黒龍からの要求
__高台の前に出現した巨大なドラゴン。
その視線の先にはケイテ、そして彼女を守るために前に立つデシールが居た。さらにそれを取り囲む護衛の兵士達が武器を構えていた。
「ドケ……ノ娘…ヲ……」
ドラゴンの声帯で話すことに慣れていないアニスは、たどたどしい口調になっている。
「駄目だアニス。人に危害を加えてはいけない」
相手がアニスと分かっていても、黒龍を前にしたデシールの足は震えていた。
それでも前に出たのは、彼女に人間との間にわだかまりを作って欲しくなかったからだった。
「ナラバ…コッチヘ来イ……」
デシールを引き渡せば、事を収める。アニスはそう言っているのだ。
デシールは元々、アニスと共にこの国を離れるつもりでいた。そのため彼にとってこの要求は、同意のものだった。
しかし彼がアニスの元へ向かうことは許されなかった。
「デシールを取り押さえなさい。彼は勇者よ。国民の為に、自分を犠牲にするかもしれないわ」
ケイテの命令に従い、兵士達がデシールを取り囲む。
彼らは一人一人が王国に雇われた手練れ。例え今のデシールでも、彼らを傷付けずに逃れることは出来ない。
それを見て、アニスは苛立ち地面を踏み鳴らした。たった一度足を下ろしただけだったが、地面は大きく揺れバランスを崩す者もいた。
しかしアニスは攻撃しようとはしなかった。今の彼女では力の制御ができない為、ここで攻撃をするとデシールも巻き込んでしまいそうだったからだ。
「ワカッタ……3日ダ…ソレマデニ…デシール ヲ 渡セ……」
3日後デシールを迎えに来る。その時、彼を引き渡す姿勢を見せない場合、王国を滅亡させる。
そんな魔王のようなことを言い放った。彼女にとって、国一つ滅ぼすなど容易だった。
そうしてアニスは巨大な翼で飛び上がり、王国の広場をあとにした。
残されたのは、吹き荒れる突風と、人々の絶望だった。
__国王は頭を抱えていた。
最も敵に回してはならない相手を怒らせた。
そしてその相手は王国周辺の森に滞在している。どこに居ても見えるほどの巨体が、じっと睨みつけていた。
黒龍に1日中睨まれている。兵士達はひと時も緊張を解くことが出来ず疲労している。国民の恐怖はつのるばかり。王国の士気は下がりに下がっていた。
「黒龍は強いだけではなかったのか……。なんとも狡猾ではないか……」
王室の窓から見た王国の景色。それは昨日と変わりはないものの、活気が失われているように見えた。
その時、ドアをノックする音がした。入るよう返事をすると、ケイテがドアを開いた。
「ケイテか。デシールはどうしている」
「今は地下の牢獄に収容してあるわ」
「そ、そこまでする必要はないのではないか……?」
ケイテは怒りを胸に秘めて、デシールの事を話した。
「彼ったら自分が黒龍の元に行くって言うのよ。おかしいでしょ? 国民を守る為に自分が犠牲になるつもりなんだわ」
スカートの裾を握りしめて眉間にしわを寄せる娘に対し、国王が渋々自分の意見を述べる。
「正直な話、解決策はそれしかないんじゃ。彼を黒龍に引き渡すべきだ……」
「私の夫を、魔物の生贄にしろと言うの!?」
「しかし……」
他に手段はなかった。黒龍には誰も勝てない。どんな魔法も、武器も、黒龍の鱗を貫くことは出来ない。
「黒龍に勝てないのは、この国の兵力が魔王にすら相手にされなかったほど弱かったからでしょう。だったら他の国に助けを求めれば良いじゃない」
「無理じゃ……。誰もアレには勝てん」
「ならこの国を捨てて逃げればいいのよ」
「そんな事をすれば、標的は国民ではなく人類になってしまう……」
ケイテが提案をすればするほど、国王の表情は暗くなる。
「例え国を犠牲にして、国民が生き延びたとしよう。しかし我々は、災害と呼ばれる魔物を怒らせた忌々しい者達だ。死よりも苦しい虐げられた生活をおくる事になるであろう……」
明確な解決策が思いつかず時間が過ぎる。貴族間での会議も皆暗い表情でなかなか進まないでいた。
__牢獄の中、デシールは片膝を伸ばして地面に座っていた。
そこは王宮の地下にある牢獄で、今は使われていない。そのためデシールのみが収容される形となっていた。
(困ったな……)
ケイテには全てを話した。
しかし彼女は信じなかった。全ては国民を守るための建前だと解釈されてしまった。それでも説明を続けると、遂には牢獄に入れられてしまったのである。
これからどうしようかと悩むデシール。その状況をあざ笑う者が居た。
「くくくっ……あははは……あー、おっかしい」
牢獄の見張りに、この声は聞こえていない。
それは鼓膜を通した音ではなく、脳に直接語りかけられたものだった。
デシールには、この声の正体が分かっている。
「もう復活したのか」
音ではなく、魔力で返事をした。
「まぁね。でも力はほとんど戻ってないわ」
デシールの体内から黒い魔力が発生し、それがゆっくりと形を成す。
出てきたのは12歳程度の外見をした少女。
「ってちっさ!」
「仕方ないでしょ、これが限界なんだから」
現れたのは、魔王マイラ。魔王だった頃に比べて、外見の年齢が随分と下っていた。
__話は少し遡る。
魔王マイラと戦っていた最中、突然脳内に声が響いた。
拳をぶつけ合っている相手の顔を見ると、口元が動いていない。
「脳に直接語りかけているのか」
「しーっ……他の奴に聞かれたらどうするの。念じれは勝手に繋がるからそっちで返事して」
こんな能力をデシールは知らなかった。この伝達に優れた力は、彼女の戦闘能力よりも脅威に感じた。
「そんなに驚かないでよ。相手の体を操作したりは出来ないから。とりあえず返事をしてみなさい」
「こ、こんな感じ?」
「そうそう、それでいいのよ」
戦いの手を少し緩めて、二人は密談を始めた。
「ひとつだけ聞きたいの。あの魔物は何?」
「アニスのこと?」
「名前なんてどうだっていいのよ」
デシールの拳が鱗を纏った時、アニスが彼の後ろに移動したのを見た。
しかし魔王マイラは、その気配を感じることは出来なかった。
ずっと二人の戦況を眺めるアニスをどうにも気味が悪く感じ、デシールに直接聞くことにしたのだった。
「えっと……彼女は君よりも強い魔物なんだ」
「あんた馬鹿でしょ」
「なんで?」
「そんなはったり誰が信じるのよ? 私より強いなら最初からあいつが戦えばいいじゃない」
「いろいろ事情があって……」
魔王マイラは最も頭の回転が悪そうなデシールから、相手の企みを聞き出そうとした。しかし返ってきたのは気の抜けるような答えばかりだった。
「じゃあ仮にあなたの言った事が本当だとして、普通それを素直に敵に教える?」
「僕は話の分かる相手とは、魔物でも穏便に済ませたいんだよ」
もしかしたら本当にただの馬鹿なのではないか。そんな考えが魔王マイラの頭をよぎる。
ならば万が一の時に備え、彼を利用するという結論に至った。
「まぁ仮にそれが本当なら、私がピンチになったら助けなさいよ。そんな時は来ないでしょうけど」
「助けるってどうやって」
「そうね、魔力を蓄える魔道具とかあれば、そこに避難出来るんだけど」
「えっと……それは持ってないけど、僕の体は魔力を外から吸収出来るよ」
「そんな機能、人間にあるわけ……ってなんであるのよ!」
そんなやりとりの後、デシールは敗北した。
魔王マイラは確信した。結局彼の言った事は、はったりだったのだと。魔王よりも強いと言っていた魔物は結局彼を助けには来なかったからだ。
しかし、彼女が勝利の悦に入る時間は長くはなかった。
魔王マイラはアニスの正体が黒龍だと分かるや否や、デシールの体内に避難したのだった。アニスにそれが悟られない様に、存在を保つ最低限の魔力と共に。
__時は戻り、デシールは牢獄の中でマイラと話す。
「あの時は結構ピンチだったから助かったわ」
「魔王に感謝されても……」
「もう魔王じゃないわよ。力はほとんど残ってないしね」
マイラは隣で膝を抱えて座っている。
魔王としての彼女は黒い鎧を着ていた。
しかし今は白いノースリーブに、薄い灰色のショートパンツという庶民の子供の様な格好だった。彼女の髪の毛は白く輝いている。服も合わせると全身が白く、邪悪な魔物と言うよりかは神聖な雰囲気だった。
それでも口を開ければ、魔王の頃の彼女と何ら変わらない。
「勇者が牢獄の中に閉じ込められてるって、ほんと面白い光景ね。あはははっ」
子供の様に笑うマイラは、前の外見よりも幼い今の姿が合っているようにデシールは感じた。
「それにしても、あの姫も馬鹿よね。こんな脳筋に王様が務まる訳ないじゃない」
マイラはにやけながら、デシールの様子を伺っている。
膝を抱えて座り、顔を傾け悪戯っぽく笑う姿は本当に子供のようだった。
「うるさいな。まぁ事実なんだけど……」
これ以上からかわれるのが面倒になったデシールは、顔を伏せて彼女を無視しようとした。
「暇ね。ねぇデシール、脱出しちゃえば? 私がそこの無能そうな見張りから鍵を盗んであげる」
声に出して会話していないと分かっていても、牢の外にいる見張りに聞こえていないかと心配になる。
「無理だ」
「なんでよ。あなたの力なら、この国の兵士なんてねじ伏せられるでしょ?」
「さすがに大人数で来られたら勝てないよ」
デシールの説明をマイラは退屈そうに聞いている。
目覚めた元魔王は「つまんなーい」と言いながら、やたらとデシールにちょっかいをかけてきた。
それをあしらうのは、デシールにとって退屈よりも苦痛だった。




