人とドラゴンの力
__ベヒーモスの動きは素早く、攻撃も地面を陥没させるほど強力だった。
ここに居る兵士達ではとても太刀打ち出来ない。
デシールが焦っているのは、遠目から見ても分かる。
ブラッドが頭を掻きながら、面倒臭そうにベヒーモスの前へ立った。
「信用されてぇねぇな。まったく……」
敵の強大さに士気の下がった兵士に、ブラッドが声を掛ける。
「お前ら、特に若い奴はよく見とけ。今から魔力を使った戦い方を見せてやる。デシールの戦い方なんて真似すんなよ? あんなもん参考にならねぇ」
魔法使い達からすれば、滑稽な発言に聞こえた。ブラッドの魔力は、戦闘に使えるほど多くはないからだ。
直後、何の予告もなくベヒーモスがブラッドに襲い掛かった。
振り下ろされた前足は、巨体に見合わず速い。
誰もが避けられないと思ったその瞬間、空気が破裂するような音と共にブラッドが消えた。
ブラッドは空中に飛び上がっていた。
彼が行ったのは、魔法とも呼べない魔力を使用した小細工だった。
ベヒーモスの攻撃が到達する瞬間、足元で魔力を破裂させ上に飛び上がっていた。
魔力の少ない彼は、魔法で体を強化したりは出来ない。
しかし魔力を一瞬だけ放出するという修行を積んだ。それにより少ない魔力でも、卓越した動作を可能にした。
攻撃がすかされた事で、ベヒーモスに隙が生まれた。
今度は空中で魔力を破裂させ一気に接近する。そして頭部の角に向けて剣を振り下ろした。
本来ならばベヒーモスの角に対し、普通の剣では太刀打ち出来ない。
しかし角と接触する瞬間、ブラッドの剣がかすかに光る。その一瞬だけ魔力を込めたのだ。
そうしてベヒーモスの角は削り取られた。
「ここは俺がなんとかするから、お前達はもう一度ほかの魔物に付いてくれ」
俊敏に動きながら、ベヒーモスと互角に渡り合っているブラッド。それを見て、兵士達が士気を取り戻した。
__危機的状況に感じられた戦況が、いつの間にか変わっている。
ブラッドの強さはデシールに安堵を与えた。彼が余裕を持って戦えていた理由が、アニスだけではない事に気がついた。
それは魔王マイラにとっても計算外の出来事だった。
「なにあの人間。もしかして、あんたより強いんじゃないの?」
「そうかもね」
戦場で芽生えた仲間への信頼。
長い間、人との関わりを持っていなかったデシールにとって、初めての感覚だった。
そして同時に気付いた事があった。兵士達やブラッドもまた、デシールに同じような感情を抱いているのではないかと。
自分には仲間がいて、お互いに命を預けている。それは強い信頼へと変わり、彼の心に闘争心を植え付けた。
(これは負けられないな……)
力が湧いてくるような感覚だった。
これが魔物であるアニスには教えられなかった。人としての強さである。
(さっさと負けて全部アニスに任せようと思ったけど、気が変わった。みんなが信頼してくれているんだ。勝つつもりで戦わないと)
自分よりも強い相手に、本気で戦うことのなかったデシール。そんな彼にとって初めての挑戦だった。
この時、両親の死後止まっていた彼の人間としての成長が動きだした。
魔王マイラもその変化を感じ取る。
「ふーん。やっと本気を出す気になったんだ」
2人の戦いが、本当の意味で始まる。
デシールは大剣を持ち直し、距離を詰める。
先ほどとは動きがまるで違う。魔王マイラは対応が遅れた。
隙が出来たと言うほどではないが、腕に力を入れる時間にはなった。
そのまま大剣で鎧を突く。
その威力は、デシール自身も想像していなかったほどで、再び鎧に亀裂が走った。
しかし魔王マイラにダメージを与えられるほどではない。
会心の一撃を放ったデシールに魔王からの反撃。それは頑丈な鎧から放たれる正拳突きだった。
それを体をずらし間一髪でかわす。
拳が通り過ぎた空間に、突風が吹き荒れた。
(今のは危なかった。やっぱ魔王は強いな)
相手が強い事は百も承知。それでもデシールは攻撃の手を緩めない。
「なんかどんどん強くなってない? どういう仕掛けなのかしら」
魔王マイラの言う通り、デシールの身体能力が向上していた。
ある人は大声を出すと筋力が増し、またある人は怒りで限界以上の力を発揮すると言う。
人間は様々な方法で脳にかかった制御を解放する。
デシールの場合は他人への信頼がそれを産んだ。
普通の人間であれば、人間が本来持つ力を解放する。対してデシールは、アニスから受け継いだ底の見えない力を徐々に解放していた。
両者一歩も譲らず、激しい攻防を繰り広げる。
ぶつかり合う剣と鎧。やがて両者に差が生まれる。
鎧は修復を繰り返し、デシールの持つ大剣の強度を超えていた。
大剣と魔王マイラの拳が衝突し、遂に大剣が砕けた。
「終わりね」
攻撃を防ぐ手段を持たないデシールに、魔王マイラの拳が襲う。
アニスは「ここまでか」と呟き、立ち上がった。
しかしデシールはというと、とある事を思い出していた。
それはアニスとブラッドが、闘技場で戦った時の事。アニスは素手で、ブラッドの持つ木刀を破壊したのである。
恐らくそんな芸当はできないだろうと思いながらも、
(やってやる。魔王に勝つこと自体が無茶なんだ。これくらい出来なきゃ話にならない!)
と自分を鼓舞して折れた大剣を手放した。
(どうせこれが最後の戦いになるかもしれないんだ。この拳がどうなったって構わない)
襲いかかる拳に、自らの拳を放った。
魔王マイラとデシール、2人の拳がぶつかり合い、肉体の接触とは思えないほどの爆音が響いた。
土煙と沈黙の後、魔王マイラが距離を取って驚愕していた。
彼女の拳がぼろぼろと砕ける。強度の増した鎧が、素手により破壊されたのだ。
デシール自身も、何が起きたのか把握しきれていない。自分の拳を見ると、血など滲んでおらず黒い破片が落ちるだけだった。
その黒い破片は、鎧のものとは質感が違った。
__アニスはデシールの戦いを遠目から見ていた。
成長が止まったかに思えた弟子の急激な進化。
その理由を彼女が理解する事は出来なかったが、彼が使った力には心当たりがあった。
デシールが未だ頭を整理していると、いつの間にかアニスが後ろに立っていた。
気配なく現れた彼女に、魔王マイラは気付いていない。
「鱗だ」
そう耳元で囁く。
アニスは後ろから包み込むように、デシールの両手の甲に指を乗せた。
「まさか人間にそんな芸当が出来るとは思っていなかった。さすがは私の弟子だ。魔力を腕に集中しろ。それから、黒い鱗を想像するんだ」
目を閉じて、アニスの言う通り魔力を操作する。
普段は外部から魔力を吸収している。それとは逆の方法で、魔力を一箇所に集めることが出来た。
目を開いて、自分の腕を見る。両腕を鱗が覆い、甲冑の籠手のようになっていた。
「これ……ドラゴンの鱗?」
「そうだ。私の一部と一体化した結果だ。ああ……君を内側から犯しているような、いけない気持ちになってしまう」
なぜか息を荒げるアニス。指先でデシールの体を優しくなぞる。
「鱗に使い方なんてない。ただそれで殴ればいい。なぜ君がそこまでの力を必要としたのかは、私には分からない。だが君がやりたいなら、存分にやればいい」
アニスはそれだけ言って、消えるように元居た場所に戻った。
「まさかまだ何か隠し持ってたとはね。それにしても奇妙な技ね、そんなの見たことないわ」
デシールの黒い拳は、腕にはめる武器や防具のようだった。
魔王マイラは物珍しそうに見ていたが、あまり警戒していない様子だった。その拳からは、うっすらと魔力が感じられたが、それだけだっだ。
デシールにも、これがどういう力を秘めているのか一切分からない。
武器を持たない時の戦い方はアニスから教わっている。デシールは構えを変え、拳を握った。
そして右手を大きく突き出した。
魔王マイラが腕での防御を試みる。ぶつかり合った拳と鎧は、それほど大きな音はしなかった。しかしその衝撃は凄まじい。
「なッ! こいつ……なにしたの!?」
腕の鎧が崩れ落ちる。腕だけでは防ぎきれず、体制を変え避けたが少し遅れた。
胸部に直撃したデシールの拳は、大剣で与えた最初の一撃よりも、広範囲に鎧を破損させた。
「い、痛ッ! なんなのよ、もう!」
これがデシールの中で、微かに覚醒したドラゴンの力だった。
(アニスの力って、こんなに凄いのか……)
魔王マイラは動揺しているが、鎧は修復を始める。
「ま、まぁいいわ。この鎧にはもうその攻撃は……あれ?」
鎧はすぐに修復するはずだったが、思いのほか時間が掛かっていた。
この時デシールは閃いた。
絶対に勝てないと思っていた相手に、勝てるかもしれない方法を。
この作戦は、攻撃と攻撃の合間を開けてはいけない。
とにかく俊敏性を生かし、もう一発殴りつける。
アニスから教わったのは全力で戦い、駄目ならもう一度別の形で全力をぶつけるというものだった。
しかし、今彼がとっている戦法は違う。間合いを詰めてひたすらに張り付く。
「ふーん、鎧を修復させないって訳ね」
修復された鎧は、デシールの攻撃に耐えられるよう強化されていた。
しかし亀裂が消える前に叩くことで、そこから鎧を裂くことができた。
デシールを引き剥がそうと、魔王マイラも反撃をする。
距離を取れば鎧が修復してしまうので、あえて攻撃を受ける。敵の拳は激痛と血の味を伴ったが今は我慢が必要だった。
(防御だけの相手なら楽なんだけどな……。馬鹿みたいに重い一撃だよ)
それでもデシールは一歩も引かず、自分の間合いを死守する。
「私の鎧と真っ向から勝負しようって言うのね。でも強化され続けるこの鎧には、勝てないと思うわ」
「それはどうかなッ……!」
鎧を砕き、反撃を受け、また修復最中の脆い箇所を砕く。
代わり映えのしない攻防を数分続けた後、魔王マイラは気が付いた。
「なるほどね。あなたの狙いはこれだったの」
彼女が気づいたのは、自分の魔力が大きく低下している事だった。
「道理で鎧の修復が遅いと思った。仕組みは分からないけど、その黒い拳を防ぐには魔力が必要みたいね」
鎧の修復に時間を取られていたのは、それに必要な魔力が今までより多かったからだった。
作戦を思いついた時、デシールはある事実に気付いていた。
初めてアニスを見た魔法使いは、彼女を魔物だと言った。
しかしデシールはどうだろうか。魔法使いや魔王マイラは、ドラゴンの力を持つ彼を魔物だとは疑わなかった。
ドラゴンの魔力について、アニスは魔力の質と言っていた。
どうやらこの魔力の質と言うもの、普通は感じ取れないらしい。
そしてドラゴンの魔力が持つ質とは、単純な強化。
ただの人間を相手にしていると思っていると、鎧の修復に大きな魔力を消費している事に気付かない。
そして一度間合いを捉えれば、あとは喰らい付くだけだった。
「このまま殴り合って最後に立っていた方が勝ちって事ね」
「そうだ。最後まで付き合ってもらうよ」
「面白いわね。私の魔力が尽きるか、あなたの体力が尽きるか勝負しましょう」
お互いの制空権の中でひたすらに殴り合う。そんな地味な持久戦。
__ベヒーモスをなんとか倒し、消耗しきったブラッド。彼の視線の先には、魔王と殴り合うデシールの姿があった。
「なんだありゃ……まるで喧嘩じゃねぇか」
加勢しようにも動きについていけそうにない。
魔物をほぼ制圧し手の空いた兵士達も、見てることしか出来ない。
「魔王ってのはこんなに強いのか……」
「それと渡り合ってるデシールさんも異常ですぜ」
「だがもうボロボロだ。立っているのがやっとだと思うぜ」
「いい根性してやがる」
兵士達はそれぞれが思う事を話している。彼等の言葉には期待や声援が込められていた。
(一回の戦闘でこんなにボロボロになったのは初めてだ。でも……悪い気はしない)
悲鳴をあげる体に鞭を打って、魔王マイラの鎧を砕き続ける。
力の使い方に慣れ始めたデシールの威力は、徐々に増していた。
「もう、限界なんじゃないの? 降参するなら今よ」
「そっちこそ!」
魔王マイラはほぼ破壊された鎧の、残った部分で攻撃を防ぐ。
膝を上げ攻撃を受け止めるが、それすら破壊される。
そして遂に、鎧の修復が止まった。
(あと一歩!)
魔力の切れた魔王マイラに、もうデシールの攻撃は防げない。
最後の攻撃。
デシールは思い切り足を踏み入れた。
その瞬間、全身から力が抜けた。
突き出された拳は、魔王マイラには届かなかった。
「慣れない戦い方だったみたいね。でもよく頑張ったわ。魔力を回復する暇すらなかったもの」
そう言って指輪を一つ握りつぶす。指輪からは魔力が溢れ、彼女の魔力を回復させた。
そして鎧はゆっくりと修復した。
「あなた面白いわね。特別に私の眷属にしてあげるわ。まぁ、他の連中はつまんないから殺すけど」
デシールが破れた。
兵士達は死を覚悟したが、後悔はなかった。
自分達が信じたデシールと言う男は、想像していたよりもずっと強かった。
そんな彼が全力を出し切って倒れているのだ。
地面に突っ伏したデシール。意識を失う前にひと言だけつぶやいた。
「負けたよアニス。後は……頼んだ……」
__魔王マイラに歩み寄るこつこつという軽快な足音。
「どうやらあなたが切り札だったみたいね」
現れたのはアニス。彼女の頭からは角が生えている。
「どれほど強いか知らないけど、さっきの戦いで私の鎧は強化されたわ!」
そう自慢げに鼻を鳴らす魔王だったが、その様子が一変する。
「あれ……? あなたもしかしてドラゴンなの?」
「そうだ」
この周辺にいるドラゴン。魔王マイラには心当たりがあった。そして彼女の体から生えた黒い角や尻尾が、その特徴と一致した。
「ま、待って! どうしてあなたが出てくるの! 私そこまでの事した!?」
「お前には特に恨みはない。ただ、こっちにも事情があってな」
先ほどまでの勝気な振る舞いが嘘のように、魔王マイラは涙を流して怯えていた。
その光景に、兵士達も異常を感じる。
「じ、事情ってなによ……」
「お前を殺して、そこの男、デシールと結婚するんだよ」
そう言って舌を一度だけなめずる彼女の顔は、なんとも言えない歪んだ笑顔をしている。
「そんな理由でッ……! 嫌ッ! 許して……!!」
そう懇願する魔王マイラを気にも留めず、アニスは右腕を振り下ろした。
それはデシールと同様に、黒い鱗で覆われた腕で、鋭い爪を持っていた。
そのたった一撃で、魔王マイラの上半分が消し飛んだ。
「勝ったの……か……?」
あまりに一瞬の出来事に、兵士達の理解が追いつかない。
そうして魔王討伐は、あっけなく幕を閉じた。
__デシールが目を覚ますと、そこは洞窟の外だった。
そして彼は今、アニスの膝に頭を乗せた状態。つまり膝枕である。
「目を覚ましたか」
「うん」
優しく頭を撫でる彼女の指が心地良い。
「負けたよ。こんなにボロボロだし、みっともなかったかな……」
「そんな事はない。あいつらを見てみろ」
そう言われて顔を横に向けると、勝利の余韻に浸る兵士たちが居た。
彼等は浮かれながら語り合っている。
「デシールさんのあの戦い見たかよ」
「ああ、凄かったなー!」
「デシールさんが弱らせてなけりゃあ、あのアニスって魔物のねぇちゃんも勝ててなかっただろうしな!」
「それを言ったら、俺だって凄かったんだぜ!」
「馬鹿やろう! おめぇ雑魚一匹に手こずってただろ」
「なんだと!?」
「お、デシールさんが目を覚ましましたぜ」
兵士達は一斉に集まり、やいのやいのと騒ぎ始めた。
全員で話しているため、正直なにを言っているのか分からない。
しかし彼等の表情はしっかりと分かった。
(ああ……強くなるって、こんなに良い事だったんだな……)
「……アニス、僕を鍛えてくれてありがとう」
「強くなったのは君自身だよ。それよりもあの戦いの後、少し大人っぽくなったんじゃないか?」
「そうかな……自分では分からないよ」
今のデシールの周りには他人が居た。それはほんの小さな変化だったが、戦う理由を持たなかった彼の心境に変化を与えた。
人に頼られる事は、彼にとって一つの幸福になった。
魔王を倒した。その事が安心へと変わる。
だからこそ今後の事が頭をよぎった。ケイテとの婚約を破棄するために、彼女と話さなければならないのだ。




