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あまのじゃく

作者: 野沢絵和

今朝は吐く息が白く。太陽が燦々と照りつけるジリジリとした寒い朝だった。

ボクは短パンに半袖のTシャツにマフラーを巻き、レインコートを着てサンダルで出かけた。

「どうしてこんなヘンテコな文章を書くのですか?」担任の吉沢先生が怪訝な顔で尋ねる。

吉沢先生は赤い縁のメガネをかけた生徒思いの熱心な先生だ。これは本当だ。嘘じゃない。

「文書としては変かもしれないけど、心によって見えかたは違うから」

あまのじゃく。ひねくれ者。吉沢先生やクラスメイトはボクのことをそう思っている。

「お父さんと別れることになったから」ある日、突然母から告げられた。その翌日、父は家を出て行った。ボクに「どうする?」と意見を求めることも、ごめんなと詫びることもなく。

父は家を出て行く前にボクの部屋に来て、「オマエは男なんだから母さんのことを頼んだぞ」と無責任に言った。それが父の最後の言葉だった。

ボクは父に言いたいことがいっぱいあった。だから何も言わなかった。聞きたいことがたくさんあった。だけど何も聞けなかった。

行かないで、声にならない声で叫び。どうして?こんなの納得できないよって、仕方がないことなんだと自分に言い聞かせていた。

子供部屋の窓から春の暖かな日差しが差し込み、ボクの心は寒風が吹き荒み、頭の中は整理できない事柄が雑然と散乱し、ボクは考えることを拒否して、頭を抱え、ポッカリ空いた心の隙間に寂しさを感じていた。

ボクは泣きたくもないのにポロポロと涙を流していた。

そのときからボクはあまのじゃくとなった。大好きなカレーが好きじゃなくなり、悲しいときも悲しいと言えなくなった。

それまでは晴れた朝にウキウキして、雨の日の休日はちょっとがっかりしていた。青い空は青く。スランダースの犬を見て胸を締め付けられ、炭酸飲料水に清涼感を覚えていた。

だけど青い空は晴れた日の象徴ではなく。フランダースの犬は悲しいだけの物語じゃなくなった。

「主人公の少年が笑顔で涙を流し、怒りに震え、何もできずにうろたえていたところに作者の複雑な心境が描かれていたと思います」

「そんなことどこにも書いてないじゃないか」クラスメイトが否定する。

発表したくて感想を言ったわけじゃない。指名されたから仕方なく発表しただけ。わかってもらおうとは思わない。わかるはずがないと諦めてもいる。

「また、おかしなことを言ってるぞ」別の少年が野次を飛ばす。

「ひねくれ者だから仕方がないのさ」また別の少年が追随する。

あまのじゃく。ひねくれ者。へそまがり。ボクのノートにはそんなボクを揶揄する言葉が殴り書きされている。

「静かに。みんな色々な感想があっていいんですよ。どう感じるかは自由ですからね」担任の吉沢先生が模範の教師を演じる。

生徒思いの熱心な先生ではあるが、思慮に欠ける面がある。それが時には滑稽で人の心を傷つける。そのことに先生は気づいていない。

いじめられてなんかないよ。ただみんながおもしろがっているだけ。そう言いながら本当は気づいて欲しかった。ボクがどうしてあまのじゃくになったのか。ボクがなぜあまのじゃくのままなのかを。そして本当はみんなだって心の中ではみんなと違った景色を見ているんだってことに。

「また、おかしなこと言ってどういうつもりなんだ?」少年のヒザ蹴りがボクの腿に炸裂してガクンと腰が落ちる。周りの数名の男子生徒がボクを囲んでいる。彼らはどんな風にボクを見ているのだろうか。

「思ったことを言ってるだけだよ。それが悪いこと?」

「だからそれかむかつくんだってことがわからないのか」少年が膝を上げるが何もしない。

ボクの体はその動作に反応して硬くなる。それが腹立たしくて、不愉快で、その場で叫びたくなる。彼に支配されてしまったようで情けなくなる。でも何も言わない。誰もボクの気持ちをわかってくれないから。

「少し話してもいいかな」根岸が部屋のドアをノックしてボクに声をかける。根岸は母さんの恋人だ。

「少しだけなら」参考書を閉じて、勉強をしていた痕跡を消す。まじめな良い子なんて思われたくない。

「勉強中だったかな」根岸がドアを開け、遠慮がちに尋ねる。

「いいえ」不自然にスペースの空いた机を横目に「何ですか?」と矢継ぎ早に続ける。

「キミの気持ちを聞いておこうと思ってね」根岸が柔らかな表情で答え、後ろ手に部屋の扉を閉じる。

「お父さんが欲しいって思ったことはあるかな?」

「正直無いかな」ぶっきらぼうに答える。

「一度も?」

「父さんが出て行ってからまだ二年だよ」

「お父さんに戻ってきて欲しいと思ってる?」

「それはない。そんなことはないってわかってるから」本心だった。父親が出て行った日。ボクはもう父さんと会うことはないんだと悟っていた。

「ボクがキミのお父さんになりたいって言ったら考えてくれるかな?」

「考えるも何もそれは母さんが決めることだから」

「母さんが決めたらそれを受け入れるってこと?」

「子どもに親は決められないよ」思わず目を逸らしてしまい、しまったと思った。

「母さんが言っていた通りだな」

「何がさ」

「キミがひねくれ者のあまのじゃくだってことだよ。正確に言えばあまのじゃくになってしまった」

「・・・」

「でも本当かな?」

「えっ」根岸の会話は予測不能だった。根岸は言葉を選ぶことなく、思ったままをストレートに言葉にしている。

「子どもってみんなあまのじゃくなものなんじゃないかな。大好きなカレーなのに食べなかったり。欲しいって言っていた物を急にいらないって言ったり。でもお腹が減っていないわけでもないし、いらなくなったわけでもない。理由はあるんだけど大人にはそれがわからない」根岸は困ったような、懐かしいような、嬉しような複雑な顔をしていた。

「父さんがいればいいと思うよ。でもまたいなくなるんなら」

「いらないか?」

「うん」

「辛くなるから親しくならないか」

「そんなところかな」言葉にすると薄ペラなつまらない行為に思える。

「ねえ、ずっとボクの父さんでいるって約束できる?」

「約束はできないけど努力はするよ」

「どんな努力をするのさ」

「話すことを忘れないよ。お互いの気持ちが知らぬ間に離れてしまわないように、どんなときでもキミと話をするって約束するよ。もちろん母さんともね」

「勝手に決めたりしないんだね」

「ああ、約束だ」

ボクと指切りげんまんをして根岸がスキップをしながら部屋を出て行く。ボクにはそう見えた。

根岸はほかの大人と違った。少なくともボクの両親とは違った。きっと根岸はこれからもボクと色々なことを話し合っていくだろう。

面倒くさいな。ボクはそう呟きながら微笑んでいた。そして涙が頬を伝っているのに気づき、ボクはやっぱりあまのじゃくだなと窓から見える曇天の空を見つめた。

ボクは灰色の雲が覆う重い空を見上げながら、その雲の向こうにある青い空を想像していた。そうしないと潰れてしまいそうだったから。そうしないと希望が消えてしまいそうだったから。そして今ボクの上には青い空が広がっている。青く、青く、青く、青くどこまでも続く青い空が。それがボクがあまのじゃくになった理由。それが今でもボクがあまのじゃくである理由。子どもは誰でもあまのじゃくのところがあるって根岸さんが言ってくれた。だからボクは素直なあまのじゃくでいられる。

転校する日、ボクはみんなの前で作文を読んだ。別に意味はない。何も期待していない。でもボクはあまのじゃくだから。

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