十四、低温栽培槽
マサルは仕事の合間をぬってササキリエの家に行った。老人のせいか、直接会って話をしたがる。安全を考えれば望ましくないが、上得意なのでそこは目をつぶる。
「工事ですか」
「ええ、エアフィルターの交換です。取り付けてから放りっぱなしだったので調子悪くなったみたいで」
いつもの客間に通されたが、かすかに作業の音が伝わってくる。業務用のフィルターはしっかりと取り付けられており、業者でないと交換できないとのことだった。
「交換中はどうやって?」
気になったので一応確かめた。
「動かしながら順に交換します。能力があまり落ちないように。そのせいでただのフィルター交換にあれやこれやで一週間かかります」
「来週から仕事でここに行きます」
世間話の後、そう言いながら旅行日程を見せる。こんどは北国で、資源調査に関わる契約の調査と交渉を行う。
「暑かったり寒かったり大変ですね」
「ええ、でも、ここは地下資源が豊富でして」
老婦人は画面の地図と画像を見た。ゆれ動く記号が豊富な鉱物資源を示している。
「そのようですね。雪の下には宝物がたくさんあるのでしょう」
「どうでしょう。コレクションに加えられるお気持ちは?」
「もちろん。お願いします」
マサルは事前に調べておいた地衣類の分布図を重ねて表示し、ササキリエはしわの寄った指でいくつかの種を反転させた。
「新しい栽培槽を注文しなくては。低温用の」
マサルはその声に期待感を聞き取った。収集家というものは集めることに満足を感じる。雪の下に生える地衣類ならそのままにしておけばいいだろうにと思わなくもないが、手元に置いておきたいというこの人の気持ちもわからなくもない。
「本当なら自分で採取したいくらいですが」
「それはわたしにおまかせください。採取自体は簡単ですが、持ち出しとなるとそれなりの手順を踏まないといけません」
「それはわかります。ご苦労をおかけします」
マサルは自分の苦労をあれこれ言い立てるのは好きではないのでそれ以上は言わなかった。
それに、困難さを主張しすぎると値段を釣り上げようとしているのではないかと警戒させてしまう。競合は少ないが、いないわけではない。高値をつけたいが乗り換えられるほどの高値ではいけない。
いい香りの紅茶を飲みながら、違法であれ合法であれ、こうして価格が決まっていくのだなと心の中で変な感心をする。
そろそろおいとましなくては、と言いかけたところで、それを制するように紅茶のおかわりが注がれ、上品な菓子が出てきた。
それからその菓子を購入した旅行先の話を聞かされ、画像を見せられる。
マサルは商売柄、相手のどんな話も興味深そうに聞くこつを体得している。昔から言うように、「口はひとつ、耳はふたつ」の原則だ。
「……それで、ここの美術館が落ち着いた作りで、良い作品がありましてね……」
「……この洞窟が夏は涼しくて、冬は暖かいのだそうです。この形になるまで何千年か…… ああ、いや何万年もかかっているそうです……」
「……泊まった宿は華族の別宅だったそうで、古び方が面白うございました。その菓子は宿特製の名物だそうです……」
婦人の口からは話が尽きることなくあふれてくる。マサルはふと、この人は話す相手が少ないんじゃないかと思った。たしか、子供はいなかったはずだし、見せてもらった画像からはひとり旅だったようだ。近所付き合いもあまりないのだろうか。
この人は、いま、なぜ生きているのだろう。
マサルはそう考え、すぐに反省した。目の前の人間に対して考えることとしては失礼極まりないし、傲慢でもある。
見せられている旅行の画像は、マサルに比べれば何段階か上の暮らしを想像させる。時間と金が両方ともたっぷりあまっている生活だ。
それらを味わい尽くすのがこの人が生きるということなのだろう。
そのひとつとして地衣類のコレクションがあるのかもしれない。おおっぴらに公開して自慢するわけにもいかず、自分や少数の同好の士だけとひっそり楽しむ。
だから、希少で、手のかかるものほどいい。つぎ込む時間と金はある。
さっき言っていたが、雪の下で生きる地衣類を日本で育てるための低温栽培槽の設置と維持にいくらかかることか。しかもそれは冷蔵庫のように保存するだけではなく鑑賞にも適していなくてはならない。多分特注になるんじゃないだろうか。わたしとおなじように秘密を守る業者がいるのだろう。
夕食まですすめられたが、それは丁重に断って辞去した。
見送る老婦人は、玄関のドアの四角い枠を額にして、絵画のように立っていた。
 




