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【C-2】

【C-2】

 

「この世には侵してはならない領域が二つあるわ。神と……、生死よ」

 月の光に、陰りが差した。

 乱れ果てた病室の中、青年の膝を折る音が響き渡る。

「識那君。貴方は……、緋日ちゃんが死んだと認めたくないが為に、世界を造り替えた。創造級の力を使って、彼女を甦らせようとした。けれどそれは不可能だった」

 神は信仰と力故に侵してはならない。

 ならば、生死は何故侵してはならないのか。

 それは単純に、不可能だからだ。

「彼女は既に死んだ身。創造級の全ての力を持ってしても生命エネルギーを補完し切ることはできなかった。だから貴方は世界を造り替え、自分に都合の良い世界を創り出した」

 人形を緋日と信じて。

「誰も貴方達の関係を否定することはなく、今という幸福な時間だけが続いていく。彼女をベッドという狭い世界に閉じ込め、そこに自分が手を伸ばすという幸福な時間だけが続いていく。……そんな世界」

 識那の脳裏を過ぎるのは記憶だった。

 それはこの世界の記憶ではない。彼が、この世界を造り替える前の記憶。

 塾講師の怒鳴り声が鼓膜に響く。勉強しろ、受験に落ちても良いのか、と。

 同級生達は緋日を拒絶した。確かに彼女のことは気の毒だが構っている暇はないから、と。

 両親でさえも彼女のことは忘れて学業に専念しろと言った。所詮は向かい家のことだ、と。

「……貴方は、識那君」

 極月の指先が、識那の頬を撫でる。

 彼の涙を、拭う。

「愛する少女との日々のために……、全てを犠牲にした『孤独な(ハーメルンの)笛吹き』なのよ」

 あ。

 識那は短く、そう呟いた。

 己の顔を覆い、眼を見開いた。指先で隠された闇に映るものは何か。

 瞼の裏でも、闇の中でもなく。その手によって隠していた本当の物とはなにか。

 あの日ーーー……、緋日が倒れたあの日。冷たくなっていく彼女の手を握っていた。

 冷たく、なっていった。冷たくなっていたではないか。あの時、緋日は、もう。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 凍り付いた世界が割れる音がした。

 薄氷の水面に金槌を叩き付けたように。硝子の鏡を墜としてしまったかのように。

 火災報知器の警報などよりも激しく、甲高く、その場にいた誰もが耳を塞ぐ。

 彼等の眼に映る景色に亀裂が入り、世界は闇の中へと溶けていく。

 空に浮く瓦礫。目の前の戸棚や、ベッドや、仲間までもが分解し闇に融け逝く瓦礫に置き去りとなった。

 ただ、割れる。割れて、壊れる。この世界という法則自体が、夜天の空が如き闇へと。

「……ッ! ワース、能城さん! クロミー!!」

 筧は叫びを上げ、能城の倒れた欠片へと飛び移る。

 跳躍の最中、見えた軋轢の狭間。それは遙かに深い、闇よりも虚空に等しき空間だった。

 落ちればただでは済まないだろう。いいや、消滅さえ赦されるかどうかは解らない。

 あの創造級の対象ーーー……、御弦木識那という青年の、狂気の狭間に。

「か、けいさんっ……!」

「喋らないで、傷が酷い……! ワース、クロミーをこちらに移動させられるか!?」

「この状態では流石に……。ウィズ。能城様を抱えてこちらに来られますか」

「やってみるがっ……!」

 能城の片腕を引いて踏ん張った瞬間、彼の全身が悲鳴を上げた。

 捻り切れた腕や臓腑、四肢の関節もそうだ。能城の重圧な体躯も重なって、とても踏ん張れる状態ではない。

 ない、が。このまま散らばっていては虚空に飲まれるのも時間の問題だろう。

 いや、それだけではない。頭上からーーー……、降り注ぐ金切り声。

「……まさか、そんな」

 最早、クロミーや極月の目を通すまでもなく、彼等にもそれが視認できた。

 霊体。幾千幾億という霊体が、この世界の仮初めを憎悪し怨嗟を吐く霊体達が降り注いできたのだ。

 町々の異貌共を食い荒らし、食い潰し。四肢を裂いてはその肉に埋もれて、消えてゆく。

 成仏などという言葉では言い表せない、余りにおぞましい光景だった。

 そして、既に肉を喪った霊体は、新たなる肉を求めて彼等へと迫り来る。

「ッ……! 能城さん、霊体を封じる方法は!?」

「聖水か、清めの塩……、風土にも寄りますが純銀ならば。ただ、彼等はただの霊体だ。肉体から無理やり追い出された純正の魂だ。追い払うことはできても成仏までは……」

「ちぃ……!」

 彼等が言葉を交わしている内にも、ワースとクロミー、そして極月と識那のいる欠片は軋轢の狭間に離されていく。

 迷っている暇はなかった。筧は歯牙を食い縛り、強く眉間に皺を寄せる。

 そして、慟哭。腹の底から叫びを上げながら、能城を引き摺るようにして駆け出した。

 ワースとクロミーのいる、欠片へと。

「ぉおおおおおおおおおおおおおオオオオオッッ!!」

 ドンッ、と。

 大砲の砲弾を撃ち合わせるが如き、重く鈍い音。

 それと共にワースとクロミーのいる欠片へ二人が飛び込んで来た。

 着地は上手くいかず転がるはめになったが、間一髪、どうにか彼等は合流できたのである。

 だが、極月と識那の瓦礫は最早、跳躍でとどく範囲にはなく。

「極月ぃッ!!」

 筧の叫びが虚空に響き渡った。

 然れどその叫びは幾体もの霊体という膜に覆われ、彼女達にとどくことはない。

 虚空の底へ、消えていく彼女達へ。

「極月ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」

 今一度の、咆吼さえも虚空の中で向かい合う彼等に伝わりはしない。

 いや、向かい合ってなどいないだろう。一人は闇を、一人は孤独を見ているのだから。

「……僕は」

 己の顔を覆い、この手の中の黒に追憶する。

 怒号、叱責、侮蔑。冷淡なこの世界の、当たり前の光景だった。

 世界は夢物語のように優しくない。既に死した少女に固執する彼を忌避した。

 肉親までもに拒絶され、彼の思いはどうなったのだろう。愛した少女の亡骸に何を誓ったのだろう。

 受験、と。ただそれだけのこと。然れど彼の周囲からすればそれは全てであり、何よりも重要なことだった。

「緋日といることが、幸福だった。あの子と遊んだり、共に過ごしたり。そうすることが何よりの幸福だった……」

 けれど、彼の幸福と周囲の幸福は違った。

 だから、拒絶されたのだ。強要されたのだ。彼等の幸福を。

「先生、僕は……、どうすることが正しかったのですか。こんな力を持っていたから、いいえ、持っていなくても僕はきっと緋日を追い求めた。彼女に寄り縋った! 緋日が、緋日がいてくれたから僕があった。彼女との日々が僕だった!! なのに、どうしてっ……!!」

「貴方が得た力を……、『異貌』というわ。異なる(カタチ)ーーー……、異貌。私達の、いいえ、どんな世界にも異界にも当て嵌まらない力よ。貴方のように誰からも認められず外れてしまった力」

 彼女の指が、今一度彼の頬を撫でる。

「けどね、私達はその力を使って人を助けることを望んだ。誰かを救うことを望んだ。……貴方のように、孤独な人であれ、救おうと誓った」

「救う? 救えない、救えるはずがない! もう、もう緋日はいないんだ!!」

「喪ったものは戻らないのよ。それが過去であれ、物であれ、人であれ……、命であれ。それを求めた瞬間、人は異貌へと堕ちてしまう。だから私はこの世界を壊したくはなかった。貴方達を、貴方を異貌へと墜としたくはなかった」

「……僕は、堕ちてでも、彼女と共にいたい」

 低く、嗚咽混じりの声。

 けれどそれは彼の心からの叫びだった。

 この世の全てなんて、いらない。ただ緋日だけがいればいい。

 異貌を知らず、幸福も知らず。ただ一人の少女を求め続けたが故の末路。

 決して救えぬ、救われぬ、青年の物語。

「彼女にまだ、謝ってもいないのに……!」

 人が全てを捨てるに足るのは何か。愛か、金か、名誉か、時間か。

 違う。後悔だ。後悔を拭うためなら、人は何でも捨てられる。

 それがもう取り戻せないものだと知っているから。

 そしてまた後悔する。満ち足りぬ懺悔のために自身を傷付け、また己の首を締め付けるのだ。

「……貴方は、識那君。貴方は緋日ちゃんを本物だと思えるかしら」

 ふと、識那は眼を開いた。亀裂に沈む虚空を見た。

「あの世界にいた緋日ちゃんを、本物だと思えるかしら。貴方が思い描き、繰り返される日々の中にいたあの子を……。貴方は本物だと思えるかしら」

「……そ、れは」

「……違うわ。あの子の存在を説いてるんじゃない。貴方の思いを説いているのよ」

 あの世界は確かに仮初めの世界だった。

 だが、識那の、緋日に対する思いだけは本物だったはずだ。

 彼女を知り、彼女を思い、彼女の為に、あった世界のはずだ。

「あの子はね、言ったのよ。私は鼠になりたい、と」

 瞼が、開かれ。

 彼の闇覆う手は落ち、涙流す瞳が彼女を見上げた。

 慈悲深く、然れど悲歎に歪む隻眼を。その先に拡がる虚空と、散りゆく欠片の町を。

「ハーメルンの笛吹きに出てくる鼠は、笛吹きに追い払われ河で溺れ死ぬ。村人に厄災を与えた獣よ。……けれど、それだけじゃない。鼠がいなければハーメルンの笛吹きが村人に、その村に、世界に認められることはなかった。彼等と関わることはなかった」

 緋日が望んだ鼠は厄災の鼠ではない。

 己の身を焦がしてもなお、彼と世界を繋ぐ架け橋になろうとした。

 例えそこが残酷な世界であったとしても、冷淡な村であったとしても、彼に孤独であって欲しくなかった。

 だから彼女は、それを望んだのだ。御弦木識那という青年が孤独(・・)でない世界を。

「緋日ちゃんは貴方に幸福な夢物語ではなく、残酷な現実を望んだのよ」

 識那が、嗚咽を零す。

 虚空に崩れゆく町が、天より濁流が如く迫り来る霊体達が、離れゆく欠片から叫びを上げる筧達が、止まった。

 その時間は如何なる世界線からも隔離され、セピア色の風景が拡がった。

 あの病室の、ベッドに横たわった少女の姿。幾日も見た光景だった。幾日も繰り返した世界だった。

 蒼空が拡がる窓を眺めたまま動かない緋日の姿。音一つない静寂と、色褪せた世界と、止まった時間と。

 ほんの少しだけの、記憶の残滓。創造級の力が残した、最後の欠片。

「……あ、け」

 名を呼び終えることはできなかった。

 世界は弾けて消えていく。弾け飛ぶ飛沫のように。儚き泡沫の夢のように。

 いいや、違う。最初から全て夢だったのだ。創造級という力があったから、叶えられた夢。叶えられてしまった夢。

 それはきっと、悪夢だったのだろう。余りに幸せな悪夢だったのだ。

 日が昇る。壊れ逝く世界の中に日が昇っていく。赦されぬ幸せは終わりを迎え、赦される現実が来るのだろう。

 堕睡に現を抜かす時は、もう、ない。

「……立ちなさい。そして、生きなさい。貴方にはその義務がある」

 識那が伸ばした腕が飛沫を掠めることはなかった。

 その手を取ったのは、他ならぬ極月だったからだ。唯一この夢を赦し、共に堕睡へ沈んだ彼女だったからだ。

 願わくば、と。然れどそれが赦されないと知っているから。知っていたから、彼女は赦した。

 己に与えられるはずもなかった安寧に、偽りでも彼等の幸福を眺められることが極月にとって、最愛の日々だったのだろう。

 血塗れになり、三肢を喪えど異貌を狩り続ける日々よりも。その方が余程、幸せだったのだろう。

「貴方と私には、その義務がある」

 だけれど、生きなければならないのだ。

 この夢の中でいつまでも幸福でいることはできない。現実は必ずやってくる。

 だから、起きよう。彼等がいる。彼等と共に、起き上がろう。

 例え辛くても、それが現実だから。彼女が迎えることのできなかった明日だから。

 繰り返される日々のから一歩、先へ。

「……さようなら。緋日ちゃん」

 伸ばした手が、静かに落ちて。

 二人は立ち上がった。同時に、世界の停止した刹那は解き放たれた。

 幾千幾億もの霊体達が二人に降り注ぐ。土砂降りのように、尽きることなき砂嵐のように。

 筧の絶叫が響き渡った。虚空なる世界に消えていった。

 眼前で、彼等は、霊体達に飲まれ吐息一つ零すことなく、喰い潰されてしまってーーー……、

「3ノ陣記シテ3ノ境界ヲ持チ3ノ色彩捧ゲタモウテ召喚ス」

 空間に描かれた三色三つの魔方陣が三本の線によって引き裂かれた。

 その魔方陣から獣の片腕が、否、半身が飛び出して霊体達を抉り殺す。

 鋭利なる爪は如何なる霊体をも無慈悲に引き裂き殺して行く。幾百という絶命の悲鳴は容易く反響する筧の叫びを掻き消した。

 いや、彼はその光景を見た瞬間に叫びを止めたのだ。絶叫としてではなく、彼女の名を呼ぶ為に。

「出でよ咎刻まれし獣の半身よ」

 咆吼と共に魔方陣から獣が姿を現した。

 然れどその姿は、巨大な人型の狗に鋼鉄の鎖をつなぎ合わせたような、恐ろしき姿は。

 まるで脳天から一刀両断されたかのように割れており、断面には生々しい生命の躍動があった。

 三色三陣三線による獣の召喚。ヨハネの黙示録に記された獣の具現化。しかしそれは自身の強大な力故、この世界に召喚することはできない。

 だからこそ極月は半身を切り取った。半身のみをこの世界に召喚したのだ。

 紛う事なき、異貌の力として。

「……異貌の力が、使えるのか!!」

 筧がそれに気付くと共に、彼等にもまた幾千の霊体が襲い掛かった。

 銃弾で対処しきれるはずもない、数えることさえ億劫な数。

 それ等が一斉に腕を伸ばして牙を剥く。狂気と憎悪に満ちた叫びと共に。

「……あの時のように、見捨てはしない」

 彼は、能城は懐から二枚の護符を取り出した。

 そして自身の腹に指を這わせて鮮血の朱肉となし、五芒星を描く。

 あの子達の仇を、と。そして彼等に安息を、と。その言葉と共に最後の力を振り絞って、護符よりそれを降臨させる。

 現れるは巨影。八の豪腕に八の禍津剣。三の脚に三の鉤爪。十の黄眼に十の殺意。

 彼の国で信仰され、修羅神として名を馳せる梵天羅刹如来が降臨した瞬間であった。

「願ヒ賜ウッ…!」

 腕の一振りにて眼前の霊体全てが爆ぜ飛んだ。

 空間さえ削り取りかねない一撃。剣の一斬は視界の先にある町の欠片までも塵芥に等しく斬り伏せる。

 余波でさえ、他の欠片を弾き飛ばすほどの威力。神の一端が人の身を糧に降臨してこの猛威。

 それを示すが如く、梵天羅刹如来は八の腕を拡げて迫り来る霊体を次々に薙ぎ伏せた。

「筧さん、今の内に……! 異次元街道への扉を!!」

「……はい!」

 筧が懐から取り出した、何十本という鍵の束。

 銀輪によって纏め上げられたそれから、彼は鍵山のない、棒状の鍵を取り出した。

 それを眼前の空間に向かって捻った瞬間、巨大な扉が彼等の前に姿を現す。

 異次元街道。彼等がこの世界に来る際に通った道であり、全ての異界に連なる空間だ。

 異貌の力が使える以上、ここを通って脱出できれば元の世界へ戻ることができる。

 できる、が。

「……極月ッ」

 今現在もなお崩壊している世界だ。間もなく、異次元街道は安全措置のために世界を丸ごと切り離すだろう。

 そうなればこの鍵でも異次元街道の扉を開くことはできない。崩壊する世界の中で、収束の摂理にのみ込まれるだけだ。

 いや、その前に霊体達に食い潰されるだろう。彼女の装備と魔力で耐えきれるはずもない。

 このままでは、彼女達は。

「……能城さん、立てますか。一度異世界街道に入って、扉を閉めてください。そうすれば次元が隔離される。また扉を開いても別の場所に出るでしょう。貴方達に危険はなくなる」

「な、ば、馬鹿なことを! 今ここで私が異次元街道に入れば梵天羅刹如来の降臨も解除されてしまう!! そうしたら、いったい誰が貴方を霊体から護るのですか!!」

「どうにかします。……ワース、能城さんとクロミーを任せられるな?」

「は、命令には違反させていただきます。ウィズ」

「そうか、任せ…………、何?」

「指揮官を見捨てるわけにはいきません。何より貴方がいないと報酬も貰えないし、損失した機体の補償も効かない。貴方だろうと能城様であろうとクロミー様であろうと見捨てるという選択肢はありませんね。ウィズ」

「だがっ……!」

「グダグダ言うならさっさと行きましょう。ウィズ。彼女達を助けたいのでしょう?」

 能城が、頷いた。こことクロミー君の守護は任せてください、と。

 ワースが浮遊する。人間三人分ぐらいなら最大出力で少しだけ飛べます、と。

 彼等の眼には意志があった。諦めてたまるか、と。諦めなければ希望は見えてくるのだ、と。

 例え如何なる困難な状況でも兆しはある。理不尽だ不条理だと屈する前に、ただ立ち向かう。

 異貌狩りは諦めてはならない。例えそれが絶望的な状況であったとしても、抗い続けなければならない。

 それが異貌狩りとしての矜持であり誇りであり、意義だからだ。

「……頼む」

 筧は左手で髪を掻き上げた。双眸には覚悟の眼差しがあった。

 同時に、彼は疾駆する。引き裂かれた右腕をぶら下げながらも、左手でワースを掴みながら。

 そして、跳躍。力の限り極月達の欠片へ飛び出した。底無き虚空が呼び声をあげる。霊体達が格好の肉に飛び掛かる。

 だが、その全てを禍津剣が薙ぎ払い、彼等を欠片へと吹っ飛ばした。

「ッ、ぐ……!!」

 ワースの浮遊で態勢を整え、着地。

 二人の視界に、マスケット銃で霊体を撃ち抜く極月と膝を折り涙を流す識那が映った。

 筧は直ぐさま識那の肩を支えて持ち上げる。負ぶる形になったが、青年の腕はしっかりと筧を首に廻される。

 震えていた。震えていたが、確かな力があった。生きようとする意志が、あった。

「極月、お前もだ! 早くこい!!」

「解ってるわよ。急かさないで頂戴」

 自身の背後に迫っていた霊体に一発蹴りを撃ち込み、獣の魔方陣を解除すると、彼女は疾駆を始める。

 同時に筧も走り始め、彼が飛空した瞬間に極月が彼の脚を片腕で掴み、共に浮遊した。

 後方から迫る霊体は極月によって的確に撃ち抜かれ、牽制され。ほんの十メートルほどの距離を三人がかりの団子状態で浮遊していく。

「極月、彼は……」

「黙って前を見てなさい。……危険はないわよ。この子は力の大半を死者蘇生のために空想の存在へ与えたもの。創造級を持つだけの器はあるけれど中身はない。もう一般人と殆ど変わらないわ」

「……そうか。だが彼の罪が消えるわけではない。それが無自覚なものであったとしてもだ」

 筧は冷静に言い放つ。

 どんな形であれ、世界を一つ滅ぼしたのだ。罪は決して軽くない。

 それに見合った罰が下されることになるだろう。残酷だが、それが現実だ。

 彼の背で識那はぐっと息をのみ込む。解っている。彼女がそう求め、欲したならば、耐えよう。耐えて、償って。償い切れないことだとしても、それが現実なのだから。

 自分は現実にいたいから、と。識那はしっかりと、筧の背中にしがみついた。

「……もっとも、力を無くしたとは言え創造級を宿す才覚があったんだ。それを元に取引すれば極刑は免れるだろうがね」

 外すように、一言。

 識那が思わずがくりと崩れ、極月が大きくため息をつく。

 この男は生真面目だ。生真面目だから、ルールの中に生きている。

 けれどそれは裏を返せば、ルールの中でならどんな風にだって生きるということで。

「……御弦木識那君、だったな。死ぬのは簡単だ。異界の刑罰には死なさずに延々と苦しみを与えるものもある。だが、それは君にとって救いだろう。君は今まで幸福な苦しみの中にいた。それに比べればきっと、そんな刑罰なんて、肉体でも精神でも、そんな痛みなんて君には大したことがないのだと思う」

 だから、と。

「生きて償いなさい。現実の辛く苦しいことに直面して苦悩しなさい。そして、毎日祈りなさい。彼等の姿を、憎悪を、怨嗟を忘れずに後悔しなさい。……そして、生きていくんだ。それが何よりの罰になる」

 識那は小さくはいと呟いた。

 その苦しみは、きっと想像を絶するものだろう。或いは心が壊れてしまうかも知れない。

 だけれど、やはり、それこそが現実なのだから。自分が目を背けてはいけない物なのだから。

「……そういう事なら、まぁ、構わないでしょう。組織との取引は任せるわよ」

「あのな、極月。他人事のように言っているがお前もお前だ。報告を怠り任務に叛した罰則は免れないと思えよ。取り敢えず今回の報酬が帳消しになるぐらいは覚悟しておけ」

「……ったく、仕方ないわね」

 その会話を聞いていたワースは小さくウィズと零した。

 能城が降臨させた梵天羅刹如来の護る、異次元街道の扉まで残り数メートル。

 霊体達も極月の牽制で迂闊に近寄って来れない。出力は残り少ないが、このままなら問題ないだろう、と。

 その思案を裏切るように、機体ががくんと大きく下がった。

 目の前にあったはずの欠片が遠退いていく。違う。自分達が下がっている。

 燃料も急激に減少し、浮遊出力もそれに比例して凄まじい速度で低下していく。

 何が、と。皆の視線が足下に向いた瞬間。眼に映ったのはーーー……、バラヌス・ストリエの姿だった。

 異貌の怪物達に下半身を喰われ、さらに幾体もの霊体にしがみつかれた哀れなその者の姿だった。

「ほウしゅゥは、お、れのモん、だ……」

 爪が極月の脚に食い込む。

 彼女は苦悶に目元を痺れさせ、銃弾を放った。

 その銃弾はバラヌスの眼球を貫き、ブラックレザーを弾けさせる。彼の顔面が大きく逸れた、はずなのに。

 彼の腕は未だ極月の脚を掴んでいた。彼女の義足の接合部がぎちりと肉を引き摺り降ろす。

「づ、ッ……!」

 発砲。発砲。発砲。幾度となく弾丸がバラウスの顔面を、肩を、腕を貫いていく。

 薬莢をかなぐり捨て、牙で撃鉄を引く。そしてまた発砲。幾度となく彼女はバラヌスを撃ち穿った。

 然れど、執念なのだろう。バラヌスは意地でもその脚を離さない。肉が抉れ骨が見えようと、まだ。

「いけない……。これ以上は電力が持ちません、ウィズ」

「ッ……! 極月、撃ち落とせないか!?」

「今やってるわよ……!」

 何発撃ち込めど、やはりバラヌスは彼女の脚に食い込ませた爪を緩めることはなかった。

 下半身から、いいや最早顔面の半分までもが異貌と霊体に浸蝕されている。口から溢れる言葉は意味を持たず、ただ呪言のように零れ落ちていくばかり。

 その執念に取り憑かれた姿は何よりも禍々しい。霊体や異貌などよりも、何よりも。

「も、もうっ……」

 ワースの浮遊高度が、さらにがくんと落ちた。

 手を伸ばせばそこにある。欠片が、異次元街道の扉がそこにあるのに。

 能城がこちらへ叫んでいるのが聞こえる。手を伸ばしているのが見える。

 けれど、それさえも、段々と、遠ざかっていってーーー……。

「怨みはらさデ~……」

 瞬間。

 能城の頭を飛び越えて。幾つもの瓦礫を飛び抜けて。

 彼女の姿が、虚空へと重なった。

「おくべきカーーーーーッッッ!!!」

 ゴギャンッ!

 バラヌスの顔面に脚撃がめり込んだ。衝撃は彼の腕だけでなく、霊体達や異貌までも吹っ飛ばす。

 上空からの全力キック。全体重を乗せたクロミー渾身の脚撃だった。

「ぉ」

 その衝撃により、バラヌスの爪が極月の脚から引き離された。

 耳を覆いたくなるような怨嗟の慟哭と共に彼は虚空へ落ちていく。幾千幾億の霊体に貪られながら、異貌と成り果てながら。

 その様に中指を突き立てながら、クロミーはべぇと舌を突き出した。ついでに二回殺された怨みネと吐き捨てて。

「く、クロミー! 無事だったか!」

「何か知らないけど異貌の力が使えるようになって不死の体カミングミーだヨ! これぐらい活躍しないとお給料いただけないネ! でもこれだけ活躍したからお金がっぽがっぽネー!!」

 ケタケタと笑いながら、彼女は自身の掴んでいる尻から脚に掛けての感触を確かめる。

 筧、なんか柔らかくなったカ、と。そう言いながら見上げた先には虫ケラでも見下ろすかのような極月の眼光。

 思わず悲鳴を上げた彼女は慌てて手を離しそうになったが、どうにか持ちこたえたようだ。

 そうして彼等は、限界ですと言い続けるワースを無理やり飛ばせて、どうにか異次元街道の扉まで辿り着く。

 皆がもう満身創痍で、能城も傷が酷くこれ以上は保てないと梵天羅刹如来の降臨を解除した。

 霊体達が一斉にこちらへ飛び掛かってくるのが見えた。だが、それよりも異次元街道への扉を開く方が遙かに近いーーー……、はずだった。

「……開か、ない」

 一瞬か、数秒か。その差だったのだろう。

 異次元街道の機能が働き、この崩壊し掛けた世界は隔離されたのだ。

 扉は意味を成さず、鍵も使えない。彼等はこの崩壊し逝く世界に取り残されたのである。

 脱出する方法はなく、生き延びる方法もなく。ただ、死を待つばかりの世界に。

「そ、んな……! ここまで、折角ここまで来たのに!!」

「嘘ネ! 何かまだあるはずヨー!! 不死に戻れたのにまた死ぬなんて笑えない冗談ネ!!」

「しかし……、このままでは手立てがないのも事実です。ウィズ。この空間は既に隔離され、異次元街道の安全保持の為に斬り捨てられた。異次元街道を通れなければ我々は元の次元へ戻ることはできない。ですが、崩壊する世界に異次元街道が再接続される確立は……」

 彼等の言葉に、識那が己の手を握り締めた。

 自責がある。だがそれ以上に可能性がある。

 目の前に拡がる光景は自分が生んだものだ。筧は、自分には創造級というものの器があると言った。

 つまり、また収めれば良いのではないか。無理やりでも器に入れてしまえば良い。

 崩壊しつつあるのなら、その崩壊を止めるのだ。そうすればきっと彼等は戻ることができる。

 その結果、自分がどうなるかも解っているつもりだ。眼前に拡がるこの光景が自分の器から出たものでも、余りに変質し過ぎている。

 それをまた取り込めば、きっと、自分はーーー……。

「……それでも、やるんだ」

 緋日。勇気を貸して欲しい。

 君の死を認められなかった僕だけれど。今でも君のことを想う弱気な僕だけれど。

 せめて君と過ごしたこの世界を偽物にしたくない。皆を押し潰してしまうような場所にしたくない。

 だから、今だけで良い。今だけで良いから、せめて。

「やめなさい」

 ふつ、と。彼の頭が撫でられる。

 皆の前に歩み出たのは極月だった。装備を茶色コートに仕舞い、確かな足取りで欠片の端へ向かう。

 誰もが彼女の背に怪訝な視線を向けた。何をするのかと眉根を顰め、口を噤んだ。

 ただ一人、筧だけが駆け出していた。やめろ、と。叫びながら。彼女の背中に手を伸ばしていた。

「……魔眼」

 隻眼が閉じられ、眼帯に指先が掛けられる。

 義手の回路が強い閃光を放つ。紅色の蒸気が舞い上がった。

 瞬間、彼女の踵が空を舞う。欠片の際涯より迷うことなく彼女は飛び降りたのだ。

 霊体の濁流は湾曲し、群れからはぐれた彼女を追う。欠片全てが離れていく。筧の指先から、彼女が遠ざかっていく。

 追い求めたその背中が、虚空の果てへと。

「解放」

 壊れ逝く世界(ユメ)。墜ち征く身体(カラダ)。迫り来る終焉(おわり)

 無限の果てへ、万物が存在しない奈落の彼方へ融けながら彼女は。

 ―――――その眼を開け放つ。

「極月ぃいいいいいいいいいいいッッッ!!」

 彼の絶叫も、彼女へ雪崩る霊体達も、境界へ自壊する世界も。

 全てが紅き閃光へと塗り潰された。何もかもが、消え失せた。

 拡がる光の中に彼等は何を見たのだろう。欠片散る世界は何を前にしたのだろう。

 それを理解する間もなく、筧達の意識は、紅色の煌めき奔る真っ白な世界の果てへとーーー……。

 

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