【B-4】
【B-4】
コンクリート壁の、色気さえない一室。
そこは異界隔絶により次元の中に放り出された個室だ。
熱くもなく寒くもなく。空気はあって空気はない。光はあって光はない。
如何なる種族、如何なる存在、如何なる体質にも適応することができるその空間。
普段は組織本部が様々な重要参考人、或いは保護した対象を待機させる部屋なのだがーーー……、現在は件の依頼を受けた、あの後の説明を聞きそれでも参加した者達を待機させる部屋として使われている。
いや、正しくは待機させるというより、運搬する部屋、か。
ごうんごうん、と。臓腑が躍動しているかのような重苦しい音が何よりの証明であった。
「…………」
そして、その部屋には数百近い影。どれもこれも、人の形でありながら人の姿ではないものまで。
大凡この世の光景ではないーーー……、百鬼夜行という言葉さえお世辞に聞こえるような、異形なる者達がそこにはいた。
「ったくよォ。用意すんならVIPルームにしろってェのぉ」
「あー。いいッスねぇボス。カワイイ女の子は当然として、やっぱ薄暗くないと。俺、土はアンデ産がいいっす」
「ばっかおめー、やっぱモフロッポ四地区ものがベストよぉ。知ってっか? 上からな、土嚢みたく重し乗せるんだよ。そしたら土の成分が凝縮されんだ。ぎゅゥ~んってな」
「ボス、それたぶんガセっすよ。だってこの前モフロッポ二地区の摘発されてたじゃないッスか。品質偽装って。七割ぐらい廃棄汚泥混ぜてたって」
「あぁ!? マジかよ! 俺モフロッポ二地区もの数ヶ月買い溜めてんだけど!!」
「だから買い溜めはやめた方が良いつったでしょ。寝かせたって変わんないんだから」
「そ、そうかぁ~? やっぱ柔らかさがよぉー」
そんな一室も決して広くはない。
いや、数十人が押し詰められるのだ。相応の大きさはあるが、精々25m×30m。解りやすく言えば体育館一個分といったところだろう。
しかし周囲から次元単位で隔絶されているので防音も完璧だ。だからこそ内部へその者達の喚きはよく響く。
まだ端々の者は良い。だが、その部隊ーーー……、バラヌス・ストリエ率いるジヅェルン傭兵部隊の隣前後ろの者達はたまったものではない。
多くの者が眉根を顰めるにも関わらず彼等は大声での会話を辞めないし、挙げ句は聞くにも耐えない下卑た話までする始末。
必然、密室でそんな事をすれば苦情も出よう。
「見た目が見た目なら頭も頭だネ」
それは当然の侮蔑で、当然の苦言だった。誰しもが思っていることを、その者が口にしたに過ぎない。
だが、閃光が、反響する。
視線を向けず、躊躇さえなく、顔色は変えず。バラヌスはそう呟いた者へ弾丸を発砲したのだ。
彼の部下もまた誰一人として顔色は変えない。ただ先程のように談笑を続けるだけ。
白煙吹き上げる銃口を下げたバラヌスもまた、楽しげに笑う部下達の話に肩を寄せていく。
だからこそ一室へ残された余韻は、ジヅェルン部隊の者達が放つ異様さは、余計に一種の狂気を放っていた。
「何だ!? 今の銃声は何だ! 誰が発砲した!!」
無論、この混乱を責任者である彼が、筧が放っておけるはずもない。
人混みを掻き分け、先程とは打って変わってスーツ姿からパワードアーマー姿となった彼が現れる。
周囲の者達は口にこそ出さないが、誰が何をしたのかを視線で報告した。否ーーー……、射線が刻まれ人で彩られた道と、その先にある者の様子を見れば、嫌でも解るだろう。
鮮血の華が咲き、脳漿の花弁にて彩られたその姿があれば。
「殺したのか……! バラヌスッ!!」
「あぁー? んー? そらなァ~。侮辱するってのは名誉を傷付けるってことだ。名誉を傷けたら決闘するだろ? でも決闘とかって手続きとか面倒じゃん? けど今回は運良くアイツが俺に聞こえないように言った。だから俺も見えないように撃った。それだけだ」
「そんな道理が通るとでも……!!」
「通るさ。どのみち、そんな雑魚はこの作戦にゃ足手纏いだ。ン? 何なら責任者のテメェ以外、全員ここでブッ殺したっていい! 俺らの部隊がいりゃ創造級でもラクショーだ!! えぇ? 何たって今回の創造級は」
にぃ、と。ブラックレザーの下で、牙が唸る。
「ただの人間だ。……だろう?」
第一部隊、紫紋が残した情報は非常に有益だった。
まず、今回の創造級が存在する世界は第七十四世界三回廊八十七パラフェクト。即ち現代日本と大きく重なる世界である。
技術力、人口、人種、言語、果ては文明や文化に到るまで。僅かな差違と言えば歴史や領土、国土などだがーーー……、そこは誤差でしかない。
この辺りはまだ前情報などなくとも対応できる部分だ。重要なのはここからである。
紫紋の面々の行動は的確で迅速。能力反応感知装置を用いて即座にその地へ赴いたのだ。創造級の影響か世界各地から反応こそ出ていたが、創造級の反応はただ一つ。余りに明確すぎる反応がそこにはあったが故に。
某県某市某町。そこにある病院へ。
「流石は連中だ。能力反応感知装置から引き出した情報から対象を明確に判別した。相手が人型であること、生命エネルギーは若者であること……、そして、そいつはそのエネルギーに重大な欠陥を抱えていること!」
何より重要であるのは、欠陥という点。
異貌の力、特に創造級のそれは決して曖昧なものでも安穏なものでもない。
一つの器があったとして、そこに注がれる水が異貌の力だとするのならば、一般的には水の種類や量が変化する。それこそが異貌の力だ。
だが、創造級は水だけでなく、その器を創り出す力。否、或いはその持ち手さえも、注ぐという概念さえも。
「流石は紫紋の召喚部隊サマ。魔力感知は何処にも劣らねェ。これを調べ上げたのは感嘆するより他ねェもんなァ。……この、欠陥があるという事を調べ上げたのは」
欠陥。肉体であれ精神であれ、巨大なものにこそあってはならないもの。
器に穴が開けば、水ではない何かが注がれるのならば、持ち手に指がないのならば、注ぐということを戸惑うのならば。
水は零れる。溢れる。その世界だけではなく周囲の次元にさえ、影響を及ぼしてしまう。
「使えねェんだ。使えば自壊することを本能が察してる。だから、肉体は異貌の存在を認知しない。できない! ……生物が毒を見て呑もうとするか? 知ってるんだよ。これはダメだ、ってな」
生物故に。教育や学習以前に知っている。生きる為の本能として、体がそうあってはならないと知っている。
人間という知能ある生物なら、尚更。
「異貌の存在さえ、認知させない。してはならない。生物故に、生命故に! 異貌も使えねぇ人間のガキが今回のターゲットってワケだァ!!」
バラヌスの頬から、涎が垂れ流れる。下卑た嗤いが溢れ出す。
その様は薬物中毒者さえ顔を引き攣らせるような、余りにおぞましいものだった。
ぐるりと金色の眼がひるがえり、皮膚上の鱗が強すぎる嗤いに耐えきれずささくれている。
狂気。それは違いなく、悦楽の美酒さえも飲み干す狂気の喉笛。
「……ケ、ァ、ハーーーー」
全てを飲み干したが如く、バラヌスは彼は腹の底から息を吐き出した。
口端を伝う涎を肩腹で拭い、鱗のささくれを指先で弾きながら。
ブラックレザーの隙間に舌を這わせ、言い放った。
「だが紫紋の連中は死んだ」
余りに、呆気なく。
彼等の死亡通知が意味するものは、紙切れよりも軽くなって。
欠陥という報告書の言葉は、重圧な鉛よりも重くなって。
「……ふ、クク。全くバカな、あぁバカだ!」
然れど彼等にとっては、鉛なぞ普段から指先で弄んでいる。銃弾として。
その程度の重さなぞ普段から背負っているのだ。弾倉に込めているのだ。
「バカげた話だ! よーするにアレだろ? 今回のは油断した馬鹿共の尻ぬぐいってこった! 異貌を扱えないヤツに何ができる? あ? 現代ニホンってェのは銃器も禁止されてるんだっけか? だったら尚更ラクショーだなァ!!」
穴が空いた器でも雫ぐらいは飲める。
彼等は油断したのだ。欠陥品ならば何と言うことはないと手を抜いたのだ。
だから、死んだ。高が欠陥品に皆が皆して押し潰されたのだ、と。
「……侮るな、バラヌス。慢心は死を招くぞ」
「慢心? 違うね、余裕だ」
その合図と共に、部隊全員がスライドを引く。引き金に指を掛ける。白刃を、黒槍を構える。
言葉に偽りはない。彼の部隊で掛かれば、この場の半数は殺せるだろう。確かにそれだけの実力はある。
そして何よりも、いや、彼こそが、バラヌス・ストリエこそが、この部隊最大の戦力を有しているのだ。
「雑魚がへーこらへーこらマスかいてよぉ! そんなに楽しいか、お遊びは! えぇ? 俺は楽しいね! お前等と違って力がある! 強さがある!! 信念がある!! 雑魚が銃ぶっ放して悦に浸ってる時、俺は相手を殺して勃起してる!! お前等が命は何だ生きる理由は何だと論じている時、俺はテメェ等を殺すことができる!!」
「殺すことが悦楽だとでも言うのか……? 野蛮人めが……!」
「野蛮? いいや違うね。相手を殺せる力があるのに、殺すべき相手がいるのに、相手のことを可哀想だ何だと、見逃してあげようだ何だと! 憐れんで見下してるテメェ等の方がよっぽど野蛮だぜ!! 俺等は力を持っているのにそれは使うべきでないと主張する! 戦う意志があるのにそうすべきではないと誇張する!! 己を縛り付けて生きることこそ正義だと吹聴する!! そんなでく人形みてぇな一生を過ごして、言葉でしか相手を殺せないテメェ等の方が、よっぽど不純で、野蛮だろうが!!」
「論ずることが野蛮だと言うのなら、正義こそが野蛮だと言うのなら! 人と獣の間に何の差がある!! 知識を持つ者と持たない者、そこに、いったい何の差を見る!? バラヌス・ストリエ!!」
「簡単だ! 牙で殺すか、銃で殺すか!! ……人も獣だぜ? カケェエエエエエイ」
その様子を見聞していた者は誰一人として何も言えなかった。
二人の間に割って入ろうとした能城でさえ、言葉を失っていたのだ。
バラヌスの理論を否定できないわけではない。反論できよう、糾弾もできよう。
だが、誰一人としてそうしない。できないのだ。どんな風にでも、言い様はある。
生きる意味だとか、その素晴らしさだとか。まともな世界に生まれた者ならば幼少の頃から学んでくることばかりではないか。
だと言うのに誰も、それを否定できない。理論以前ではなく、バラヌスの異様なまでに確固たる自信によって、だ。
「ま、落ち着くと良いヨ」
ただ、バラヌスによって塗り潰されかけたその場を収められる者が居たならば。
それはきっと、他ならぬ彼女だったのだろう。ざわめきの中、ゆらりとその身を起こした彼女。
つい先刻まで頭蓋に紅色の華を咲かせていた、彼女こそだ。
「我々は争うんじゃないだろウ? 共に戦う仲間ダ。だったらここでいがみ合ウ、よくなイ!」
「……ンだ、テメェ。ド頭ブチ抜いたと思ったんだけどなァ」
女の姿は異様だった。
形こそ人間のそれだ。だが風貌はバラヌス自身と同じ獣のようにも見える。
四肢のところどころに見える体毛だとか、頭に飛び出ている短耳だとか。
いや、そんな物よりも何よりも、全身が僅かに透けていることが何よりの特徴だろう。
「……クラゲ型の海洋種か? それとも宇宙型異人種? 心臓や脳味噌が股間にでもついてんのか」
「いやいヤ、間違いなく陸生種ヨ。祖父は君と同じ獣人で母方はクロールレE―24地区の出身だけどネ」
「クロールレE―24地区と言えば霊体人間の研究所があった……、つまり君は?」
筧とバラヌスの、それぞれ感情は違えど意味は同じ視線に、彼女はにこりと微笑んだ。
悪戯っぽく唇に、人差し指を添えながら。ぐずりと顔面の半分を煮崩れさせたかのように、溶かしながら。
向こう側が見える程度に透けた片瞼をぱちくりと閉じて。
「獣人の生命力と霊体の混血種……、不死身人間やってまス! 名前はシュンデル・アウロテ・E・クロレメンネル・アクラマス・ストラウデーラ・クロミー・ソルソル・ポプ……」
「……長ぇよ」
「じゃクロミーとお呼びくださイ。ホラそっちの人もこっちの人もクロミークロミー! 一緒に呼べば仲良しヨ! 皆さんお手々繋いで仲良くネー!」
筧の手を取ってぶんぶん。バラヌスの手を取ってぶんぶん。
彼女の仕草一つ一つが道化じみているというか、態とらしいというか。鈍った言葉も相まって、随分とまぁ胡散臭いというか。つかみ所がないというか。
普段なら何だこの女はと一歩引くところではあるけれど、今この場に限ってはその胡散臭さとひんやり冷たい握手が逆に彼等の毒気を抜いた。
バラヌスは露骨に不機嫌な舌打ちで彼女の手を振り払い、部下達の後ろへ下がっていく。
筧もまた、撃ち殺された彼女が無事ーーー……、いや、無事と言って良いかどうかは解らないが取り敢えず生きてーーー……、生きているという表現さえ正しいかどうかは微妙だが、問題なさそうだったので、追求するに追求できなかった。
予期せぬ、そして望む形ではないが場は一旦収まり、一室には奇妙な静寂が流れ出ることになる。
「……兎も角だ。諸君、聞いてくれ!」
と、一呼吸置いた筧の叫びが皆の注目を集めた。
既に予定の待機終了時間が近い。移動音も収まり始めたし次元接続も終了する頃合いだろう。
この個室が開かれ、異次元街道を通った先は、第七十四世界三回廊八十七パラフェクト、即ち創造者が損座する世界だ。
紫紋が壊滅し、彼女がーーー……、極月暮刃までもが消失した世界だ。
「我々はそれぞれ四人一組のフォーマンセルで動く! 特例として既成部隊、既成チームの面々は独断行動を許可するが、被害は最小限に抑えること。無駄に騒ぎを大きくして創造級を刺激し、対象の効果範囲を広めることは禁止する」
各員が事前に渡された、対象世界の地図や地形。空気圧や重力度に到るまでを詳細に記す資料に目を通す。
幾千と羅列された文字の中、白枠で囲まれた写真に写っていたのはとある病院だった。
大学病院相当の、白地に真っ赤な十字架が掲げられた、ありふれた病院。
文字はその病院に到るまでの明確な道程を示していた。
「我々の目標は迅速に、そして隠密に対象を抹殺することだ。……これは警告ではなく忠告だが、あの紫紋が全滅したという事実は決して忘れないでくれ」
その一言にバラヌス率いる部隊が鼻で笑った気がしたが、筧は気にせず説明を続ける。
ほとんどは二度目の会議でなぞったことばかりだ。その点は問題ない、が。
何か、よく解らない、有り体に言えば嫌な予感が脳裏を離れない。
欠陥。対象は異貌の存在を使えず、或いは認知さえできていないということ。それは結構。
ならば意識外から即座に仕事を終わらせるだけだ。ただ首を撥ね、迅速に処理するだけだ。
現に紫紋もその選択肢を選んだのだろう。認識される前に殺す、と。
「襲撃は各チームが目的地に達した後、こちらから開始合図を送る」
だが、彼等は全滅した。もし情報が違っていて、相手が異貌の存在を認識し、それを使役していたとしても、彼等の全滅は余りに大きな、そして不穏な意味を持つ。
紫紋は何を見た。極月は何を聞いた。あの世界に、いったい何がある。どうして彼等は欠陥品相手に、全滅したのか。
第七十四世界三回廊八十七パラフェクト。この世界は、何かがおかしい。
「……では、諸君」
悪寒を押さえ込み、奥歯を噛み締める。
眼底に充血が籠もり僅かな眩みが筧を襲うが、それに構う暇などない。
これより彼等は世界一つ、否、次元さえも蝕みかねない人物を抹殺する。
それは漆黒の虚に身を放り出す行為とイコールで繋がる。そこに何が巣くうのか、どれ程の深さがあるのか、いやそもそも底があるのかさえ解らない虚に。
然れど逃げるわけにはいかない。異貌狩りの役目を、全うしなければ。
「計画を、開始しよう」




