浄化だと、ふざけるな
今回、虫っぽいパーツが登場します
苦手な方はry
「センテラ、そこに座りなさい」
「はい……」
「誰がイスに座れと言った、正座だ、正座」
「……はい」
「まったく、浄化魔術の使用を再開しても良いと言った覚えはないぞ」
「うぅ、ごめんなさい」
「どうすんだよ、これ……」
普通の資料であれば、「いいよ、また採ってくるから」で済むことが多い。ましてや、正座までさせてお説教というのは初めてである。決して、この前のカエルの恨みではない。……はずだ、おそらくは。
バックヤードは、整理整頓されているようには見えないが、まあ散らかっているわけではない。多くの資料がケースケには判るように保管されている。たまに掃除や整頓はするのだが、ケースケは貴族で自分で掃除をした記憶は前世までさかのぼるし、センテラはその出自――小さな頃はほとんどダンジョンのような所に住んでいた――から、こちらも掃除したことがない。ダンジョンなんて、モンスターなんかの死体を自分でどうにかするのはいやだし、放っておいたらいつの間にか消えているものなのだ。
だから、バックヤードで掃除をすることになっても、ちょちょっと掃いたりするだけで終わるのがいつもなのだが、それを今回は、センテラが浄化をかけていろいろやらかしてしまったのだ。
そもそもの原因は、この前持ってきた黒曜石である。資料にする予定はなかったが、せっかく持ってきた龍のブレスによってできた、本来とは成因が異なる石だというので仕舞っておこうとした。岩石は重いので、基本的にそれ用の容器は倉庫の下の方にある。しまい込むために上に積んであった物を退かし、退かした物を載せるための平らな面を作るために他の物を移動していたら、ちょっと荷崩れを起こしただけだ。
だが片付けというのは得てして、大きな物は片付け終わっても、小さなゴミは却って増えるものである。
こうなると、中途半端な掃除などやらない方がましである。
黒曜石は無事に仕舞うことができたのだが、なぜか資料倉庫はエントロピーがかなり増大してしまった。
その結果、かなりカオスな状況が発生していた。センテラは、そのカオスが我慢できなかったらしい。
話は元に戻してセンテラがやらかした内容である。
部屋に浄化を掛けるとき、何をどのように浄化するかは術者の主観で決まるようだ。今回、資料倉庫には昆虫型モンスターの素材が置いてあった。資料倉庫に放置するようなモノではなかったのだが、輸送中に破損してしまい、展示前に仮置き場として置いていたのだ。センテラの浄化魔術は、それを単なる虫の死体と判断したらしい。
ケースケが資料室の異常に気づいて確認したときには、修理のために別においてあった脚を残して貴重な素材が綺麗さっぱり消滅していた。
最初は盗賊か何かに盗まれたのかと思ったが、この博物館のセキュリティはSSクラスの盗賊職の侵入を想定して組んである。そこから誰にも気づかれずに持って行けるとは考えにくく、しかも破片一つさえ残さないと言うのは不自然だった。
ケースケがセンテラを問い詰めたら、掃除がめんどくさいのと素材が気持ち悪かったので浄化魔術をかけたのを白状した。
浄化と一言で言うが、博物館内では現在、浄化の魔術は使用禁止である。
センテラが博物館の学芸員になって2ヶ月ほど経った頃。初めて国外に資料収集の旅に出ることになった。
そこで、ある迷宮の近所の街に寄り、スラムを通りかかったときだ。
ナロウニア王国は多くの住人がいるが、国がしっかり機能しているので大規模なスラムなど存在しない。
だから、センテラはスラムの住人を見るのも初めてだったようだ。
センテラは、少年が風呂もなく汚れていてかわいそうだからと、浄化魔術で体の表面を浄化してやったのである。皮膚常在菌ごと。
皮膚には常在菌と呼ばれる菌叢があって、新参菌の侵入と急な増殖を抑えているのである。この常在菌を無くしてしまったら、人の皮膚と言う菌にとっての栄養の塊を、無防備に放置することになるだけだ。
浄化魔術を掛けたくなるような状態になってしまうスラムという環境に住んでいたのだ。少年は本来害をもたらさないはずのいくつかの菌に一気に感染し、細菌性の肺炎を発症した。
ここでもゆっくり本人の治癒力に任せておけばまだ良かったものを、責任を感じたのかセンテラはさらに体内に強力な治癒魔法をかけた。だが、これは言わばプール用の塩素を体内に流し込むような方法である。体力の落ちていた少年が耐えられるはずもなかった。
とどめは身体強化だった。瀕死の少年の心臓や消化管を、強化するだけならまだしも、強化したあと無理やり動かそうとしたわけだ。だがセンテラは紛れもなく天才である。従って、その効果は半端なものではない。言い換えると、一般人に使えば効果が出過ぎるのである。この強化は、壊れかけたリヤカーにジェットエンジンを付けて全開にするのと同じような効果を少年にもたらした。
少年は1ヶ月の間、生死の境をさまよった。
そんなことがあったので、ケースケは安易に浄化など使うなと厳命したのである。
「まったく、これを借りるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ」
灰になった素材は、マサチューセッツ州アーカム・ミスカトニック大学付属博物館から研究用に借りてきた物である。この博物館はファンタジー界のスミソニアン博と謳われるほどの所で、そんなところが所持しているのだからただの虫の死体ではない。これを貸してもらうのに、こちらからはヒヒイロカネのインゴットがレンタルトレードされているという貴重品なのだ。
Gargantus shaggaiensis (Lovecraft,1928) ガルガントゥス シャッガイエンシス
巨大な昆虫のような形態をしており、複眼は大きく、飛行できる羽根もあるらしい。かつて多数生息していたらしいが、現在では絶滅したと考えられていた。しかし、ある絶海の孤島の崖下で新鮮な……できたばかりの死体が数頭分見つかり、その島に生き残っているらしいことが判ったのである。その島は行きにくい上に周辺で強風が吹いており、強力な飛行型モンスターも多数生息している。言わば人の上陸だけでなく飛行魔術による調査をも拒んでいる場所であり、簡単には生息調査に行けない。そのため詳しい生態はまだ不明だが、島に行って崖を登ることができれば生きている個体が見つかる可能性が高いのだ。だが、それまでは……生息が確認できるまでは謎の生き物のままである。
これは、その島での発見時に得られた貴重な標本の一つなのである。
借りたは良いが、最後博物館までをサスペンションもない馬車で運んだのがいけなかったらしく、到着したときには脚が外れていたのだ。くっつけるにしても、未知の生物なので適当にくっつけてしまうわけにも行かないし、膠なんかでくっつくとも限らない。どうすればくっつくかチェックするため、ケースケが自分の机の上に置いていた脚だけが、灰にならずに済んだわけである。もし輸送中に壊れていなかったら、今頃はすべて灰になって、復元の手段は全くなかったのだから何が幸いするか判らない。
しかるに灰になったと言うことは、センテラの浄化魔術はこれを単なる虫の死体、つまり浄化すべき対象だと判断したらしい。そのくせ、同じ棚の上に置いてあったカエルの干物は無事だ。ケースケにとっては同じ感覚だが、センテラにとってカエルは単なる乾し肉の一種だと言うことがよくわかる。
ちなみに、センテラは過去にも研究用に置いてあったアンデッド系モンスターの破片とドロップアイテムをまとめて灰にしたことがある。
「まったく、脚1本とはいえ、残って良かった。これを触媒かつ構成部品として使って、全体を復活させるんだ」
「えーっ、そんなの無理ですよぅ」
「なに、召喚術式と時間遡及術式を組み合わせれば何とかなる、はずだ。高速旋回中のワイバーンの鼻の中に氷を詰められる魔術制御ができるお前なら可能だ、がんばれ」
「えぇっ、室長は手伝ってくれないんですか」
「俺は他の借用資料が消滅していないかチェックしなくちゃならんからな」
「うぇー、持ちたくないよぅ」
「つべこべ言うな、修理できなかったら採りに行くしかないんだぞ」
センテラはつまむように持って行こうとしたが、意外に重かったらしい。
泣きそうな顔で脚を抱えて、作業室に持って行ったのだった。
資料No.XR-09999 シャッガイエンシスの脚(レンタル:修理中)