出発の前夜
__ブラッドはうなだれていた。
彼は王国に仕える身でありながら、王族であるケイテの意向に背いた。
「はぁ……クビになったら責任取ってもらうからな」
「ごめん。僕が上手く断れていたら良かったんだけど」
ブラッドは自らの職を危機にさらしてまで、デシールを助ける必要はなかった。しかし彼は自分から関わった案件を、軽々と放り投げられる性格ではなかった。
「別にいいんだけどよ……。俺が勝手に首を突っ込んだだけだしな」
かと言って後悔が拭える訳もなく、つい愚痴を漏らす。
「はぁ……せっかく彼女ができたんだけどなぁ」
「そうなの!? おめでとう。……それと、ほんとごめん」
交際相手ができた。それにより王国騎士団という安定職がますます重要になっていた。
「こうなったら最後までやってやる! 魔王討伐に関わったとなればクビにはできないだろ」
そう言って勝手に吹っ切れた彼は、先ほどまでの後悔を戦うための糧にした。
「ありがとう。ブラッドが協力してくれるなら心強いよ」
感謝を口にすると、ブラッドは「いいのいいの」と軽く返事をした。
「それよりお前、姫様と婚約してたみたいだがアニスさんはどうすんだよ」
「ケイテとの婚約は断るよ」
王国の命運がかかっていたので、他に選択肢がなかった。
「……は? いやいやそれはまずいだろ」
「確かに彼女を騙すような行為かもしれない。でも婚約しないと兵士を貸してくれないって言うし……」
ここにきてデシールがケイテのことを何ひとつ理解していないことに、ブラッドは驚愕した。
「違う違う。俺が言ってるのは、そんなの姫様が聞く訳ないだろってことだよ! あの姫様だぞ?」
「それでも断らないと」
幼い頃にドラゴンに拾われたデシール。
それ故、人の感情に対する洞察力が欠けていたのだ。
「はー……どうせ断れないだろうしさ、もう王族になっちゃえよ」
「いや……先にアニスと婚約してるから」
「お前それ……」
ブラッドは頭を抱えて考え込んでしまった。
数秒後、姿勢を戻しもう諦めたというふうに言った。
「そこまで行ったらもう知らねぇわ。俺は魔王討伐には協力するがそっちは自分でなんとかしろ」
もはや彼が口を挟んでもどうにかなる状態ではない。
デシール自身は、ケイテが婚約破棄に応じると思っている。
しかしそれは非現実的。
もう成り行きに任せるしかなかった。
この話題を引きずっても無意味と判断したブラッドは、話題を変えた。
「そうだ、姫様との話を盗み聞きしてたんだけどよ、魔王が攻めてくるって言うには少し根拠が甘くないか?」
なぜ魔王が攻めてくるのか。それをケイテに説明したが、多くの内容が省かれていた。
理由はアニスにある。彼女が魔物だと隠しながら説明したのだ。
ケイテは、意識が婚約のことに占領されていたため気にしなかった。
しかしブラッドはそれを見逃さなかった。
「そのことなんだけど……ブラッドだけには話しておこうと思うんだ」
アニスはドラゴンとして魔王と戦う。その時に彼女が魔物だということが知れ渡る。
それならば信頼できる人物に、先に話ておく。その方が、いざという時に対処がしやすいと判断した。
「えっと……実はアニスは魔物なんだ。だからこそ、王国近辺の魔物の異変に気付いたらしい」
「……そうか」
アニスが人間ではない。その事実をブラッドはいともたやすく受け入れた。
それどころか、逆に納得したといった様子だった。
「あれ、驚かないの?」
「まぁ、なんとなく分かってたしな。どう考えてもあれは人知を超えてるよ」
ブラッドは、闘技場でデシールと戦った時のことを思い出す。デシールの戦い方からは人間らしさを感じなかった。
しかしそれは人知の範囲内だった。
一方アニスは、明らかに人のそれではなかった。
「なにより、お前を育てたって時点でおかしいんだよ。若すぎるだろ。まるで歳を取ってないみたいだ」
「まぁ、ドラゴンだしね。寿命は長いみたい」
「ドラゴン!?」
アニスが魔物だということよりも、ドラゴンだという事実の方が驚きだったようだ。
デシールは慣れてしまっていたが、ドラゴンが人に化けるという事例は希だった。
「なるほどなぁ。分かった。俺は一旦王宮に戻って王様に報告する」
もちろんアニスが魔物であることは伏せて説明するつもりである。
この辺はデシールよりも口のうまいブラッドに任せておくのが得策だった。
「いつもありがとう。ブラッドにはどう感謝したらいいか分からないよ」
「いいんだよ。お前みたいな馬鹿ほっとけるかっての」
ブラッドはふらふらと手を振りながら王宮に戻って行く。
その後ブラッドは国王にこの件を報告し、王国全土で大規模な魔王討伐が動き出した。
__魔王討伐の計画は、予想だにしない勢いで賛同者を集めた。
数日が経ち、とうとう明日は魔王討伐へ出発するデシールを送り出すセレモニーが開催される。
予想以上に大ごとになったことで、デシールは緊張と戦っていた。
「もう休め。今更なにかしようとしても同じだ」
「うん。分かってはいるんだけど……」
人々の期待を裏切りたくないという気持ちから、一夜漬けのような修行に走っている。
「僕は結果的に勇者っていう名誉だけを得ることになる。そんな男にセレモニーなんて……」
民衆は自分に期待しているが、結局は魔王を倒すのはアニスなのだ。
それを考えると、彼の評価は過大である。
しかしアニスからすれば、彼のそんな考えすらも心の深さに感じた。
「ふふっ。勝手に持ち上げている連中にまで気を使うとは、君は本当に優しい男だ」
「違うよ。そんなんじゃない」
優しい。そんな言葉が心に突き刺さる。
多くの人を守るためとは言え、ケイテを騙していることに変わりない。
「みんな大袈裟すぎるんだよ」
「いいんだ。明日は堂々としていろ。君は勇者だ。人々は今までの君に期待しているんだ。未来のことまで気にするな」
そう言って、デシールの肩に手を乗せて微笑む。
小さな灯に照らされた彼女の髪は、部屋の暗さにより漆黒に映る。それと対比して、つやのある唇が妙に際立っていた。
そんな彼女に見とれながら気付く。どんなに他人の目を気にしたところで、結局今回の魔王討伐は自分のためなのだと。
自分たちが原因で引き起こした事態。それに終止符を打ち、今目の前にいるアニスとともに暮らす。
ただそれだけを目的とした戦いだった。
「そうだね。その通りだ」
「まぁ、旦那が英雄というのも、なかなか誇らしい。頑張れ」
彼女の正直なその言葉が、デシールにとって何より励みになった。
気付けば緊張は和らぎ、眠気が襲ってくる。
「なんだ眠そうじゃないか。そうだ、読書をすると良く眠れる。この本を貸してやろう」
本棚から1冊本を取り出し、少し屈んだ姿勢てそれを手渡す。
彼女が着ている服はゆるやかで胸元が大きく開いているため、胸の先端が見えそうになっていた。
「……」
デシールはその光景から目が離せない。
「どうした。受け取らないのか? ん? どこを見ている」
そしてアニスも視線の先に気が付いた。
「ち、違っ」
とっさに言い訳を考えるが、頭が上手く回らない。
しかしアニスも動揺している様子だった。
「え、あ、ああ! そ、そうか……。違うのか……」
そう言って彼女はうつむいてしまった。
婚約をしているため大胆でいられるはずだった。しかしお互いに意識してしまい、ぎこちなくなっていた。
結局何も起こらず、2人はその後就寝する。
そうして魔王討伐へ出発する前夜は、何事もなく更けていった。