アニスとの婚約
__デシールはアニスと共に酒場へ来ていた。
真剣な話だからこそ、酒場の騒がしさが緊張を緩和させる。
水を差されないよう、食事が全て揃ったところで本題に入った。
「この前した話、覚えてる?」
「ああ。私の弟子を続けるかどうかという話だな」
「そうそう。その答えなんだけど、僕はアニスの弟子を卒業することにしたよ」
この話については、もうお互いが納得しているので簡潔に伝えた。
「そうか。晴れて卒業だな。君は本当に強くなった」
「今のままでも戦士はやっていけるし、なによりもう伸び代がない」
「分かった。私はもう師匠ではない。だが……それでも一緒に居てくれると君は言った」
デシールが夜空の下でそれを誓ったのは、彼女を一人の女性として愛していたからだった。
その気持ちを素直に伝えようと口を開く。
「うん。だから……えっと……王国だといろいろ大変だし、2人でどこか遠くで暮らさない?」
愛している。そう伝えるはずだったが、いざ口を開いてみると緊張に負けた。
結局は結論だけを伝えてしまい、自分の臆病さに嫌気が差す。
うなだれるデシールへ、アニスから予想外の返答が返ってきた。
「君も異変に気付いていたか……。だがいいのか?」
「え、なんのこと?」
話が噛み合っていないと気付き、冷静に言葉を拾い直す。
「ちょっと待って。異常に気付いたってどういうこと?」
「君も気付いたから王国を離れようと言い出したのかと思ったが……」
実はアニスの要件はこの話だった。
「この国で魔王と呼ばれている魔物を知っているか?」
突然出て来た魔王という単語。
頭が混乱しそうになる。
「うん。確か魔王というよりも、王国にとって不都合な魔物って感じだった気がする」
魔王と呼ばれている存在。
それは南の港町との境に住み着く悪魔のことだった。
港町では船を津たい貿易が行われている。その境に住み着いた強力な魔物は、王国にとって都合が悪かった。
「そうだ。その魔王が近日王国を襲撃する」
「え!? それ本当?」
「ああ、恐らくな。だから戦闘を避けるために、君が移住しようと言ったのかと思ったんだが」
普通なら鼻で笑い飛ばしてしまうような話だった。
しかしアニスは冗談を言う性格ではない。それに魔物だからこそ感じる異変もあった。
「いや全く気づかなかった……。どうして分かったの?」
アニスは水を一口飲んだ後、静かに告げた。
「それはな……この王国の人間が、私が思っていた以上に弱かったんだ」
彼女の回答は、質問と直結していない。
未だ内容に付いてこれていないデシールに、アニスは話を続ける。
「私は魔王を見たことがある。奴なら王国のひ弱な戦力を簡単に滅ぼせるだろうな」
「そんなに強いんだ……」
「だが王国は滅んでいない。それは全く相手にされていなかったからだ」
「なんで今になって魔王が攻めてくるの?」
またアニスが言葉に詰まる。
デシールのその質問への答えは、彼女にとってなんとも心苦しいものだった。
「えっとだな……非常に言いにくいんだが……。私達が強い魔物を倒し過ぎたのが理由なんだ」
それでようやく、アニスが結論を渋っていたのが理解できた。
要は自分達に原因があったのだ。
「え……! それで警戒されたってこと……?」
「……そうだ」
今まで魔王は王国を脅威と感じていなかった。
しかし自分を魔王と呼び忌み嫌う王国が、突然強い魔物を討伐し始めた。
これには魔王も、警戒せずにはいられない。
「すまない。私の責任だ。人間の弱さを理解していないにも関わらず、修行と称して魔物を倒し過ぎてしまった」
騒がしい酒場の中で、2人の空間だけが静寂に包まれているかのようだった。
デシールは言葉が見つからなかった。
「そもそもあの大蛇が、王国近辺に居たのが不自然だ。生息域が違う」
「もしかして戦力を調べるための偵察だったってこと?」
「ああ、近くに小さな魔物がうろちょろしていたからな。恐らくそうだろう」
偵察されている中でデシールは大蛇を手にかけてしまった。
これで魔王が本格的に動き出すかもしれない。
デシールは、頭を抱えて呻いた。
「どうしよう……。僕のせいじゃん」
自分が原因で魔王と王国が衝突するかもしれない。デシールには、その責任を放り投げることはできない。
「僕が魔王を倒すしかないよね」
「駄目だ。今の君では魔王には勝てない」
彼女が勝てないと言うのなら、間違いなく勝てないのだ。
そこで気付く。
アニスなら、魔王に勝てるのではないかと。
「……もしかしてアニスなら倒せる?」
「まぁ、私にとっては雑魚だな」
「だったら、アニスが倒してくれると助かるんだけど」
その提案に、彼女は本当に申し訳なさそうに返事をした。
「すまない。無責任なことを言っているのは分かるが、ドラゴンは人間の英雄にはなれない……。そしてあれと戦うには、少しドラゴンの姿に戻る必要があるんだ」
「そっかぁ……」
人間とドラゴンが手を組んだ歴史は存在する。
しかしドラゴンは人間にとって、あまりに都合が良過ぎる存在だった。そして人は利用することしか考えなくなった。
そんな歴史があるため、彼女は人間に深くは介入できない。
どうすべきか考えていると、デシールは一つの方法を閃いた。
「やっぱり僕が魔王と戦うしかないか」
「それは無理だと言ったはずだ」
「僕が負けそうになった時に、アニスが出てくればいいんだよ」
「……そうか。それなら君の使役するドラゴンが魔王を倒したように見えるな」
アニスが魔王を倒すことには変りはないが、英雄はアニスではなく、それを使役したデシールになる。
これなら色々な理由をつけて、アニス自身が人間に協力したのではないと言い訳できなくはない。
「ふふっ、まったく……自分のものになれとは、君も卑怯なことを言う男になったな」
「いや、そこまでは言ってないけど」
皮肉を言っているアニスだが、その提案には肯定的だった。
「これは契約だぞ?よって私から一つ、条件を提示させてもらう」
デシールは彼女の提示しようとしている条件から、いつものいやな予感がした。
「魔王を倒したら、私と……結婚してもらう」
「え!?」
心の準備ができていなかったデシールは、おかしな声を上げてしまった。
「い、嫌なのか……?」
勢いで条件を提示したアニスだったが、デシールのその反応を見て自信が薄れていった。
しかしデシールは元々、彼女の好意を受け止めるつもりでいた。
結婚は話が飛躍しすぎだと感じたが、王国の危機ということもあり、受け入れることにした。
「……分かった。戦いが終わったら、2人でのんびり暮らそう」
「いいのか!?」
「僕もアニスのこと好き……というか……あ、愛してる……かもしれないし……」
ぎこちなくなってしまったが、今日伝えようとしたことがようやく言えた。
「ほ、本当か!君は私を……愛していたのか!」
感極まったアニスが席を立ちデシールに抱きつこうとした。
「ちょっとストップ!他の人も居るから!」
「ならば早く帰ろう。ドラゴンも人に化けている間は、人と性行為ができると古い文献に書いてあったんだ」
「え、なにその文献こわい……」
息を荒げながらデシールの耳元で、淫靡に囁くアニス。
「だからそれを試してみようじゃないか。今夜2人で」
話し合いの場に酒場を選んで正解だった。
もしも今のアニスと自宅で2人きりだなんてことになったら、確実に襲われている。
「いやいやいやいや。魔王倒したらって話だから」
「は? なぜだ。私達は婚約したんだぞ。なんの問題もないはずだ!」
彼女の要望に一度答えてしまうと、延々と叶えなくてはならない。
魔王が攻めてくるかもしれない状態で、そんな時間はなかった。
「駄目だよ。魔王と戦うなら急いで準備しないと」
並の兵士では戦力にならない。王国に協力を求める必要があった。
「準備なら私も手伝おう」
「今回は僕一人で行くから……」
アニスは王宮へは立ち入り禁止になっている。
その上ケイテの一件があり、彼女に王宮へ行くとは告げられない。
「なんて言うか、魔王を倒すために必要な用事なんだよ」
「私達が結婚するのに必要なことなんだな……。よし、なら仕方がないか」
いつもなら食い下がるところだが、今のアニスは舞い上がっていてデシールを疑わなかった。