十五、内容証明記録
授業中ずっと母の言ったことを考えていた。認めてあげればいい、とはどういう意味だろう。いや、なにを言われたかはわかるけれど、どうすればいいかわからない。
ううん、どうすればいいのかもわかるけれど、できないと言ったほうが正確だろうか。
たっぷり考える時間がほしいのに、こういう時に限って時間が早く進み、あっという間に放課後になる。ヒデオはいつものように理科室に向かった。
タキ先輩はもう来ていて、画面を前に作業を始めている。どうしていつもこんなに早く来れるんだろう。
「どうですか」
「いい感じ」
画面左半分には生のデータが数字となって流れ、右半分にそれが城東市の地図上に色付けされた点となって描画されていく。
ヒデオは最近のJtECSの施策を別画面に呼び出し、表示される数字のうちどのくらいが施策によって改善されたものか割り出す。当然だが、大気や川の流れは変えようがない。しかし、排水や廃棄物処理で発生した汚染物質に対して新たな濾過設備を設けた結果は明らかに改善に結びついている。
とはいっても、旧設備であってもそこそこ役には立っていた。それをいま税金を投入して新設備にする必要があったか。その評価は立場によって様々だった。きれいになるのはいいことだが、それにそこまで費用をかけなければならないのか。評価や決断を下すためにJtECSのような大げさなシステムが本当に必要なのか。
「人工知能のさばけるデータ量と分析能力からすれば必要なのは確かね」
「そうですね。でも、そういうシステムなしにうまくやってるところもありますよ」
ヒデオはほかの自治体の例を二、三あげた。昔のように人間が環境を評価分析して対応し、それなりの結果を安く出しているところだ。主に人工知能導入に批判的な人々がよく出してくる事例だった。
「でも、そういうところは住民全部が顔見知りみたいな小さな自治体ばかりじゃない。城東市とは比べられないよ」
タキ先輩はヒデオがディベートのモードに入ったのに気づき、面白そうに反論した。データ分析がルーチンワークになって退屈してきたときのじゃれ合いだ。
「ほどほどのシステムって作れないんでしょうか」
「ほどほど?」
「JtECSとか、先輩が言ってた東京二十三区の交通管制システムとか、大げさすぎないですか。確かに役に立つんだけれど、費用の割にはって感じですね」
「それはそうだけど、社会が常に変化するから、余裕をもたせとかないと。現状だけに合わせるとあっという間に古びちゃう」
「最近の更新を見てると余裕もたせすぎって感じがします。未来に備えすぎていまの生活に費用を回してないなって思いますね」
ヒデオはディベートのつもりで始めた話の中に自分でも気づかなった本心が混ざり始めたのに気づいた。妙だ。頭の中で考えるよりも、口に出して人と話をすると見えなかった本当の自分の考えが見えてくる。
ヒデオは新しい発見にすこしばかり酔ったようになった。
「『人工知能ってすごい』んじゃなかったの?」
「いえ、すごいんですけど、必要なすごさかどうかです。言いたいのは」
先輩は面白そうにしている。データを横目で眺め、時々タグをつけたり修正したりしている。それはヒデオも同じだった。時間を巻き戻したり進めたりして確認する。
「あれ?」
ヒデオの指が止まる。時間を十二時間分範囲固定して繰り返し表示にした。
「なに、これ」
覗き込んだタキ先輩も変な顔をする。
ある地区で急に青の点が黄色に変わっていき、また青に戻った。それが数回、脈動するかのように繰り返されておさまる。
「変なノイズね」
「ノイズでしょうか」
「仮に正しいとして、なんの汚染?」
ヒデオはその間の数値の分析を指示した。結果はすぐに表示される。
「外来生物……だって」
「やっぱりノイズよ。ありえない」
「でも、前のおんぼろとは違いますよ。現地の監視機器も最新型で、自己診断でもエラーは報告されてない」
「本当ならもっと大騒ぎよ。JtECSが黙って見過ごすはずがないし、ほかの監視団体もいるんだから」
「それはそうですが……、うん、そうですね。生物汚染ってのは無理ありすぎか」
ヒデオは先輩と顔を見合わせ、そのデータをはじいた。最新型でもノイズは避けられない。それが実感できただけでも良しとしよう。
だが、そのノイズは翌日もその次の日も続いた。なぜか日中にのみ発生している。ヒデオは気になってJtECSに問い合わせたが、回答は、あまりにかすかであり、ノイズであると思われる。該当地区の監視機器の再点検を行うという内容だった。
それはほかの監視団体も同様で、ノイズの発生は問題だが、こんな小さいことを取り上げるつもりはないという、丁寧だが、言外に学生の部活の相手などしていられないと匂わす返答だった。
「なんでノイズが気になるの?」
タキ先輩はJtECSと監視団体からの返答をそれぞれ読みながら不思議そうに言った。
「もし、ノイズじゃなかったら? 仮に、これが本当に発生している現象をとらえたデータだとしたらなんだと思いますか」
ヒデオは逆に質問した。
「外来生物でしょ。なにか顕微鏡的に小さいもの。花粉とか、胞子とか。地区が地区だけに海外旅行から持ち帰ったとか、輸入建材か家具にくっついてきたとか、そんなところ」
「外来生物による環境汚染は問題でしょう」
「さっき、ノイズじゃなかったらって言ったけど、ほんとだとしても量が少なすぎる。この程度で汚染って言ってたら海外旅行や輸入なんてできないし、外国からの気流や海流は全部止めなきゃいけなくなる。気にしすぎよ」
ヒデオは腕を組む。
「現場に行ってみませんか」
「なんでよ?」
「いや、この問題、簡単に片付けようと思ったら現場に行って空気集めればいいじゃないですか」
「いいじゃないですかって、ただの時間の無駄遣いじゃない。研究のテーマとも違うし、なんでわざわざ」
「JtECSの有用性を調べるのにいいと思いませんか。本当にノイズかどうか。状況を過小評価してるんじゃないか。確認してみましょうよ」
「あのねえ、ハヤミ君ひとりでやったら?」
「そうしたいんですけれど、採集の様子を証明付きで記録してもらわないとやっても無駄になります。ひとりでは無理です。お願いします」
ヒデオは内容証明記録を頼み込んだ。その場所でその時間に記録したという公的な機関の証明付きの改竄不能な記録だ。部活では調査する生物の採集などが合法的に行われたという証明に利用されている。
「そこまでやるの?」
「そこまでやらないと意味ないですから」
タキ先輩は、わかったわかったと、あきれたような感心したような表情になった。
「じゃ、明日行きましょう。採集の準備と証明記録の事前申請、よろしくね」




