社長・櫻居司
Ts2の本社ビルは、予想と全く違っていた。
大雅が顔を知っているスタッフにも、誰一人として出会わなかった。
(来たらすぐ社長が出て来ると思ってたのに。このままだと、普通にプレイ出来ちゃいそうなんだけど。いいのかなー? 訊いた方がいいかなー?)
キョロキョロ部屋の中を見回していると、スタッフがさりげなく声を掛けてくれる。
「お客様は――Cの五番、ここですね」
「あ――ありがとうございます」
ブースまで案内してくれたのは、やはり女性スタッフである。身分証カードの名前は七海さん。
(……まさか、兄ちゃんの趣味だったりしないよね? 少しでも女の人にモテたくて――とか。まさかね?)
違うとは思いつつ、強面の所為か浮いた話を聞かない兄に、大雅はほんの少しだけ疑ってしまう。
「そのモニターで、機械の使い方やゲームの流れなどご確認いただけます。お荷物はモニターの下の棚へどうぞ」
そう言われてブースの中に入った。
「わー、すっげー。これでやるんだー」
ブースの中には一台ずつ、大きな薄型モニターと、頭がすっぽり隠れる遮蔽カバーのような物が付いたリクライニングシートが置かれていた。
何本ものケーブルが伸びていて、ガラス張りの窓の下半分を埋めている細長いボックスに繋がっている。
「入場証をモニター脇の機械に差し込んでいただくと、連動して棚の扉が閉まります。ゲーム中は差しっ放しにしていただきますので、扉が開く心配はございません。お手洗いなどでブースを離れる場合は、入場証と荷物もお持ちになるか、私に一言お声をお掛け下さい」
七海さんがモニターの横の機械を指し示す。
頷きながら「解りました」と返事をした大雅は、ボディーバッグを棚に入れ、入場証を機械のスロットに差し込んだ。
「……にゃあ~~?」
受付の時とは違って、語尾が不安定に揺れた鳴き声がした。棚も開きっ放しだ。
「――あら?」
目を丸くした七海さんが、機械の側にすっ飛んで来る。
入場証を取り出して、もう一度ゆっくり差し込んでみたが、やはり「にゃあ~~?」と揺れた音しか出ない。
「もうすぐゲームの開始時間なのに、困ったわ……」
七海さんが「どうしましょう」と言わんばかりの顔になった。
「もしかして、故障ですか?」
「え、ええと……ごめんなさい、判らないわ。この仕事四日目だけど、こんな音初めて聞いたのよ。どうしたらいいのかしら?」
「誰か機械に詳しい人――Ts2の人に訊けるといいんですけど」
「そうよね……でも私、Ts2の機械担当の人に会った事無いのよ」
「えーっと……テスト終了後にデータ取りに来る人とか、そうでなきゃ、イケメンでスーツの人とか?」
「あ――あのスーツの人、そうなの? あの人なら、いつも隣の部屋に居るけど。スタッフの部屋でも無いし、ビルの管理人さんかと思ってたわ」
(え――? 社長かと思ったのに、違ったかな……?)
一抹の不安を覚えた大雅を後目に、七海さんが小走りに部屋を飛び出して行く。
そして、すぐに戻って来た。
「あの、こっちの機械なんですけど……」
「どれどれ?」
ブースの外から聞こえた声は、大雅にはすごく聞き覚えがある声だった。
***************
「やあ、君がここを使う予定のプレイヤーさんか。ごめんね、少し見せてくれるかな?」
他人行儀な口調だが、目は思いっ切り笑っている。
背が高くてスーツが似合ってハンサムで、機械に強くて頭も良くて、いつも紳士的な態度を忘れない、虎之介の親友にして唯一のボス――。
(――やっぱ社長じゃん。隣の部屋で何やってんだろ。兄ちゃん、知ってんのかな?)
大雅の変な表情に気付くと、有限会社Ts2の代表取締役・櫻居司は、微笑って人差し指を唇に当てた。
「大丈夫、心配しないで。ここまで来てもらったのに、ゲームさせないまま帰したりしないから」
(黙って知らないフリしろってコトね。了解)
大雅は無言で頷いた。
開いたままの棚からボディーバッグを引っ張り出し、壁際に退いて場所を譲る。
「ありがとう。ちょっと待っててね」
優しい声で囁いた司が、大雅の入場証をもう一度機械に差し込む。
「にゃっ――……」
ブツッと鳴き声が途絶えた。
「ありゃ」
「まあ」
「えー?」
何だ何だと、他のブースからも人が出て来る。
「参ったね。完全に故障したみたいだよ」
「え――それじゃ、この子はゲーム出来ないんですか?」
大雅よりも七海さんの方が泣きそうな顔で、司を見た。
司は困った顔で、モニターやシートのケーブル接続を覗き込む。
「カードがダメなら出来ないけど、こっちの機械の故障だと思うから、違う機械で出来るハズだよ。受付では問題無かったんだよね?」
そう言われても、大雅には何を以て問題があると言えるのか、判断が付かなかった。
仕方がないので、
「……『にゃ~』って鳴いてましたけど?」
一生懸命鳴き声を思い出してマネすると、その場に居た全員が目を点にして大雅を見た。
「それじゃ、ここではどんな鳴き方だったのかな?」
笑いを堪えている口調で司が訊く。
大雅はもう一度思い出して、
「えっと……『にゃあ~~?』です」
「お~!」
今度はパチパチと拍手が起こった。他のブースにも音は聞こえていたらしい。
真っ赤になった大雅は、顔を隠すようにボディーバッグを抱え込んだ。
にっこり微笑った司が、大雅の肩にポンと手を置く。
「やっぱり、カードは問題無さそうだよ。それじゃ、空いてる機械を探しに行こうか」
司は入場証を取り出すと、大雅を促して歩き出した。
「良かったわね」
「鳴き真似上手だったぞ」
「可愛かったわ」
「ゲームでまた会おうな」
次々掛けられる声に頷くのが精一杯で、大雅は真っ赤な顔のまま、猫の部屋の外に出る。
「本当、一時はどうなる事かと思ったけど、ゲームが出来そうで良かったわ」
ドアの前で、七海さんが心底ホッとしたように呟いた。
大雅は慌てて振り返り、七海さんに向かって深々とお辞儀をする。
「お世話になりました」
「いいえ。何にも出来なくてごめんね。ゲーム、楽しんで来て」
「はい!」
七海さんに見送られ、大雅は司と一緒に空いているシートを探しに出た。
「やっぱり来てくれたね、ヒロ。待ってたんだよ」
歩きながら、どう見ても笑いを堪えている表情の司が小声で言った。
大雅はまた赤くなって、プウと頬を膨らませる。
「ごめん、ごめん。あの鳴きマネ、あんまり可愛かったから、つい」
「だって――! あんなの、問題あるか無いか判んないじゃんか。鳴き声になってるのが、そもそもおかしく思えるのに!」
「そうだよね。ごめん、ごめん」
司が笑いながらポンポンと大雅の頭を叩いた。柑橘系の涼しげな匂いが鼻をくすぐる。
「あんまり遅いから心配してたんだ。もしかして、虎之介に通知取り上げられたんじゃないかって」
「兄ちゃん、当選するハズ無いって言ってたよ。でも、社長がサポートスタッフとして呼び出したんなら、あり得るって」
「あ――そうだね、スタッフ用の機械なら予備があるはずだ。それにしよう」
司は方向を変えると、弾むような足取りで歩き始めた。
「ちょっと、ツー兄!」
大雅はコンパスの違う司に追い付こうと、小走りになって後を追う。
「――ねぇ。僕が言ったコト、聞いてる?」
「うん、聞いてるよ。やっぱり〈社長〉より〈ツー兄〉の方が好きだなぁ。ヒロに呼ばれる時は」
「そんなコトは訊いてないんだけど!」
大雅が思わず呼んだツー兄には、〈ツカサ兄〉と〈二人目の兄〉という二つの意味が掛かっていた。
最初に呼ばせたのは虎之介だが、その虎之介自身は〈トラ兄〉も〈ワン兄〉も却下して、ただの〈兄ちゃん〉でしか返事をしない。
「虎之介には〈社長〉って呼ばれる方が、断然いいよね。偉そうだし」
「だから、訊いてないってば!」
司がイタズラ小僧のような目で大雅を見下ろし、「ふふっ」と笑う。
「ヒロは、僕にとっても自慢の弟なんだよ」
「え――?」
唐突に言われ、大雅は目を丸くして司を見上げる。
「トラの代わりにずっと面倒見てたからねぇ。小学校の時なんか、トラより僕と居た時間の方が多いでしょ?」
「……うん」
懐かしそうに目を細めていた司は、大雅の頭にポンと手を乗せた。
「だからね。トラが何と言おうと、ヒロにもレアリーズのモニターをしてもらいたかったんだ。最初で最後の僕のワガママ。誰にも邪魔させないよ、これだけは」
「ツー兄……?」
「さて、スタッフ用の部屋に到着したよ。もうゲーム始まる頃だから、なるべく静かに行こうね」
いつも通りに優しく微笑んだ司の表情が、なぜか初めて見る顔に思え、大雅は不意に虎之介の声が聞きたくて聞きたくて仕方が無くなった。
***************
司が連れて来てくれたサポートスタッフ用の部屋には、空いているリクライニングシートが二つあった。
半分寝ている状態でゲームに接続すると言われ、大雅はドキドキしながらシートに寝転がる。
スタッフに対して司がずっと知らないフリを通している事は気になったが、そもそも身内のモニター当選が有り得ない以上、そうするしか無いのだろうと考えて納得した。
司の手によってケーブル付きのバンドが頭と両手足に巻かれ、耳を完全に覆うようにヘッドホンを着けられる。
「……これからいよいよ、君のレアリーズが始まるよ。勿論、プレイヤーとしてのね」
最後の起動スイッチを入れる直前、ヘッドホンの片耳をずらして、司がそっと囁いた。
「スタッフじゃなくて、普通にプレイヤーでいいの?」
「当然。その為に呼んだんだよ。ただ、ゲームが始まったら、僕はもう一緒に居てあげられないけど……。一人でも大丈夫だよね、ヒロ?」
他の誰にも聞こえないほどの、低くて小さい囁き声。
その声はなぜか、大雅に小学校の頃の放課後を思い出させた。司が自分の家に帰り、虎之介が最寄り駅から帰宅するまでのほんの短い時間――だけど、寂しさと心細さが極限にまで膨らんだ時間――。
「ツー兄、行っちゃイヤだ!」
大雅はとっさに、司の腕を掴んでいた。
「ヒロ……もう中学生だろ。大丈夫だよね?」
もう一度、司の声が繰り返した。
抑えた声で、もう一度。
「……一人でも大丈夫だね、ヒロ?」
そっと大雅の指を外す。
いつの間にかゲームの起動スイッチが入っていて、ヘッドホンから静かな曲調の音楽が流れ始めていた。
「……うん。大丈夫」
(Ts2のゲームをしている間は大丈夫。寂しくならないし、心細くも無い。兄ちゃんと居るのと一緒だから……)
不安になった理由は判らないが、ゲームが始まったら大丈夫だと解っていた。
――これは虎之介が作ったゲームだから。傍に居なくても、一緒に居るのと同じだよ――
司がそう言ってくれた、その時以来。
シートの頭の遮蔽カバーがそっと揺れる。
「ツー兄、ありがとう……」
その言葉は、水が溢れるように自然に口から出たものだった。
一度立ち止まった気配が、ゆっくりと離れて行く。もうためらわず、止まらず、ゆっくりと静かに――。
ヘッドホンを着け直した直後、遮蔽カバーの内側全体が星空になった。まるで、宇宙空間に一人で放り出されたような映像だ。
(わっ、宇宙――あれ? え?)
光っている星は、正面を基点にゆっくり回っていた。すぐに上下の感覚も判らなくなる。
(目が回る――!?)
グルグル回りながら流れて行く星の光に引きずられ、大雅の意識は闇色の空間に吸い込まれるように落ちて行った。