【B-6】
【B-6】
ドンッドンッドンッ。規則正しく、然れど反響音に乱される銃声が三度響いた。
放ったのは筧だ。廃病院の薄暗い個室に残像の閃光が垣間見える。
続いて、白煙。鼻腔の奥を渋らせる異臭は、窓さえない瓦礫の隙間から立ち上り、あの忌々しい空へと消えていった。
能城とクロミー。向かい合うように踏ん張る二人の間を抜けて行って。
「せーノ!!」
ベゴンッ!
銃声より数段大きな音が、またしても個室の壁を打ち付ける。
そしてがらんがらん、と、ドラム缶でも転がしたのかと思うほどの重圧な金属音まで鳴り響いた。
彼等が行ったのはワースの装甲撤去だ。機体にある電脳素体を取り出す為に、感染防止のブ厚い装甲を引っぺがしたのである。
本来はパスコードを入力して開くのだがワース自身がそれを答えられる状態ではない上に緊急でもあったので、筧の持つ高電磁圧縮銃、簡単に言えば簡易レールガンで打ち破ったわけだ。
そして開いた隙間から能城とクロミーが瓦礫を挟んでてこの原理で素早く引き剥がす、と。内部からの蒸気が彼等の顔を焦がしたが、どうにかぶわっと汗が噴き出る程度で済んだ。
もし電圧が上昇し続けていた状態でそれを浴びていたら、などと考えたくもない。
「ワース、聞こえるかワース。ワース・セブンスリー。電子信号でも良いから応答してくれ」
「……はい、問題ありません。ウィズ。電子素体は無事です。お手数をお掛けしました」
装甲の下からふよふよと浮き出てきたのは野球ボールより一回り大きい、ソフトボールぐらいの球体。
頭にプロペラが着いている様は何とも間抜けだが、その他の形は見事に機械チックだ。
スケルトンカラーの奥に見える電子回路だとか、接続口だとかは特に。
「…………」
能城はそんな彼の様子を見ながらも、何処か呆然とした、心ここにあらずといった風に瞳を泳がせていた。
彼の手には未だ、あの護符がある。最早、戻る者達もありはしない、護符が。
「……能城さん」
「あ……、いえ、失礼。大丈夫ですよ」
「ですが……」
「いや、はは。……しかし何です、よく機体を運べましたね。重量はかなりあるというのに」
明らかな誤魔化しに、筧は苦々しく眉根を伏せ、敢えて応える。
「……武術一般は収めているし、俺自身何の力もない人間です。せめて体ぐらいは鍛えねばなりませんから」
「なるほど……」
「……それより、ワース。機体の方はどうだ」
「ウィズ……。もう捨てるより他ありませんね。当たり所が、せめて装甲の上なら耐えられたでしょうが頭部のコントロール部は流石に耐えられなかったようです」
「いや、君が無事で何よりだ。して、何があった? 上の霊体や、爆発だってそうだ。……何か観測できなかったか?」
「観測はできていました。この機体性能であれば爆破後の瓦礫も防御可能だったでしょう。……しかし、それができなかった。観測機器が途中で通信遮断を起こし、電子形成シールドが無効化されたからです。ウィズ」
「……機体不備、ではないだろうな」
「勿論。チェックは怠りません。ウィズ」
ワース本人も原因は理解できていないらしい。
プロペラで浮遊しつつも、ボール状の本体から伸びたアームが機体を弄り廻していく。
が、やはり頭部以外の故障部位は見付からず、過剰作動以外のシステム異常はなかった、と。
「……横から口を挟むようですが、筧さん。私の無天童子達もです。彼等は危険な場所に好んでいく傾向はありますが、だからこそ危険なものには敏感なんです。危険察知能力が優れていると言ってもいい」
「だが、彼等は逃げなかった。……いや、逃げられなかった、ですか?」
「そうだと思います。ですが何より、彼と同じで爆音の最中に彼等との契約が切れたような、私の手元から離れるような感触があった」
能城は掌の肉を押し潰すように握り締める。
爪が食い込み、鮮血が袖口へと流れていった。余程、無念だったのだろう。
いや、彼のような優しい男だ。無天童子達を死なせてしまったことに自責の念を感じているのかも知れない。
――――それを慰める言葉を持っているものは、この場にはいないけれど。
「ヤ、やっぱりおかしいネ! 計画より早いのに爆発起きたシ、それに合わせたみたいに上の霊体が騒ぎ出したヨ!」
「独断先行したチームがいたか、それとも相手の襲撃が起きたか。どちらを追求したところで現状は変わりませんが。ウィズ」
「ワースの言う通りだ。各員、装備を点検してくれ。今から司令地を前線へと移動させる。状況を把握しなければ命令も下せないしーーー……、何より最悪の場合全滅も有り得る」
「……全滅、ですか」
冗談、ではない。そんな事は解っている。ただ冗談であって欲しかった。嘘であって欲しかった。
単純な予測ではない。一種の確信がある。あの状況を考えるに、その選択肢を選び取るより他なかった。幾ら否定しようと、それを突き付けられては、取らざるを得ないのだ。
「この世界では異貌の力が使えない」
筧の内に渦巻くのは憶測と確信の入り交じった、複雑な、然れど慣れ親しんだ感情。
予測はしていた。だから本部も幾ら素行が悪くとも実働的な部隊を雇ったのだ。
しかし幾百と並ぶ可能性の羅列の中、端に追いやられるような、それ程に矮小な存在でもあった。
だが、実現した以上、目を背けることはできない。否定することも、できない。
この事実の前には紫紋が全滅したことにさえ頷けてしまう。彼等の主軸は召喚部隊だ。対象のいる病院に襲撃を掛けるも、召喚ができずに、全滅したのだろう。
最大にして最初の武器を、失ったから。
「……クロミー、その肘にある擦り傷、いつからあった?」
「き、傷? ……あぁ、さっき急いで階段を降りる時に擦ったかナ。でもこれぐらい直ぐ治るヨ?」
「いや、治らないと考えるべきだ。どういう法則かは断定できないが、この世界に存在する法則以外は適用されない。肘の傷はその証拠でもある。……だとすればやはり、ワース、君の動力がストーンエネルギーや次元エネルギーだったら動けなかったかも知れないな」
「……ぞっとしますね、機械ですが。ウィズ」
「て、って言うことは私は無理なノ!? 不死じゃなイ!?」
「そうなるだろう。先の爆破で瓦礫が直撃しなかったのは幸運だった。いや、擦りでもして自身の不死性に頼っていたらそのままここの霊安室行きだっただろうよ」
クロミーは肩を抱え上げ、蒼白く透き通る顔をさらに色褪せさせる。
そのまま膝から薄汚れたベッドへと腰を落とし、気抜けた表情で深く息を吐き捨てた。
不死の彼女だ。死の苦痛は身近でありながらも、恐怖は何よりも遠いものだろう。
「……恐らく対象の創造級は周囲次元に力を及ぼしていないのではなく、この世界に力を収束させている。つまりこの世界は対象の腹の中ということだ。……異貌の能力を無効化されたのもそういうわけだろう。解りやすく言えば『創造級の常識に縛り付けられている』。無効化からの消去まで到れば世界線とパラフェクトの近い俺と能城さんは兎も角、ワースとクロミーは既に存在していないはずだ」
「ま、待ってください! 話では対象は生命機能に重大な欠陥を抱えていて、異貌の力を使えないという話ではなかったのですか!」
「その通りです、能城さん。そこに世界の謎がある」
矛盾。力を使えないはずの対象が、どうして世界を掌握する、法則さえ掌握するレベルの異貌の力を有するのか。
そこまでの力があるのなら、まず自身の欠陥を補えば良い。生命本能ならば何よりもそれを優先するはずだ。
だが対象はそうしなかった。己の体を護るよりも、まずこの世界を掌握した。
「段々とカラクリが解ってきた。……この世界に拡がっていた反応は創造級の余波なんかじゃない。創造級が掌握し、それを罠のように眠らせていたことだったんだ。罠を隠し、作動させていなかったからこそ反応が希薄だったんだ」
「つまり……、その罠を作動させたからあの霊体達が動き出したということですカ?」
「の、可能性もある。憶測だが。……確かなのは作動スイッチが病院への侵入であることだ。そしてそのスイッチが入り、紫紋がそうであったように、我々もこの世界に捕らわれてしまった」
「脱出は可能でしょうか。ウィズ」
「無理だろうな。まず異次元街道までの道を開く『鍵』が使えない。周囲から、魔術や魔法でいうところの魔力、東洋武術でいうところの気、召喚術でいうところのマナを遮断されたようなものだ」
「……つまり対象を討伐するまで我々に生還の道はない、と」
「そういう……、事でしょう」
一瞬、沈黙の空気が場を支配する。
だがそれは本当に一瞬だ。数秒。後悔の時間はその程度で良い。
彼等が茎も白いような新米なら、このまま絶望していたかも知れない。どうしてこんな事にと嘆いていたかも知れない。
だが彼等は知っている。創造級に対峙するのが初めての者であろうと知っている。異貌狩りならば、誰であろうと知っている。
異貌という、理不尽や不条理の権化のような、必然たるルールを嘲笑うように踏みにじるものに対峙する時、重要な事は幾つがあるがーーー……、最も大切なのは諦めないことだ。
彼等には理則が存在し、理念が存在し、理由が存在する。ルールを無視する存在でありながら、必ずそこに一定のルールがある。その矛盾こそが、理不尽や不条理というものなのだ。
つまり何らかの方法でそれを解き明かせば、この世界にある謎を解き明かせば、必ず脱出できるし、任務の全うできるのだ。そのルールさえ掴むことができたのなら。
「……先程言ったとおりだ。まず装備を点検し、整えてから移動を開始する」
クロミーはベッドから跳ね上がり、ワースは浮遊し、能城は己の拳を握り締める。
任務を達成し生還する。それだけのことだ。何も変わりはしない。
理不尽、不条理、意味不明。そんなものは日常茶飯事だ。いいや、三食きっかり食べられることさえ少ないのだから、敢えて言うなら日常そのものだ。
ならば何を狼狽えよう。創造級が対象であると耳にした時から、覚悟は決めているのだから。異貌狩りになった時から、決めているのだから。
「この世界の法則は不明だが、病院が発動の合図になった以上、対象以外の何かがあるのも明白だろう」
「ただの防衛機構では? ウィズ」
「だとすれば上空のアレが説明付けられない。それに自身の欠陥を補っていないことも気に掛かるしな。病院に関連する法則と言えばーーー……」
「病院に思い入れがある?」
「医療器具に興味がある。ウィズ」
「ナースさん大好キ!」
「クロミー、ワースと私の廃棄装甲を処分しておけ」
「そんなァー!!」
では、と。彼等は各々の武器を確認していく。
異貌の力が使えないとなると、使用できるのは兵器に限られる。銃やナイフなど、軽量型プラスチック爆弾もそう。物理的な、或いは具体的な法則によって動くものだ。
元より異貌に自身の技術が通じないことは稀ではない。よって多くの異貌狩りが対異貌兵器を所持している。
当然ながら筧や能城、クロミーもご多分に漏れず。然れどこの状況下での手持ち武器では心許ないだろう。命綱にしては細すぎるし、手綱にしては脆すぎる。
――――だが、今回は何より、幸運というか不幸というか。彼が居て、彼がそれを使えないことが功を奏することになった。
「いや、処分はお待ちください、クロミー様。私の機体には対人兵器から対異貌兵器まで各種格納されております。ウィズ。それ等はメンテナンスなどの理由から取り外しが可能です。ウィズ」
「……って事ハ」
「どうぞご自由にお使いください。そのまま人目に付かない場所へ埋まるなり捨てるなりするよりは有益かと存じますので。ウィズ」
ワースが機体の右胸元へアームを伸ばすと、心臓部から液晶のタッチパネルが出現した。
いや立体映像が出る辺りただの液晶ではないのだろうが、兎も角、彼の操作により腕や脚、果ては膝だの背中だのとありとあらゆる部位から装甲武器が出現する。
一番小さなもので筧の指先ほどしかない対人ナイフ。大きなものは能城の身長ほどもある巨大ガトリングガンだった。
「……怪我の功名だな。これだけの兵器があるとは」
「ケガノコーミョー? どういう意味でしょうか。ウィズ」
「今の状況に相応しく訳すなら、そうだな。……足掻けば光あり、かな」
冗談っぽく筧は苦笑し、中から幾つかの武器を持ち上げる。
クロミーも能城も、ワースの機体からそれぞれに合った武器を拝借していった。
やがて彼等は、各々が扱えるだけの武器を持ち、遙か遠く、窓から指先でつまめるほど小さい目的地へ視線を向ける。
普段は怪我をしても行きたくないような場所が、まさか怪我をしてでも行かなければならない場所になるとは誰が考えただろう。
もっともーーー……、怪我だけで済めば、上々だろうが。
「……足掻くぞ、諸君」
筧の言葉に皆が頷き、走り出す。
その場に到着するのはいつか、数刻後か日没後か。
何にせよただでは到着させてくれないことだけは、確かであった。




