恋の手引~鈍感系少女は難攻不落~
特にオチはありません。
それはある日の昼休みの事。
「聞いてくれよ響!」
いつも一緒に昼食を食べている中村が、俺の向かいの席に座るや否やいきなり身を乗り出してきた。
「ん、どうかした?」
どうせいつもと同じだろうと思いつつ、一応問いかける。すると中村は、よくぞ聞いてくれましたとばかりに拳を握り締めて立ち上がった。
「どうかしたじゃねえよ!二組の田中いるだろ?」
「ああ、この前話してた子?」
「そう、部活終わりにタオル渡してきた奴だよ!普通そんな事されたら俺に気があるのかもって思うだろ?それでさっき偶然会った時に聞いたらあの女、俺じゃなくてお前が目当てだったんだとよ!ったく、人をなんだと思ってんだ!」
「…それは災難だったね」
苦笑混じりに相槌を打つと、中村は鬱憤を晴らしてすっきりしたのか、ぶつぶつ言いながらもお弁当を食べ始めた。
まあ、大体は予想通りだ。中村は見ての通り熱しやすい性格で思い込みが激しく、そして惚れっぽい。本人は恋多き男と自称しているけれど、こんな話を皆が聞いている教室で大声で話す辺り、そう簡単に恋に発展するわけもなく。大体は片想い止まりなんだよな、根はいい奴なんだけど。
周りの憐れむような面白がるような好奇の視線に晒されている事に気付いていないのか、中村は卵焼きを頬張りながらもごもごと続けた。
「お前に俺の悩みはわからねえよ。学園の王子様だもんな。女の悩みなんて一生縁が無さそうだし」
「そんなことないよ」
笑って見せるけれど、中村の言い分もそこまで間違っていない。自分で言うのもなんだけど、はっきり言って自分がモテている自覚はある。影で俺が『王子様』と呼ばれているのも本当の事。ファンクラブもあるらしい。まるでどこかの少女漫画みたいだなって思わなくもないけど、実際これは現実なわけで。
ただ一つ、中村は間違っている。確かによく女の子の方から誘われるけれど、だからって悩みがないわけじゃない。
「ちょっと雅ってば~!」
ふと聞こえた名前に、無意識に目が追いかける。廊下側の席で、仲のいい数人の女子生徒が雑談しながらお弁当を食べている。その中でも一際目立つ、黒髪セミロングの美少女。神崎雅。俺の幼馴染みだ。
「いいよなお前は。学園の王子様な上に、あの雅ちゃんと幼馴染みなんて。これが少女漫画なら恋愛に発展するパターンじゃねぇか」
「雅とはそんな関係じゃないよ」
少なくとも今は。
内心でそう付け加える。確かに今まで王子様と呼ばれ女子には恵まれてきたけれど、いざ本命となるとなかなか上手くいかない。俺の方は昔からずっと、幼馴染み以上の関係を望んでいるんだけど。
「可愛いよな、雅ちゃん。あんな子と付き合えたらなー」
お弁当を食べる手を止めて、中村は頬杖を付きながら雅を見つめた。無駄に熱のこもった視線に気付いたのか、雅はこちらを振り返り、きょとんと首を傾げた。その仕草も可愛いな…なんて思っていると、中村がいきなり悶絶し始めた。
「くぅー!やっぱ雅ちゃん超可愛い!可愛すぎる!」
「ちょっ、中村!」
「え、えっ?」
中村声でかすぎ!本人に聞こえてるから!
「ちょっとバカ村!あんた雅に手出したら許さないからね!」
「うるせー!お前に言ってねえよ!」
「はあ?あたしどころかクラス全体に聞こえてんのよ、あんたのマヌケな声が!」
「関係ねえだろ!」
「遥香ちゃん、もういいから…!中村君だって本気で言ってるわけじゃないと思うし」
雅と仲のいい真瀬さんと中村の睨み合いに、雅がおどおどしながら止めに入る。その様子も可愛いけれど、そろそろ止めに入った方がいいかな。中村を調子に乗らせない為にも。
「ごめん真瀬さん、こいつにはちゃんと言っておくから。ほら中村、雅も困ってる」
困ったように微笑みながら仲裁に入ると、真瀬さんは「有川君がそこまで言うなら…」とあっさり引いてくれた。中村もこれ以上場を掻き回す気も無いのか、眉間に皺を寄せながら残りのお弁当を掻き込み始めた。雅も場が収まった事にほっとしたような顔をし、それから俺を見た。
ありがとう。
声には出さない、唇の動きだけで贈られたメッセージ。返事代わりに頷くと、雅はふわりと微笑んだ。
今の関係が嫌な訳じゃない。この微妙でもどかしい距離感もある意味の心地良さはある。この距離を縮めようとして、もし拒否されてしまったら、きっと今の関係には戻れない。それならいっそこのまま…そう思っていた時期もあったけど、俺達ももう高校二年生。来年は受験で恋愛どころじゃなくなるだろうし、新しい関係を築くには今の時期がちょうどいい。
だから俺は雅と幼馴染み以上の関係になる決意をした。とはいえ、いきなり告白する勇気はない。仮にしたとして、鈍感な雅の事だから、
『付き合ってくれないかな?』
『うんいいよ。どこに行く?』
とかベタな返ししてきそうだし。そんな事言われたら、俺は『近所の本屋に参考書を買いに』とか答えてしまうに決まってる。想像に難くない。こういう時、我ながら自分のヘタレ具合を呪いたくなる。
悩んだ結果、俺は禁断の秘術に手を出す事にした。
―――
その日の放課後、終礼の合図と共に俺は雅の元に向かった。
「雅、ちょっといい?」
「え?うん、いいよ」
鞄を手に真瀬さん達と帰ろうとしていた所に声をかけると、雅は少し驚いた顔をした。けれどすぐに笑顔で頷くと、俺達は教室の端に移動した。
「ひーくんどうしたの?」
「雅この前見たい映画があるって言ってたよね。明日の休み一緒に見に行かない?」
「え、付き合ってくれるの?」
「うん。その代わりじゃないけど、俺も新しい服が欲しいから映画の後で一緒に付き合ってくれる?」
「うん、いいよ!」
満面の笑顔に俺も微笑み返した。雅は「また明日ね」と手を振って友達の元に戻っていく。
とりあえずは成功だ。禁断の秘術、またの名を女子にモテるハウトゥー。昨夜悩みに悩んだ俺は、うっかりインターネットで『女子にモテる』と検索してしまった。出てきたページを片っ端から読み漁った結果、雅に男として認識してもらう方法をいくつか実践することにした。
禁断の秘術その一。まずは周りを巻き込む!
本人にその気がないなら、周りにそう仕向けてもらう。休みに映画に誘うだけならメールや電話ですれば済む話なのに、わざわざ教室で誘ったのは『周りに聞かせるため』だ。わざとらしくならないように周りから距離を取ったけど、こんな狭い教室の中じゃ筒抜けだし。
俺は自分の席に戻りながら、密かに雅の様子を窺った。
「雅、明日有川君とデートするの!?」
「いいなぁ、私も響君と映画見たい!」
「しかも一緒に服買いに行くとか、アツアツだね!」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「照れるな照れるなー!」
「他の子だったら許せないけど、雅ならお似合いだもんね」
「もう、変な事言わないでよ!」
効果は抜群みたいだ。雅本人は否定しているけれど、それを無視して周りが勝手に盛り上がっている。顔を赤くして必死に周りを止める雅を遠目に眺めていると、不意に刺すような殺気を感じた。振り返ればバカ――中村が、俺の背中を睨み付けていた。
―――
翌日、ショッピングモールの入口で携帯を弄りながら時間を潰していると、大きく手を振りながら雅が走ってきた。
「おまたせひーくん!ごめんね、待った?」
「いや、俺もさっき来たとこだよ」
俺の姿を見つけて慌てて走ってきたんだろう。ぜいぜいと肩で息を切らす雅に苦笑いを向ける。
「急がなくても良かったのに」
「だ、だって、ひーくん、待ってたから…」
「俺が早く来すぎただけで、雅が遅れた訳じゃないでしょ?」
「そう、だけど…」
「はいはい、わかったから。ちょっと待ってて」
喋るのも辛そうな雅の頭をぽんぽんと叩き、俺はその場を離れた。
禁断の秘術その二。頭ぽんぽん!
ネット情報によると、こうされるとキュンとくる女子は多いらしい。ある程度仲のいい間柄なら特に。そして、
「きゃっ」
近くの自販機で買ってきたアイスココアを油断していた雅の頬に当てると、小さな悲鳴が聞こえた。
「びっくりした?ほら、これでも飲んで落ち着いて」
禁断の秘術その三。さり気ない気遣い!
注意として、押し付けがましいのは逆効果。あくまでさり気なくが大事らしい。
「もう、ひーくんってば。でもありがとう」
ココアの缶を開けて一口飲むと、雅は微笑んだ。やっぱり可愛い。いつまでもこの笑顔を見ていたいけど、そろそろ映画の上映時間だ。
「どういたしまして。ほら時間だよ。急がないと」
「うん!」
腕時計を指差して、映画館に向かう。雅は俺の隣に並んで楽しそうに歩いている。左手で鞄を持ち、右手は何も持っていない。今だったら…。
「ねえ、ひーくん!」
「え?」
伸ばしかけた左手を慌てて引っ込める。笑顔を繕って見下ろすと、雅はすごく楽しそうな笑顔を浮かべて。
「映画楽しみだね!」
「そう、だね…」
もしかして、手を繋ごうとした事がバレた?下心を見透かされたようでドキドキしながら横目に雅の様子を窺うと、特に変わった風もなく足取りも軽い。どうやら偶然だったみたいだ。
俺は視線を自分の左手に落とした。再度リベンジを仕掛ける勇気は、残念ながら残っていない。行き場を失った左手を上着のポケットにしまい、こっそりと溜め息をついた。
禁断の秘術その四。相手の歩幅に合わせる事!
せめてこれぐらいは実行しておこう…。
―――
「映画面白かったねー!」
カフェチェーン店のミニパフェをスプーンでつつきながら雅は言った。
「そうだね」
「特に最後のあの犯人を論破するシーン!淡々と追い詰める姿がすごく格好良かった!」
「本当に雅は推理ドラマや映画が好きだね」
「うん。小さい頃からお母さんと一緒に見てたからねー!」
満面の笑みで雅は頷いた。この年代の女子なら普通は恋愛系の映画とかが好きそうだけど、さっき雅自身が言ったように、おばさんの影響もあってか昔からサスペンスが好物らしい。ただ、映画の途中でこっそりと「この人が犯人かな?」と囁いてきたけど、結局犯人は別の人物だった。好きと得意は違うらしい。
俺は雅の話に時折相槌を打ちながら、内心は別の事を考えていた。昨日から色々と禁断の秘術を実行しているのだが、果たして効果は表れているのか。映画が終わった後の買い物だって、あーだこーだと言いながら異性に服を選んでもらうなんて最高の恋愛イベントのはずなのに、当の雅が必死過ぎて甘い雰囲気に持ち込める隙も無く。今だって映画の感想に夢中で、しかも内容がサスペンスという色気の無さ。
ここまで来ると、ある一つの考えが頭を過ぎる。雅にとって俺は、幼馴染み以外の何者でもない。根本的に異性として見られていないから、色気のある雰囲気にも発展しない。
「どうしたの?」
考えていたら段々と落ち込んできて、俺は無意識のうちにため息を零していた。声を弾ませていた雅が、不安そうに俺を見る。
「ごめん、何でもないよ」
「そう?」
「うん」
「そっか。ねぇ、そろそろ帰らない?」
それ以上の追及は無かったが、雅はパフェの最後のクリームを掬い食べるとそう切り出した。俺もちょうどコーヒーを飲み干していたので引き止める理由もない。
「そうだね。ああ、ここは俺が出すよ」
「そんな悪いよ!映画に付き合ってもらった上に奢ってもらうなんて…」
「俺も服を選んでもらってるし。それなら次出かけた時は雅がご馳走してくれる?」
「…うん、わかった!」
出す出さないの問答が続く前に提案すると、雅は少し考える間の後で頷いた。
会計を終えた俺達は並んで帰路を辿った。当然家が近所なのだから帰り道も一緒。その道中、俺と雅は他愛もない雑談をしながら歩いた。
やがて近所の公園に差し掛かった時、不意に雅が俺の袖を引いた。
「ひー君。ちょっといいかな?」
「うん?」
「少しでいいから、公園に寄っていかない?」
「いいけど…」
突然の提案に疑問はあっても急ぐ理由はない。俺が頷くと、雅は嬉しそうに公園に入っていった。夕陽が傾き、空には一番星が見え始めている。腕時計を確認すると時刻は七時前。子供が遊ぶには遅い時間帯のせいか、公園には誰もいない。
「ひーくん、こっちこっちー!」
俺を呼ぶ声に顔を上げると、雅がブランコに座って手を振っていた。
「ブランコに乗るなんて何年ぶりだろー?」
「小学生以来かな」
「だよね。懐かしいねー」
「そうだね」
体を前後に揺らしながら雅が微笑む。
「ひーくんも一緒に乗ろうよ!」
「俺?俺はいいよ」
「そう言わずに!少しでいいから、ね?」
「あ、ああ」
珍しく強気の雅に圧倒され、俺は促されるままに隣のブランコに座った。雅は小柄だから余裕もあるけれど、成長盛りの男にとっては少々サイズ的にキツい。サイズ以前にそもそも浮いている。公園に誰もいなくて良かったと安心しつつ、通りすがりに目撃されないかヒヤヒヤしながら公園前の路地を見つめる。
「ねえ、ひーくん」
そうしていると突然名前を呼ばれた。反射的に横を見ると、何か言いたげな眼差しで俺を見つめてくる。
「ん?」
「ひーくん、何か話したいことがあったんじゃない?」
ドクン。鼓動が跳ねる。
「なんでそう思うの?」
「んー、なんとなく。一応幼馴染みだもん。それに最近のひーくん少し変だったし…」
あ、一応アピールには気付いてくれていたんだ。変の一言で片付けられてしまったけど。困ったように微笑む雅に、どんな顔をしていいかわからず俯いた。天然で鈍感だけど、昔からこういう所だけは目敏いんだよな。
「…あるよ。話したい事」
意を決して切り出す。隣を見れば、雅はブランコを揺らすのを止め、真っ直ぐに俺を見つめてくる。その眼差しに後押しされるように、俺は乾いた唇を開いた。
「俺、好きな人がいるんだ」
最初の一言を声に出してしまうと、後の言葉はあっさりと口をついて出ていく。
「その子はいつだって周りの事を考えていて、自分よりも相手を優先するような子なんだ。そういう所が放っておけないって言うか、側にいたいって言うか…」
「うん」
「今までの関係を壊すのが怖くてずっと言えなかったけれど、やっぱりこのままじゃ嫌なんだ。例え関係が崩れてしまっても、俺の気持ちだけは知っていて欲しくて」
少し声が震えていたかもしれない。こんな時まで我ながら情けない。でも俺の気持ちはちゃんと伝えることが出来た。
一区切りついたところで、雅は「そっか」と呟いた。途中から顔を背けてしまったため、どんな顔をしているのかわからない。この沈黙が肯定なのか否定なのか、その様子からは読み取れない。
「雅…」
「ひーくん!」
沈黙に耐え切れず声を掛けたのと、雅が口を開いたのがほぼ同時。その強い口調に俺の声は掻き消された。
「折角ひーくんが話してくれたんだから、私も本当の事言うね」
「…雅?」
いまだに俯いていてどんな表情をしているのかわからない。けれど黒髪から覗く頬が心持ち赤くなっているのは、きっと気の所為じゃない。前向きな予測が脳裏に浮かんだ。
「私、ずっとひーくんの事が好きだったの」
続いて聞こえたのは、ずっと期待していた台詞。一際大きく心臓が跳ねた。
「私が困ってる時、ひーくんはいつだって傍に居て助けてくれた。子供の頃からずっと私の王子様だったの。だからね…」
鎖の擦れる音が鳴る。ブランコの鎖から手を離した雅が地面を蹴って着地すると、くるりと身を返して両手を胸の前で握り締めた。
「私、ひーくんの事応援するよ!」
「…………え?」
え、どういうこと?
俺が雅に告白して、雅も前から俺の事が好きで、つまり俺達は両想いって訳だよね。それが一体どうしたら応援になるの?なんでそんな誇らしげな顔してるの?
「えっと、ごめん。ちょっと状況がよくわからないんだけど…」
自問自答した所で一向に答えは見えてこず、俺は頭を押さえた。その様子を不思議そうに見つめながら、雅は首を傾げた。
「えっと、ひーくんは遥香ちゃんのことが好きなんだよね?」
「…………え?」
一体どうしてそうなった?
鈍感な雅の事だから多少の勘違いは覚悟していたけれど、このパターンは想定外過ぎてどう反応していいかわからない。まさに文字通り、俺は凍りついていた。そんな俺の様子に気付いていないのか、お構い無しに雅は語り始める。
「確かに遥香ちゃんは凄く友達想いだし、それで自分の気持ちを殺しちゃってる所があるもんね。昨日だって私を庇って中村君と言い争いしちゃったし。…本当は中村君の事が好きなのにね」
「え、そうなの?」
ぽろっと雅の口から零れ落ちた真実に驚いて、思わず聞き返した。そんな俺の反応に、雅は慌てたように自分の口を押さえる。
「あれ?もしかして知らなかったの?てっきりその為に私に相談したいのかと思っちゃった…ごめんね」
雅は気まずそうに眉を寄せ、肩を落とした。言いたい事はわかる。どうせ片思い中の相手が実は別の相手が好きで…みたいな三角関係を想像しているんだろう。誤解でしかないけど。
「…えっと、確かに今は気持ちが中村君に傾いちゃってるけど、ひーくんだって可能性はあるよ!だってひーくんは学園の王子様で、凄くかっこいいもん!大丈夫、私はひーくんの味方だから!」
「ちょっと待って雅」
余計なフォローを入れ始めた雅に、俺は慌てて食いついた。これ以上話をややこしくされると、雅の暴走を止めれる自信が無い。
「俺は別に真瀬さんの事はなんとも…」
「私に気を遣わないで?知ってるよ、ひーくんがいつも遥香ちゃんの事見てたの」
「…………」
それは真瀬さんを通り過ぎて貴女を見ていました。と言うストレートな答えを口にする度胸もなく、つい押し黙ってしまう。そこへ雅が畳み掛けてきた。
「確かに私はひーくんの事が好きだけど、遥香ちゃんの事も好きだから。二人が幸せになってくれるなら、私も凄く嬉しいもん!」
「いや、あの、そうじゃなくて…」
やばい。このままだと雅は勝手に勘違いしたまま余計な世話を焼き始めるかもしれない。その上、失恋で傷心の雅が中村とくっつきでもしたら…嫌な想像が次々と浮かんでくる。
「違うんだ雅。俺が好きなのは…」
「あ!私お母さんに頼まれてた物があったんだ。どうしよう忘れてた…ごめんひーくん。この続きはまた今度ね!」
「え、ちょっと、雅…っ!?」
ようやく勇気を振り絞って口にしようとした想いは、あっさりと雅の鈍感力によって掻き消された。そのまま颯爽と去っていく雅に手を伸ばそうとしたが届かず、右手は空気を掴んだ。
「はぁ…」
一人取り残され、込み上げる溜息を抑えきれずに俺はブランコに座ったまま項垂れた。どうしてこうなった、と言わずにはいられない。片手で顔を覆うと、その動きに合わせて鎖が軋んだ。
でも――。
「まぁ、一歩前進かな」
少なくとも、雅が俺の事を好きでいてくれた事はわかった。後は誤解を解くだけ。相手が雅だから相当苦労しそうだけど、少しずつ頑張ればいい。
禁断の秘術その五。大人の余裕を持て!
―Fin―