始まりの報せ②
大雅が玄関に着くと、今にも倒れ込みそうな危ういバランスでハイカットの靴を脱いでいる人影があった。
見覚えのあるカジュアルなジャケット姿は、兄の三条虎之介だ。
大雅と一周り違うこの兄は、どんな服でも、普通に着るだけでラフなスタイルに見せる特殊技能を持っている。学生時代は風紀担当に目を付けられていた為、制服やスーツには今でも苦手意識があるらしい。
今時珍しい古風な名前は、大阪出身でも無いのにプロ野球のタイガースが大好きだった祖父によって付けられた。F1ファンの父親も喜んだが、本人は結局、どちらも全然関係ない分野を選んで進んでいる。
「わっ、とっ――いてっ!」
ようやく靴が脱げた瞬間に虎之介のバランスが崩れ、ドアの方を向くように尻餅を着いた。
「兄ちゃんお帰り。今日は早く帰れるかもって言ってたのに、遅かったね」
「あ~、ただいま、ヒロ。ちょっと予定外の事態が起きてな。だ~、マジ疲れた~!」
上がりがまちに座り込んだ虎之介は、手足を伸ばしながらごろんと床に仰向いた。
(掃除しといてよかったぁ……)
内心で呟いた大雅を、逆さのままで見上げて来る。
「ヒロ、飯は食ったか?」
「うん。昨日の煮物がまだあったから、あと魚焼いてナメコの味噌汁作った。兄ちゃんの分、残してあるけど?」
「要らねぇ。明日食う。とにかく眠い」
本当に眠そうで、みるみる瞼が閉じて行く。大雅は慌てて虎之介の腕を引っ張った。
「ここで寝ちゃダメだよ。ベッドまで頑張って!」
「ん~……だな」
背の高い虎之介はヒョロッとして見えるが意外に重く、大雅の力では起こせない。それを解っている虎之介が、大欠伸をしつつ自分で立ち上がる。
フラフラと向かった先は、ベッドではなく洗面所。大雅がうがいと手洗いを忘れないのは、兄の影響が大きかった。
手を洗っている虎之介が、閉じそうな瞼を無理矢理開けて大雅を見る。
「ヒロ、今日は何してた? 学校の後」
「今日は玄関とリビングと台所掃除した。兄ちゃん待ってたけど、帰って来ないから先に夕飯食べて、さっきまでFiFやってた」
大雅は素直に今日の出来事を報告した。このやり取りは二人暮らしになってからの日課で、普段は夕食を食べながら行われている。
虎之介が、少し時間が経った後で驚いた顔をした。
「お前、まだアレやってんのか。レベル、幾つだ?」
「僕とルイは三十八で、アイリとユウアは三十九。他のみんなは、大体三十七くらい」
「……確かアレ、MAXレベル四十だろ。そろそろ、つまんねぇんじゃねぇか? 他のやったらどうなんだよ」
「ん~。なんか他のじゃイヤだって、ユウアたちが。チャットで話してるだけでも楽しいし、キャラの動きも面白いから、当分FiFやってるかも。レアリーズ完成するまでは」
「そっか。オレも早く完成させてぇんだけどなぁ……」
再び、虎之介が大欠伸をする。
「あ、それから試してたゴーグルのヤツね。キャラ視点で面白いんだけど、ちょっと見にくいよ。キャラと連動してるから、視界の調節がすごく難しいんだ。自分の頭動かしても見える範囲変わらないし、でもつい動かしちゃうし。音声チャットのゲームじゃないと、チャットウインドーの分も見えにくくなるし」
「……ん~?」
虎之介が、うがいをしている手を止めた。
「ヤベェ、超眠くて頭に入って来ねぇ……。今の、明日の内にメールしてくれ。担当に伝えとく。朝も、多分聞いてる時間無ぇし」
「兄ちゃん、明日また早いの? 何時?」
「あ~……七時には着いてねぇと、かなぁ」
「じゃあ六時くらいでいい?」
「……ああ。その辺りで頼む」
大雅が寝室の目覚ましをセットしていると、歯ブラシを手にした虎之介が洗面所から出て来た。
「悪いな、ヒロ。多分、明日から当分帰って来れねぇや。しばらくヒロミちゃんたちに泊まってもらうから、あんま世話焼かすんじゃねぇぞ」
「うん、解った……」
しょんぼりしてしまった大雅の頭に、虎之介の大きくて骨張った手がポンと乗せられる。
「冷たっ――兄ちゃん、手ぇ拭いてよっ!」
慌ててタオルを押し付ける大雅を半眼で見下ろして、虎之介がニシシとイタズラ小僧のように笑った。
「……そうだ!」
寝室に向かう虎之介の背中を見ていて、大雅は大事な事を思い出した。
「ちょっと待って、兄ちゃん。僕宛てにモニターの当選通知が来たんだけど、行ってもいいの?」
シャツの裾を掴むと、虎之介が今にも眠りそうな顔でゆっくり振り向く。
「は……? 何のモニター? お前、何かに応募してたのか?」
「レアリーズのモニターだよ。テストプレイ、本社ビルでやるんでしょ。違うの?」
すでに半分夢の中なのか、意味が通じていない様子で首をひねる虎之介。
「本社でやるが……何でお前が知ってんだ?」
「だから、僕宛てに当選通知が来たんだってば!」
「……んなの、行く訳無ぇだろ。プログラム関係は勿論、広報スタッフの身内まで対象から外せって言っといたぜ。メインプログラマーの弟が当選なんて、おかしいだろ。有り得ねぇよ」
「じゃあ何かの手違い?」
「だろな……」
大欠伸をしてから、虎之介はふっと顔を上げた。
「あ……もしかして、サポートスタッフか?」
「サポートスタッフ?」
「当日、ゲーム内でサポートしてもらうスタッフだよ。テストプレイだけに、どんなトラブルが起きるか判んねぇから……今までやった事の無いシステムだし……」
また欠伸。
相当眠いのか、虎之介の欠伸の間隔がどんどん短くなっている気がする。
「モニターじゃなくても、レアリーズ出来るの? いいな~」
羨ましそうに大雅が言うと、虎之介はゆっくり頭を振った。
「サポートは、ゲーム内に居てもプレイ禁止だ。プレイヤーの快適プレイの為に、動いてもらう。当然、オンラインゲームに慣れてるヤツの方がいいが、自分もプレイしたくなっちまうのは困る。だから、バイトには頼みづれぇって、言ってたなぁ、社長……」
「そうなの?」
返事の代わりに大欠伸。
「ヒロ駆り出すのに、通知流用なら、充分有り得るわ。社長、そーゆーサプライズ系、好きだからなぁ……タチの悪い、ドッキリみたいなヤツでも……」
「……うん、確かに」
大雅は、古くからの知り合いでもあるTs2の社長の言動を思い浮かべた。
「社長に、確認……サポートなら……問題…………」
虎之介の身体が大きく揺れ始め、呟くような言葉も不明瞭になって来た。瞼を開けているのも限界らしく、殆ど閉じ掛けている。
「解った。兄ちゃん、ありがと。おやすみ」
「ヒロ……適当に…………お休み……」
「うん、解ってるー」
よろけるように、虎之介は寝室へと消えて行った。
***************
モニターの前に戻ると、三人はクエストに行かないで、そのまま喋っていたようだった。
(……何話してたのかな?)
大雅はヘッドセットを着けながら、結構な長さのチャットログを読み流す。
――ルイに言っとくケド。タイガんちでは勝手に写真とか動画撮ったらダメだかんね。絶対、トラちゃんに許可取ってからだよ!
――あと、お兄さんが作ってる途中のゲームに関して、外では絶対に言わない事。言ったら即出入り禁止よ。推測されそうな事もダメ
――げー、そんなにウルサイのかよ。メンドクセー。これだから天才ってのは理解できねーよなー
(それ、天才は関係ないと思うんだけど……?)
心の中でそっとツッコミを入れる。
――そう言えばトラちゃん、天才プログラマーって呼ばれるの大っキライだよね
――そうね。好きでプログラム作ってるんじゃない、これしか出来ないからやってるんだーって、昔お酒飲んでグチってたわ
――そーそー、言ってた言ってた。天才も禁止!
(うわぁ……。子供は耳に入ったコトを何の気無しに憶えてるからコワイ――って兄ちゃんが言ってたけど。ホントによく憶えてるなぁ、二人とも。僕も気を付けよ)
少女二人が妙なところで発揮している記憶力に、大雅は心の中で虎之介の苦労を偲ぶ。
――なんだよもう! ちょっとぐらい、ダイジョブだろ?
――天才はともかく、情報が漏れるような事は絶対ダメ。うっかりミスでも許さないわよ
――今ユウアがちゃんと言ったんだから、後で知らなかったって言っても通用しないかんね
――わざわざそこまで言わなくたって、そんなコトするヤツいねーって!
――それが居たから言ってるのよ
――昔一度、大変なコトになったから言ってんの!
――大変なコト?
――うちの小学校と近所の商店街では、今も語り種になってるわ
――だから絶対気をつけるコト!
――へーい
(やっぱり、二人とも憶えてるんだ。僕も忘れられないけど……)
大雅は、氷の溶けた黒っぽい液体入りのマグカップを口に運んだ。
(――ぅわ、まだ苦っ。ヤカン、放置し過ぎたなぁ……)
コーラにも見えるその液体は、煎った麦の香りがしていた。
***************
「ただいまー」
片手を挙げて発言すると、三人は同じように片手を挙げて、三者三様の『お帰り』で迎えてくれた。
『待ってたぜ、タイガ。ユウアがちょっとクエスト行きたいんだってさ。いいよな?』
『作りたい装備があるんだけど、アイテム足りなくて』
『カッキーたちがレベル追いつくまで待てって言ったっしょ。経験値頭割りだから、一人でも多い方がレベル上がんないですむじゃん?』
「そうだね。いいよ」
全員でクエスト選択ロビーへ向かいながら、ざっと装備を確認する。物理攻撃力の高いアイリとルイが居るので、タイガとユウアはどのクエストでも後方支援だけで済みそうだった。
『おれは雑魚とかメンドーだから、デカいの一匹だけ出て来るヤツがいいんだけどなー』
『だから、それだと元が大きいからダメだってば』
「ユウアは何が欲しいの?」
『亀の甲羅苔。装備の色替えには必須らしいの』
クエストを見ていたらしいユウアが、コクンと首を傾げた。
『中級四つ星クエストの、大亀二匹討伐はどう?』
「大亀って。中型なのに大型モンスター並に固くて、魔法使わないとすっげーめんどくさいヤツだよね?」
モンスター情報を探しながら言うと、アイリが大きく肯いてくれる。
『小型も群れで襲って来るから、更にメンドくさいよネ』
『だからあんまりやらなくて、素材も少ないってワケ』
『でも今だと、魔法無しでガチンコ勝負出来んじゃね?』
ユウアが肩をすくめた横で、ルイが大きくガッツポーズをした。
「そっか。アイリとルイは物理攻撃高いもんね」
タイガがポンと掌を打つと、ルイは胸を張り、アイリはモジモジと照れるポーズをする。
『MAXだぜ。任せろ』
『でもメンドくさくなったら、タイガにビシッと魔法使ってもらっていい?』
「いいよ」
『じゃあソレに決まりね。手続きしてくるわ』
リーダーのユウアが代表してクエストを請け、四人は目的地の拠点に繋がるワープゾーンへ飛び込んだ。
***************
今回のターゲットの大亀の巣は、沼地の奥に在った。
四人は、鳥や虫の姿をした雑魚モンスターの群れを斬り伏せつつ、チャットの会話を続けながら進んで行く。
『さっきの、トラちゃんだった?』
「うん。すっごい疲れてて、もう寝ちゃった」
『そんなに疲れてるの?』
『レアリーズ大変なのカナ?』
「予定外の事態が起きたって言ってた。詳しいコトは知らないけど、明日からしばらく帰って来れないって」
『ありゃ』
『結構大変な事になってるみたいね。お兄さん、大丈夫かしら?』
『大人なんだからダイジョブだろ』
誰かの発言が終わるたび、目に見えてモンスターの数が減って行く。
主に、アイリの双拳とルイの両手剣が猛威を振るっていた。取りこぼしをユウアの弓が射抜き、タイガは時々補助魔法を唱える程度で、比較的楽な行程だ。
『多分だいじょぶっしょ。トラちゃん、意外と体育会系だからネ』
『昔、空手やってたんだっけ。基礎体力はありそうね』
『そーなのかよ? 意外ー!』
「よく言われるけど、本人見たらプログラマーのが意外って思うかもよ。天然の茶髪だし。面倒だからって短くしてるし。革ジャンとグラサンがハンパじゃなく似合っちゃうし」
『なんか、バイクがチョー似合いそうだな。あと、スプレーで書いた漢字のバラ』
『最初思った!』
『わたしも。でもお兄さんには内緒ね』
「だから兄ちゃん、絶対バイク乗らないんだ。画数の多い漢字も、意地でも覚えないって言い張ってる」
『そりゃーねー。ちょっとナットク』
『確かに、その方が無難よね』
『タイガんちのアニキって、オモシロイな』
群れのリーダーを追い掛け回していたルイが、二匹を連続コンボで吹っ飛ばしてガッツポーズを決めた。
リーダーを失って右往左往している群れにアイリが飛び込み、文字通り蹴散らす。ほんの少し体力が残ったモンスターを、ユウアが次々射抜く。最後っ屁のような毒ガス攻撃は、直接コマンドを打ち込む事で詠唱時間を短縮したタイガの魔法が無効化し、ユウアが止めで撃ち落とした。
『タイガはだいじょぶ? 明日からウチ来る?』
「ありがと、アイリ。僕は大丈夫。しばらくヒロミさんが泊まってくれるらしいし」
『そっか、それなら』
『大丈夫そうね』
最後の雑魚モンスターの群れをまとめて吹っ飛ばし、一掃したルイがタイガに向き直った。
『ヒロミさんて、アニキのカノジョか?』
興味津々な様子のルイが、ヒジでタイガを小突き回す。相手もちゃんと小突き回され、更に別のアクションでも返せる所が、アイリとユウアのお気に入りの要因である。
大雅は、タイガに裏拳ツッコミをさせた。
「違うよ。兄ちゃんの会社の人。料理が上手で、昔からウチに来て面倒見てくれてるんだ」
既に顔見知りのアイリとユウアが同時に頷く。
『肝っ玉母さんて感じで、どっちかって言うとお母さん代わりよネ』
『うちの母と同年代で、確かわたしたちより年下の子供が二人居たんじゃない?』
「うん、二人ともまだ小学生。ウチのが学校に近いから、多分一緒に泊まると思うよ」
『タイガんちって、アニキにゲンロントーセイされてるみたいで大変じゃん。泊まりに行ってダイジョブなのか?』
大雅が何か言う前に、アイリとユウアがビシッとルイを指差した。
『言論統制? ルイがトラちゃんのコト知りたいって言うから教えてあげたのに、なにソレ!』
『いくら何でも人聞きが悪過ぎるわ。高崎ルイジ姉の名はマリコもし兄だったらマリオ』
肩をすくめたルイは、モンスターを吹っ飛ばした地点を歩き回って、落としたアイテムを拾って行く。
『そんな怒るコトないだろ、アイリ。それに名前は関係ないだろ、ユウア』
(言論統制って――こないだ授業で出たばっかの言葉、使ってみたかっただけなんだろーけど……。ルイってば、ユウアが警告出してんのに判ってないのかな?)
大雅は、ユウアが静かに怒りを溜めているのを、言葉からヒシヒシ感じ取っていた。
「あのね、ルイ。昔は兄ちゃんが家で仕事してたから、誰か来る時は注意してただけなんだ。もし偶然でも、作ってるゲームの内容が他人に知られちゃったら、そのゲーム制作中止になっちゃうからさ」
『なんだよソレ。少しくらいダイジョブじゃね?』
「今は大丈夫だよ。兄ちゃん、今は絶対に家で仕事しないから。その分、ほとんど帰って来れないけどね」
肩をすくめるタイガの隣で、アイリが地団太を踏み始めた。ユウアは腕を組んでいる。
『それもこれもあの事件のせいよ! あの時トラちゃんが作ってたパズルゲームの画面や内容が、本に載っちゃったから!』
『なにソレ?』
『わたしたちが小三の時、週刊ゲームマニアって雑誌に、Ts2の新作開発極秘情報って写真付きのスクープ記事が載っちゃったの。タイガくんちの部屋の写真よ』
アイテムを拾い回っていたルイが、大きく首を傾げる。
『本に載っちゃいけねーワケ?』
「取材許可したヤツじゃ無いからね。兄ちゃん、それ以来会社でしか仕事しなくなっちゃって、ほとんど家にいないんだ」
『それまでは、写真どころか情報流出も無かったのに!』
『わたし憶えてる。小三の時初めて同じクラスになった子が、トラお兄さんがゲーム作ってる人だって知って一緒に遊びたいって言って来たのよ。雑誌に写真が載ったのは、その子と遊んでからだったわ』
『プログラマーなんて珍しいから、見てみたかっただけだろ。おれだって、タイガのアニキがどんなヤツか、見てみてーもん』
「僕もそう思ったから、ウチで一緒に遊んだんだ」
『そーだろ。偶然だって』
ルイの言葉にアイリが地団駄をやめ、ユウアと仲良く呆れ返る。
『でもアイツは絶対違ったわよ。あの後、知り合いの人に買ってもらったって、真新しい靴自慢してたもん。やたらユウアにばっか絡んでて、名前も憶えてないヤツだけどさー』
『わたしにニケルだのエアーダンクだの自慢したって、サッパリなのにね。ちっとも解ってない男だったわ。所詮、顔も名前も思い出せない存在よ』
(……思い出せないんじゃなくて、記憶から抹消したんじゃないかな。ユウア、アイリ以上に怒ってたし……)
大雅は、モニターの前で小さくため息をついた。ユウアが本気で怒ると相手に慇懃無礼に接した上、毎回初対面のような扱いをする、と判明したのがその時なのである。
『スゲー、ニケルのエアーダンクって、チョー有名なヤツじゃん!』
『そうね。一時期売り切れ続出で、定価の十倍まで値上がりしたスポーツシューズとして有名ね。機能性じゃ無く』
『いいなー。おれも昔、チョー欲しかったんだよなー』
『ルイ、それってヒトんち盗撮してまで欲しい?』
『いや、そこまでは』
アイリの言葉に、ルイがプルプルと首を振った。
『あの靴って、プロのスポーツ選手が履いてるから空飛んでるように見えるだけでしょ? 誰が履いても本当に空飛べるんなら、少しは見直したかも知れないけど』
「それは現実じゃムリだよ、ユウア。ゲームの中でしか出来ないって」
『うん。だから、トラお兄さんって好きなの。ゲームの中で本当に作ってくれるから。スゴいわよね』
『そうネー。トラちゃんって、結構あたしたちの話聞いてくれるし、リクエストにも色々応えてくれるもんネー』
『でも、どうせゲームの中だけだろ?』
『当然でしょ。トラお兄さんは、ゲームプログラマーだもの』
にべも無いユウアの言葉に、ルイが肩をすくめて両手を広げた。それから、ふと首を傾げる。
『あれ。もしかして、さっき言ってた大変なコトって、今のソレ? エアーダンク男が盗撮したってコト?』
『あたしとユウアじゃ無いんだから、他にいないじゃん。タイガやトラちゃんなワケ無いし、部屋の中の写真だし』
『空き巣とかドロボーじゃねーの?』
『他は有り得ないのよ。わたしたちが遊んでるのを見て閃いたって、その場で作った試作ギミックが写ってたから。次の日には洗練されて、ちゃんとしたデザインになってた物よ』
「兄ちゃんがテストプレイさせてくれた時に、こっそり撮ったとしか思えないんだ。端っこに僕の服も写ってたし」
『考えたらアイツ、いつもスマホ持ってたのよネ。家との連絡用だって言うから、気にしなかったケド』
『ガラケー派の上、メールと電話しか使わないわたしたちには盲点だったわ。高画質スマホのカメラなんて』
『あー、それでエアーダンク! 知り合いに買ってもらったって、そーゆーコトかよ! 信じらんねー! 汚ねーコトするヤツってホントにいるんだ!』
ルイが地団駄を踏み始め、アイリとユウアがなだめるように手を動かす。
『はい、どうどう。落ち着いてー。本気で怒っちゃダメよー、ルイ』
『その時もわたしたちが散々言ったけど、子供のした事って言われて結局何の罪にもならなかったの。賠償責任も無しで、本当に怒るだけ損なのよ』
『んなコト言ってもさー!』
「落ち着いてよ、ルイ。昔のコトだからさ」
『怒りは全部、モンスターにぶつけんの。亀の巣行こ?』
アイリを先頭に歩き出すと、ルイも地団太をやめてついて来る。
『おれがいたら、せめてそいつぶっ飛ばしてやったのに! くっそー! タイガ、今度そんなコトあったら、すぐおれに言えよ!』
「ありがと、ルイ。それ以降は無いから大丈夫だよ」
その「今度」を恐れて、虎之介が家で仕事をしなくなったのである。
大亀の巣は次のエリアだった。
『それにしても、あの頃あたしのイトコがゲームマニア買ってて、あたしたちにも見せてくれて、ホントよかったよネー。トラちゃんのあんな驚いた顔、初めて見たもん』
エリアの真ん中で、一本道の先を見張りながらアイリが言い、横で待機しているユウアとタイガが大きく頷く。
『あの時お兄さんに知らせなかったら、もっと大変な事になってたかも知れないのよね?』
「うん。結局そのゲーム作れなくなっちゃったのは、同じだけどね。せっかく面白そうだったのに」
今来た道を警戒していたルイが、首を傾げた。
『なんで? 作ればいいじゃん』
「その雑誌が出てしばらくして、違う会社から似たようなゲームが発売されちゃったんだ」
言ってから、タイガはガッカリしたポーズを取る。
『しかも、チョー有名な大手の会社からネ。人も機材もどんどん投入出来るトコ』
アイリも続けてガッカリする。
『本当、グラフィック以外ソックリだったわ。舞台が違うだけで、コンセプトもほぼ一緒だったし』
ユウアもガッカリ、と見せかけてプルプル首を振った。そこへタイガとアイリが同時に裏拳ツッコミを入れる。
コントのように三人揃ってお辞儀をすると、見ていたルイが拍手をした。
『ゲームとして面白くても、あれじゃ二番煎じに見えて売れないわよ。グラフィックと音楽は、大手に勝てっこないだろうし』
「それに、盗作だって訴えられたら最悪なんだ。兄ちゃんとこ小さい会社だから、裁判になったら勝てないってさ」
『アイデアがわいた日なんて、証明出来ないもんネー』
『うっへ~。マジメンドクセー』
それ以来、週刊ゲームマニアを出した出版社とTs2は絶縁状態にあった。プレス発表の連絡すらしないらしいとは、ヒロミさん――総務の五島博美からの情報である。
『あーもー、思い出すとムカつくー!』
『そう言えばあの子、四年になる前に転校したわよね。Ts2が、スクープ記事の所為で新作ゲームの製作中止するって発表した後。やっぱり気まずくなったのかしら?』
『あ、亀そっちに出たぞ』
『ストレス発散だ。おりゃー!』
やっと現れた大亀の一匹に向かって、アイリが連続攻撃を仕掛け始めた。途切れた瞬間を見計らってユウアとルイも加わり、着々とコンボ数が増えて行く。その間にタイガは、大亀の攻撃範囲の外で三人に魔法が届く場所に移動しておく。
(ユウアの〈何度会っても初対面攻撃〉に、気まずくなったような気もするけどね……)
大雅は心で呟いた。当時から、完全無視よりも、地味に効果が高いように見えていた。本人の後ろめたさも加われば、なお一層の効果だったろう。
『そう言えば。あの時先にタイガが転校するかも知れないって、ちょっとした騒ぎになったよネー。トラちゃんが、もう家で仕事出来ないから会社に泊まり込むか近くに住むって言い出して』
大亀の甲羅アタックでマヒしたアイリが言った。ルイとユウアが無言で連続攻撃を続けている為、しばらく様子を見る気らしい。
「放課後ずっと僕一人にしとくワケにも行かないし。会社はウチの学校から遠いし。一緒にいるなら転校しなきゃなんないって、兄ちゃんが相当困ってたのは確かだけど。騒ぎにしたのはアイリだよね?」
『そうだっけ?』
『ヤベ、マヒった!』
『あとちょっとだけど、前衛二人ともマヒはキツイわ』
「はいはい」
大雅は、コマンド入力でタイガにマヒ直しの魔法を唱えさせた。固まっていたルイとアイリが、戦線に復帰する。
『連続コンボ行くよー』
『OK』
『任せろ!』
アイリの両拳が八回閃き、終わり際に重なるようにユウアの矢が四本飛ぶ。亀が怯んだ所にルイが両手剣を振り下ろし、三回斬るとアイリに戻る。
それを四セット繰り返すと、一匹目の大亀は地響きを上げて倒れ伏した。
「わー、六十コンボとか出たよ。スゲー」
『六十? この亀、相当体力あったんだなー』
『結構削ってたつもりなのにネ。さすが亀だわー』
『効いてたのは、アイリとルイくんの攻撃だけよ。かなり固かったわ』
四人は早速、報酬アイテムを剥ぎ取りに掛かる。
『甲羅苔じゃなくて、長寿亀の肝が取れたわ』
「苔より出にくいレアアイテムだね。よかったじゃん」
『でも、ユウア的には苔のがレアだよネー』
『そう。肝の使い道なんて秘薬作るしか無いのに、わたしには毎回出るのよ』
『なんかゼータクっちゃゼータクな話だな、ソレ』
良い物が取れなかったらしいルイが、肩をすくめた。
***************
雑魚モンスターが一掃されている沼地は静かで、他の冒険者が通り掛かる気配も無かった。さっきと同じ場所で二匹目の出現を待つ間、自然と雑談になってしまう。
『あの時はあたしたちも困ったよネー。タイガもトラちゃんも友達なのに、転校したら一緒に遊べなくなっちゃうじゃん。家族やイトコにも、何とかならないかって頼んだわよ。ユウアと一緒に』
『トラお兄さんって、プログラマーだけに色んなゲーム上手だし、裏技もいっぱい知ってるし、新しく作ったゲームのテストもさせてくれるし。わたし的には正直、タイガくんよりも得難い友達なのよね』
「うん、ユウア。よく知ってる」
『ユウアってさぁ。頭いいし顔もいいからチョーモテるけど。実は相当オタクだよなー』
ルイが肩をすくめて言った。
『悪い?』
返すように、ユウアも肩をすくめる。
『いや、悪いとは言ってないけど』
『悪いって言うヤツに、ユウアと付き合う資格は初めっから無いのよ。ユウアはこうだから、ユウアなんじゃない』
ビシッと指を差すアイリに、タイガとユウアが頷いた。
「だね。アイリも、そういう風にサックリ言えちゃうとこがアイリだし」
『うん。わたしも、アイリがそういうコだから大好き』
『だから、おれは悪いなんて一言も言ってないってば!』
地団駄を踏むルイに、アイリとユウアが肩をすくめる。
『それにしちゃ絡むわよネ。特にトラちゃんに』
『さっきからトラお兄さんの悪口ばっかりよね。タイガくん、怒ってもいいのよ?』
「え? ルイ、兄ちゃんの悪口言ってたの?」
『だから悪口のつもりじゃねーんだって!』
『勝手な対抗心よネ。ルイの』
『トラお兄さんは相手にしていないのにね。ルイくんの存在自体知らないもの』
『や、ソレはそーだけど。そーじゃなくて。タイガ、それでお前、転校したのか?』
ルイが焦ったように話を戻し、大雅は笑いながらそれに乗る。
「ううん。結局、放課後は社長やヒロミさんが一緒にいてくれたり、アイリんちで面倒見てくれたりしたから、転校しないですんだ。その内、会社の方が近くに引っ越して来てくれたし」
ネックは、学童保育に預けても、虎之介の帰宅時間が遅くなり過ぎる事だった。
それを知った社長が、自分を含めて時間の取れる大人を繋ぎで派遣してくれた上、事業拡大と称して三条家の近くに本社を構えてくれたのだ。
現在の虎之介の通勤時間は、片道二十分ほどである。
『なんかスッゲー社長だな。会社の方が来てくれるって、フツー無いよな』
「僕もそう思う。兄ちゃんの学生時代からの親友で、僕のコトも可愛がってくれてるからかな? さっきのモニターの通知も、社長かも知れないんだよね」
『どーゆーコト?』
「兄ちゃんが言うには、スタッフの身内は対象から外してあるんだって。だから僕が当たるワケ無いんだけど、サポートスタッフとして社長が呼んだのかも知れないって。モニターの当選通知来たら、行かないワケ無いもんね」
『行ってみたら、実はサポートでしたーって? 確かにあのヒトならやりそう』
アイリがポンと掌を打った。
ユウアも大きく頷く。
『好きよね、あの人。そういうドッキリすれすれのサプライズ』
「兄ちゃんも同じコト言ってた」
『なんだよ、お前ら。自分たちばっかり分かってよー』
『だって社長も知り合いなんだもん』
『アイリんちの常連よね、あの人』
再び地団太を踏むルイを横目にアイリとユウアがハイタッチを繰り返す。
タイガは、三人をなだめるように手を動かした。
「入院してた患者さんを、常連って呼んでいいの?」
『なんだ。アイリんちって瀬尾医院のコトかよ。入院患者だから常連か。って、内科の入院患者じゃん! ダイジョブなのかよ?』
大げさに驚くポーズをするルイに対し、アイリとユウアがヒラヒラ手を振る。
『手術で治ったから、とっくに退院してるに決まってんじゃん』
『再発しない限り大丈夫よ』
タイガは大きく頷いてから、ポンと掌を打った。
「そう言えば。アイリのお父さん、内科なのに外科手術上手らしいよね」
すると何故か、アイリは頭を抱えるポーズをし、ユウアは呆れたポーズをした。ルイとタイガは首を傾げる。
『あー、まあウデだけはネー。ソレ以外はナンだけど』
『瀬尾先生、無免許外科医のハザマ先生に憧れて医者になったって言ってたもの。相当心酔してるわよ、あれは』
『ソレがあんま笑えないの。あたし危うく、あの先生の助手ッコと同じ名前にされるトコよ。お母さん、おじいちゃん、阻止してくれてありがとう!』
アイリが天に祈りを捧げ、演出効果でヒラヒラと白い羽が降って来た。
『ソレもしかして命名でって意味? ガチか?』
『ガチよ。しかも未だに諦めてないみたい。瀬尾先生、隙あらばアイリをその名前で呼ぼうとしてるわ』
ユウアが大きく首を振り、ルイが大げさに驚く。
『うっわ~。漢字変換ムリなヤツだろソレ』
「さすがアイリのお父さん。ウチのじいちゃんと気が合ってただけあるよ」
大雅はタイガに呆れたポーズをさせた。
『タイガも、完全におじいちゃん任せだったら本当にタイガーだったもんネ。虎之介にタイガーって』
『なにソレ。どんだけ虎好きだよ』
『しかも、トラお兄さんの時は虎之介か虎吉の二択だったって聞いたけど。本当なの?』
「ホントだよ。トラキチは僕の時にも候補に上げたって」
『さすがにナイわー。ネーミングセンスとか、そーゆー次元じゃ無いのよネー。二人とも』
それ以外に、ゲーム好きという点も気が合った要因の一つだった。放課後アイリの家で面倒を見てくれたと言うのは、瀬尾医院の待合室が大型店舗の玩具売場もどきになった事を意味している。
『タイガーも、あだ名ならともかく日本人の本名だと困りそうだよなー』
『せめてゴルフをやってたら、納得出来るかも知れないけどね』
『でも結局、タイガーにもトラキチにもならなかったし。よかったネ』
「そうだね。おばあちゃんとお母さんには大感謝です。ゴメン兄ちゃん」
虎之介と同じく大雅も祖父が付けた名前だが、読み方だけでも何とかしようと、祖母と母親が頑張ってくれた。そのおかげで虎之介と違い、名前でからかわれた記憶の無い大雅は、手を合わせて軽く頭を下げる。
タイガにも手を合わせるポーズをさせた途端、さっきより一回り小さい亀が画面の中に現れた。
『よっしゃ発見。ストレス発散その二ー!』
早速アイリが飛び掛かって、連続攻撃を仕掛ける。その間にルイが大亀の後方に回り、挟み撃ちを狙う。
ユウアと一緒に大亀の攻撃範囲から避難しつつ、タイガは状態異常を防ぐ魔法を全員に飛ばした。
「でも、ルイんちもそんなカンジだったよね?」
『二個上のお姉さんがマリコで、弟がルイジだもんネー』
『お兄さんがいたらって、つい思っちゃうわよね』
『多分想像通りだぜ。おれんちの親おれよりゲーム好きだもん。姉ちゃん、女でよかったーってこないだ言ってた』
「あ、亀逃げた」
アイリ、ユウア、ルイの順で連続攻撃を受けた大亀が突進して隣のエリアに移動してしまい、四人はすぐさま後を追った。
『にがさん!』
真っ先に追いついたアイリが、足払いを掛けて大亀を転ばせる。ゲームならではの攻撃だ。
『ルイくん待ちね』
「ルイ、早くー」
ユウアとタイガも近付いて殴り、大亀の行動を遅らせる。
『よっしゃ、真打ちとーじょー』
足の遅いルイがようやく追い付くと、今度は四人のコンボが始まった。ルイが溜めて斬り付ける間にアイリが連続攻撃で怯ませ、モーションの隙間をユウアとタイガが順番に殴って大亀の攻撃を封じる。
問題はタイミングだけなので、手数の多いアイリは無口になりがちだが、他の三人は割と呑気に構えている。特にユウアとタイガは攻撃力として期待出来ないので、大亀が行動しそうな時だけ殴って、ほぼ見守るスタンスである。
『でもさ、ユウアの名前はカッコよくていいよなー』
溜めている間暇なのか、ルイがまた喋り出した。
『男でも女でもいい名前、が第一条件だったらしいわ。その割に女らしさを求めて来るけど。ゲームは素敵よ。プレイヤーの名前も性別も関係無いから』
「そう言えば。ウチの兄ちゃんも時々、ハンドルネーム最高って呟いてるよ」
『スッゲー分かるぜ! タイガんちのアニキも苦労してたんだな。いいヤツっぽいし、ズルなんかしそうにねーな』
『ルイくん、現金過ぎ』
『同感だネ』
ようやく立ち上がった所にルイの溜め斬りでヨロケた大亀を、アイリが再び足払いで転ばせた。
ひっくり返った腹部をユウアとタイガが順番に殴り、ルイがまた溜め斬りを放ち、アイリが連続で斬り付けるというパターンに持ち込む。
『そうだ。タイガくん、せっかくだからちゃんとモニター行って来なよ?』
『だよネー。こんなチャンス滅多に無いもん』
「いいのかな?」
『つっても、元々臨時スタッフみたいなモンなんだろ。社長に呼ばれたら仕方ねーって』
『そそ。でもゲームはしっかり見て来てネ』
『帰って来たら教えてね。ゲームの舞台とか雰囲気とか』
『ソレおれも聞きたい!』
「わかった。みんなを代表して見て来るね」
『期待して待ってるからネ、タイガ!』
『だけど、他ではこの話題無しよ。当分秘密にしないと』
『さっきのエアーダンク男みたいのがいたら困るもんな。了解だぜ』
「ありがと、みんな。あ、二匹目倒れた」
ユウアの攻撃で五十二ヒットの表示が出た途端、大亀は地響きを立ててひっくり返っていた。続いて繰り出されたアイリの攻撃は甲羅をすり抜け、戦う相手がいない事をプレイヤーに教えてくれる。
『お、けっこー早かったな』
『戦利品、早く剥がなきゃ』
『大亀の甲羅苔、出たわ!』
「よかったね、ユウア」
しかし、会話に夢中になってる間に倒された大亀に、少し同情した大雅であった。