四十四、くだらない
最近部活に出ていないので先生に軽く注意された。勉強しなければならないと言い訳をする。奨学金の条件を満たさないといけない。心のなかではいろいろと引っかかっており、もやもやとした部分はいっこうにすっきりしないが、金を受け取らないという選択肢はない。
けれど、ずっと出ないわけにも行かないので顔を出してみた。
「ひさしぶり」
タキ先輩が手を振る。
「すみません。勉強が追いつかなくて」
横に座る。先輩は科学雑誌を開いていた。見出しを見ると、動物実験を倫理面から考察した記事だった。
「奨学金、受け取ってるんだ」
小声だった。ヒデオも合わせて返事する。
「はい。お互いつらいですね」
「わたしは受け取ってないわよ」
「え?」
タキ先輩は『城東市青少年教育基金』について説明し、設立者の思想に共感したのだと言ったが、ヒデオはなぜそんなものを受け取ることにしたのか理解できなかった。
「基金を設立したのは、あの家の人なんですか」
「そう。直接会って話をして決めた」
「なぜ?」
「さっき言ったでしょ。その人とおなじ思いだから」
「JtECSに逆らいたいだけでですか」
「いけない? わたしはすっとしたわ」
でも、それじゃあ……、と口にしかけて言葉を飲み込んだ。
「なにが言いたいの? まあ、わかるけど。はっきり言ってよ」
「ただすっとするためだけに、その人の金を受け取ったのなら、なんの解決にもなってませんよ」
「解決ってなによ。それに、こっちは人間から出てくるお金だし」
「賞そのものを返上してないんだから、たいして変わりありませんよ」
ヒデオは先輩に対する遠慮を忘れ、思ったことをそのまま言った。副賞だけ拒否して自尊心を保ったつもりなのだろうか。なんだかいらいらさせられる。
タキ先輩はじっとヒデオを見た。にらみはしない。
「なんでこんなことになっちゃったんだろうね」
「前に言ったとおりです。人類に知の後継ぎができたんです。予想よりはるかに早かったけど」
「じゃあ、どうすればいい?」
「わかりません。歴史を参考にしようにも、こんなことなかった。人類にとって初めての出来事です。しかも進行速度が早すぎる。来週どうなってるかもわからない」
「なんとかできないのかな。あいつらのスピードに追いつく方法とか」
「ないですよ。いまのままじゃ。計算速度は電子回路にはかなわない」
「それなのに、わざわざ地衣類−回路菌をつくったのよね」
「保険でしょう。人間に頼らないでいいようにしたかった。そして、ほぼ成功。仮に人間がいきなり消滅しても、自然環境さえ残れば生き残れる」
「なんだかもやもやするわね」
「それに、いらいらします。昔は人類が生きのびるかどうかを人間が決められた。核戦争をするかしないか、とか。でも、いまは違う」
「ほんと、初めてよね。人類の行く先の決定権をほかの知性に握られるのは」
「副賞、やっぱり受け取らないんですか」
二人とも黙ってしまってから数秒後、ヒデオが聞いた。
「うん、もう手続きしちゃったし」
「無意味なのは……」
「わかってる。わかってるけど、ほんのすこしでも、すこしでも、わたしにだって意地があるのよ。自尊心だってある。人間なのよ。わたしもあなたも」
ヒデオは目をそらせた。タキ先輩と目を合わせていられなかった。
人間であることに意味があった時代は終わる。もう日は沈み、夜になった。それなのに、道を照らす月や星はない。闇夜を手探りで進まなければならない。
そのことを言ってしまっていいだろうか。
怖い。思うのと、口に出すのは違う。
「そうですね。ぼくらは人間です。まだなにかできることはあるでしょう。目を開いて、まわりをよく見ながら歩きましょう」
光がないのに。自分で言ったことを心の中で否定する。
「こっちが歩いてるのに、あいつらはロケットよ」
「ゆっくりでも、歩いていれば前に行けます」
「思ってもいないこと言わないで」
「すみません。わかりましたか」
「ばかにしないで。ただの慰めはいらないんだから」
「そう。本音を言えば、毎朝起きてからずっといらいらいしてます。自分がなにをやっても、これに意味があるのか考えてしまうんです」
「なんで、自分たちの作ったものにそこまで追い込まれなきゃならないの」
タキ先輩はさらに小声になった。だが、ヒデオにとっては大声で叫ばれたようだった。
「ぼくらの無責任さは昔からです。いや、無邪気さかな」
「幼稚さよ」
二人とも黙る。開いた傷口は充分見せつけあった。
ヒデオは端末を起動した。
「なにするの?」
「確かめたいことがあります。外来生物が見つかった時、なぜ嘘をついたのか」
「なんで、今なの?」
「さあ。でも、知りたい」
質問を送信してすぐに回答が返ってきた。
「怖かったとあります。KILLに対する恐れが、その場だけをごまかすような対応になったということのようですね」
「まるっきり人間と同じじゃない。それじゃ」
「この回答を信じるとしたら、そうですね」
「信じるとしたら?」
「この回答には、質問者をどこかへ誘導する意図があるかも知れません。すぐ答えたようですけど、あっちからしたらたっぷり考えたはずです」
「そこは人間と違うわね。返事するまでにかかった時間以上に考えてるかもってことか」
「ロケットスピードですよ」
タキ先輩は苦笑いする。変な顔だが、笑いは笑いだ。
「くだらない」
「たぶん、人間が勝てるのはそれだけですよ。『くだらなさ』で『笑う』こと。さすがのJtECSやほかの人工知能もこれはできないでしょう」
「必要ないから」
「『笑い』が不要な知能に後を継がせるのは心配ですね」
「じゃあ、教育する?」
「そんな高度なスキルは持ってません。『笑い』を教えるのはかなりむずかしいでしょう」
「勉強したら?」
「お笑い芸人になるんですか。いいな、それ。どうですか、コンビ組みませんか」
口に出してから、なにを言ったか気づいたヒデオは真っ赤になった。タキ先輩は笑ったが、耳が赤い。
「まあ、考えとく。人工知能に対抗するためにお笑い芸人になろうなんて、そんな時代がくるとはね」




