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12 甘い香り

私は、手元の招待状を見て頭を抱えていた。


「本当に招待状が来たわ…」


あの時、テオドールが言っていた通りになってしまった。


このお茶会は、殿下と年齢の近いものを集めるもので、公爵家や侯爵家のものが招待される。

親交のない方もいらっしゃるだろうと考えられるため、正直あまり行きたくない。

しかし、王族からの招待を断ることなど出来ないのだ。


ため息をついていると侍女が部屋に入って来た。

どうやらお母様が、気分転換もかねて買い物に行くから一緒に行きましょうと誘って下さったようだ。

丁度、私も外に行きたい気分だったため、すぐに行くと伝えて準備を頼んだ。






お母様が買い物をしている間は自由な時間なので、向かいのカフェで過ごすことにした。


午後の陽光が柔らかく降り注ぐカフェテラス。

注がれる紅茶は花の香りを纏い、テーブルに並べられた小さな焼き菓子がきらきらと光っている。

窓際のテーブルで、私はお気に入りのローズティーを楽しみながら、侍女とお喋りをしていた。

最近は侍女とよく話すようになり、こうしてお茶の時間にお喋りをしている。


今日の話題は、王都で流行り始めたという新しい刺繍の図案について。

私たちは、どんな模様が可愛いか、どんな糸を使うと素敵か、夢中になって話していた。

私の隣には、常に控えめながらも隙のない護衛の騎士が静かに控えており、穏やかな時間が流れていた。


ふわり、とどこからか甘い香りが漂ってきた。

花の蜜を煮詰めたような、不思議な香り。

最初は心地よく感じたが、その香りは徐々に濃さを増していく。


「なんだか、甘い匂いがしない?」


鼻をくんくんさせながら尋ねると侍女も頷く。

香りはますます強くなり、頭が少し、ふわふわとしてきた。

まるで、砂糖菓子の雲の中にいるようだ。

心地いいような、でも、どこかおかしいような…


「…お嬢様…なんだか、眠く…」


侍女の声が途切れがちになる。

見ると、彼女の目がとろんとして、焦点が合わなくなってきている。

隣の護衛騎士も、普段の厳しい表情が緩み、こくりこくりと舟を漕ぎ始めている。

まずい、と思った瞬間、私自身の意識も急速に薄れていた。

甘い香りが鼻腔を満たし、思考が鈍麻していく。

抵抗しようにも、体が鉛のように重い。

視界が歪み、侍女たちの姿が霞んでいく。

最後に聞こえたのは、カタン、とカップがソーサーに落ちる小さな音だけだった。




ふわり、と意識が浮上する。

まず感じたのは、ドレス越しに肌を刺すような冷気と、硬い石の感触だった。

甘い香りはもうしない。

代わりに、カビ臭さと埃っぽい匂いが鼻をつく。

目を開けようとしたが、瞼が鉛のように重くてうまく開かない。

かろうじて薄目を開けると、そこは完全な闇ではなかったが、ほとんど光のない、薄暗い空間だった。


(…ここは、どこ?)


頭の芯がズキズキと脈打ち、鈍い痛みを訴えている。

手足を動かそうとしたが、まるで他人の体のように自由がきかない。


「……っ」


声を出そうとしても、喉が引き攣れてか細い息しか漏れなかった。

その微かな音に反応するように、すぐ近くで何かが蠢く気配がした。

目を凝らすと、闇に溶け込むような黒いローブを纏った人影が複数、こちらを見下ろしているのがわかった。

顔はフードの影に隠され、窺い知ることはできない。

ただ、粘つくような視線だけが、ヴィオレッタの全身に突き刺さる。


(攫われた…!?)


心臓が凍り付くような感覚。

なんで?どうして?カフェにいたはずなのに。

侍女は?護衛の騎士は?

思考がまとまらない。

ただ、目の前にいる得体のしれないローブの者たちが、私にとって危険なものだということだけは、本能的に理解できた。


ローブの者たちが、ひそひそと小声で話し始める。

何を言っているのか、内容はほとんど聞き取れない。

けれど、その言葉の断片や雰囲気から、彼らが誰かの指示を受けているらしいことが朧気ながら感じられた。


「おい…大丈…な…か?こいつ……」

「…丈夫…でしょう、彼女……記憶のせいで正気で…ないだろう…おっしゃっていましたから」



断片的に聞こえる言葉が、ヴィオレッタの不安をさらにかき立てる。

なぜ私はこんな場所に?

恐怖がじわじわと心を侵食していく。


その瞬間、頭の奥がズキリ、と痛んだ。

目の前の光景と、何かの記憶の断片が、不意に重なったのだ。


───暗い、寒い、狭い場所。


(…怖い、ここから出たい…)


それは、今いるこの場所とは違う場所の記憶。

もっとずっと深く、冷たく、絶望的な闇。

異質な気配が渦巻く、およそ人の世のものとは思えない空間。

私は1人で、暗闇の中を進んでいた。

怖くて、心細くて、でも、ある目的のために、必死で足を進めていた。



不意に重なった記憶に混乱する。

そんなヴィオレッタを見下ろすローブの者たちの視線のせいで、彼女の脳裏には、またあの記憶が浮かんできていた。

あの時も、こうして無力なまま、ただ恐怖に震えていた。

また、繰り返すの?

あの時のように…?


死にたくない。助けて。

心の中で必死に叫ぶけれど、唇は戦くだけで音にならない。

恐怖が全身を金縛りにし、指一本動かせない。

頭痛がさらに酷くなり、ガンガンと警鐘のように鳴り響く。


闇が歪み、目の前に存在しないはずの景色が幻覚のように揺らめき始める。


『よぉ、なんだ?何か思い出したか?』


知らない声。

どこから聞こえるのかわからない。

それは、場違いなほど陽気な声だった。

しかし、その軽薄さの奥底には、触れたら凍てつきそうな程まがまがしい底知れない何かが含まれていた。

それは、ローブの男たちの誰の声でもない。

もっと、異質で、恐ろしい何か。


(…だれ…?)


悪寒が背筋を駆け上がり、鳥肌が立つ。

蘇った記憶の鮮烈さが、現実の感覚を侵食してくる。

暗くて、寒くて、狭い。

息が詰まるような閉塞感。

見えない何かがそこにいる恐怖。

幻覚が見せる景色と、現実の暗闇、そして耳元で囁くような声が混じり合い、ヴィオレッタの精神をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。


(誰か…助けて…)


助けを求めるが声が出ないせいで誰にも届かない。

それに、こんなに暗く冷たい場所に、誰かが居る訳ない。

心が希望を完全に失いかけていた、その時だった。



ガシャァァァン!!!




突如、けたたましい破裂音が響き渡った。


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