プロローグ①
サブタイトルを変更しました。
延々と続く緑の草原に青い空。その中を、四人の人影が周囲を警戒しながら横切っていた。
一見のどかな風景は、しかしよく見ると所々に薙ぎ倒された草の跡があり、動物らしき骨が散乱している。人間とは思えない足跡も、幾つか付いている。
不意に、後ろを歩いている内の一人――スタンドカラーの黒っぽいコートを着て、長めの白金髪で左目を隠すようにしているヒョロッとした印象の男――が、ぐるりと周囲を見渡した。
「思った以上に来てるな……。前衛、大丈夫か?」
掛けられた声に、先を行く二人が立ち止まり、背中合わせになるように首を巡らせる。
「ホントだ。数が多いね。これは少し、ダメージの覚悟が必要かな」
鈍い銀色に輝く西洋鎧に身を包んだ金髪の美声年が、左側に目をやりながら呟き、腰に差した剣の柄にそっと触れた。
「大丈夫だ。戦闘後に手当てしてやるから、とにかく一匹ずつ、確実にツブして行こうぜ」
右側を睨んでいたガッシリした体格の男も、革で補強されている道着に似た服の帯を締め直し、気合いを入れるように手櫛で黒髪を逆立てる。
最後の一人――村人と同じような服装をした茶髪の少年は、キョロキョロ辺りを見回してから、くるんとした翠の瞳で一歩前にある黒っぽいコートの背中を見上げた。
「僕、範囲魔法使おうか?」
途端に呆れ顔になった男に、突っけんどんに頭を押さえられてしゃがまされる。
「お前はスッ込んでろ。どうしても必要な時は言う」
「タイガは戦闘スキル無いんだから、無理して戦わなくていいんだよ。なるべく隠れていて」
「むしろ足手まといだ。回復アイテムの準備だけしといてくれ」
三者三様の言葉に、タイガと呼ばれた少年はちょっぴり口をへの字にした。
「は~い……」
不承不承な声で返事をして、腰ほどの高さの草陰に身を潜ませる。
ほぼ同時に、前方右側の草をかき分けて、異形の生物が現れ出た。
最初に姿を見せたのは、爛々と輝く爬虫類の眼を持つ生物が四体だった。
それらに守られるように少し遅れて、出っ張った大きな眼がキョロキョロ忙しない生物が一体。
どれも、身長は人間の成人女性とほぼ同じぐらいで、緑色のウロコに覆われた肌とトカゲに似た尻尾を持ち、独特の鳴き声でコミュニケーションを取っている。
全員二足歩行をしていて、刃の欠けた斧や棍棒などの武器を手にし、同じ革製の腕輪を身に着けていた。一部は年季の入った革の鎧も着込んでいる。
更に遅れて、前方左側からも同じ組み合わせの一群が現れた。こちらの五体は色違いの首飾りを身に着けている。
コートの男が、チッと低く舌打ちした。
「トカゲ男か。武器の他に尻尾でも攻撃して来る。尻尾は落としてもすぐ生えるとよ」
右手首のキーボードの上に浮かんだ表示パネルを見ながら、呟くように言う。
「レベルの割に回避と体力が少し高いな……。面倒な野郎どもだ」
「それが八匹か」
ゴキゴキ首を鳴らした黒髪の男が、右側の集団を警戒するように右足を引き、半身になった。腰を低く落とし、油断無く構えた姿はなかなか堂に入っている。
「残りの二匹は何だ、ハル?」
「一度に調べられるか。自分で調べろ」
ハルと呼ばれたコートの男は、素っ気なく言うとキーボードの上の表示を消した。
黒髪の男が非難するような目を向ける。
「俺は探索スキル持ってないから、噂レベルのデタラメ情報しか出ないんだよ」
「探索スキルぐらい、取りゃいいだろ」
「……アレ、もしかしてカメレオンかも。図鑑の写真、あんな感じの目だった気が――むぐ」
そっと顔を上げて囁いたタイガ少年は、ハルに無言で頭を押さえ付けられ、深くしゃがまされて声を飲み込んだ。
「あれはカメレーナと言って、下僕のトカゲ男・トカゲンを引き連れて闊歩する女王様なカメレオンだそうだよ。女同士でし烈な争いを展開するので、同時に二組以上に遭うと危険――だってさ。そんな事言われてもねぇ……?」
左手首に着けたキーボードの上の表示を見て、美青年がため息をつく。
「特殊スキルは風景同化。消えたように見えるから、攻撃が当てにくくなる。発動するまでには時間が掛かるらしいけどね。トカゲンと同じで、弱点は熱だってさ」
よく通る凛とした声で言いながらパネルを消し、同時に現れた盾を左手に構え、右手には長剣を抜き放った。
「サンキュー、グリンウッド。頼りになるぜ」
黒髪の男の言葉に、金髪の美青年――グリンウッドがにこっと微笑む。
頷いたハルが、懐から投げナイフを数本取り出して両手に持った。
「トカゲより先にそいつら叩け、モンクラウス。消えられたら厄介だ」
「解ったぜ。うりゃあっ――!」
先陣を切って、黒髪の男――モンクラウスが、低い姿勢のまま飛び出した。
***************
「チクショッ――このトカゲども、カメレオンを庇う気だぞ。しかも早くて、クリーンヒットせん!」
立ちはだかったトカゲンの一匹に拳と蹴りの連撃を叩き込み、モンクラウスが焦った声を上げた。
当たる寸前に防御したトカゲンの横から別のトカゲンに斬り掛かられ、追撃出来ずに転がって避ける。
最初にカメレーナを蹴り飛ばした後はトカゲンたちに三方を取り囲まれ、繰り出される攻撃を紙一重でかわし続けていた。
「早くしないと、完全に見えなくなるよ――うわっ!」
言いながら半透明のカメレーナに斬り掛かったグリンウッドは割り込んで来たトカゲンの尻尾で剣を止められ、驚いた表情で後ろへ飛び退く。
地面に落ちた尻尾が、まるで生きているようにウネウネと蠢いていた。
「何だコレ。気持ち悪い……」
眉をひそめたグリンウッドの眼前で、斬り落としたはずのトカゲンの尻尾は再生した。ダメージを与えた気配も無い。
その間にも、トカゲンたちに厳重に守られているカメレーナの姿が透けて行く。
「仕方ねぇ――魔法を使う!」
呟いたハルが自分のキーボードのキーを幾つか叩くと、空中に文字が現れてリスト状にずらっと並んだ。その中から炎を含んだ単語を一つ選んで、左手に握る。
他の単語が消えるのと同時に、半透明だったカメレーナが完全に透明になった。
「ダメだ、一匹消えた!」
「こっちのも消えちまうぞっ!」
「くそっ、間に合え――〈炎の弾丸〉!」
言葉と共にハルが突き出した左手を開くと、掌の前に浮かんだ赤い魔法陣から小さな炎の塊が飛び出した。
真っ直ぐ飛んだ炎は振り向いたモンクラウスの眼前を通り過ぎ、消え掛かっていた二匹目のカメレーナの頭部に命中する。
「ジュィーッ!」
人間では有り得ない声を上げてカメレーナが倒れ伏し、モンクラウスがブンブン頭を振った。
「――おいっ、髪に少し掠ったぞ!」
「それぐらい大したこっちゃ無ぇだろ!」
抗議に大声で返したハルが両手を前方に突き出す。今度は、さっきより大きな赤い魔法陣が浮かぶ。
「もう一回――今度は〈弾丸二連射〉だっ!」
ハルが叫ぶと同時に魔法陣から連続して炎が飛び、グリンウッドと交戦していた二匹を軽々と吹っ飛ばした。
「ジーッ!」
「シャーッ!」
立て続けに三匹倒され、トカゲンたちが慌てたようにハルを振り向いた。
グリンウッドとモンクラウスをすり抜けて、走り出す。
「あ――待てっ!」
「ハル、そっちに行ったぞ!」
「チッ――もうMPが無ぇ。弾丸切れだ」
もう一度炎を飛ばして更に二匹倒したハルが、懐から大振りのバトルナイフを取り出して構える。
トカゲンの後を追い掛けながら、グリンウッドとモンクラウスは顔を見合わせた。
「全員ハルのトコに行っちゃったよ」
「消えたカメレオンもか?」
「さあ、どうだろう? あの透明化は、向こうから攻撃して来るか、スキルで見破るかするまで効果が続くらしいから。ただ、不利になると子分を置いて逃げ出す事も多いってさ」
「それじゃ、残りのトカゲどもをぶっ飛ばしたら、戦闘終了か?」
「その可能性は高そうだね」
「――どうでもいいから早く援護しろ。四匹同時はさすがに捌けん!」
囲まれないよう移動を繰り返しながら、いつも皮肉げなハルが珍しく焦った声を出した。
「……トラン、教えて。トカゲって爬虫類でしょ。この世界でも、そう?」
草陰から様子を窺っていたタイガは、しゃがんだまま自分の左側に向かって素早く囁いた。
その途端、音も無く現れた黄色と黒の縞模様の生物が左肩に飛び乗って来る。長くて太い尻尾を、少年の背中にパタンと打ち付けた。
『魔物化はされてるが、特性は同じハズだぜ』
タイガにしか聞こえない声で喋り、先の丸い耳をプルンと動かしてから、太いヒゲを震わせて大欠伸をする。
器用にバランスを取り、タイガの肩の上で丸まって寝てしまったその生物は、猫サイズの虎であった。
「だったら、もしかして……」
タイガは気にした様子も無く、左手首のキーボードを猛スピードで叩き始める。
「属性は氷一に風二、範囲は円で半径四歩――」
キーボード上の空中に、押されたキーと同じ英数字の羅列が現れ出る。
草陰に隠れているおかげで、トカゲンたちや、仲間の三人さえも気付いた様子は無い。
「発動点はトカゲンの真ん中で――行けっ!」
タイガがリターンキーを押すと同時に、英数字は列を成して飛んで行った。指定された地点に到達した端から、溶けるように消えて行く。
全部の文字が消えた瞬間、トカゲン全員を巻き込む形で小さな竜巻が起こった。
「冷てっ――!」
「えっ――雨!?」
トカゲンたちの背後に迫っていたモンクラウスとグリンウッドが、驚いたような声を上げ、慌てて竜巻の外へ飛び出して来る。
「バカ、何勝手な事――!」
目を剥いたハルが一瞬タイガの方を睨み掛け、その途中で言葉を飲み込み、不審そうな声を漏らす。
「――何だ、コイツら。急に動きがニブくなったか?」
竜巻の範囲内には、ダメージを表す赤い数字が幾つも舞い踊っていた。トカゲンたちが確かに巻き込まれているという証だが、ケタ自体は小さく、総合しても大したダメージとは思えない。
それなのに、素早いトカゲンたちが竜巻の外に飛び出して来る様子は無い。
竜巻が消えても、トカゲンたちは呆然としたように動かなかった。
「……やっぱり、動きがニブくなってるみたいだな」
「ホントか?」
「もしそうなら、かなり楽になるんだけど」
モンクラウスとグリンウッドが射程内に入ると、ようやく気が付いたようにノロノロ構え始める。
「お、今度はクリティカルで当たるぞ。おっしゃー!」
「これは助かるよ。後は任せてくれ!」
意気揚々として前衛二人が武器を振り回し、動きの鈍いトカゲンたちに次々ヒットさせて行く。
まともに攻撃が当たれば、トカゲンたちが全部倒れ伏すのは時間の問題だった。
***************
「うぉーし、全滅させたぞぉ!」
モンクラウスが、両手を天高く突き上げた。
「全員無事のようだな。タイガ以外は……」
倒した魔物を見渡しながら、「またか」という表情でハルが呟く。
「魔法はありがたいんだけど、タイガは今回も気絶しちゃったのか」
兜を脱いだグリンウッドが、うつ伏せで倒れているタイガの脇にひざまずく。いつの間にか、猫サイズの虎は姿を消していた。
「せめて戦闘終了までは起きててくれないと、経験値が入らないんだよねぇ」
ウェーブ掛かった綺麗な金髪の間から覗く長くて先の尖った耳を微妙に伏せながら、グリンウッドは軽くため息をついた。
隣に来たモンクラウスも、腕を組んでタイガの様子を覗き込む。
「MPが無さ過ぎるんだ。どうやったら保たせられるんだよ?」
「魔法使わせなきゃいいんだろ。アイテム専門で」
見つけた回復薬を懐にしまったハルが素っ気なく言い、グリンウッドとモンクラウスはお互いの顔を見合わせてしまう。
「つまり、私たちが頑張るしか無いって事かな?」
「そいつはかなり厳しいだろ。敵の情報は無いにも等しいし、予想以上にギリギリの戦闘バランスみたいだし……」
ガリガリと頭をかくモンクラウスを後目に、キーボードを叩いていたハルが不意に呟いた。
「それより、コイツがさっき使った魔法は何だ。どうしてトカゲどもは、急に動きがニブくなった?」
軽く首を傾げたグリンウッドも、自分のキーボードを叩き始める。
「私が覚えた魔法は補助系がほとんどだし、竜巻状になるのも無いよ。攻撃魔法のリストに無いのかい?」
「ああ。少なくとも、オレが使えるリストには無い。レベル一は全部入れたハズなんだが……」
眠っているタイガを見下ろしたハルが、眉間に深くシワを寄せた。
「魔法系の職業じゃないとレベル二以上は教えられん――とか言われた気がするんだがな。どうなっているんだか」
「――って、さっきのはレベル二以上だってのか? タイガは魔法系どころか、今んとこ無職だろ?」
驚くモンクラウスと首を傾げたハルの視線に晒されているタイガだが、目を覚ます気配は一向に無い。
耳をピッと立てたグリンウッドが、ポンと掌を打った。
「あ――直接入力して発動したら、自分で編み出したって事でその魔法だけ使えるんじゃ無かったっけ。ソレじゃないかな?」
モンクラウスが「ほぉ~」と言う顔でしゃがみ込み、タイガの肩を軽く揺さぶる。
「おい、タイガ。お前、さっきトカゲ男に何したんだ?」
何度か揺さぶっていると、タイガから寝ぼけたような呟きが聞こえて来た。
「ん……へん……ぉんど……つ……から……さむぃ……きらぃ……」
「タイガ、寒いのかい?」
心配そうに覗き込むグリンウッド。
「いや――自分が寒いワケじゃ無さそうだ」
その言葉にホッとしたようなグリンウッドの耳がクルンと動き、それをたまたま目撃したハルが目を見開く。
しゃがんだままのモンクラウスは、全く気付かぬ顔で小首を傾げている。
「あ、そう言や……さっきの魔法、やたら冷たかったな」
「確かに。小さな雹の嵐みたいだったね」
パタパタと小さく動くグリンウッドの耳から、ハルが微妙な表情で目を逸らす。
「風の魔法だと思ったが、氷だったのか?」
「あ……『へん』何とかって――もしかして〈変温動物〉って、言ったんじゃないか?」
モンクラウスがパンと膝を叩き、勢いよく顔を上げた。
「ヘンオンドウブツ……どこかで聞いたような気はするなぁ?」
「……オレは、生物より物理が好きだったんでな」
首を傾げるグリンウッドとどこか遠い目をするハルに、慌てた顔でヒラヒラ片手を振る。
「いやいや、義務教育の理科の範囲だって。哺乳類や鳥類と違って、体温を一定に保てない動物のコトだよ。ヘビとかカエルとか――」
「ああ、冬眠して冬を越す……そうか、トカゲも同じで寒さに弱いんだ!」
再びポンと掌を打ったグリンウッドに続き、ハルも大きく頷いた。
「なるほど。水と風なら気化熱で急激に体温を奪えるな。それで動きがニブったのか……」
腕を組んで考え込んだハルを見て、モンクラウスが呆れたように肩をすくめる。
「そこまで考えてたかは知らんぞ。『変温動物だから寒いのキライ』って言ったように聞こえただけだし」
頷いたグリンウッドが爽やかに笑った。クルンと大きく耳が動く。
「何にせよ、タイガのお手柄でいいんじゃないかな?」
「……仕方ねぇ。次からはオレが動きをニブらせてやる。一匹ずつ炎を喰らわすより、MPの消費が抑えられそうだからな」
軽く頷いてからキーボードを叩き始めたハルに、顔を見合わせたモンクラウスとグリンウッドが肩をすくめ合う。
その足元で、タイガは子守歌でも聴いているようにスヤスヤ寝息を立て続けていた。