「全て忘れてしまいなさい!」記憶を消す魔法をかけてきた仮面の魔女、うっかり自分にかけてしまいただの美少女になったので僕が面倒をみることにした
海の見える丘の上にある小さな家。
入り口の扉には、魔除けのような恐ろしげなお面が掛けられていた。
その家の窓からは海が一望でき、小さいながらも綺麗に整頓されている。
明りのついた部屋には、娘を抱いた青年が椅子に座っていた。
「ねえ、おとーしゃんとおかーしゃんはどうやってであったにょ?」
「ん? 気になるの?」
「気になりゅ~……」
膝の上にちょこんと座った、おかっぱで銀髪の娘が、青年を睨むように見上げている。
青年は思わず抱きしめそうになるのをぐっと堪えて、優しく頭を撫でた。
「もう、恥ずかしいからいいわよ」
台所に立つ銀髪の美しい妻が頬を赤らめている。
「うー!やだー!」
「あーごめんごめん、わかったよぉ~、ちゃんとお話するからねぇ~」
青年が娘をあやす。
「もー、仕方ないわねぇ……」と妻が眉を下げた。
「まあまあ、いいじゃない……あれはね、まだおとうさんが荷物持ちだったころかな……」
青年はゆっくりと語り始めた。
* * *
どんよりと曇った空に雷鳴が轟いている。
眼前には、古より恐れられた仮面の魔女が立っていた。
恐ろしげな仮面越しに光る眼。
勇者一行を見据えるその姿に、遠巻きに見る荷物持ちの僕でさえ身が縮む思いをした。
「仮面の魔女よ! ここがお前の墓場だ、覚悟しろ!」
勇者が雷鳴にも負けぬ声で叫んだ。
「ふふふ……小賢しい、纏めて地獄に送ってくれるわ!」
仮面の魔女は手に持った禍々しい杖を天に翳した。
「来るぞ! リック、反射魔法だ!」
「おう!」
祈りを捧げるように両手を組むと、リックと僕を含む勇者P全員が燐光を纏った。
神官のリックが高位魔法である『魔法反射』を行使したのだ。
「――黒雷雨!」
そうとは知らず、仮面の魔女は凄まじい雷撃を浴びせてきた。
まともに喰らえば致命傷になったであろう一撃は、そっくりそのまま仮面の魔女へ反射される。
「な、何……⁉」
怯んだ魔女に、勇者が追い討ちを掛ける!
「終わりだ、仮面の魔女――喰らえ、光の剣撃……ゴッドスラッシュ!!!」
「きゃーーーーーーっ!!」
魔女が光に飲まれ、霧散していく。
勇者の必殺の一撃と魔女自身の強力な攻撃魔法……同時に喰らって無事なわけがない。
「アルフレッド!」
「アル!」
「やったな、坊主」
パーティーの仲間が『光の勇者』の二つ名を持つアルフレッドに駆け寄る。
『千影のシーフ』レン、『赤髪の狂戦士』ベロニカ、『武装神官』のリック。
長年、勇者を支えてきた強者達だ。
皆、笑顔で互いを讃え合っている。
「良かった……」
木陰からその様子を見ていた僕は、心から喜ばしい気持ちで一杯になった
――その夜。
勇者達は焚き火を囲み、ささやかながら魔女討伐成功の宴を開いていた。
「あははは! 流石の魔女もアルの剣には勝てなかったわね」
豪快に酒を呷り、ベロニカはアルフレッドの肩を抱いた。
「よせって、飲み過ぎだぞベロニカ」
「何よ、レンも見たでしょ、アルの剣をさぁ! バーンってなって、ズバーンって……ありゃ」
ベロニカがジョッキを落とす。
「ほら、言わんこっちゃない……」
「大丈夫よぉ~、もう! ちょっとケモン! 早く片付けなさいよね!」
「あ、はい!」
僕は落ちたジョッキを拾って、新しいジョッキを差し出した。
「ありがとう、ケモン。後はいいから、休んでてくれ」
「……わかりました、ではお言葉に甘えて」
ぺこりと皆に頭を下げ、僕は自分専用の小さなテントに戻った。
僕も一緒に混ぜて貰えるかもって思ったけど……やっぱりそうだよね。
仕方ない、ただの荷物持ちだし、近くで一緒に旅を出来ただけでも凄いことなんだ。
そう自分に言い聞かせて、僕は毛布にくるまって目を瞑った。
「ケモン……ケモン」
「ん……」
目を開けると暗闇の中にアルフレッドの顔があった。
「ア、アルフレッド⁉ どうしたんですか、こんな夜中に……」
「ごめんね、ちょっと話がしたくて……」
「僕に話ですか……?」
少しだけ高揚感があった。
心のどこかで何かを期待していたのかも知れない。
それが何かはわからないけど……。
「少し歩こう」
「あ、はい」
テントを出たアルフレッドと僕は、暗い森の中を進んでいく。
しばらくすると、月明かりに照らされた岩場に出た。
「座ろっか」
僕は頷き、アルフレッドの隣の岩に座った。
アルフレッドは夜空を見上げ、何を言うわけでもなく、ただ黙って丸い月を眺めていた。
僕は宙に浮いた足をパタパタさせて、月明かりで出来た自分の影で遊んでいた。
「ケモン……俺は魔女を倒したよ」
「はい、お見事でした」
「君と出会ってから……どのくらいかな?」
「今年で三年目です」
「そうか、色々あったなぁ……」
「はい……」
突然、何も言われていないのに、心がそわそわした。
何でだろう……落ち着かない。
「俺達は王国へ凱旋する」
そう言って、アルフレッドはまた月を見上げた。
僕は何も答えられないまま、アルフレッドの横顔を見つめる。
「ケモン、今までありがとう。君とはここまでだ――」
「ひゅ……」
変な声が漏れる。
全身の皮膚をきゅっと引っ張られたようになった。
わかっていた。
なのに――、こんなに心が苦しいなんて。
「ケモン?」
「あ、あぅ……は、はい! 僕の方こそ、今までありがとうございました!」
僕は精一杯、明るく答えた。
「理由は聞かないのか?」
「聞いたら……一緒に行けますか?」
アルフレッドは小さく顔を振った。
そう、だよね……。
僕はぎゅっと拳を握りしめ、自分を奮い立たせた。
「僕は光の勇者アルフレッド率いる勇者パーティーで荷物持ちをした。それだけで、みんなに自慢できますから……これで十分です!」
「……そうか、ありがとうケモン。君は……良い奴だな」
最後までアルフレッドは、僕を仲間だとは言ってくれなかった。
それは当然のことだとわかっている。
でも、本当の事を言えば、その場だけの嘘でもいい――、仲間だと言って欲しかった。
* * *
翌朝、皆が起きる前に僕は身支度を整えた。
顔を洗い、手鏡を覗きながら髪の寝癖を直す。
僕の髪は前髪の一部分だけ銀髪が混ざっている。
これは僕のご先祖さまに『神狼』がいたという証明だよと母は言っていた。
本当かどうかは知らない。
ただ、普通の人よりも五感が優れ、見た目よりも力が強いのは確かだ。
でも、リックに腕相撲は勝てないし、ベロニカと組み手をして勝ったことも無い。
ひとつだけ自慢できるのは、手先が器用なのでレンよりも罠の解除が上手いことだ。
もし本当に『神狼』がご先祖さまなら……もう少し僕も役に立てたかも知れないな。
身支度を終え、僕は焚き火の後始末、皆の荷物を用意した。
王国へ戻るために必要になるであろう良馬を揃えてある村の地図を、簡単に作った朝食に添えておく。
これで大丈夫、僕の仕事はこれで終わりだ。
アルフレッド達が寝ている大きなテントに向かって、僕はペコリとお辞儀をした。
――ありがとうございました。
さあ、僕は僕の道を行こう。
テントに背を向け、僕は森の中を歩き始めた。
* * *
「アルフレッド……?」
「やあ、ベロニカ、おはよう。こんなに早いのは珍しいね」
「そう?」と、欠伸をしながらベロニカがテントを出てきた。
「何食べてるの? アタシにも頂戴」
アルフレッドはパンを頬張りながら、ベロニカの荷物を指さした。
そこには木の葉にくるまれた獅子肉を挟んだパンが置かれていた。
「いっただきー、んんっ? うまいじゃんこれ!」
「ケモンが置いてってくれた」
「あ? ケモン? そっか……で、あいつもう行ったの?」
「うん、そうみたいだね。最後まで良い奴だったな、ほら、馬のある村までの地図まで」
「まあケモンなら、それくらいできて当たり前でしょ?」
そう言って、ベロニカはパンをワインで流し込んだ。
「おいおい、朝っぱらから良く飲めるな……見てて吐きそうだぜ」
レンとリックも起きてきた。
「ケモンは行ったか……神の加護があらんことを」
リックはパンに向かって手の甲に息を吹きかける。
「なぁ、アルフレッド、あいつも連れてってやりゃ良かったんじゃないの?」
レンが言うと、アルフレッドはゆっくりと顔を振った。
「いや、これでいい。勇者パーティーに混血を入れるわけにはいかない」
「そりゃそうよ、さすがに殆どわからないっつってもさぁー、獣人との混血はねぇ……アタシらが良くても、王家や教会の連中は許さないよ」
「耳が痛いな……」
リックが苦笑いを浮かべる。
「まあ、ケモンなら何処ででも上手くやるさ」
「そうそう、何たってこのアタシのパンチを食らって倒れなかったんだから」
「俺より罠を解くのが上手かったしなぁ……」
「それに、この私と腕相撲ができるぞ?」
リックが岩のような力こぶを見せた。
「おいおい、おっさん、それはちょっと違うんじゃ……」
レンの突っ込みに皆が笑う。
笑い声が消えると、アルフレッドがぽつりと言った。
「ケモンは……俺達の仲間だった」
「ああ」
「ええ、そうね」
「ふ……何を今更……」
四人は互いに確かめるように頷き合った。
それぞれが荷物を背負い、アルフレッドが先頭に立った。
「彼の無事を祈ろう――さぁ、王国へ戻るぞ」
* * *
小高い丘に登り、僕は地図を広げた。
さあ、これからどうしよう?
ちなみに、アルフレッド達が凱旋するのは、東の聖王国グランヘリオだ。
皆、もう起きたかな? ベロニカはまだ寝てそうだなぁ……。
僕はクスッと笑って、無事に着ける事を祈った。
彼らは勇者一行、僕が心配する必要なんてないんだけどね。
南の海洋王国オケアノス、西の城塞帝国アヴァロン、北の部族同盟ノースライト……。
行きたい場所は数え切れない程ある。
まあ、急ぐ必要は無い。
ゆっくり、気ままに旅を楽しもう。
まずはこの森を抜けて、全ての中継地点となる『ラズルカ』の街を目指してみよう。
僕は地図をしまって、再び森の中を歩き始めた。
* * *
「うわわわ……」
――滝のような雨。
僕は大きな木の葉を傘にして雨宿りできる場所を探していた。
だが、森の中は白い霧に覆われたように視界が悪く、闇雲に動くのは危険だ。
あまり遠くには行けないなと思っていたその時、今まで岩壁だと思っていたのが巨大な木の幹だと気付いた。
「凄い……こんなに大きいなんて、まるで神話の神木みたいだ」
木を見上げても、雨のせいもあり、てっぺんは見えない。
これだけ大きな木だ……どこかに虚があれば雨宿りできるぞ。
壁を伝うようにして、僕は木の周りを歩いた。
すると予想通り、大きな洞窟のような虚が口を開けていた。
「良かった……これで大丈夫だ」
僕は虚の中を覗き、大蛇とか危険な獣がいないか確認をした。
かなり奥行きがある……生き物の気配はなさそうだ。
「よいしょっと……」
荷物を置き、濡れた服を脱いだ。
下も砂だし、この広さなら火を起こしても大丈夫だろう。
携帯用の炎魔石を取り出して地面に置く。
その上に、虚の中の朽ちた木片をかき集め、三角錐の形になるよう重ね合わせた。
炎魔石に描かれた魔方陣を指でなぞる。
すると、青白い炎がぽっと灯った。
すぐに木片がパチパチと音を立てて燃え始めた。
「あったかい……」
冷えた身体を暖めながら濡れた服を乾かす。
雨はまだやむ気配はない。
僕は携帯食の木の実を囓りながら、ぼーっと外の雨を眺めた。
――ガサッ。
「⁉」
咄嗟に立ち上がり周りを見た。
何か……居るのか?
恐る恐る、焚き木の一本を手に取り、虚の奥を照らした。
すると、恐ろしい仮面が闇の中に浮かび上がった!
「うわぁっ⁉ か、仮面……仮面の魔女⁉」
間違いない、あの時見た恐ろしい仮面。
な、何でここに⁉
どうしよう、こ、殺される⁉
「お前……懐かしい匂いがする……」
「ひ……た、たすけ……」
ぼんやりと浮かぶ仮面が近づいてくる。
「獣人か……いや、それにしては匂いが薄い……」
「あ、ひ……」
仮面の奥で冷たく光る灰色の瞳が僕を見ている。
まるで蛇のようにうねった髪が焚き火の明りに照らされ、その影が魔女の背後で本物の蛇のように蠢いている。
「まあいい……知られたからにはこのまま帰すわけにはいかぬ。だが、お前は運が良い、命だけは助けてやろう。その代わり、全てを忘れ、新たな人生を生きるが良い……いいな?」
「き、記憶を消す魔法――ですか?」
「聞いてどうする、どうせ忘れるのだぞ?」
「じゃ、じゃあ、忘れる前にひ、ひとつだけ!」
「何だ?」
「な……なぜ、魔女になったのですか?」
自分でも何を聞いているんだと思った。
でも、これが最後の記憶になるのなら、皆が恐れる仮面の魔女とは一体どんな人なのかを知ってみたかったのだ。
馬鹿げてると自分でも思う。
でも、それも忘れちゃうんだろうけど……。
「くく……ははは! 面白い、そうだな……どうせ忘れるのだ、いいだろう教えてやる」
仮面の奥の瞳が笑ったように見えた。
「好きで魔女になどなったわけではない……始まりは些細なことだった。遠い昔に住んでいた村で、私は魔法を使えることを隠し、薬師として生活をしていた。だが、ある日、村の子供が高熱を出してしまった。薬でどうにかなる段階はとうに過ぎ、神官を呼ぶか、魔法治療に頼るかしか方法はなかった。しかし、小さな村にそんな余裕はない。だから私は、ずっと隠していた魔法を一度だけその子の為に使った。すぐに熱が下がり元気になった。その子の両親も涙を流しながら私に感謝した。自分の魔法で人を助けたのは、その時が初めてだった。嬉しかった……もっと早く使っていればと思った。それが間違いだと知らずにな……」
魔女の表情はわからない。
でもなぜか、僕はとても悲しそうに感じた。
「次の日、教会から異端審問官がやって来た。あの子の両親が教会に報告したのだ。私は魔法隠匿の罪で魔女として捕らえられ、死ぬような拷問を受けた。その時、私の中で人間に対する何かが変わった。他人に対して魔法を使うことに躊躇いが無くなった……それから私は魔女として生きることを決めた。この仮面は……その異端審問官が被っていたものだ」
「そ、そんな……」
「話過ぎたようだ……さあ、もう雨も上がる。全て忘れてしまいなさい――――記憶消去!」
カッと閃光が迸った。
「な⁉ こ、これは『魔法反射』⁉ し、しまっ――――」
静かだ……何も聞こえない。
そうか、僕は記憶を消されて……ん、待てよ?
記憶を消されたのなら、何で消された事を覚えてるんだ?
そっと目を開けると、さっきと何も変わらない光景が広がっていた。
焚き火も消えて無いし……あ、でも雨は上がってるな。
――そうだ! 魔女は⁉
慌てて周りを見ると、奥に黒いものが横たわっていた。
「ひっ⁉」
あ、あれは魔女?
なぜ魔女が……⁉
その時、僕はリックが掛けた魔法のことを思い出した。
そうだ、あの時、リックはパーティー全員に魔法反射を掛けたんだ。
もしかして、その中に僕も入っていた?
いや、でも僕は荷物持ちで……。
だが、リックが掛けた魔法の効果が残っていたとしか考えられない。
何でだろう? もしかして、少しは心配してくれてたのかな……。
僕は恐る恐る魔女の側に行き、そっと身体をつついてみた。
ぷにっとした感触が指先に伝わる。
「や、柔らかい⁉ って当たり前か」
禍々しい仮面を見る。
なるほど、この蛇のような髪も含めて仮面になっているのか……。
「ん?」
隙間から銀色の髪が見えている。
これが本当の髪?
さらに仮面の隙間からは、白く透き通った首筋があらわになっていた。
僕はゆっくりと仮面に手を伸ばした。
誰も見たことのない、魔女の素顔がそこにある。
指先が触れようとした、その時――。
「ん……」
僕は咄嗟に後ずさった。
「んー! 何なのもう……ん~よいしょっと」
魔女はゆっくりと上半身を起こすと、自ら仮面を脱ぎ捨てた。
「ふぃー、息苦しかったぁー」
そこに現れたのは、銀髪のとんでもない美少女だった――。
* * *
こ、これが……あの恐れられた仮面の魔女⁉
言い伝えでは、もう何百年も生きているとか聞いたけど……。
目の前に座り、きょとんを僕を見上げる美少女。
まだあどけなさが残る愛らしい顔は、見ているだけで胸が高鳴ってしまう。
「えっ⁉ もしかして、ま、魔女さん……?」
「えっ⁉ 魔女? 私がですか?」
「え?」
「え?」
「「え?」」
互いに何度も「え」のキャッチボールを交わす。
「え、ええ、魔女さんのはずですが……」
「魔女……?」
「それより……その怪我、大丈夫ですか?」
「ん? あれ? ホントですね。あ、でも、血がついちゃってるだけみたいです」
「ちょ、ちょっと見せてください」
俺はそっと腕の傷口を見る。
確かに塞がってあるな。
治癒魔法でも使ったのだろうか?
ちょうど持っていたポーションを布に浸し、俺は血を丁寧に拭った。
「あ、ありがとうございます……あら、何だか懐かしい匂いがするような……」
そう言って魔女さんは、僕に形の良い鼻を近づけた。
ち、近い! ていうか、本当に綺麗な人だなぁ……。
「はうっ……い、いやぁ、困ったときはお互い様ですから……」
ど、どうしよう⁉
さっきから胸のどきどきがおさまらない!
一体、僕はどうしてしまったんだぁーっ⁉
「でも、どうしましょう……私、一体誰なのかしら?」
「え? 覚えてないんですか⁉」
魔女さんはコクリと頷く。
「えっと、お名前は……わかりますか?」
「名前……あ、覚えてます! エルマです!」
「エルマ……素敵な名前ですね! あの、僕はケモンって言います。エルマ、他には何か覚えてませんか?」
「んー、んー、んんん……あ! ずっと海を眺めていた気がします!」
「海を?」
「はい、夕焼けに照らされた水平線と紫色の空がとっても綺麗で……どこか高いところからいつも眺めていたはずなんですが……んー、あれは……どこなんでしょうか?」
「いや、僕にはわからないですけど……海か……」
ここからなら南に向かえば海に着く。
でも、相手は記憶を失ったとはいえ、仮面の魔女だもんなぁ……。
もし記憶が戻ったら、エルマは僕をどうするだろう?
やっぱり、記憶を消されるのかな?
僕は最後に聞いたエルマの話を思い出す。
やっぱり……エルマが悪い魔女だとは思えなかった。
確かに悪いことをしたのかも知れないけど、そうしないとエルマも生きていけなかったのかも……。
「あの、ケモン」
「え? あ、はい!」
「会ったばかりの貴方に、こんなことを頼むのは気が引けるのですが……私を海まで連れて行ってくださいませんか?」
「う、海に?」
「はい……今の私が知っているのは貴方だけですし、頼れるのも……貴方だけなんです」
「た、たしかに……」
「駄目、でしょうか……?」
そ、そんな目で見られたら断れないじゃないか!
あー、僕、記憶消されちゃうのかな?
エルマの記憶が戻らない保証はないもんなぁ……。
その時、エルマが手の平を上に向けた。
ぽぽぽんと、小さな光の球が暗い虚の中を照らす。
そして、地面から美しい緑の芝生が生え、色とりどりの花が咲いた。
「こ、これは……」
「あの、思い出したんですが……私、魔法が使えるみたいなんです、だからその……きっと、ケモンのお役に立てると思います!」
す、すごい……色んな魔法を見てきたけど、魔法ってこんなこともできるんだ……。
「綺麗でしょ? 初歩的な魔法しかまだ思い出せませんが、私に出来ることなら何でもお任せくださいっ!」
エルマは誇らしげに胸に手を当てた。
「ちょ⁉ だ、駄目ですよ、魔法は使っちゃいけません!」
「はうっ……⁉ どうしてですかっ?」
「き、禁止されてるんですよ! エルマさんはお忘れだと思うんですけど、王様が許可無く使っちゃ駄目だと御触れを出されたんです!」
魔法を使ってるところを見られたら……また、エルマが捕まってしまうかも知れない。
「そうなんですか……そうなると私には何も取り柄が……」
「あ、いや……だ、大丈夫です! 僕が責任を持って海まで送ります!」
「え⁉ でも……いいんですか⁉」
「もちろんですよ! こ、こう見えて僕は……そのぉ……、そ、そう、冒険者ですから!」
うぅ……つい、格好をつけてしまった。
ま、まあ、荷物持ちだったけど、海に行くくらいなら僕にもできるし……。
「まぁ⁉ 冒険者様でしたのね? どおりで頼もしいと思いました!」
「そ、そうですか? えへへ……」
冒険者……?
そうか! 冒険者登録をすれば、魔法を使っても捕まらない!
ラズルカでエルマに冒険者登録をしてもらおう!
幸いなことに、仮面の魔女の素顔は誰も知らないわけだし……。
よし、そうと決まれば、早速出発だ!
「エルマ、善は急げです――僕と海に行きましょう」
僕はエルマに手を差し出した。
細くて白い指が、僕の手に触れる。
「ケモン、よろしくお願いしますね」
天使のような笑みを見せるエルマ。
こうして、僕と仮面の魔女エルマの長い旅が始まったのだ……。
* * *
「というわけなんだよ……って、あれ、寝ちゃったか」
「ふふ、じゃあベッドに寝かせてくるわね」
娘のレイラを抱いてベッドに向かう。
そっとベッドに寝かせて部屋に戻ると、ケモンは窓から夕焼けの海を眺めていた。
私はその背中をぎゅっと抱きしめた。
「どうしたの、エルマ?」
「ううん……ちょっと抱きつきたくなっただけー」
ケモンは照れながら、窓の外に指をさす。
「ほら見て、海が綺麗だよ」
「ほんと、綺麗ね……」
「君が昔見ていた海と同じだといいんだけどね……」
「いいのよ、気にしないで。私、この海とっても好きだから」
ケモンの肩に頬を乗せる。
昔から何も変わらない……この時間だけみせる海の顔。
でも……あの時見ていた海と、いま私が見ている海は全然違う。
だって私はもう、一人じゃないんだもの。
読んでくださってありがとうございます!
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