【プロローグ】
【プロローグ】
女がいた。紅葉色の長髪を流し、右目を眼帯で覆った女がいた。
男がいた。真紅色の鮮血を流し、右肩に風穴を開けた男がいた。
そこは何処であろう。漆黒の闇が囀り、硝煙の痕が舞う。割れた窓硝子から残火の燻りが融けていく。
女は口端で弄ぶ煙草から白煙を吐き出した。月に懸かる白雲と重なり、煙もまた、闇へと消えた。
「…………」
彼女の右腕は人間のそれではない。鋼鉄の、人体に有り得るはずもない色だった。
否、その鮮血に等しき真紅だけは、女の隻眼に映る男と同じ真紅だけは肉体が宿す色だろう。
もっとも、それを覆う鉄だけは体躯に宿るはずもないのだけれど。
「……咎人は何処へ逝く。笛を吹いて何処へ征く」
言葉に、男が答えることはない。
男は俯いていた。糸の切れた操り人形のように、乱雑に投げ出されていた。
鼓動が聞こえる。弱々しく嘆く心臓の音が聞こえる。
誰の音だろう。その音は、この世界の鼓動か。いいや、自身の鼓動か。
それともーーー……、彼女の鼓動か。
「……何処にも、征けない。此所こそが彼の居場所だから」
その歌の意味を、彼は知らない。理解することはない。
然れど彼は知っている。彼女という人間を知っている。だからこそ、此所にいる。
彼女の瞳が細められたことも、金属の指先が僅かに震えたことも、知っている。
その眼帯に覆われた眼も、体躯より欠けた三肢に代わる偽物も、へどろに濡れた茶色のコートも。
知っている、知っているのだ。だから彼は、咎人を称する彼女と向かい合い、無力なる己を嘆く間もなく、地に伏し、血に這い。それでもなお、対峙している。
「探しものか。夢見る咎人よ」
嘆くことが赦されるのなら、嗚呼、そうだ。
もし此所で彼女に腕を、この役立たずな右腕を伸ばせるのなら。
火を灯そう。この腕の中にある灯火を彼女に与えよう。
けれども、それさえも、赦されない。だから、灯火になろう。
この矮小なる身で、マッチ棒よりも儚く、然れど一瞬の輝きを放つ灯火となろう。
「ーーー……」
歯牙を食い縛り、名を噛み殺す。
それは女の名だった。彼の覚悟の証だった。とどくことのない言葉だった。
この闇に融けようと、真紅に尽き果てようと、彼は歩みを止める事はないだろう。
嘆く暇はない。如何なることにも耐えよう。耐えて、耐え抜こう。
成すべきことがある。だから止まることなどできない。真綿で己の首を絞めるような彼女を前に、止まることなど、できるはずがないのだから。
銃声が響く。
狭い、硝煙散り残火嘲る通路に鋭い音が反響した。
その音に掻き消され、噛み殺された名が彼の気管へ抜けることはない。何処にも消えることはない。
然れど、そう。空から覗く幾千幾億の視線と、闇という虚空だけがその名を聞いていた。
―――――極月、と。嗚咽するように吐き出された、その名を。