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始まりの報せ①

「ただいまー」

 殆ど光が射し込まない真っ暗な玄関に入った少年は、お気に入りのスニーカーを脱ぎながら、電灯のスイッチを入れた。

 真っ先に見るタタキには他の靴が無く、誰も居ない事がすぐに判別出来る。

「まだ帰ってない――ってコトは、今日も遅くなっちゃうのかなぁ」

 少しがっかりした口調で呟くと、脱いだスニーカーを揃えて端に寄せ、まっすぐ洗面所へと向かう。手洗いとうがいを丁寧にしてから、キッチンに行って冷蔵庫を開けた。

「あ、麦茶もう無いや。作っとかないと」

 水色のマグカップになみなみ麦茶を注いでボトルを空にすると、ヤカンに水を入れて火に掛け、冷蔵庫脇の棚から麦茶パックを一つ取り出し、ヤカンの中に放り込んでフタをする。慣れた手つきで全てを済ませて、ようやくダイニングの椅子の一つに腰を下ろした。

 麦茶をこぼさないようにそっと口を付け、マグカップの半分ほどをゴクゴクと一気に飲む。

 夕焼け色に染まった制服姿で、顔にはまだあどけなさが色濃く残る少年――三条さんじょう大雅ひろまさは、中学二年にしては少し小柄で童顔の、同年代の男子に比べるとかなり几帳面な少年だった。

「……ぷはぁー。生き返るー!」

 ビールに舌鼓を打つサラリーマンのような口調で言った大雅は、そこで初めて何かに気付いたように周りを見回した。

「……やべ。カバンどこやったっけ」

 しばらくキョロキョロしてから、パッと洗面所の方を見る。

「よかったー。一瞬どっかに忘れて来たかと思ったー」

 早足で行って帰って来たその胸には、通っている中学の校章が縫い込まれたスポーツバッグがしっかりと抱えられていた。

 ダイニングに戻り、少々年季の入ったそのバッグのポケットから、大事そうに薄緑色の封筒を一通取り出す。

 色以外はどこにでもあるような普通の封筒の、宛先と差出人を何度も何度も確かめる。

「やっぱり、僕宛てだよね。兄ちゃんじゃなくて」

 大雅は、抑えても抑えても溢れる期待に弾む声で呟いた。

 居住まいを正してから、大きく一つ深呼吸する。

「……よーし。よーし。開けるぞ~」

 少し緊張した顔で指を封に掛けた途端、汽笛のような大音量が部屋中に鳴り響いた。

「わっ、なに、何の音――!?」

 思わず取り落とした封筒を、恐る恐る拾い上げる。

「……あ、ヤカンか」

 音の発生源は、封筒ではなくキッチンだった。

「もー、ビックリさせんなよぉ……」

 ブツブツ言いながらコンロの火を消し、ヤカンのフタを開けて冷ます。それからテレビの横にある引き出しを引っかき回し、カッターを手に戻って来た。

 ペロリと唇を舐め、慎重な手つきで薄緑の封筒の封にカッターを沿わせる。

 ゆっくり端まで引き切ると、いつの間にか詰めていた息を「ふぅ……」と大きく吐き出した。

「……よっし、開いた」

 封筒の中に入っていたのは、二枚の紙と長方形の電子カードだった。どれにも、〈Ts2〉と読めるデザインのロゴマークが記されている。

 一枚目の紙を開くと、規則正しく打ち出されたワープロ文字が並んでいた。


『この度は、弊社のプロジェクトにご応募頂き、まことに有り難うございます。

 厳正なる審査の結果、貴方様には、弊社ビルでのテストプレイにご参加頂く事が決定致しました。

 ご多忙とは存じますが、下記の期日に弊社ビルまでご足労をお願い申し上げます。

 なお、当日は同封の入場証を必ずお持ち下さい。ご本人様に限らず、入場証を以て参加の権利とさせて頂きます。

 また、セキュリティ上の理由により、入場証の再発行は不可能となっております。お取り扱いには細心のご注意を頂くよう、お願い申し上げます。

 有限会社Ts2一同』


 二枚目の方には、日時と、どこかの駅からと思しき地図が描いてあった。

 大雅はしばらくぼうっと突っ立っていたが、力が抜けたように椅子に腰を下ろした。

「――いてっ!」

 弾みでテーブルに腕をぶつけ、思わず声を洩らす。

「痛いってコトは……夢じゃない?」

 半ば呆然としたまま、今度は自分で自分の頬をキュッとつねる。

「……やっぱ痛い。夢じゃない。夢じゃないんだ。やっほー! 僕、モニターに当たったんだー!」

 大雅は思い切りバンザイをした後、カードを吹っ飛ばしそうになって、慌てて封筒にしまい直した。


***************


 美しい緑色の森に囲まれて、カラフルなレンガ造りの家々が建ち並ぶ、石畳の街の中。見上げれば、澄んだ青い空に白い雲が適度に浮かび、絶妙の色バランスを醸し出している。そんな、どこか現実離れした街並みのあちこちで、現代日本の住人とはかけ離れた姿をした人物たちが数人ずつ井戸端会議を開いていた。

 大きな剣や盾を背負うなど、思い思いの装いをした全員の頭のすぐ上には、日本語やアルファベットで短い文章が浮かんでいる。それだけが、似たような顔に見える人物たちを識別する唯一の手がかりだった。

 身振り手振りを交えながら何かを話しているように見えるのだが、決して声は聞こえない。時折、喜怒哀楽をシンボル化したようなマークが頭上に現れる。それぞれにグループがあるようだが、グループ以外で声を掛け合う様子もあまり無い。無視と言うより、無関心な印象を強く受ける。

 その集団の横や後ろを、一様に無表情な顔をした人物が何人も通り抜け、走って行く。

 ――そこは、パソコンで遊ぶオンラインゲーム〈フィールド・イン・フリーダム〉の街の中だった。


 リビングのパソコンの前に陣取った大雅は、ゴーグル型のスクリーンが付いたヘッドセットを繋ぎ、慣れた手つきでキーボードのキーを幾つか叩いた。

 モニターがたちまちロード画面に変わり、電子カードに刻まれていたのと同じロゴマークが中央に現れる。

 通称〈FiF(フィフ)〉と呼ばれるこのゲームは、有限会社Ts2(ティーズツー)が作ったオンラインゲームの第一作目だった。企画とゲームデザインは別の人間だが、大雅の兄もプログラマーとして製作に関わっている。

 今の運営は別の会社が行っており、実質Ts2は手を引いている状態だが、大雅は毎日このゲームに接続ログインしていた。

 キャラクターは赤毛の青年で、職業は魔法使い。長いマントローブを羽織って、〈俊敏な術士・タイガ〉と名乗っている。名前の由来は学校でのあだ名だ。

(さて、と――)

 ゲームデータが読み込まれ、ロゴマークが運営会社のマークに変わった。

 キャラクター視点の街の内部が、ゴーグルいっぱいに映し出される。

(誰か来てるかなー?)

 街の入り口から内部に向かって歩いて行くと、レンガ敷きの広場の端の方で井戸端会議中だった三人が大きく手を振った。

『あ、タイガだー!』

『よー、タイガ』

『タイガくん、こんばんは』

 白い吹き出しで名前を呼ばれたので、走って近寄る。

 三人とも大雅の中学のクラスメートだった。一人は小学校から、もう一人は保育園からも一緒の幼なじみである。

 特に打ち合わせている訳では無いが、夕飯の後にこのゲームで会うのが、何となく日課になっていた。

「こんばんはー。今日は三人だけ?」

 ヘッドセットのマイクをオンにして喋ると、チャットウインドーに文字となって表れる。誤字脱字をチェックしてから、OKボタンを押して送信。

 キャラクターの頭上の吹き出しとチャットログに同じ文章が表れて、発言が完了する。

 すぐに、三人の頭上にも吹き出しが表れた。

『さっきまではカッキーたちもいたよ。レベル上げ行っちゃったケド』

『今日中に追いついてやるって言ってたから、当分帰って来ねーな。五連続大物狩りやって、やっと一個上がるくらいだろ』

『追いつくまでは狩り禁止だってさ。別にいいけど。ちょうど四人になるし、パーティーに入れちゃっていい?』

「うん。よろしく」

 合流してパーティーに入ると、頭の上の文章が同じ色で統一された。吹き出しにも同じ色の枠が付き、パーティーのメンバー以外には吹き出し自体見えなくなる。

『そう言えばみんな、さっきのニュース見た? 事務局のじゃなくて、時事速報のヤツ』

 金髪のロングヘアーで、メイド服のようなデザインの鎧を着ている少女が、大きく首を傾げてみせた。頭の上には〈特攻メイド・アイリ〉と浮かんでいる。

『もしかして、Ts2の新作オンラインのニュース? 現実で得た知識とスキルが丸ごと活かせるRPG・レアリーズ、だっけ?』

 同じ顔に短い銀髪の少女も、合わせるように首を傾げた。リーダーの印である頭上の赤い星の下の文字は〈器用な狩人・ユウア〉で、革鎧にボーイッシュなパンツルックもあり、顔が見えなければ少年と見まがう姿である。

『そうそう、それ。そのレアリーズの』

 アイリが何度も頷いた。

『あ、見た見た。モニター募集についてのヤツだろ』

 勢いよく片手を挙げたのは、褐色肌に青い短髪と短く刈り込んだアゴヒゲが特徴的な青年。頑丈そうな金属鎧で全身を包んでいて、浮かんでいる文章は〈猛烈アタッカー・ルイ〉。

「僕は見てないや。今来たトコなんだよ。ニュース何だって?」

 俊敏な術士・タイガは、ぷるぷると首を振った。

『募集してたテストプレイのモニター、全員決まったらしいわよ。当選したら、今週中に通知が来るんだって』

『来なきゃ落選だと思ってくれって。通知、メールで来るのカナー? うーん、ドキドキしちゃうー!』

『最初百人当選だったのが、応募の数があんまり多いんで二倍にしたって言うけどさ。十万人応募して二百人じゃ、やっぱ当たる確率低いよなー』

 腕を組んだユウアの隣でアイリがジタバタ足踏みをし、二人に対面するルイは肩をすくめながら両手を広げる〈呆れた〉ポーズを繰り返す。

「うわ、十万人も? すっげー。僕、千人に二人の確率で当たったワケかぁ」

 タイガがそう言った途端、三人共が黙り込んだ。


『今、当たったって言った?』

『それジョークだよな、タイガ?』

 しばらくして、アイリとルイの吹き出しにアクションと合わない言葉が表示された。

『タイガくん、当選したの?』

 小首を傾げるユウアに、タイガは大きく頷いてみせる。

「うん。今日の郵便で通知が来たんだ。学校から帰ったら来てて、僕もビックリ」

『メールじゃなくて郵便なのね。だから今週中か』

『いいなー、タイガ。あたしも当たらないカナー?』

 ジタバタをやめて踊り出したアイリを横目に、ルイは呆れたポーズをし続ける。

『なー。タイガのアニキってts2の人なんだろ。こっそり当たるようにしたんじゃないのか。お前に内緒で』

 それまでは、喋らない時でもポーズやアクションで反応を返していたアイリとユウアが、無言のまま固まった。

「えー、兄ちゃんが僕に内緒で? ありえないと思うけどなー?」

 普通に返答したタイガに続き、ようやく二人がリアクションを返す。

『絶対絶対、トラちゃんはそんなコトしないわよ! 自分が作るゲームには、すっごいキビシイんだから!』

『タイガくんのお兄さんは、そういう所に厳しいのよ。普通は弟だから何か得するだろうと思うけど、逆に弟だから無料奉仕で当たり前だって、大真面目に言ってたもの』

 ルイが、呆れたポーズに続けるように首を傾げた。

『そんなコト言ってもさ。やっぱ、身内ならこっそり得させたいじゃんよ。もしおれがts2にいたら、確実に家族の誰か一人は当選させるぜー。それが家族の愛情ってもんだろ?』

『トラちゃんをルイなんかといっしょにすんな!』

 吹き出しとほぼ同時に、アイリがビシッとルイを指差した。

『それって、ルイくんなら確実にズルするって事よね』

 ユウアも肩をすくめて両手を広げる。

『タイガくんのお兄さんは絶対しないわよ。責任感強いから』

 タイガはユウアに向かって大きく頷いた。

「ズルは絶対しないよ。だって僕の兄ちゃん、僕を養うためにゲーム作ってるんだ。得させるためじゃないから期待すんなって、いつも言ってる」

『でもさ。お前のアニキって、高校生で大ヒット出した天才プログラマーなんだろ。バレない仕掛けだって、簡単に作れそーじゃんか?』

 再び呆れたポーズでなおも言い募るルイに、アイリとユウアがくるりと背を向けた。

『うっわ、サイッテー。ダサ過ぎて喋る気無くしたわ』

『何も知らないクセに、トラお兄さんをバカにするのもホドがあるわ』

 二人揃って肩をすくめ、両手を広げてから腕を組む。血の繋がりは無い二人だが、息の合いっぷりはまるで双子のようである。

『なんだよ、二人して。おれ、タイガのアニキに会ったコトねーもん。どんなヤツかわかんねーんだから、しょーがねーだろ』

 地団太を踏むルイを尻目に、二人が向かい合う。

『会ったコト無いから分からないだって。開き直ったよ、コイツ』

『判らないのに悪口言った訳ね。無責任この上無いわ』

 無表情な顔は変化が無いのに、セリフとアクションでひそひそ囁き合っているように見えるから不思議だ。

『悪口じゃねーよ! ただそう思っただけだよ!』

『そっかー。じゃあ、あたしも思っただけ』

『じゃあ、わたしも。ルイくんは無責任って思っただけ』

『なんだよ、もー!』

 何とか自分の方を向かせようと、ルイが少女たちの前に回り込む。必死なルイを、二人はくるくる反対を向いてやり過ごす。

 キャラクターからの視点では三人の動きを捉え切れず、大雅はゴーグルのスクリーンをオフにして、額の上に押し上げた。

 モニターの方を見た途端、ルイのボヤキが炸裂する。

『おいタイガ、ぼーっと見てねーでなんか言え!』

 ビシッと指を差されたが、コントのツッコミ待ちのように見え、大雅は思わず噴き出してしまった。

「えーと。三人とも、ホント仲いいね?」

『違うだろ。おれのフォローになってねーよ!』

『トラちゃんの悪口言っといて、なんでタイガにフォロー要求?』

『そういうトコロがダメ人間ね。潔くないわよ、高崎たかさきくん』

『うわー、怒るなユウア!』

 ルイが慌ててユウアの背中に土下座した。しかし、ツンとそっぽを向くアクションで返され、どうしようと言わんばかりにタイガを振り向く。

「大丈夫。ユウアはまだ本気じゃないよ、ルイ」

『ホントかよ、タイガ?』

 大雅はタイガを大きく頷かせた。

「うん、ホント。ね、二人とも?」

 ユウアが本当に怒ると、恐ろしいほど丁寧な口調になってフルネームを呼び始める。他人行儀度は、この比では無い。

『さあねー?』

『どうかしらね?』

 シラを切っている少女二人だが、長い付き合いの大雅には、ルイをからかっている顔が目に浮かぶようだった。二人はルイをちょっと懲らしめる程度にとどめ、本気での意地悪をしていないのだ。

 その時、大雅はヘッドセット越しにガチャリという音を聞いたような気がした。

 気の所為かと思ったが、玄関の方からかすかに物音も聞こえて来る。

「兄ちゃん帰って来たかも。ごめん、ちょっと見てくる」

 大急ぎでキーを打ち、ヘッドセットを外す。

『いってらー』

 小走りに玄関へ向かう大雅の背後では、モニター越しに三人揃って手を振っていた。

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