#3
《1989/8/20 PM 2:39 日本・東京 某出版会社》
「困るよォ〜エトワール君〜。何なんだい? この記事はぁ〜」
太った中年の男はそう言って、手元の書類から目の前にいる部下の顔に視線を移した。
間延びした独特の話し方自体には、まるで緊張感を感じさせないが、言葉の裏には確かに怒気と呆れの気持ちが見て取れる。
反対に部下は、まるでこうなることが予想できなかったと言わんばかりだ。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔は、男の怒りと呆れをさらに加速させた。
周りの社員達は、上司の陣取っている窓際のデスクをちらと横目で見たが、一瞬見て満足したのかすぐに自分達の仕事に戻った。
この状況は彼らにとっては珍しいどころかもはや見飽きた光景なのであり、そんなものの鑑賞よりもキツイ仕事をさっさと終わらせることの方に関心があるのだ。
渦中の人間であるアルフォンソは、上司の細い目から放たれる鋭い視線を正面から感じつつ、頭を下げた。
「も、申し訳ありません課長。どこか文章が悪かったですか?」
アルフォンソの言葉を聞いて、課長はもはや怒る気にもなれないという顔で、わざとらしく大きなため息をついた。
まるで自身の体内に呆れが満ち満ちすぎて、ため息でもしないと体の内側から爆発しそうだと言いたげだ。
「いやいやいや、そういうことじゃ無くてさぁ〜いや文章はいいのよ。君は文筆力もあるし執筆速度も速いのよ。でもねぇ〜」
課長は急に立ち上がったかと思うと、細い目をカッと見開いた。
アルフォンソの目には、まるで巨大ロボが起動したように見えた。聞こえはいいが、実際のところ中年の男が目から光を発しながら立ち上がるというかなりシュールな映像だ。
「なんで首相の会見がメインの記事なのに! 会見中に背景に写った謎の飛行物体がメインの記事になってんだよォ〜! 」
書類に穴を開けんばかりに指差しながら大声を張り上げる課長に対して、顔面に容赦なく降り掛かってくる唾を拭きながら、アルフォンソは至って穏やかに答えた。
「何をおっしゃっているんですか。国のトップとUFOには中々密接な関係があるんですよ。ケネディが暗殺されたのもUFOの機密情報を世界に公開しようとしたためだって噂もあるし、ソ連でも……」
アルフォンソは弁明どころか、急にUFOトークを披露し始めた。
アルフォンソのオカルトや超常現象好きは社内では周知の事実である。大学でオカルトサークルに入っていたとか実家が心霊スポットだとかの声もある。それが長じて平然と記事の話題にそれらを持ち込んで、課長にどやされるのがテンプレだ。文章力や情報収集能力は高めなのだが、いかんせん大本が駄目なら葉も花も駄目駄目だ。
それは今回も変わらなかったようで、アルフォンソの弁明……もといUFOトークを聞いた結果、課長の体内の呆れが一気に怒りへ変換された。
「違う! 違う! 違ァ〜う!! そんな一部のマニアックな奴等しか好まない情報なんていらないッ! 首相のスキャンダル問題の会見のほうが3兆倍大事だろォ〜がァ!!」
「いやぁ政府の裏には異星人の意思があるって聞きますし……」
「うがァ〜ッ!!」
何を言おうが相手はUFOの話題に固執している。しかもタチの悪いことに無意識でだ。
もはや発狂寸前の課長は、怒りをぶちまけようと手に持った書類を机に叩き付けようとした。そうでもしないと出来の悪い部下のせいで狂い悶えて死にそうだ。
だが、手を振り上げた瞬間、彼の手から書類の感触が消えた。
振り向くと、いつの間にか男が後ろに立ち、課長の持っていた書類を手にとって読んでいる。
「へ……編集長!?」
課長は慌てて頭を下げた。アルフォンソも編集長の存在に気付き、頭を下げる。
白髪交じりの黒髪をポマードで撫でつけた、いかにも日本のサラリーマンといった風貌の編集長は、黙々と手の内の書類——アルフォンソの書いた記事ーーに目を通している。
一通り読み終えると編集長は無言でアルフォンソの前に立った。その表情はまるで面を被っているかのように感情が読み取れない。
「……アルフォンソ・エトワール君」
「……はい」
編集長の氷のような冷たい呼びかけに、アルフォンソは返事をするのがやっとだった。
その後少しの間をおいて、編集長はゆっくり口を開く。
「……素晴らしい!!」
編集長の無表情が一転して福の神のような笑顔に変わった。
「いいねぇ〜これ!! 謎の飛行物体の形がくっきり写ってる! これ絶対UFO! 間違いないよぉ! ウチの独占スクープ間違いないねこれ!」
「あ、ありがとうございます!」
興奮する二人を課長と社員達は冷めた眼差しで見つめる。そう、彼らにとってはここまでがテンプレ。飽きる程見た光景。
アルフォンソが記事を書く。課長がそれにダメ出しする。そして、どこからともなく編集長が——オカルト大好きな編集長が現れてGOサインを出す。
その一連の流れは完成されすぎていて、もはや一種の美しさすら感じられた。
……課長にとっては地獄だが。
それでも最後の足搔きで課長が編集長に尋ねる。
「し、しかし編集長、まさかそれを雑誌に載せるわけでは……」
「載せるよ」
編集長の即答に、だんだん自分の方が間違っているんじゃあないかと感じてきてしまう課長。
それでもなお、勇気を振り絞って編集長へ進言を続ける。
「い……いやいやいやそんなァ〜首相のスキャンダル報道を何も関係ない記事に書き換えるなんてそんな……」
「関係がない? 確かにパッと見は全く違う内容だろう。でも詳しく読んでいくと必要なことはちゃんと書かれてある。それもよーく詳細にね。スキャンダルそのものを全面に押し出すよりもこの方がユーモアがあっていいんじゃないか?」
「はぁ……」
こじつけじみた説明。しかし残念ながら相手は上司である。ここで「いいえ」と言い放つわけにもいかない。
加えて、アルフォンソの書いた記事はなぜかいつもウケが良かった。
何が読者をそんなに惹かせるのか。全く検討もつかないが、うまくいっている以上何を言っても無駄だろう。
納得したようなしてないような顔で、課長は渋々同意せざるを得なかった。
編集長はアルフォンソに視線を戻す。
「そうだ、アルフォンソ君。君に頼みたい仕事があるんだった。後で会議室まで来てくれたまえ」
そう言ってその場を離れようとした編集長は、不意に立ち止まるとアルフォンソの方に向き直った。
「とても重要な仕事なんだ」
編集長の顔は、再び面のような無表情に戻っていた。
♦︎
「君に、スイスに飛んでもらいたい」
アルフォンソが部屋に入って鍵を掛けるなり、編集長はそう切り出した。
突然の出張り命令も、アルフォンソにとってはそれほど珍しいものではない。書く記事の内容は置いておくとして、アルフォンソの情報コネクションの広さと、取材において重要事項を聞き出す能力は一般記者のそれを凌駕している。
それらを利用したスクープ掌握が彼の仕事の一つ。そのためスクープを求めて外国に飛ぶ事は少なくない。だから今回、スイスに行かなくてはならない理由もすぐに理解した。
「WDO、民間の軍事組織が国連の専門機関として任命された……」
「そうだ。さすがと言ったところか、話が早い」
民間組織時代から、WDOはアルフォンソがマークしている話題の一つだ。
前に世界の国際軍事事情の記事を担当していたアルフォンソは、その取材の中で何度も民間軍事組織の名を耳にした。新世紀の軍隊、平和を求める兵士達。数々の異名と功績が彼らの評判を物語っている。
「30日の正午にWDO本部にて記者説明会が開かれる。初の正式な記者会見だ」
「それに出席して欲しいと。しかし、何故僕なんです? 確かにそっち方面の知識は一通り心得ているつもりですが……海外に駐在している記者では駄目なのですか?」
「……この情報は、君に直接渡したかった」
編集長は一通の封筒をデスクに置いた。何の変哲もない茶封筒だ。
アルフォンソはすぐさま中身を確認する。写真が何十枚か。それぞれの写真の右上に番号が振られている。撮った順番だろう。
写真はかなり粗かったが、写ってるものは何とか確認できた。白い制服を纏った男が立っている。
男のすぐ傍に、ヘルメットを被り迷彩服を着た、一般的な兵士の姿が窺えた。中東の反乱軍の服装だ。反乱を鎮圧するWDOの兵士と対峙しているのだ。
「WDOとして活動する前、民間軍事組織時代から、彼らは文書以外の記録をほとんど残していない。どこそこの任務に参加し、成功した。彼らの活動は結果が書類で語られるのみで、その過程というのは明らかにされていない。その写真も、やっとの思いで入手した物だ」
確かに、アルフォンソもWDOについてその活躍を良く調べていたが、その活動の内側、どんな作戦、戦闘を行っているかについては把握しきれていなかった。
興味が無かったというわけではなく、単に規制が強くて知ることができなかったからだ。
「……裏で法を破っているってことですか?」
「そんな陳腐なものじゃあない、むしろWDOはそこらの軍隊よりずっと規範がとれてる。民間人には手を出さないし、敵兵でも最低限の殺傷に留める。そして驚異の作戦成功率ときた。人類の歴史から見てもかなりクリーンかつ優秀な兵士達だよ。だからこそ国連の下部機関になれたワケだ。まぁ、私たちの目から見れば、の話だが」
「じゃあ一体……」
編集長は切れ長の目を不意に緩ませる。
「ところで君は、オカルトとか大好きだったよな? それはつまり、超能力とか魔法とか言うものも信じているだろう?」
「え? まぁ、なくはないと……」
あまりに唐突な質問に、アルフォンソは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「それなら話が早い。なに、信じるからといって馬鹿にしたりはしないし、信じないからといって夢のないヤツだと非難したりもしないよ。ただ一つ、その写真を事実として捉えて欲しいということだ」
編集長の言葉に、アルフォンソはとりあえず写真をパラパラめくった。WDOとそんな話題にどんな関係があるのか。確かFBIがサイコメトリストによる調査で事件を解決した例があったはずだが、その類いなのか。
2、3枚目にも白い制服の男と迷彩服の兵士が写っている。場所も同じでほとんど動きはない。連射したものなのだろう。
そのまま続けてめくっていくと8枚目くらいで、迷彩服の兵士の姿が画面から忽然と消えた。1枚戻ると、ちゃんと兵士は画面に写っている。連射の間隔は大体秒間2枚程。1秒未満の間に兵士が吹き飛んだのである。
強風? だが砂が舞い上がったり白い兵士の制服がなびいている様子はない。地面に穴が空いているわけでもない。
「民間軍事組織、もといWDOが中東で内乱を鎮めた際、現地の人々はWDOの兵士を神の遣いとか、悪魔の化身とかいって恐れ崇めたそうだ。曰く、武器を持たず、手も触れずに敵兵を吹き飛ばして気絶させ、ある者はどこからともなく炎を起こして、敵の陣地を壊滅させたと。記事にするには証拠が不十分過ぎて見送っていたんだが、その写真を見てもしかしたらと思ったよ」
「……写真加工の線は? それか後から別の写真を付け足したとか」
写真に釘付けになりながらも、アルフォンソは編集長に質問する。
「その写真は現物だ。見て分かるだろうが、いじった跡なんてどこにも無い。7枚目と8枚目の撮影時刻も一致している。写っている人物の身元も判明している。反乱軍の兵士の方は、その後政府軍に捕らえられているそうだ。後付けの可能性はないと言って良い。第一、その写真は我が社の信頼できるジャーナリストが戦場まで出向いて撮影したものだ。スクープ欲しさに画像をいじる奴なんか我が社にはいないよ」
アルフォンソは写真から目を上げた。
「つまり……WDOは超能力を使って任務を達成している、と言いたいと」
「そうだ。だがまだまだ証拠が足りない。そこで君の出番なんだ。証拠を集め、会見で相手に突きつけて真偽を確かめて欲しい。大勢の記者の前でやれば、下手なごまかしも効かないだろうからな」
——つまりアルフォンソの情報コネクションを使って、事もあろうに超能力に関する証拠を集めてこいという。おまけに相手は情報機密万全の国連の専門組織でタイムリミットの会見まで半月も無い。
面白い、とアルフォンソは思った。今まで色んなスクープを追ってきたが、超能力の実証だなんて。もし会見の場で実証できたのなら、超能力が世界中に広まるのだろうか。まるで、いや、そのまんまマンガの世界じゃあないか。
「……分かりました」
ちょっとした興奮を押さえつつ、アルフォンソは答えた。




