龍の牙
北部大山脈の稜線近くまで登ってきたところで、独身のはずの館長、ケースケを父と呼ぶ龍の娘が現れ、その娘に呼ばれて出てきた龍は素っ裸だった。
センテラは、こんらん、している。
「なぜ服を着ていないのか、と? なら逆に問うが、そなたは服というものを何のために着ておる」
センテラの警戒を和らげるようにしてくれたのか、気配を少々押さえながらセレナが問いかける。
「え、えーっと、体を守るため?」
「我の体より丈夫な素材などあるわけが無かろう」
セリナがあっさりと言い切った。それはそうだ。龍の体を傷つけるような衝撃に耐えられる服があるわけがない。龍の体を守るために服は不必要ということは、センテラにも判る。
「じゃ、じゃあ体を適温に保つとか」
「服よりも空気を適温に保つ方がよほど容易いことであろうが」
服には体温調節の意味もあるが、空気の流れも操れる者にとっては、服に頼るより直接空気の状態をいじくった方が楽なのは言うまでもない。
「あ、あのっ、見えないようにいろいろ隠すためとか」
「この周囲には我等しかおらぬよ」
センテラの質問の意味を正確に理解し、隠す必要など無いとばかりに言い放つ。確かに見られて困る相手など、存在しない。というか、龍の住処の近くに寄ってこようと思う者自体、稀なのだ。何かの間違いでこんな場所まで登って来ることができて、そのくせ龍の気配を感じられないような存在がセレナを見て欲情したとしても、良くてミンチ、あるいは灰になって雲の原料になるだけだろう。
「そっ、それからっ。エリュさん? が、館長をお父さんって呼ぶのは」
「おぅ、気になるのはそこか。うむ、我ら龍はな、戦いに負けねば産卵衝動がおこらんのじゃ。つまり最も強い個体は子を成すことができぬ。これは龍が際限なく強くなっていって世界を滅ぼさぬための仕組みかもしれんと思っておるが、そう言うわけで我は子を作るのを諦めておったのじゃ」
「で、5年ほど前ここらを通りかかったとき、戦ってみようと持ちかけられたわけだ。どこの戦闘狂かと思ったぜ」
「そう言うな、ワイバーンの尻尾を持って片手で振り回し、鼻歌を歌いながら山登りをしている者がいたら期待するのは当然ではないか」
「館長、そんなことをしてたんですか」
「いや、あれはな。何か面白い物はないかと思って歩いていたら次から次へとひっきりなしにワイバーンにちょっかいをかけられて鬱陶しかったから……」
「あいつらはちょっかいをかけてるんじゃなくて餌だと思って攻撃してるように感じましたけど」
もちろん、センテラが正しい。ワイバーンの攻撃を「ちょっかい」扱いできる時点で本当のちょっかいを呼んでしまっていたのである。
「で、戦ってくれと言ったのだが、これが意外に難しい。魔術による攻撃だけで倒されても、産卵衝動が起きないのじゃ。どうやら純粋に力だけで負けたと本能的に感じねばならんらしい。だがまぁ、おかげで諦めていた娘を産むことができた。だいぶ溜まっておったようで2人もな」
「そんな理由だったらしいんだが、自分は魔法を使うなとか言っておいて、いきなり龍形態で襲いかかってくるとかひどい話だろ?」
「我が悪いような言い方だが、こやつは我の顔を躊躇無く全力で殴りおったからの」
そうは言うが、実はセレナの方もケースケの急所、すなわち股間を思いっきり蹴り上げていたりする。これはセレナがわざと狙ったわけではなく、ケースケの回し蹴りに対して丁度カウンターのように入ってしまっただけなので、セレナが悪いわけではない。ケースケも納得はしているのだが、顔面パンチは無意識に報復したと言われても仕方がない。
「それで、そのときの抜けた牙を受け取りに来たんだが」
ケースケはセンテラに預けてあった荷物からクッキーの入った缶を取り出してセレナに渡す。到着少し前までは自分で持っていたから、それを到着前にセンテラに渡したのはエリュがぶつかってくることを予測していたのかもしれない。
「みんなで食べてくれ、それとも、ビーフシチューの方が良かったか?」
「ふふふ、いや、こちらの方がありがたい」
そう言うとセレナは大きな牙を持ってきて、「ほれ」とケースケに手渡した。本人が人型形態になっていても、牙は龍形態のままであるらしい。
「これはすごいですね、でもどうして預けておいたんですか」
「さすがに抜けてすぐの状態ではまだ龍としての力を纏っているので、強者を呼んでしまう恐れがあったからの。ま、何が来たところで護民官が蹴散らしたであろうが」
「ま、そりゃそうだが護民官もあんまり暇じゃねぇからな」
ナロウニア王国の異世界人は、強者の気配に敏感な者が多い。そして迷惑なことに、自分の方が強いと証明したがる者もまた多いのである。そんな中に、龍の気配が漂っていたら、暴れたくなるのは当たり前だ。
「さらに、子育て中に子どもに勝ってしまうわけにもいかぬから、子を産んで最初はしばらくの間弱体化する。その間産んだ個体を護ることができるという意味もあるのではないか」
「館長も少しは役に立ったんですね」
「いや、半年ほどで出て行きおった」
センテラはだいぶ慣れたようで、牙を仕舞ったあと龍の生態についていろいろ話を聞いている。慣れたというか、セレナが気配を押さえてくれているのも大きいだろう。ケースケは話題が自分のことになったのでなかなか会話に参加できず、することがなくなって娘たちの相手をしている。
「そういうことだと血はつながっていないはずなのに結構仲が良いですね」
「うむ、理由は良く判らんが、龍の娘の形態は父親の形質に引きずられる。あやつらが普段から人の形態を取っておるのはケースケが父親だからじゃ」
「あの、変なことをお尋ねしますが、セレナさん次の子どもを作る予定は」
「あやつらもそろそろ龍形態をとれるようになってきおったし、できんことはないじゃろうが……。確かに我と番になれるのはケースケか護民官くらいだと思うが、護民官はどうも我の父らしくての」
セレナはチラとセンテラを見て付け加えた。
「案ずるな、ケースケを縛るつもりはない」
「そうだ、センテラ。せっかくだからイリュとちょっと遊んでやってくれ」
「は?」
いきなり話を振られたセンテラは素っ頓狂な声を出してしまった。子育て経験もないのに、龍の子どもと何をすればいいのかなど判らない。
「いや、単に全力で戦ってやってくれればいい」
「へ? 子どもとはいえ龍と、全力で戦う? 意味がわかんない」
さっきエリュにぶつかられて吹っ飛んだケースケの様子から察するに、子どもとはいえその力は十分に脅威である。気分的には闘牛場の真ん中に立っていろと言われたに等しい。
「何で、自分の子どもなんだから自分で遊んでやれば?」
「あのな、俺はエリュとは遊んでやれる。あいつは物理攻撃特化型でぶつかり合っていれば良いだけだからな。ところが、イリュの方は魔力特化型で全力でぶっ放したことがないんだよ。避けたり弾いたりしてばかりじゃ魔術やブレスが命中した実感を味わわせてやれないし、狙いがまだ不正確だから俺では綺麗に相殺できるようにぶつけ返してやれない。そういう訳で頼むわ」
「しょうがないなぁ」
「じゃあ、ここら辺の地形が変わっても困るから、あの峠の向こう辺りで頼む」
「わかった、イリュちゃん、行こっ」
しかし、龍と「遊ぶ」などという経験はそうそうできるものではない。センテラはイリュと遊ぶことを承諾して峠の向こう側へと飛び立ったのである。
「センテラ、着替えは持ってるな。イリュなら大丈夫だから全力で行けよ」
ケースケがそう言ったのは聞こえていただろうか。
暫くして、山の向こう側に巨大なキノコ雲が立ち上った。
「おー、やってるな。エリュ、俺たちも戦るか」
「うんっ、父たん」
山のこちら側では衝撃波が広がった。
30分ほどしてエリュがケースケを瓦礫の山に埋めた頃、センテラが「イリュちゃん、寝ちゃった」と言いながら、イリュを背負って戻ってきた。センテラの格好はぼろぼろである。
人型形態を取る龍の話がありますが、もし牙が抜けたら、どの段階でもとの大きさに戻るんでしょう
資料No.D-01003:龍の牙