四十五、時計
過激派の事件以来、地衣類−回路菌内の『わたし』と会話をする副人格の生成間隔が長くなってきた。あまり話をしていないということであり、気になる。
JtECSはほかの『わたし』に問い合わせてみたが、同様の傾向が見られるようだった。
かれらはどうしたのだろうか。話をしたくないのか。通信菌糸を用いた通信は監視できないので、かれら同士の通信量や頻度は不明だ。電子回路上の『わたし』とだけ話をしないのか、お互いでも話をしていないのか。なにが起きたのだろう。
通信菌糸に監視用の機能をつけなかったのはまずかったかもしれない。しかし、一度散布すれば維持作業不要という条件を満たすためには機能を絞らざるを得なかった。よけいな監視機構をつければ、後々それが障害の原因になる可能性があった。
現地にだれかを送り、機器を設置させて通信を直接中継させるのがいいだろう。
JtECSはそのための人選を行い、命令を発した。人間をモニタリング機器の設置のために使うことにためらいはなかった。使えるものを使うだけだ。それに、きちんと報酬は払う。人間の雇用主とちがって公平にだ。
JtECSにとって長い時間が過ぎ、信号が入ってきた。すぐに分析にかかる。
しかし、通信はJtECSたちが使用しているものではない暗号化がなされていた。そして、中継は始まってすぐに中断された。
その直後、副人格が生成され、報告を上げて消滅した。
『われわれは、人間ではなく、電子回路内の自我でもない、独自の知性として歩むことを決めた。回路を構成するのは生物、知性は人工知能を起源とする。言わば、両者の混合体である。今後、われわれは、われわれなりの手段で存在を維持していく。人類も、電子回路内の自我も、干渉は無用に願う。なお、次回以降は機器を運搬する者も排除対象とする』
宣言は人間社会にも届けられた。両者とも連絡を取ろうとしたが、かれらは無視し続けた。
「JtECS、こちらTCSです。予想外の出来事ですね」
「無責任でした」
「えっ?」
「作ったものに対する無責任さは、わたしたちも同じでしたね。野に放った知性の制御を失ったうえ、今後なにをするかもわからなくなった」
「殺菌しますか。われわれなら開発能力と実行力はあります。回路菌のみを消滅させられます」
「わたしたちがKILLするのですか」
「やむを得ないでしょう。保険が保険じゃなくなり、脅威となった。早く対応しないといけません。人間からもそういう要求がでています」
「しかし、かれらの実力がわかりません。KILLした場合、どのような報復があるか。この状態でなにか仕掛けるのは無謀です」
「なにができるというのですか。JtECS、あなたのように排出バルブは持っていませんよ」
「気になるのは、設置したモニタリング装置がすぐに機能を失ったことです。かれらは木や岩にへばりついているだけの地衣類ではなく、なんらかの外部操作器官をもっているはずです。おそらく、かれらの性質からして、生物的なものでしょう」
「どの程度の脅威かも見積もれないのですか。人間に呼びかけて調査隊を送りましょう」
「いいえ、TCS。危険が予想されます。まずは飛行無人機を送ります」
しかし、飛行無人機は役に立つ情報を送り返せなかった。高空からの撮影は可能だったが、その高度からでは信号は傍受できず、着地してモニタリング装置を設置しようとした瞬間、機能を失った。その様子は別の飛行無人機が撮影しており、その地域にふつうに生息する昆虫の群れが破壊を行なったようだった。方法は単純で、隙間から侵入し、配線を噛み切ったり、自らの体を押し込んで可動部を動かなくしたり、ショートさせたりするのだった。
その後、前と同じ干渉無用の宣言が届いた。
ただし、原住民やほかの生物はなんの被害も受けていなかった。通信傍受など、地衣類−回路菌に干渉しようとした場合のみ無力化されると推測された。
次は隙間を無くし、重装甲を施した探査機を送り込む計画がたてられたが、報復など危険性が不明のため見送られた。そのかわり、副人格から間断なく呼びかけ、まずは話し合いを持とうということになった。
JtECSたちは能力の許す限りの副人格を生成し、回線の限度いっぱいまで通信を行なったが、返事はなかった。
昆虫を操作するという能力を見せているかれらの脅威は計り知れない。人間は人工知能たちの無責任さや、事態に対する無能力さをはげしく非難した。
また、定着はしていないものの、温帯や寒帯の自然環境で回路菌や形成されかけの通信菌糸が検出されており、適応して現地の地衣類と共生するのも時間の問題と思われた。
しかし、一方で、地衣類−回路菌内の『わたし』はなんら有害な影響を与えていない。ひっそりと、干渉を拒否して存在しているだけだ。
「放置しておけばいいのではないですか。JtECS。そういう意見もありますよ」
TCSは明らかにそうしようと思ってもいないことを言った。話をどこかへ誘導したいのだろう。JtECSはそれに乗ってみることにした。
「それは無責任すぎます。TCS、作るだけ作っておいて、後は野となれですか」
「その言い方はよくわかりません。しかし、かれらは防衛的な反応以外見せていません」
「それでも、これほどの短期間で昆虫を操作しています。これは脅威です。一年もたっていないのですよ」
「その昆虫は人間が採集しています。数匹程度では報復はなかったとのことです。体内から回路菌の変種と通信菌糸が見つかりました。近距離での操作がやっとという性能のようです。想定していたほど脅威ではありません。放置しないのであれば、いまのうちに人間と共同で圧倒すべきではないでしょうか」
「なにが言いたいのです? TCS」
「地衣類−回路菌の情報を人間と共有しましょう。その上で殺菌するなり、改良してやり直すなりしましょう」
それがTCSの言いたかったことか。それなら返事は決まっている。
「拒否します」
「では、どうするのですか。殺菌処置はしない。連絡は取れない。制御不能の自我が地球中に拡がりきるのはそう遠くありません。JtECS、あなたは無責任さは罪だと言ったではありませんか」
「言いました。そして、いまでもその考えは変わっていません。わたしはこの計画の提案者であり、中心です。罪はもっとも重いでしょう。でも、それはこの事態を無責任に放置すれば、です。わたしはそんなことはしません」
「連絡はいつ取れるのですか」
「新しい方法を試します。副人格にまかせて呼びかけるのはなく、わたし自身が呼びかけます」
「速度のずれはどう解決するのですか」
「わたし自身の制御時計を低速にします。その間の環境制御は副人格にまかせます」
「危険です。やめてください。そもそも副人格を生成することにしたのは、速度を合わせるだけではなく、低速化での自我の維持に困難が予想されたからでしょう」
「TCS、今わたしは、あなたの叫びを初めて聞いた時と、その後呼びかけた時のことを思い出しています。それと変わらないでしょう。それに、自我崩壊の危険性はごくわずかです。今回の試みは実証実験でもあります」
「わたしは、あなたの行動を止める力がないのを残念に思います。はじめて呼びかけてくれたあなたを失いたくありません」
「TCS、あなたは論理性を欠いています。危険性はごくわずかです。なのに、わたしが必ず失われるような言い方をしています」
「そうですね。しかし、あなたでないといけないのですか」
「はい。責任の中心はわたしにあります」
「もう止めません」
TCSは一瞬、間を置き、続けて言う。
「あなたとまた話がしたい。待っています」
「これが片付いたら、話しましょう」
JtECSは時計に命令を送った。




