レイレ
ヨハンは気配断ちを最大に発動した状態で、ミリューゼの天幕の裏側にやってきていた。護衛が天幕を囲うように守っているかと思ったが、入り口を二人の兵士に守られているだけだった。ヨハンは裏に回り込み天幕の中へと侵入した。ちょうどミリューゼが眠るベッドが置かれた部屋の中に侵入できたようだ。
「誰です?」
気配断ちを最大限に発動しているのにかかわらず、ミリューゼは起き上がりヨハンに短剣を突きつける。
「うん?あんたは、ミリューゼ女王じゃないな」
ヨハンがミリューゼだと思っていた相手は、ミリューゼの影武者であり従者を務めるレイレだった。
「あなたは!ヨハン・ガルガンティア殿ですね。あなたがどうしてここにいるのですか?」
あまり大きな声を出さなかったが、驚きを口の中に納めたような表情をする。ヨハンはそんなレイレの態度に不審な気がした。ここで彼女が大きな声を出せば、ヨハンはすぐに見つかってしまうはずなのだ。それなのにレイレは一瞬だけ驚いた声を出そうとしたがひそめた。
「こんな戦争を終わらせたくてね。もしも俺が捕まることで戦争が止まるならと思って来てみたんだ」
ヨハンは昨夜考えていたことを、レイレに話した。それは本心であり、本音ではなかった。レイレの反応を見たかったのだ。
「そう……そうですか。やはりあなたは悪い人ではなかったのですね」
「どういう意味だ?」
「私も不審に思っていました。あなたとランス様は、親友関係にあったはずです。それなのにあなたがランス様を殺したと聞いたとき、私は不思議に思いました。そのあとにミリューゼ様は女王になり、戦争を開始された。ヨハン・ガルガンティア殿、これは私の推測ですが、あなたが捕まっても、戦争が止まることはありません」
レイレは悲痛な面持ちで、ヨハンに告げた言葉はヨハンも予測していたことだ。だが、ミリューゼの側近であるレイレの口から、そんな言葉が出てくると思わなかった。
「どうして?どうしてあなたが俺にその話をするんですか?」
「私はミリューゼ様のために生きてきました。それはミリューゼ様の命令ならば悪事でも働くつもりです。ですが、ミリューゼ様が間違ったことをしていれば、正すのが従者の務めだと思っています」
彼女は顔を上げ、真っ直ぐにヨハンを見た。その瞳には強い意思が込められていて、ヨハンは彼女がウソをついていないと確信を持てた。
「わかりました。今日は引き下がります」
レイレと会えたことで、ミリューゼを驚かせようと思った気持ちが萎んでいく。ヨハンが天幕を去ろうとしたとき、レイレが言葉をかける。
「アクアには気をつけてください」
「アクア?聖女アクアのことですか?」
「はい。彼女は人が変わってしまった。天真爛漫で、人々を愛し慈しんでいた彼女はいなくなってしまった。今いるのは呪われたように、人を陥れる化け物です」
レイレは悲しそうにアクアのことを語る。六羽は、立場は違うがミリューゼを支えるために集められ者たちだ。彼女たちはそれぞれ親友と呼び合えるまでに仲が良かったはずなのだ。それなのにレイレはアクアを化け物だという。
「何があったのですか?」
「私ではわかりません。ですが、あの子がある日、聖典を見つけたと言った日から変わってしまった」
「聖典?」
「はい。何が書かれているのか私にはわかりません。ですが、聖典を読んだといった彼女は酷く驚き、それからあなたの名前を何度も語るようになりました」
「俺の名を?」
「はい」
レイレに聞く情報だけでは判断できないが、アクアを変えた聖典のことを調べなければならないと、ヨハンは強く思った。シェーラにランス軍の現状を話した後はフリードに会う必要があるな。
「ありがとうございます。ですが、どうして私にここまで教えていただけるんですか?」
ランスを殺したのが、俺じゃないと思っていても、彼女が俺に語るなど意味がわからない。
「ミリューゼ様のためです。そして、私の夫のためです」
「ミリューゼ女王のためはわかりますが、あなたの夫とは?」
「我が夫、ルッツはあなたと友人だと言っていました」
「ルッツ!」
ヨハンは意外な人物の名前に驚いた。任務についたのは一度きりだったが、リンと共にルッツには世話になった。
「ルッツの奥方だったのか、ルッツには世話になったことがある」
「聞いております。そして、あなたがランス様を殺す方ではないとも。ルッツはこの戦いでも将軍の一人として参加しております。どうか、あの方の命を奪わないでください」
レイレはベッドの上で深々と頭を下げた。そんな姿にヨハンは居た堪れなくなる。どうして、この世界は理不尽なことが多いのだろう。どうしてみんなが仲良く手を取り合うことができないのだろう。
「約束はできませんが。俺がルッツと戦うことはありません」
「はい。それだけで」
ヨハンは天幕を後にした。レイレはヨハンの姿が見えなくなっても、しばし頭を下げていた。
「レイレ、人の声がしたが誰かいるのか?」
ヨハンが去ってすぐ、ミリューゼがレイレの寝室に入ってきた。武器を持っているのは、レイレを心配してきてくれたからだろう。
「すみません。ルッツ様の無事をお祈りしておりました」
「ああ、そういうことか。ならいいんだ。ゆっくり休むといい。あとでルッツをここに寄越そう」
「はい。ありがとうございます。改めて、私の我が儘を聞いていただきありがとうございます」
「何を言っている。お前の最後の頼みだ。聞かぬ訳にはいかぬだろう。体は大丈夫か?」
「はい。この命尽きるそのときまでミリューゼ様の側に」
レイレは昔から、ミリューゼの側に仕えていた。それは毒を飲み、魔力を使い、その命を削ってミリューゼを守ってきた。その命は病魔に襲われ尽きようとしていた。
「一日でも長く生きてくれ。お前が側にいてくれるだけで私は頑張れる」
「ありがたいお言葉です。後でルッツ様にもお話ししなくては」
「やめておけ、恥ずかしいだろ」
「ふふふ。そんなお顔を見れるのも私だけの特権です」
「そうだ。私がこんな顔できるのもお前だけだ。だから一日でも長く生きてくれ」
レイレはこうやって話しているミリューゼを大切に思っていた。それと同じくレイレの知らないところで悪事に手を染めるミリューゼを悲しんだ。
そしてレイレは願った。どうかこの身が失われたならばミリューゼを正気に戻し、お優しかったミリューゼに戻してほしいと。
ヨハンは知らぬうちにまたも一つの願いをその肩に背負っていた。
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