第20話 俺は、こんな結果を望んだ覚えはない…
対立する者――
今まさに、厄介な奴が、夏央の瞳には映っていた。
どうにかしないといけない。上手いこと解決しないと、後々面倒後になるのは目に見えている。
「あの紙を渡しな。さあ、早く」
「……わかりました」
「意外と素直なのね。いいわ。早くその紙を――」
偽りの那百合先生は、パスワードが記された紙を渡すように強要してくるのだ。
けど、本当は渡したくない。
できることなら、南由だけを取り返し、委員長と一緒に、一先ず職員室に向かう。
そういったことを今、緊張した環境下で、夏央は思考しているのだ。
夏央は正面に佇む、南由を背後から取り押さえている先生を伺う。
余計な言動は禁物である。
「けど、その前に一ついいですか?」
「なにかしら?」
「あの紙を渡したら、南由を解放してくれるんですか?」
「ええ、約束はするわ」
先生の口角がニヤっと上がったような気がした。
不安である。
そんな彼女の態度を見てしまうと、本当に返してくれるか怪しく感じてしまったのだ。
「ねえ、そんな怖い顔しないでよー、怖いじゃない」
先生は馬鹿にした感じに、そして、適当にあしらうかのようなセリフを吐く。
怪しい。
とにかく不安に感じるのだ。
今までの経験上、変態と関わってよくなったことはない。それどころか、まともな奴なんていないのだ。
単なる害のない変態だったいい。
実際のところ、よくもないのだが……高度な変態は確実に嘘をつく。
そう思う。
夏央は過去の記憶を辿り、そういう結論に至ったのである。
「わかりました。渡しますけど、その前に先生の方から南由を解放してください」
「それは無理」
拒絶された。
「どうしてですか? でしたら、こっちも渡せないです」
夏央はハッキリと言い切った。
南由は大切な妹である。
そんな妹を、どこの誰なのかわからない人物に奪われたまま、あの紙を渡したくないのだ。
「へええ、さっきと違うわね。さっきまでの素直さはどこにいったのかしら?」
「それは先生の態度によって変わりますから。先生がその気であれば。こちらも抵抗します」
「何で抵抗するのかしらね?」
「……拳しかないじゃないですか」
「ふーん、そう……というか、その程度で、今までよく妹を守ってこられたわね。相当、運河よかったのかしらね」
「……」
夏央は無言になりつつ、先生の挑戦的な笑みを見、怯えつつ、彼女の出方を伺っていたのだ。
先ほどから伺ってばかりである。
情けないと自分でも思う。
行動しなければいけない。
でなければ、何も変わらないのだ。
だがしかし、それができなかった。
数メートル先に、捕らえられている南由。
少し歩けば、解放してあげられる。
けど、足が震えていた。
今まで出会ってきた変態とはどこか違う。
確実に、能力が高く、侮れないのだ。
基本的に行動することの方が正しい。
けど、今はそうじゃないかもしれなかった。
「早くしな。じゃないと、この子がどうなるかわかる?」
南由の右側の腰と左腕を、それぞれの手で押さえている那百合先生は急かしてくる。
南由は拘束され続けたことで怯え、顔が強張り始めているのだ。
今にも泣きそうなほど、瞳からは涙を滲ませている。
早くしないと……。
「お兄さん……私、怖い……」
南由が言葉を零す。
確かにそうである。
助けないといけない。
そう思い、教室から出てくる時に持ってきていたバッグを触り、那百合先生と南由の元へとゆっくりと距離をつめていく。
刹那――
「わ、私……職員室に行ってくるからッ」
委員長の理香が言った。
震えた口調であり、怖がっている感じである。
「え? 職員室に?」
夏央は振り返り、理香を見やる。
「うん……この状況、私たちじゃどうすることもできないし……わ、私にできることは先生に相談することだから……早く戻ってくるから。い、行ってくるから」
理香はハッキリと言った。
彼女は自身の胸に手を当て、怖い感情を抑えながら、背を向き、そのまま廊下を走って職員室まで向かっていったのだ。
だがしかし、当の那百合先生は、動揺することはなかった。
「……先生は、慌てないんですか?」
夏央は先生の方を見た。
「ええ。私は、あの子が戻ってくる前に、この場から逃げるからね。まあ、それまでの間に、あなたが、紙を渡すかどうか決めなさい。それまでがタイムリミットだから」
先生は急かすように言った。
制限時間は数分程度。その間に紙を渡し、南由を解放させてあげること。それが、今重要なのである。
「ねえ、早く渡しな。時間は無限じゃないのよ? わかってるの?」
「はい……わかっています」
「お兄さん……私のために、無理しなくてもいいよ……」
不安な顔つきの南由は消極的である。
自分のことよりも、兄である夏央の方を気にかけているといった感じだ。
「ダメだ……南由のことは見捨てられない……」
夏央は手にしていたバッグへと手を入れ、探る。
その中にあった紙を取り出す。
「これですかね……」
折りたたまれた一枚の紙。
夏央はそれを広げてみる。
そして、一応、そのパスワードを確認した。
「あるじゃない。それを私に」
先生は手を伸ばしてくる。
「……わかりました。渡しますので、本当に南由を解放してくださいね」
「ええ。わかってるわ」
夏央は一歩前に出る。
そして、ゆっくりと距離をつめていき、近くには南由と先生の姿が瞳に映るのだ。
「これです」
夏央は折りたたんだ状態で、先生に渡す。
「お、お兄さん⁉」
南由は驚きの声を出す。
「まあ、いいわ。これで、しっかりと貰ったわ。でもね……ちょっと甘かったんじゃないかしら」
「え?」
先生の声に、ふと思う。
嫌な予感を感じ、そして窓の室内の外から機械のような音が響いてくる。
小型の機械というよりも、エンジンのような、プロペラのような音であった。
夏央が室内の窓を通して、外を見てみると、そこには自家用機があったのだ。
すでに、シナリオが決まっていたかのように、丁度よいタイミングでの登場だった。
「もう、時間切れ、残念ね。夏央君」
「え? ど、どういうことですか? あのリミットは、委員長が先生を呼んでくるまででは⁉」
「残念ね。そう思ったのは、あなたの都合のいい解釈でしょ? じゃ、紙も貰ったし、南由も素材として、連れていくわ」
「ちょっと、待ってください。話が違う――……」
先生は拘束している南由の左腕を掴んだまま、窓の方へ軽く走る。
「い、いや、行きたくないッ……お兄さん……」
南由の必死な思いは消えるように、先生によって口を塞がれ、妹は声を出せなくなっていた。
那百合先生は窓を開け、そこから飛び出していく。
この部屋は二階である。
ゆえに、ある程度の身体能力があれば、飛び降りも可能だ。
先生は校舎近くの地面に着地するなり、おっぱいの大きい南由を両手で抱え上げながら、学校の敷地内に緊急着陸したヘリコプターに乗り込む。
夏央は動揺してばかりで、二階から飛び降りる勇気さえも出せなかったのだ。
ただ、ヘリコプターが空へと立ち去っていくところを眺めることしかできなかった。
「……南由?」
何も残らなかった。
残ったのは虚無感である。
夏央が苦しみの声を出した時。職員室にいた先生を連れて、委員長が戻ってきたのであった。




