デシールの決心
__悪い知らせは突然やって来た。
それはデシールの両親が隣町からの帰り道に、事故で死亡したというものだった。
「馬車が魔物に襲われ、驚いた馬が馬車ごと崖から落ちたそうです」
そうデシールに伝えたのは、父の右腕と呼ばれていた男、エブラだった。
「そうか……」
デシールが泣いたのは、両親が死んだ日の夜だけだった。
彼以外にも、両親を失っている子供はたくさんいた。そしてなにより、悲しんでいる暇がなかった。
領主であった父が残した仕事は、11歳の彼には荷が重かった。
「隣町の石炭不足、こちらにも影響が出そうですね……」
エブラは次期領主であるデシールに、町の近況を何度も報告した。
しかし彼は父の仕事について全く知識がなく、どう答えていいのか分からなかった。
そんな彼に対し、領主の権利を狙っている者がいるという噂を耳にした。
デシールはそれを企てている人物が、エブラだとすぐに分かった。
全てを失う前に、彼は動かなければならなかった。
__両親の死から数日経ったある日、エブラとその部下を屋敷に集めた。
「エブラ、何もできない僕の代わりに、いつも仕事をしてもらって助かっているよ」
「いえ……」
かしこまって見せているエブラだが、デシールが手に持っている書類を見て焦っている様子だった。
「ところでエブラ、君に任せた仕事は権利書の名前が入れ替わっているんだ」
「……」
それを聞いて、エブラは黙ってしまった。
そしてエブラの部下は指示を待つ。今デシールを暗殺して領主の権利を奪うかどうか。
エブラにとって、デシールは親友の息子だった。
そんな彼を殺害する決断は、すぐには下せなかった。
静まりかえった屋敷の中で、デシールは言った。
「こんなことをしなくても、僕は最初から領主の権利も、お金も、全部エブラに譲るつもりだよ」
それを聞いて、そこに居る全員が驚いた。
「ほ、本気ですか!?」
驚くのも当然だった。
デシールの発言には、もう一つの意味があった。
「うん。僕は貴族を辞めるよ」
資産、身分、あらゆる権利を失う決断を自ら下したのだ。
デシールは知っていた。エブラという男が、父と共にこの領地を管理し、誰よりもこの地を愛していたことを。
だからこそ領主の権利を狙っているのがエブラだと分かった。
このまま自分が領主を続ければ、人々に貧しい暮らしをさせてしまう。
ここを誰よりも愛しているエブラが、そんなことを許すはずがない。
デシールはそう確信していた。
「僕はこの町を出て行く、そして魔物を倒す戦士になるんだ」
デシールは希望に満ちた表情で、没落の未来を語った。
「最後は盛大に送り出して欲しい」
父が愛したこの町と、縁を切る形で終わりたくなかった。
そしてこれが彼が考えうる中で、最も後腐れなくここをエブラに託す方法だった。
「デシール様……分かりました。この土地は、私が責任を持って納めていきます」
エブラにも断る理由がなかった。
その言葉を聞いて、デシールは心の底から安堵していた。
__全ての引き継ぎが終わり、旅立つ日がやってきた。
「デシール様、道中お気をつけて……」
「そんなにかしこまる必要はないよ。僕はもう貴族じゃないんだから」
彼の旅立ちを祝う祭りは、盛大に行われた。
代々土地を納めてきた領主の一族、その最後の一人が人々を救う戦士になる。
そう大げさに書かれた大きな旗を背に、賑わう町の中彼を乗せた馬車は静かに出発した。
父の生前、彼は父に夢を語った。
自分には勉強は向いていないし、貴族の堅い仕事も恐らく合わない。自分は将来、戦士になりたいと。
そうして日々剣術の稽古や狩りをして暮らしていた。
父はそれを心から、応援してくれていた。
もうその父はいないが、彼の背中をそっと押してくれているような気がした。
__ケイテは上機嫌だった。
理由はデシールから初めて彼女宛に手紙がきたからだ。
「……ふふふ。どうしようかな」
内容はなんだろう、恋文だったらどうしようと手紙を眺めているうちに日が暮れてしまっていた。
(いけないわ。これじゃあ内容が分からないじゃない……。それにデシールは両親が亡くなったばかりで、何か困って連絡をしてきたのかもしれないわ)
そう思った彼女は手紙を傷つけないよう丁寧に封筒を開けた。
そうして手紙の内容に目を通す。
「……!!!」
「なにこれ! なにこれっ!!」
デシールがケイテに送った手紙の内容は、貴族を辞めることの報告、そして謝罪だった。
「なんで……。約束したのに……」
デシールはもう貴族ではなく王族と会う機会もない。そして行方も分からない。
ずっと想い続けていた相手が、一瞬にして手の届かない存在になってしまった。
少女の瞳からは涙が流れた。
デシールに会えない時に流す寂しさから来る涙ではない。彼に何もしてやれなかった自分への、情けなさによる大粒の涙だった。
しかしこのまま彼を諦められるほど、彼女の愛は軽くなかった。
彼を絶対に離すものかと決意を固めたケイテは、泣いているにもかかわらず暗い部屋の中で小さくほくそ笑んでいた。