女の戦い
__普段はデシール1人で王宮を訪ねるが、今回はブラッドとアニスも同行している。
面会用の部屋に入ると、ケイテが待っていた。
この時アニスは初めてケイテを見た。
そこで彼女は悟った。王宮から帰ってきたデシールに毎回染み付いていた雌の匂いは、目の前の女のものだと。
「よく来たわねデシール。それとブラッドと……誰かしら」
その質問にはブラッドが答える。
「はっ、彼女はアニスと言います。俺より強かったので、王国で雇えないかと思い連れて来ました」
「そう。ご苦労様」
ブラッドよりも強い。それがどれほど重要な情報かはケイテにも分かっていたが、今はただデシールと話したかったので深くは聞かなかった。
「あの姫様。なんで姫様がここに?」
あまり人前に顔を出さないケイテが、客人と面会する場所に堂々と立っている。
ブラッドはそのことに違和感を感じた。
「デシールの依頼は私が担当しているの」
「なんでまた」
「それはね……」
赤らめた頬や仕草。
こういう時の彼女はろくなことを言わないとデシールには分かっていたので、話を強引に変えた。
「あーあー!それよりも!依頼を達成したから報告したいんだけど」
「そうね。早いところ終わらせましょう」
ケイテは依頼書に目を通し、魔物を倒したという証拠を確認した。
「凄いわ。他の戦士がかなり苦戦した依頼だったのよ」
ケイテは、デシールが勇者を目指しているのだと未だ勘違いしている。
その目標に向け、彼はどんどん強くなる。それを間近で感じられることにケイテは歓喜していた。
「はい終わり、これが報酬よ。そちらの女性はブラッドの判断に任せるわ」
デシールへの対応と違い、なんとも適当だった。
その対応にブラッドは、王国騎士団の人事として不安を感じざるを得ない。
「え、いや国王様からの許可はなくていいんですか?」
「いいから今日は終わり。みんな帰って良いわよ」
せかすように解散を命じる。
「あ、デシールには話があるから残ってね」
早急な解散は、早くデシールと2人きりになりたいがためだった。
そのあまりに不自然な対応に、デシールは焦りを感じる。
単なる戦士風情が、王族である彼女と親密である。
そんな疑いが持たれれば、王宮に不信を生んでしまう。
「いや、今日は帰ることにするよ」
「いいから。デシールは残って」
それでもケイテは意見を曲げようとしない。
デシールの心情を知ってか知らずか、アニスが声を掛ける。
「おいデシール、帰るぞ」
「うん。あのケイテ姫、僕は用事があるから……」
アニスとデシールが知り合いである。それをケイテはそのやりとりを見て初めて気付いた。
その場の空気が一気に凍りつく。
「駄目よ。残りなさい」
そう言ったケイテの声には怒りが込められていた。
そんなことなど気にせず、アニスがケイテの前に立ちはだかる。
「すまないが彼は、この後私と約束がある」
そう言ってアニスはデシールの腰に手を置いた。
その光景を見たケイテは、少し俯き呟いた。
「……なんなのこいつ」
小さな声だったが、静かな部屋に響き渡った。
聞き間違えかと思いケイテの方に振り向くデシール。
するともう一度、ケイテの声が聞こえた。今度ははっきりと。
「この馴れ馴れしい女はなんなの」
ケイテの体が怒りで震えている。
彼女をこれ以上刺激してはいけないと思い慎重に言葉を選ぶ。
どう説明するか考えていると、アニスが先に言葉を発した。
「私はアニスだ。デシールとは……」
「あなたには聞いてない……! ねぇデシール、こいつなんなの?」
ケイテはアニスの話など聞きたくもないと言う剣幕で、言葉をさえぎった。
デシールはアニスの説明を考える。
彼女がドラゴンだと正直に答える訳にはいかず、適当な答えをでっち上げた。
「えーっと……。彼女は師匠の娘で」
ふと、以前ケイテから若い女性の知り合いは居ないかと聞かれたのを思い出す。
その時は居ないと答えてしまったので、苦し紛れに補足を入れる。
「あと最近知り合った」
人にドラゴンだと知られてはいけない。それはアニスにとっても共通の認識なので、デシールの嘘に彼女は何も言わない。
「そう……。でもそんなことを聞いてるんじゃないの。彼女との関係を聞いているの」
「それは……」
再びどう話そうか言葉を選んでいると、またもアニスが口を挟んだ。
「私達は同居している」
デシールの思いとは裏腹に、アニスは何も隠さずただ事実を伝えた。
「ちょ、ちょっと……!アニス!」
「……同居」
ケイテは再び下を向きぶつぶつと呟く。
「なにそれ。私が居ないところでなにしてるの……!」
「何をそんなに怒っている。デシールがどうしていようが彼の勝手だろう」
アニスとケイテ。
2人はお互いの情報をデシールから聞きたい。
一見同じに聞こえる目的は、交わることなくぶつかり合う。
「あなたには聞いてないって言ったでしょう。デシール、こっちへ来て。詳しい話が聞きたいわ……2人きりで」
「話にならないな。帰るぞデシール」
アニスはデシールの腕を掴み、強引に連れ帰ろうとする。
それを見たケイテの表情に影が落ちた。
憎悪に近い感情が彼女の心に満ちてゆく。
「……っ! デシールに触らないで!! その人は、あなたごとぎが触れて良い存在じゃないの! 消えて消えて!……消えろよ!!!」
その怒号は部屋中に響き渡り、そこに居る誰もが耳を疑った。
あまりに取り乱しているため、デシールはケイテを優先し、ここに残ることにした。
「ごめんアニス。少し話すだけだから、先に帰ってて」
納得できない。そんな表情をしているアニス。後で事情を話すと伝え、なんとか王宮を出てもらうことにした。
立ち去ろうとするブラッドにケイテが通告する。
「ブラッド。さっきの話はなしよ。そこの女は金輪際ここを立ち入り禁止とするわ」
「……わかりました」
__王宮を出た瞬間、ブラッドの緊張は途切れ肩を落とす。
「おっかねー……。姫さんって誰にでも優しいイメージだったけどなー」
普段は優しいお姫様だと説明するブラッド。
しかし、アニスには届かない。
「デシールがあんな狂った奴と会っていたとは思わなかった……」
ケイテ同様、アニスの表情もまた怒りに満ちていた。
「はぁ……こっちもおっかねぇわ……」
__客室に移動し、小さなソファで隣り合って座る。
ケイテの興奮はまだ治まらない。
「デシール、説明して」
「アニスのことはさっき話したとおりだよ」
少し黙った後、ケイテはデシールの手を強く握りしめた。
そして顔を覗き込み、じっと目を見つめる。
「……まさかあの女と浮気なんてしてないわよね」
その質問は、デシールを簡単に錯乱させた。
そもそもケイテと恋仲になっていないので、浮気も何もない。デシールはどう答えたら良いか分からなかった。
「な、なにもしてないって! 僕は師匠の元で修行してるだけだし」
「そう。あの女の妄想なのね」
そう自分の中で納得したケイテは、少し落ち着きを取り戻していた。
しかし彼女の怒りは、まだ治っていなかった。
「どうしてそんなに怒ってるの? なにか気に障ったなら謝るよ」
「デシール……あなたは何も悪くないのよ」
いつものケイテの表情。
うっとりとした顔で、デシールだけを見つめる。
「やっぱりあなたに平民は無理よ。素敵過ぎて変な虫が寄って来るもの」
「変な虫って……」
「ねぇ、ここで一緒に暮らさない?」
「無理だって。王族と一緒に暮らすなんてできない」
彼女の提案は何一つ許容できなかった。
「でも外は危険がいっぱいだわ。客室を用意するから……いや駄目ね。私の部屋が安全だわ」
「聞いて。僕はここでは暮らせない」
「大丈夫よ。不安なら24時間見ててあげる。あなたには誰も寄せ付けないわ」
そんな監禁まがいなことを、ケイテは嬉しそうに、そして真剣に語る。
「ああ、それだとお風呂も一緒に入らないと……。そうなったら多分私の理性は持たないけどいいわよね」
徐々に接近してくるケイテ。
エスカレートしていく彼女の囁きを、強引に打ち切った。
「だから僕はここには居られないんだって!」
「駄目よ。もう無理だから。あなたと離れるのも、あなたがどこで何をしているのか分からないのも」
ケイテのデシールに対する執着は、会う度に強くなっている。
デシールはそのことに気が付いていた。
しかし幼い頃から仲の良かった彼女からの好意は、素直に嬉しかった。
そしてそれがこの状況を招いてしまった。
(もう終わりにした方がいいよね……)
「ケイテごめん。やっぱり僕達は、再開するべきじゃなかった」
デシールはそっとケイテの体に触れる。
アニスとの修行中、彼はゆっくりと意識を失ったことがあった。
その時に知った急所を素早く突いた。
「ケイテ、今までありがとう。楽しかったよ。……さようなら」
「え。何を言って……」
その瞬間、体から力が抜ける。
「待って!……か、体が……!……なんでっ」
立ち上がるデシールを止めようとも、体が言うことを聞かない。
「きっと疲れてるんだよ。少し休んだ方が良い」
ケイテは疲れてなどいないし、体が動かないのは明らかに不自然だった。
デシールが何かしたのだと分かった彼女は、ここで彼を返してはいけないとも感じた。
「い、嫌……。待って……待って!!……ぁぁ……ああああああああああああああ!!」
本来すぐにでも意識を失うはずだった。
しかし部屋を出て行くデシールを、彼女の瞳は捕らえていた。
なにかを呻きながら、じっと見ていた。
__淡い夢の中。
白いタキシードを着たデシールの隣に、ウェディングドレスを着たケイテが居た。
勇者の称号を得たデシールは、ついに彼女を花嫁として迎え入れたのだ。
多くの国民が祝福する華やかな結婚式。
そんな幸せな夢だった。
しかし夢は覚める。
まぶたを開くと、そこにデシールの姿はない。
「デシール……」
まるでケイテを拒絶するように、彼は王宮を立ち去った。
その理由が全く分からない。
涙で視界がぼやけると、ふと先ほどの夢を思い出す。
(そういえば私達も、結婚を考える年齢になったのね……)
結婚、その言葉に引っかかる。
自分と結婚するために勇者を目指してる彼が、自分を無意味に遠ざけるだろうか。
そう考えたケイテは、一つの答えに達した。
結婚できる歳になっても、勇者の称号を得ていないことにデシールは焦りを感じているのではないかと。
(デシールはそこまで将来のことを考えていたのね。それなのに私ったら目先のことばかり……)
そうと分かった彼女は、愛しいデシールに会えないことを甘んじて受け入れた。
そしてこれからはデシールが早く勇者になれるよう、王族の権限を使い手を回そうと決めた。