第1話 何においても例外は存在する
小惑星、HAL9がロシュ限界を突破し、無数の破片が地球に降り注いでから三十五年。あの日を境に全てが変わった。
降り注ぐ隕石によって破壊された都市では、数多くの死者が生まれた。
隕石に含有されていた物質によって、生物は狂暴な魔物へ変貌し人々を襲った。
また、破片の調査がされてゆくにつれて、人々にも変化が訪れた。
それが魔法の誕生。
研究が進められると、魔法は科学の延長線上におかれるようになった。はじめは軍事転用に、のちにあらゆる分野へと応用され、人々の生活は魔法を基盤としたものへと移り変わっていった。
そして今。
世界の復興は順調に進み、動乱の時代は終わりを告げようとしていた。
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ポツ、ポツと、左手首に巻いた腕時計に雨粒が落ちる。
丁寧に指で水滴をなぞると、時計の針はちょうど八時を指していた。朝ではなく、夜の八時だ。
北半球、温帯地域に位置する島国ヒステニール。
四季がはっきりと分かれ、春夏秋冬、季節折々の気候を持つ国だ。領土のほとんどが山に囲まれて平野が少ない、独特な地形をしている。
雨が少ない地域ではないが、冬に差し掛かったこの時期に降るのはなかなかめずらしかったりする。
しだいに強まってきた雨の中、俺はレインコートのフードを被り、ライフルのグリップを握り直す。
「ルクスさん、ザイル殿がお呼びです。見張り番は私が変わりますのでテントまでいらしてください」
後ろからかけられた声に振り向くと、そこには急いでいるのだろう、ザイルの部下が息を切らしながら駆けて来ていた。
「了解した。すぐに向かうよ」
彼に頷いてライフルを背中に担ぐと、数刻前に設営された野営テントへ向かう。しかし、打合せの時間にはまだ早い。何か問題でも起きたのだろうか?
「(それにしても律儀な男だ。通信で呼び出せば事足りるだろうに、わざわざ部下を寄こすとは)」
俺はテントの前まで歩くと、外で待機していた男に声をかけて中に入れてもらう。
テントの中は良く暖房が効いていて、外との寒暖差がかなりあるようだ。また、防音対策も施してあるようで、土砂降りにも関わらず、外の雨音はほとんど聞こえることはなかった。
そんな会議用テントの奥で、ホログラフィのように空中に投影された、立体地図を睨みながら、コーヒーを啜る男がひとり。
野営にそぐわぬスーツを身に纏い、新品同様の革靴を履きこなした、完全に場違いな恰好の青年――ザイルは、俺の顔を認めるやいなや立ち上がり、人のよさそうな笑顔を浮かべながら、コーヒーカップを持たない側の手で対面に座るよう招いた。
俺が椅子を引いて腰を下ろすと、彼もつづいて椅子に座る。まったくどこまでたっても礼儀ばかりの男である。
「偉くなっても腰の低さは変わらないな、ザイル」
「勘弁してくださいよ。命の恩人に無礼を働けるわけがないでしょう」
兵器運送部隊主任、ザイル・アスカム。それが今回の依頼主の名だ。
彼とは以前、護衛として行動を共にしたことがあった。それも今回と同じ、兵器運搬中の脅威の排除だ。
そいえば、今となっては主任という立場にいるザイルだが、あの時はまだ入隊したばかりのひよっこだったな。上官にビクビクしながら動き回っていた若者が、ずいぶん偉くなったものだ。
ザイルは苦笑いしながら新しく出したカップにお湯を注ぐと、粉末のコーヒーを入れて、スプーンで何周かかき混ぜてから俺の前に差し出した。
「今はインスタントしかありませんが、よかったらどうぞ」
「悪いな、いただこう」
差し出されたコーヒーを一口含んで喉を潤す。最近のコーヒーはインスタントといえど侮れない。豆から挽いたものには劣るものの、なかなか香ばしい良い香りがする。
意識がそれてしまったな。だがこうしてゆったりとコーヒーを淹れているあたり、息を切らして走って来た部下の割には、あまり急を要する事態でもないようだ。
「それで、俺を呼び出したのはどんな用があってのことだ? 早急に解決しなければならない問題でもあるようには見えないな。明日以降のルート変更でもあったか、それとも本社から何かお達しでもあったかな?」
つい先日ヒステニールと海を挟んで東側に位置する小国で、哨戒任務に就いていた軍用機が一機レーダーから消失し、のちに墜落したという事態が発生した。これが事故なのか、それとも何者かによって撃墜されたかは未だ不明のままだ。
推測でしかないが、この事件を重大視した今回のクライアントが、納期を早めたのだろうか?
だがいくら思考を深めようとも、ザイルの顔を見れば、面倒ごとになったということは一目瞭然だった。
「よくわかりましたね。ええ、ちょうど先ほど連絡が入りましてですね、明後日を予定していた納期ですが、明日の日没までに早めろということでして……ルートの再計算をして、なんとか今からでも間に合う最短ルートを導き出せたのですが……」
ザイルがおずおずと空中に映し出された地図に触れると、赤と青の二本の線が糸のように浮かびあがった。
「この青のラインが予定されていたルート、そして赤いほうが最短ルートです」
「ふむ。地形を見る限り険しい道のりという訳ではないようだが、この一帯は魔物でも出るのか?」
俺は地図に顔を近づけてルートを確かめる。浮かび上がった赤いライン周辺に、大型の車両が通るには厳しいような道は見受けられなかったが、すこし深めの森を抜けるようなルートになっている。森などの人の出入りの少ない場所に、魔物が潜んでいる可能性は高い。
魔物は非常に危険な生物である故に、相手にするには相応の準備が必要になる。不十分な装備で応戦するのは、相当な実力者か、愚か者だけだ。
「いえ、魔物が出没するという情報はありません。まぁ、出ないという保証があるわけではありませんがね。今回警戒すべきは強盗の類です。情報によればここ数日、近隣地域でハイジャックや強奪事件が多発しているそうです。これが一つの犯罪グループによるものではないかと予想されています」
「なんともタイミングの悪い話だな、犯罪者などに後れを取るつもりはないが、納期を考えれば厄介な奴らだ」
「ああ、本当に忌々しいやつらです! 私の仕事の邪魔をしようなど!」
声を荒立てて空の紙コップを握りつぶす彼を見ながら、俺は内心驚いていた。
ザイルとは以前に何度か仕事を共にすることがあったが、常に物腰が低い印象で、感情をあらわにするということはなかったと思う。
俺が嫌われているという訳ではなく、だれに対してもへこへことした態度を取っていた。悪いこととは思わないが、営業という職業上もっと積極的にコミュニケーションを取るべきであろうに。
とは言え、そんな彼がこんなに情動的に動くとは驚きだ。昇級してから心持に変化でもあったのだろうか?
「納期はもう変えることはできないのか?」
俺は自分の手元にあるコーヒーにまで被害が及ばないように、カップを左手に持つと、彼の怒りの様子をもう少し見てみることにした。
「ええ。本部にも何度も無理だと伝えましたが、取り付く島もなかったですよ。それに厄介な連中も……」
言いかけてザイルは、ちょうどテントに入ってきた人物を見て、大きなため息をついた。
俺も彼の視線を追って、入り口に目を向ける。外の雨音とともに入って来たのは、今時珍しい眼鏡をかけ、既製品のような笑顔を張り付けた、なんとも気難しそうな男だった。
人は見た目だけで判断するのは良くないとはよく言われる言葉だ。俺も経験からその通りだと思っている。思ってはいるが――
「(これは確かに面倒くさそうな男だな)」
俺は例外を見つけてしまったようだ。




