものがぷつりと切れて、涙がぽろぽろと零れ落ちた。


「う…っ、ひっく…こわ、かったぁ…」


恐怖、安堵、混乱。

色々な感情がごちゃ混ぜになって、うまく言葉にならない。

ただ、子どものように泣くことしかできなかった。


「もう大丈夫ですよ、エピステーメ嬢」


先生は何も咎めず、静かに私の背中をさすってくれる。

その手つきは優しく、少しずつ呼吸が落ち着いていくのを感じた。

先生の手は大きくて、あたたかくて、その存在がすぐそばにあるというだけで、強張っていた心が解けていくようだった。


「よく耐えましたね。怖かったでしょう。───失礼しますね」


先生はそう言うと、私をそっと抱き上げた。

驚いて少し身を固くしたが、先生の腕の中は、不思議なくらい心が静まる場所だった。

先生の纏う、落ち着いた花の香りがふわりと鼻を掠める。

その香りに包まれていると、さっきまでの悪夢のような出来事が、少し遠のいていく気がした。


「侍女たちは…?」


涙声で尋ねると、先生は安心させるようなやさしい声で答えてくれた。


「心配ありません。2人とも無事ですよ。今は別の場所で休んでいます。」


その言葉に、さらに安堵の息が漏れる。

先生は私の背中をまたそっと撫でた。

その手つきはどこまでも優しく、私のことを気遣ってくれているのが伝わって来た。


「さぁ、ここから出ましょう。お屋敷に戻られたら、暖かいものでも飲んで、落ち着かれてください」


先生は私を抱えたまま立ち上がり、崩れた壁の向こうへ歩き出す。

暗く冷たい場所から、暖かく明るい場所へ。


先生の腕の中で、私はそっと先生を見上げた。

いつも冷静で、近寄りがたい雰囲気もあるけれど、今はただ頼もしく、温かい存在に感じられた。

この人が居れば、きっと大丈夫。

そんな静かな確信が、胸の中にじんわりと広がっていく。

さっきまで聞こえていたあの不気味な声や、蘇った記憶の断片は、まだ心の隅に残ったままだけれど、今は先生の存在が、それらを遠ざけてくれているようだった。


先生の胸元にそっと頬を寄せながら、私は床で転がっている黒いローブの者たちを盗み見た。

彼らは何者で、何の目的で私を攫ったのだろうか。

解けない疑問は絶えず頭をよぎるが、今はただ、この静かな安堵感の中に居たいと思った。


シルヴァン先生───私の家庭教師であり、私をこの恐怖から救い出してくれた人。

ヴィオレッタは心の中で、感謝と、今までとは違う種類の尊敬の念が芽生え始めているのを感じていた。








翌日、私は自室で目を覚ました。

あの日は、誘拐という恐怖の直後だったにも関わらず、不思議なほど安心感のあるシルヴァン先生の胸に顔を埋めるようにして、意識を手放したのだった。

私は、あの日の先生の安心感をきっと一生忘れないだろう。


「・・・お嬢様、お目覚めですか?」


心配そうな侍女の声。

ゆっくりと視線を向けると、安堵したような彼女の顔があった。


「リア・・・!無事だったのね」


シルヴァン先生から無事だとは聞いていたけれど、心配だった。

目の前にいるのを見てやっと、無事であることがはっきりと分かり、安心した。


「私・・・帰ってこられたのね」

「はい。昨夜、シルヴァン伯爵様がここまでお送りくださいました。」


その名前に、胸が少し温かくなる。

シルヴァン先生が、あの後ずっと・・・。

上半身を起こそうとすると、すぐそばに居たのか、お父様が肩を支えて下さった。


「まだ無理をするな。気分は悪くないか?」

「お父様・・・はい、大丈夫です。それより、シルヴァン先生は・・・?」


私の問いに、お父様は一度深く息をつき、険しい表情で状況を語り始めた。


「ヴィオレッタを送り届けた後、すぐに我が家の騎士たちを連れて現場に戻って下さった。だが・・・現場はもぬけの殻だったそうだ」

「そんな・・・先生が眠らせていたはずなのに」

「あぁ、だが犯人の姿はもちろん、手がかりになるような物は一切残されていなかったと・・・残念だが、現状ではヴィオレッタとシルヴァン伯爵の証言だけが頼りだ」


(あの黒いマントの者たちが居なくなったなんて…)


シルヴァン先生があれほど速やかに制圧したというのに、逃げられてしまった。

捕まっていないという事実に、安堵していた心がかき乱される。


「今はとにかく体を休めなさい。医者も、数日は安静に、と言っていた。」

「・・・はい」


お父様の気遣う声に頷きながら、私は再びシーツに身を沈めた。


それから数日、私は自室での療養を命じられた。

幸い怪我はなかったものの、精神的な疲労は深かったようで、少し起きているだけでも倦怠感が襲ってくる。


そんな中、一つだけ「幸い」と思えることがあった。

それは、近々予定されていた王家主催のお茶会への参加を、堂々と断れる口実が出来たことだ。

招待状を頂いていたものの、王子殿下がいらっしゃるということと、高位貴族が集まるということで、あまり気乗りがしていなかった。

なにより、今はそんな場に出る気力もなかった。


「王家には、私から事情を説明し、欠席の旨を伝えておいた。殿下も『それは大変だったな。今は療養に専念するように』と、お優しい言葉を下さった」


お父様の報告に、私は当り障りなく「そうですか」とだけ返した。

殿下のお言葉は有り難いが、正直なところ、今はそれどころではない、というのが本音だった。

それよりも、あの現場から忽然と消えた犯人たちのことや、私を助けてくれたシルヴァン先生のことばかりが頭を巡る。


(先生は、無事だったかしら・・・あの後、危険な目に合っていなければ良いのだけれど)


窓の外を見ながら、気づいたらぼんやりと先生のことを考える時間が増えていた。









お茶会が終わった翌々日、テオドールがお見舞いに来てくれた。


「やぁ大丈夫かい?顔色はずいぶん良くなったみたいだね」

「テオドール。わざわざ来てくれてありがとう。もう大丈夫よ」


彼のいつも通りの様子は、少しだけ私の心を軽くしてくれる。

寝台から起き上がってソファで過ごすことが増え始めていた私は、ソファに座り、彼と向き合った。


「それは良かった。君がお茶会に来なかったから、お茶会は少し寂しかったよ」

「まあ、ありがとう。私も参加できなくて、とても残念だったわ」


本当は、お茶会に行きたかったわけではないので、残念とは思ってないのだが、正直に言うことはできないため、そう言うことにした。


「そういえば、王子殿下が君のことを気にされていたよ」

「・・・殿下が?」


テオドールの言葉に、私は内心少しだけ眉をひそめた。

もちろん、表には出さないけれど。


「あぁ。『彼女は大丈夫だろうか。ひどい目に遭ったと聞いたが』と、僕に尋ねてこられたんだ。僕も詳しい状況は知らなかったから、君が無事に家に戻り療養していることだけ伝えといたけど」


それは、王族としての当然の気遣いなのだろう。

あるいは、侯爵家に対する配慮か。

どちらにしても、そこに個人的な感情があるとは思えない。


「ご心配おかけして、申し訳ありませんでした、とお伝えしといてくれないかしら」

「あぁ、分かった。・・・そうだ、これ。僕からと、殿下からのお見舞いの品」


テオドールが差し出したのは、柔らかい香りを纏った花束と、王家の紋章らしきものが入った、小箱だった。


「まあ・・!ありがとう。殿下からも?」

「うん。『少しでも早い回復を願っている』そうだ」


お礼を言って受け取るとテオドールは何やら言いたげにニヤニヤと笑っている。


「・・・何よ、どうかした?」

「いや?お茶会では、やっぱり君の話が出てきたよ」

「私の話・・・?」


テオドールは楽しそうに笑う。


「君の以前までの噂の話とかさ。まあ、今回のことを心配する話が大半だったけど。『一体どんな者たちが』とか『まだ捕まっていないのか』とかね。君も大変だね、ただでさえ注目されていたのに、またこんな形で注目されるなんてね」

「・・・そうね。」


誘拐された令嬢。そんな噂が新しいうちにお茶会など行ったら、好奇の視線に晒されるのは必須だろう。


(お茶会を欠席できて本当に良かった)


そんなことを考えているとテオドールが口にしていた紅茶のカップを置いてこちらを見る。


「早く元気になって、また顔を見せてくれよ。心配している人は、僕や殿下だけじゃないんだからさ」

「えぇ、ありがとう。テオドール」


彼の優しさに、少しだけ心が温まる。


テオドールが帰った後、私はため息をついた。

ここ数日、あまり長くソファに座っていなかったため、少し疲れてしまった。

それに、久しぶりに友人と話したからか、1人の静かな空間が寂しく感じてしまう。

部屋に残されたのは、柔らかい花の香りと、小箱。


(この小箱、何が入ってるのかしら)


殿下からの贈り物である小箱の中身が気になり、そっと開けてみる。

すると、ふわりとおいしそうな甘い香りが鼻腔を満たす。

中に入っていたのは、苺を使用した焼き菓子だった。


(私が、苺が好きだから用意してくださったのね・・・!)


殿下の心遣いに自然と笑みがこぼれた。

後で侍女にお茶の準備をしてもらわなければと思いながら、一旦蓋を閉じて花束と共に侍女に預けた。


後のお茶の時間を楽しみにしながらも、未だに先日のことが頭を離れない。

誘拐事件は、まだ何も終わっていない。

犯人は捕まっておらず、その目的も不明のまま。

ただ、静かに療養しているだけの日々は、不安を増幅させる。


(しっかりしないと)


今は回復に努め、そして、この不可解な事件の真相に少しでも近づかなければ。

そのためにも、シルヴァン先生の力が必要だ。


(・・・シルヴァン先生にはいつ会えるかしら)


窓の外は静かな午後。

けれど、私の心はまだ、あの夜の出来事と、形にならない感情で揺れていた。


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