バラとティーカップ
「例えばさ、世界が終わるとしたら最後になにがしたい?」
彼女はティーカップを片手に俺に尋ねた。
「ずいぶんとありきたりな質問をするんだな。女子特有のおセンチメンタルってやつかな?」
と、俺は少しおどけて言った。
彼女は少しだけムッとした顔をしたがすぐに優しく微笑んだ。
「そうねぇ、そうかもしれない。でもありきたりな質問だって…時には必要よ。さあ、質問に答えて?」
ほのかにバラの香りがする。外の庭からだろうか。彼女のお婆さんの代からずっと世話をしているバラは今日もおそろしいほど美しくそこに立っていた。
「俺は…俺は…そうだなぁ、オーロラを見てみたい。すっげぇ寒い寒い場所に行ってさ、そこで何を思う訳でもなく、考える訳でもなく、ただオーロラと見つめあってみたい。」
「素敵。…ねえ、そこに私はいる?」
「もちろん。」
彼女はふふふと笑って「嬉しいな」と呟いた。
そう、そうだオーロラを見てみたい。寒い寒い場所で彼女と二人で。彼女は寒がりで、それで、紅茶が大好きだから、大きな魔法瓶のポットにたくさんの紅茶を淹れて。
そこでただオーロラを見て二人で「キレイだね。」って言い合うんだ。きっと星もキレイなんだろうな。
彼女が淹れてくれた紅茶に俺の顔が写っていた。いつも見ている顔なのに、なんだか何十年も見ていないような気分になった。
「他には?」
「一つじゃないのか?」
「ええ、たくさんあった方が素敵。」
「はは、わかったよ。」
他には何がしたいだろうか。
ふと、子供の頃に聞いた話を思い出した。
「虹の…虹のしたの宝物を探してみたい。」
「ずいぶんとメルヘンね。でもそれって確か死んじゃうんじゃなかったかしら。」
「それも構わないさ。だって最後なんだろ?あ、もちろん君も一緒だよ?」
「あら?道連れ?…まあ、でもあなたと一緒ならいいかもね。」
「随分と嬉しいことを言ってくれる。」
穏やかな時が流れる。いや、本当は時間なんてものはなかったのかもしれない。彼女の白い肌に優しい日の光が触れる。
時間なんてなければいいのに。
他には何がしたいだろうか。世界一周?遊園地を貸し切りに?億万長者になる?世界の中心で愛を叫ぶ?海でおもいっきり叫びたかった?宇宙にも行ってみたかった。
もちろん彼女も一緒に。
いやどれも違う。
違う、俺が本当にしたかったことは…彼女にしてあげたかったことは!!!
彼女はティーカップを置き、星のような瞳で俺を見つめる。
「…本当は何がしたかったの?」
彼女は俺に問う。俺は俺の望みを思い出した。
「俺は、俺は、君に小さなダイヤのついた指輪をあげたかった。」
彼女は顔を一瞬だけ歪めた。でもまたいつもの優しい笑顔に戻った。
「…それだけ?」
「違う。もっとあるんだ。」
-君に小さなダイヤのついた指輪をあげたかった。それでキレイな白いドレスを着せて…永遠を誓いたかった。そして、君が咲かせたバラの庭で、君にそっくりな女の子の小さな手を握りたかった。そんで、しばらくして俺達は二度目の白いドレスを見るんだ。小さな手を握っているのは俺じゃないんだろうけどね。
俺と君、また二人きりになって…しわくちゃの手を握り合う。最期までね。
「あぁ!ほんっとに素敵!!そんなに素敵なことなら叶えてよ!!!」
とうとう彼女の瞳から雨が降った。紅茶はもうすっかり冷めきっていて少し残念だ。
「ごめんね、もう無理だ。」
「ひどい、ひどいわ…また私を一人にする気ね。」
俺は彼女の涙を拭ってあげたかったけど、透けた手ではもうそれもかなわない。
「君の、君のしたいことは?聞かせて?」
彼女はぐすぐすと鼻をすすりながら答える。
「私は明日もあなたと紅茶を飲んでいたいわ…」
「それは素敵だね。」
ごめんね、もう行かなきゃ。さよなら愛しい子。
今度は…今度はずっと一緒にいよう。
「愛してるよ」
俺はトラックの眩しいライトと恐ろしいクラクションを思い出した。
バラの香りがするお庭には、テーブルにティーカップが2つ。そして、どこか美しい老婆が一人。ただそれだけでした。
「私もあなたを愛しています。ずっと。」
老婆はバラにささやきました。
終わり
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