6 人々の願い
「ようこそ、幻の世界からやってきた小さな人よ。
このデア・ハゼアの治むる国へ、よく来なさった。
こんなに笑ったのはいつ何年ぶりだろう。
こんなに嬉しいことはない。
私は知っているよ。
キミは龍も巨人もいない、すごく遠いところからやってきた。
でもね。
今、キミはこの世界にいるよ。
幻ではない、本当の世界に立っている。
みんなの夢が一度だけ、叶えられたから。
平和な世界を強く望む、たくさんの人たちの願いが叶えられたのだから」
なんということでしょう。
コンラートが言うことが正しければ、そしてお城の言葉が真実ならば、彼は私たちの知らない幻の世界からやってきたのです。
そして何より、私たちの平和を望む心が結実した存在だということです。もうお分かりでしょう、彼は龍と巨人との果てなき戦に終止符を打つべく現れたのだと。
みなさま、もしやコンラートがいたずら心に嘘をついたとお考えでしょうか。
そんなことはありません。
とはいえ実際のところ、私も初めは彼の話を完全に信じてはいませんでした。
ところが彼は、私たちが嫌が応にもその不思議な力を持っていることを認めざるをえない事件を次々と起こしていったのです。
始まりは私が彼を連れて、ハブルムールの王に謁見したときのことです。
それはお城の大食堂で会食という形で行われました。
そう、私たちのお城では毎日多くの人を招いて晩餐をするのです。
コンラートはゆうに100人は座れるとても長い机の上の、香ばしいナッツや色とりどりの果物などが盛られたたくさんのお皿を見て、目を丸くしていました。
それでも、私が静かにして待っているようにと言うと、席の一つに腰掛けたコンラートは王が来るまで随分と大人しく待っていました。
対照的に、その隣に座る私の娘(一緒に連れてきたのです)はあれこれつまもうとするは、大きな声であれこれとしゃべり出すはで叱りつけるのに大変でした。
そんなこんなで私がやきもきしていると、王が奥の扉からやってきました。
会食のしきたりとして、食事に招かれた人々が順番に王に挨拶をします。
そして、私たちの番が訪れました。
私は王に挨拶をすると、コンラートを紹介しました。
王が驚いたようにコンラートを見て言います。
「初めまして、私は国王ベルナールだ。
君のことはいくつか聞いていたが、見れば確かに珍しい姿だ。
さて、このお城の声が聞こえたそうだが、本当かな?」
コンラートがコクリと頷くと、王は笑って彼の頭を撫でました。
この時はまだ、みな誰も彼もが半信半疑で、それでもコンラートに興味を持って注目していました。
それで私たちは新しい不思議な仲間が増えたことを祝って乾杯したのです。
ともかくもこうして楽しい晩餐が始まり、私たちに混じってコンラートもあれやこれやと手をつけていました。
コンラートはたくさんの人々から一斉に質問を受けながらも、しっかりとそれに答えながら食事を楽しんでいましたが、その手が突然止まりました。
そして娘のロココが一つりんごを取ろうとした時、コンラートが言ったのです。
「ああ、ロココ。ダメだよそいつは。虫に食われてる」
果たしてそのりんごは確かに虫に食われておりました。
なぜそんなことがわかったのか、みな不思議でした。
虫食いの跡は彼の目からは見えなかったはずなのです。
そうするとコンラートは言いました。
「そこの虫が話しかけてきたんだよ。
たらふく食って寝てるうちに、変なとこに来ちまった。
坊主、ここはどこなんだい、ってね」
それで私たちはみな、彼が私たちに聞こえないいくつかの声を聞くことができると確信したわけなのです。
そして新たな疑問が浮かび上がりました。ならば、コンラートはその虫に語りかけることができるのか。ということです。
その答えをコンラートは知りませんでした。
ただ、試してみると言ってそのりんごに向き直りました。
「虫さん、虫さん。
ご機嫌よう。
君は今、ハブルムールのお城にいるよ。
顔を出して覗いてごらん。
たくさんの人が君を見ているよ。
林の中に帰りたいかい。
それなら一つ君の芸を見せておくれ。
さあ、りんごの中から出てこよう。
君が僕たちに芸を見せてくれたら、君はおうちに帰れるよ」
すると、一匹の芋虫がりんごから這い出てきました。
芋虫はその体をうねうねとしならせて辺りを見回します。
そしてコンラートを見つけると、しばらく彼を眺めた後、りんごのへたの上に登りジャンプしてくるっと一回転して見せたのです。
少年は芋虫を指に乗せると、食堂の窓を開けて庭に放してやりました。
大食堂は一気に歓声と拍手の音に包まれました。
誰も芋虫が宙返りができるなんて知らなかったし、今でも信じられません。
でもそれ以上に、コンラートが芋虫に言って、やらせて見せたことの方がはるかに驚きとしては勝っていました。
何せ、コンラートが私たちの聞くことのできないことを聞き、私たちが思いを伝えることのできないものに話しかけることができると証明されたのですから。
コンラートはそのあと、私たちのうちに住まうことになりました。
王城に厄介になるという話も上がりましたが、彼本人が私たちの世話になることを希望したのです。そしてなんとも不思議なことに、彼は自分の家に帰ることや、両親や友達に会えないのを一向に頓着しない様子でした。
ただ、ハブルムールの国にあるたくさんのものが物珍しく、輝いて見えるそうで、街を歩くコンラートはいつも生き生きとしていました。
私はコンラートを家に招いて一緒に過ごす傍ら、王や王子、大臣たちと彼の処遇について丹念に話し合いました。
処遇と言っても、別に彼を害するつもりがあってのことではありません。
私たちはお城が残した言葉を本気で考え、彼がどのようにして私たちの平和に貢献してくれるのかを議論していたのです。
何しろ、コンラートが言うには初めに話したときをのぞいて、彼がどれだけ語りかけてもお城は話しかけてこなくなったのだそうです。
それで私たちは今後についてを自分たちで考えることにしたのです。
しかし、その試みはうまくはいきませんでした。
単純に考えて、巨人たちと龍たちとが激しく争っているところにコンラートを連れて行って、彼らに戦うのを止めるように言ったとしても止まる訳がありません。
だってそうでしょう。
あなたがもし本気で怒って喧嘩をしているとして、「やあ、キミ。喧嘩はボクらの邪魔だから早くやめておくれよ」なんて言われて、その手を休めるでしょうか。
何も知らないくせに、と言って余計に怒るに違いありません。
ですから、本当に彼らの戦いを止めようと思うなら、何か別のアプローチが必要だったのです。しかし私たちには、それが思い当たりませんでした。
そうして季節は春になり、お城にもたくさんの花が咲きました。
人々は陽気に外を出歩いては、昼寝をしたり、本を読んでいました。
私も王もコンラートも、みんなのどかな日々を楽しんでいました。
ところがある日、恐ろしいことが起こります。
なんと大人が10人は入るようなとても大きな塊が、川を伝って流れてきたのです。それはクリームのように柔らかな色合いをした丸い卵のようなものでした。
河原に打ち上げられた巨大な塊は町の大通りに運ばれて、たくさんの人がそれを見物していました。
そこにコンラートも呼ばれました。
その巨大なものから声が聞こえるかと尋ねられて、彼はこう答えました。
「うん。……中に何かいるみたい。出たい、出たいって言ってる。
でもまだ早いみたい。
やっぱりこれは何かの卵なんだよ」
卵と言われて、次に私たちが考えたのはそこから何が出てくるのかということでした。私たちの何倍もある大きさの卵ですから、生まれてくるのはきっと巨人か龍に違いありません。
そしてどちらが生まれてくるにしても、それは災いに他ならぬように思えました。ところがシュヴェリーン王子がこう言ったのです。
「コンラートくん。
君は前にりんごに巣食う芋虫とお話をして、芸をさせてみせたね。
もし、この卵から巨人か龍の子が生まれたら、
君はその赤ちゃんとも友達になれるだろうか。
そして、君を通じて私たちも
友達になることができるだろうか」
その言葉にコンラートは強く頷き言いました。「やってみる」と。
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