2人目の婚約者
__次の日、街道を歩いていたデシールはブラッドと出会った。
どうやらブラッドはデシールを探していたらしく、やっと見つけたという様子で近寄って来た。
「よぉデシール、なんか久しぶりだな」
「そんなに久しぶりだっけ」
実際はあまり時間が経っていないが、そう感じるほど急ぎの用事がブラッドにはあった。
「実はお前のこと探してたんだよ」
「え、なんで?」
「お前さ、もう姫様には会わないって言ってただろ? でもよ……ちょっと限界っぽいんだよ」
「なにかあったの?」
「デシールに監視を付けるだのなんだの……。それは俺が止めたんだけどよ……他にも色々な……」
「そんなことになってるんだ……。なんかごめん」
最近はギルドから依頼を受けていたので、王宮へは顔を出していない。
その状況を作ったのはケイテだったが、彼女がデシールに会えない時間を耐えられるかは別の問題だった。
「うーん。どうしようかな」
デシールは魔王と戦うために、王国からの協力を要請しようとしていた。
国王に直接頼むつもりでいたが、こんな突拍子もない話をしても聞いてくれるとは思えなかった。
そのため一度ケイテに相談するのもひとつの手だった。
「分かった。今から王宮に行くよ」
「おお! そうか! じゃあ姫様にそう伝えとくわ」
ブラッドは少しやつれていた。デシールが王宮へ行くと聞き、微かに生気を取り戻したように見えた。
それだけ騎士達がケイテへの気配りに苦労しているということだった。
__王宮へ入り、面会室の扉を開く。
室内には誰も居らず、部屋を間違えたかと思い辺りを見回した。
すると、ギィという扉が閉まる音が聞こえた。
扉の方を振り向こうとした時、後ろから何かに抱きつかれる。
「……デシール」
背中に感じる柔らかい感触。その正体はケイテだった。
無言のまま動かない彼女がなんだか不気味で、何か声を出して気を紛らわす。
「ひ、久しぶり……」
「……やっぱりあなたの方から、会いに来てくれたのね」
どこまでも憂いを帯びた声で、ケイテはそう耳元で囁いた。
「うん。もう会わないって言ったのにごめんね……」
「いいの」
ケイテはそう言って、抱きしめる力を少しだけ強める。
背中に感じる彼女の体温に感情が揺さぶられるが、心を静めて要件を伝えた。
「今日はちょっと話……というかお願いがあって来たんだ」
デシールからケイテへ頼みごとというのも珍しい。
いつもより真剣な彼の声にうっとりしつつ、ケイテは腕をほどき向かい合うように立った。
「分かったわ。話してちょうだい」
近々魔王が攻めて来るかもしれない。そして王国近辺の魔物の動向が、異常だということを完結に話した。
「信じられないかもしれないけど、本当に王国の危機かもしれないんだ」
「大丈夫、信じるわ。魔物の異変については、騎士団からも報告が上がっているの」
デシールが思っている以上に状況は深刻なもので、王国近辺の異変に気付いている者は多く居た。
「それで?お願いっていうのは何?」
「僕は魔王と戦う。それには戦力が必要で、王国から兵士を貸りたいんだ」
ケイテの返事を待っていると、彼女は突然独り言を発した。
「やっとだわ……」
そして顔を上げた彼女は、目を潤ませながらも嬉しそうな表情をしていた。
「今のあなたは誰もが認める勇者になれるわ。知名度も実力もあるもの。王国の兵士なら私の権限で動かせるわ」
「じゃあ……!」
「ええ。兵士を貸してあげる」
デシールが想像している以上に交渉は上手くいった。
そう、上手くいき過ぎていたのだ。
「はぁやっとだわ……やっとあなたは勇者になるのね。……これで結婚できる」
ケイテが何気無く言ったその言葉が引っかかる。
「え……結婚?」
「魔王を倒して勇者の称号を得れば、王族と結婚できる。あなたはそのために戦ってきたんでしょ?」
ケイテは夢うつつといった感じで、目の焦点が外れている。
「ちょ、ちょっと待って。え?そうなの?」
「……もうとぼけなくていいのよ」
この時初めてその事実を知ったデシールは、この話の危険性に気付く。
そのため早く結論に持って行き、要件を終わらせようと試みた。
「と、とにかく! 兵士を貸してくれるってことで良いんだよね」
しかしケイテにとっては重要な話。そう簡単に切り上げるはずもない。
それどころか新たな凶器を突きつける。
「うーん。あ、そうだわ! 貸してもいいけど……一つ条件があるの」
「な、なにかな。僕にできることならいいんだけど」
「あなたが魔王を倒して勇者の称号を手に入れたら」
「ちょっと待っ……」
昨日もアニスから条件を提示された。それを思い出し悪寒が走る。
ケイテの言葉を中断させようと口を挟むが、彼女が止まることはなかった。
「私と結婚してちょうだい」
やってしまった。激しい後悔が感情を支配する。
「どうしたの? もしかしてデシールの方から言おうと思ってた?」
ケイテの純粋で的外れな問いは、デシールの心を蝕んだ。
彼女からの条件は、アニスと婚約をしているデシールには受け入れることができない。
「待って。魔王と戦うのは王国を守るためだよ。そんな個人的な条件は飲めない」
「どっちにしろ勇者になれば結婚するんだから一緒よ」
彼女は一貫して意見を曲げない。
しかしよく考えてみれば、この条件は断ったとしても問題はないのではと気付く。
そもそも危機的状況なのは王国で、どちらにせよ魔王とは戦うことになる。
そう思考を巡らせた結果婚約だけを断ろうと決めたが、念のため一つ確認することにした。
「もし僕が断ったら、どうなるの」
「分かるでしょ? 兵士は貸さないわ」
返ってきたのは、驚愕する答えだった。
彼女の優先順位は国の命運よりも、デシールとの婚約の方が上だったのだ。
「私はもう限界なの。あなたからの愛が欲しいだけなの」
ケイテは確信していた。デシールが自分と結婚するために勇者を目指しているのだと。
それでも彼から直接その話を聞いた訳ではないため、未だ不安があった。
(やばい……もし兵士を貸してもらえなかったら、多くの犠牲者が出るかもしれない)
ケイテが無意識に突きつけた人質は、あまりにも規模が巨大で断る選択肢が消え去った。
「わ、分かった……」
「何が分かったの? はっきり伝えて」
「分かった。魔王を倒して勇者になったら、君と結婚するよ」
守れない約束をする。ケイテの気持ちを利用した最悪の決断だった。
(戦いが終わったら、とにかく謝って婚約を取り消してもらおう)
そんなデシールの思いなど知らず、ケイテは幸福に浸っていた。
「あ……あぁ!やった!子供の頃からの夢が……やっと叶った!」
嬉しさのあまり、何度もデシールに口付けをするケイテ。
「これからはずっと一緒よ。もう一生離れないわ」
そんな彼女を見ていると、ますます自分への嫌悪感が強まっていく。
「さっそくお父様にこの事を報告しないと」
「ま、待って!このことはまだ秘密に……」
婚約が多くの人に知られれば、破棄することが難しくなる。
「そうね。急ぐ必要はないわよね。結婚するのに変わりはないんだし」
婚約が知れ渡るという事態は逃れたが、更なる波が押し寄せる。
「そうだわデシール、今日は王宮に泊まっていくでしょ?」
「いや、今日も用事があるから」
「私達夫婦になったのよ? もう何をしてもいいのよ」
こういう誘いは色々理由をつけて断ってきた。しかし今は、婚約者という立場が断りにくさを生み出していた。
「僕たちはまだ夫婦になってない。僕が魔王を倒せるとも限らないし」
「いいのよ。その時は色々理由をつけて、無理矢理にでも勇者の称号をあげるわ」
「それは駄目だよ……」
王族という権力を使い、横暴な発言をするケイテ。
夫婦という言葉が彼女から歯止めを奪っていた。
「私はこの日をずっと待っていたの。何も考えずにあなたと一つになりたいのよ……」
押し迫る彼女を止める方法が思い浮かばない。
ケイテと再会した日を思い出した。あの日は今と同じような状態から逃れることができた。
記憶を探ると、その時はケイテとキスをしていた。
過度なスキンシップで彼女を満足させれば、解放されるのではないかと思い付く。
「と、とにかく……今日はこれで我慢して」
そう言ってケイテを強く抱きしめた。
「ああ……素敵よデシール。でも全然足りないの……」
しかしこれは失敗だった。
「それどころか余計に私の体があなたを求めて……はぁはぁ……」
抱きしめたケイテの体が熱を帯び始め息が荒くなる。
そのままデシールの服のボタンに指をかけ外し始めた。
「ちょ、ちょっと! ここは人が来るかもしれないから!」
「だから何? 見せつけてやればいいのよ。私達はもう夫婦なんだから」
ケイテには、この日のうちにデシールを自分のものにするという確固たる意思があった。
その意思の前では、デシールの小手先の言い訳は一切通用しない。
「あんまり焦らさないで。いつかはするんだから今やっても一緒よ……」
結局彼女を止める決定打がなかった。
デシールはこの日、大きなミスをしていた。
先日、アニスと2人きりになるのを避けるため人の多い酒場を選んだ。それはこのような展開を避けるためだった。
しかし、よりにもよってケイテ相手に2人だけの状態で婚約をするという失態を犯した。
もう彼女を止めるものは何もない。そう思われたその時、何者かが扉を叩く。
「あのー……姫様少しいいですかね」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ブラッドの声だった。
「駄目よブラッド。下がりなさい」
「いえでも……デシールから魔王討伐の話を聞いておりまして。自分もそれに参加したいなーって……」
ブラッドには魔王について話していない。
彼はケイテの精神状態を知っていたため、話を扉越しに聞いていたのである。
そして状況を察知し、介入したのだ。
「そう。分かったから下がりなさい」
ケイテの声からは、明確な怒りが込められていた。
それでもブラッドは、わざと空気を読まずに話を続ける。
「いえいえ! 魔王が動き始めたなら、事は一刻を争います。詳しい話を彼から……」
「下がりなさいッ!!!」
更なる怒号が響き渡る。
あと少しで押し切れそうだった。その状況で割り込まれる苛立ちは凄まじかった。
しかしデシールからすれば大きな助け舟。これには乗らない理由がない。
「ケイテ、今は時間がないんだ。ブラッドは間違いなく戦力になる。彼と話さないと」
そう言って扉を開ける。
ブラッドはデシールの腕を掴み外へ引きずり出す。
「ってな訳でデシール借りてくんで」
ケイテが何かを言おうとしたが、その隙を与えず2人は早急に退散した。
「……」
残されたケイテはしばらく怒りが収まらずにいた。しかしデシールとの結婚について考えるうちに、それは薄れていった。