センテラの休日
「んーっ、そろそろ起きないと」
基本的に博物館に張り付いているケースケと異なり、ただの学芸員であるセンテラには7日に1度、何の勤務も要しない休日がある。ナロウニア生まれで前世の記憶など持たないセンテラにとって、休日など30日に1回でもあれば楽だと思えるものなのだが、7日に1度の休日というのはケースケにとって譲れない回数らしい。
いつもの休日なら昼前に起き出すのであるが、今日はそれなりに仲良くなった実習生が遊びに来ることになっている。
センテラの家……部屋は、食堂の2階にある。多くの学生がそうであるように魔術学院在籍当時からここの食堂の2階の部屋を借りており、博物館就職と同時に2階の部屋3つすべてを借りることにしたので、この階が家のようになっている。貴重な装備などは博物館に置いておく方が安全なのは言うまでもなく、部屋のセキュリティ自体は食堂任せ、気楽なものである。
「さって、お菓子でも焼くかなぁ、どうしよう」
ある意味では女子会なのであるから、スイーツは欠かせない。かといって、甘味料が安定して流通していないからそこら辺でお菓子を売っているわけでもないのだ。甘味料は暖かい地方の糖黍、涼しい地方の甜菜か、亜熱帯~温帯の蜂蜜が主流ではあるが、いずれも生産地が限られており、どこにでもあるものではない。
実年齢最年少のセンテラは実習中は完全に弄られキャラと化しているが、学芸員としては2人の実習生の先輩である。威厳とまでは行かないが、ここらで珍しいスイーツの一つも提供して見せたいところだ。かと言って新鮮な果物の調達はケイジアにかなわないだろうし、珍味の類は元冒険者のメイプルの方が調達能力に優れている。そうすると、センテラが独自に提供できるのはある程度どこにでもある材料を使って作る手間の掛かったものと言うことになる。
「ケイジアさんが気にしないから、アイスでも良いっか」
一般的なエルフに乳製品を勧めるなど正気の沙汰ではないが、バター入りクッキーを囓り、肉を頬張るケイジアであれば気にする必要はなかろう。
センテラは部屋の流し台に魔術で厚めの氷の容器を作り、中に液体窒素を満たした。氷の中に塩を入れるだけでも実用的に低温になるが、岩塩は使えない。メイプルが岩塩をナメクジ退治のため大量に浪費してしまったため、センテラの持つ在庫を持っていくことになってしまったのである。
「どれにしようかなぁ」
アイスクリームの原料はミルク、卵、砂糖などである。日本では生産効率などの問題から牛乳と鶏卵しかないが、ナロウニアではミルクは牛、羊、ヤギ、季節によっては馬乳もある。卵は鶏以外にアヒル、キジ、謎卵がある。
甘味料は先ほど述べた通り、今回は蜂蜜を用いる。それに匂い豆を少々入れて香り付けをし、良く混ぜて冷やすだけ、氷と塩を混ぜて容器を冷やすか液体窒素の中に直接入れるとすぐに固まる。これを別の容器に入れてひたすら攪拌すればほとんどできあがりだ。攪拌作業を人力でやったら大変だが、こういうとき魔術は便利である。
乳(画像では解らないがクリーム分が浮いている)&蜂蜜(少し固形分が沈殿している)
各種卵、奥の黒いのは匂い豆
程なく、柑橘系の果実を搾ったジュースを使ったシャーベットとともに完成した。どちらも氷の容器に入れておく。
「んふー、あとのお茶請けは乾しイチジクで良いか」
味見は少しにしておいた方が、あとの楽しみは大きい。
「こんにちは、こちらで宜しいのですよね」
約束の30分前にケイジアが現れた。一般的にプライベートな訪問は約束の時刻の数分前から、相手に余裕を持たせ、かつ不安なさせない数分遅れくらいで良いとされるが、ケイジアにとっては30分前くらいが遅れる限界なのかも知れない。
「あ、ケイジアさんいらっしゃい」
「はい、本日はお招きに預かりまして」
そう言いつつ、ケイジアは大きなマルベリーの実の房をセンテラに渡した。果物を持ってきてくれるのは予想していたが、この実は高木の枝先にしか実らず、しかも熟すそばから鳥に食われてしまうのでこの量はそうそう集められない。虫も付きやすく保存も効かないので,多量には流通しない果物である。ナロウニア住人でも食べたことのある者は少ないだろう。
樹上のマルベリー
マルベリー
「わぁ、ありがとうございます」
「メイプルさんはまだ来てませんね」
「まぁ、今日はあんまり時間気にする必要がないから」
「でも、朝マルベリーを採りに行くときに見かけたのですが」
「えっ、ということはメイプルさんも何か採ってきてくれるのかな」
メイプルならモンスター肉の1つや2つ持ってきても不思議ではない。センテラは大型節足動物でなければ蛇肉でも気にしないが、1階は食堂なのだ。そこに蛇肉ブロックを切っただけの状態とかで持ってきたら一種の営業妨害である。
「おーい、こんちわー」
約束の時刻5分前、階下からメイプルの声が響く。窓から表通りを見ると、巨大なボアを引きずったメイプルが見上げていた。どう見ても一人暮らしの所に手土産で持って行く大きさではない。
「あ、あ、あ、今行きます、ちょっと待って下さい」
「いやー、仕留めて内臓は抜いたんだけど、持って上がるのはちょっときつくてさ」
一般的に獣をそのまま放置すると、体内、特に消化管内に多く含まれるタンパク質分解酵素によって自己消化が起こり、急速に内臓と肉が傷む。そのため鳥類や哺乳類に相当する恒温動物の獲物はすぐに全体を冷やすとともに内臓を抜く工程が必要になるのだ。
日本では狩猟期が冬中心なので木にぶら下げたり川に浸けたりしているのだが、ナロウニアや異世界ではみんなどうしているのだろうか。
尤も内臓の有無にかかわらず、骨と皮付きボア肉1頭分は一般の住宅に持って入るべきものではない。
結局、ボアは1階食堂に預けた。余りの肉を引き取って貰う条件で、3人分の昼食は無料にしてくれるという。部屋でお茶して昼食は食堂で食べれば良いやと思っていたので丁度良かった……のか?
「来てるとは思ってたけど、相変わらず年増は早いね」
「誰が年増ですか、それよりその格好でよその家に上がるつもりですか、毛だらけですよ」
どうやって引きずってきたのか、メイプルはボアの毛だらけである。確かにこのまま上がり込んだら、そこら中毛だらけになってしまう。
「あっと、捕まえるときにしがみついたりしたからねっ。ちょっと待ってて」
言うが早いか、メイプルは食堂の入り口で服を脱ぐと、バッサバッサと毛を払い始めた。人通りはそれほど多くないが、巨大なボアを持ってきて注目を集めていることを考えれば女性としては大胆な行動である。
「羞恥心を森に落としてきたあなたに言っても無駄ですが、また学院長からお小言が来ますよ」
「黙ってれば解りゃあしないって」
「ではこちらです、どうぞっ」
センテラは、服をはたき終わったメイプルを押し込むように2階に連れ込んだ。ナロ女にはばれなくても、同類だと思われたら近所の目が怖い。
「ふう、ようこそ。今お茶を淹れますね」
「あら、これは氷菓子ですか。おいしいですね」
「すごい、これなら店出せるんじゃない?」
「うん、でもこれ蜂蜜使ってるから、季節によって味の予想が付かなくて」
蜂蜜は咲いている花の種類によって味が随分と変わってしまう。その風味が弱いならともかく、蜂蜜の主張は結構強い。水飴で薄めれば弱くできるが、それなら最初から水飴を使えばよいのだ。なお、水飴は芋や麦芽から作られ、甘味料より酒の原料としての需要の方が多いので、これも簡単にスイーツに使えるものではない。世界が変わっても、酒呑みはわがままである。
それに、アイスの屋台を出さなければならないほど生活には困っていない。
「実習も半分終わったね」
「そうですね、誰かさんは半分も実習内容が身についているのでしょうか」
「実習なんてお仕事体験なんだから後半に慣れていけばいいんだもん」
昼食は,大変満足のいくものであった。貴重なボア肉を1頭分渡したのだから、食堂の方も気合いが入って当たり前だ。
「そんなもんでいいのかい。夕食も食べて行くんなら安くするよっ」
「それじゃあお願いします」
あっさり滞在延長が決まった。2人とも夜までいるらしい。
「で、センテラちゃんはどうやって学芸員になったの?」
「えっと、国立魔術学院で……」
部屋に戻ってお話が続き、センテラは資格取得と博物館で働くことになった経緯を説明する。と。
「さて、この前はごまかされちゃったけど、センテラちゃんは館長さんと付き合ってるのかな?」
「そうですよ、今日はじっくりと話を聞かせて頂きましょうか」
女子会の中で、最も容赦のない話題に移行したのであった。
「えええぇぇぇ……っと……で、……だから……」
「ふむふむ、それで?」
「……きゃー……」
「……そんなこと……」
「あ、お酒見っけ」
「ああっ、私の秘蔵の酒をっ」
「センテラちゃん、未成年じゃないの?」
「私はこっち生まれだから良いんですよぅ」
「ナッツと乾し肉もありました」
「ああっ、私の保存食が」
女子会の追求は、センテラの保存食を食い尽くし、ついでとばかり階下の食堂からも酒と食料を調達し、夕食を経て延々と夜中まで続いたのであった。センテラは途中、同じ話題を切り返したのだが、あけすけなメイプルには淡々と全男性遍歴を語られて真っ赤になり、種族的に相手の調達が困難なケイジアにはあっさり躱され、結局すべて喋らされてしまった。
「わーん、もうお嫁に行けないぃ……」
「大丈夫、そういうことなら責任を取って貰いなっ」
「そうそう、国立の施設の職員なら貴族と同じれす」
卵は一番小さいキジから左回りにアヒル、カモ、鶏です
ツマミ盛合せは乾し肉、干しイチジク、ナッツ