蒲焼
「えっく……ひっく……ぐすん……」
「えーい、分かったから背中に鼻水と涎を付けるな」
「ぐすっ、ごめんなさい」
「はぁ……」
夕方になって起き出したセンテラはサボテンの影響が消えており、同時に周囲の状況が自分の暴走の結果であると理解した。その結果、ディスクの上で反省しているところなのだが……。
「ごめんなさい、これからは気をつけます。もう変なものをいきなり食べたりしません。だから、捨てないでください、クビにしないでくだs」
「あーもう、わかったよ。というか、できるんなら学芸員資格取得の時に飛び級して、博物学の単位を魔術実習で読み替えたことが判明した時点でクビにしてるわっ」
「わーん、館長がいぢめるー」
まぁ、ずっとこの調子である。センテラは博物館学Ⅱの単位をとる学年を飛び級ですっ飛ばしており、その分の単位を魔術関連の実習で補ったのだ。そのため、結構重要かつ基礎的な知識や行動の指針が抜け落ちていたりする。もっとも、未知の生物をいきなり食べたりしないなどというのは、博物学以前に野外活動の基本中の基本である。
なお、ケースケは博物館設立準備において資料と土地の提供だけでなく最初の学芸員として大きく関わったのは事実だが、博物館は既に国立の施設となっており、職員であるセンテラを勝手に解雇することなどできない。
「さて、どっちから行くかな」
ケースケは山脈の麓まで来ると一旦ディスクから降り、地図を広げた。
今、この砂漠の端の×にいるわけだ。ここからすぐ峠を越えれば、半日ほど森を通って湖の畔に出る。そこから湖の上を飛べば、明日には海岸に出られるだろう。麓に沿って街道沿いを行き、ソウザ峠を越えれば遠回りだが森を通らなくて済む。
この先、どこかで山脈を越えなければならない。山脈を越えた向こう側は降水量も多く森になっており、更に先には大きな湖がある。水面の上は気流が安定してディスクで飛びやすく、かなり早く移動することが可能だ。琵琶湖で開催される人力で鳥のように飛行するコンテストの際に、水面ギリギリを飛ぶのは地面効果を利用するためだが、それと似たような理由で空気の流れを読みやすいからである。
一方、街道沿いに行けば森を突っ切らなくても良いが、越えていく峠はかなり先であり、そこまではサボテンエリアだ。
「ここから峠を越えて森を抜けて行きましょう」
「森を抜ける最後の方は結構な悪路だぞ、大丈夫か」
「大丈夫です、頑張ります」
センテラはきっぱりと言い切った。街道沿いに移動してこれ以上サボテンを見たくないのかもしれない。
峠には、夜半頃に到着した。登ってきた方角を見ると麓の先にずっと平地が続いているのが見える。周囲は真っ暗なので砂漠かどうかまでは判らないが、さらにその向こうがナロウニア王国なのだろう。これから行く方向には木々が生い茂り、黒々とした森の向こうに星明かりを映した大きな湖があるのが見える。
「明るくなるまで休んで、あとは森の中を降りるぞ。夜に森の中を進のは危険だからな」
隣国故に詳しく調査したわけではないが、この辺りには大型の肉食獣がいたはずだ。ほとんどの野生動物は移動する気配を気にしないか避けるものだが、大型の肉食獣がいると判っていて暗い森を抜けるのは止めておきたいところである。結局、明るくなってから森を進み、大型の動物には出会うことなく森を抜ける所までたどり着いた。
「この辺から泥濘んでいるから気をつけろよ」
そう言ったケースケは、浮かぶほどではないが足が泥にめり込まない程度のレビテーションをかける。センテラも真似をしようとするが、泥の上を移動した経験が少なく、しかも自分の体重を把握していないのか結局浮かんでしまっている。
森を抜けてからさらに2時間ほど移動して、湖畔までたどり着いた。大きな湖らしく対岸など見えず、湖面を見ると遠くに舟がポツポツといくつか浮かんでいる。おそらく漁師だろう。
「さて、ここからはディスクで行くぞ」
「館長、木でできてるんだからディスクを湖に浮かべて乗って行った方が楽じゃないですか?」
センテラが、何も飛ばなくても船として使えばいいのではないかという案を出す。水の流れを作れば風を操り続ける必要がないので、相当な魔力の節約になるはずである。
「そうしても良いんだが、船として使うと凹みが浅すぎて高速移動だと水を被るし、これ水に浸けると分解しにくくなるんだわ。
それに、この湖は怪物がいるらしいからいつでも逃げられるようにしておかないと」
「怪物?」
「そう、なんか足の生えたウナギっぽいやつらしい」
「へぇ、ウナギですか」
「ウナギっぽいだ、ぽい」
センテラは巨大な節足動物は苦手だが、魚と魚料理は好きなのである。ケースケはウナギと聞いて目を輝かせるセンテラにやや呆れつつ、ディスクで移動する準備をするのだった。
「館長、あれ見てください。オオウナギですよっ」
センテラが指し示す方向を見ると、水面に長さ100mほどの黒い帯があって、水面の舟とは違う方向に移動している。ディスクの上からは、水面のすぐ下に巨大で細長い生き物がいるように見える。
「はぁ、よく見ろ。ここから見えると言うことは舟からも見えてるはずなのに、漁師さん達は誰も慌ててないだろ。あれは小魚の群れが同じ方向に泳いでいるだけだ。
だいたい、あんな巨大な奴がウナギっぽい体型をしていたらもっと波が立つ。
波立っていないのは平べったい、というか薄っぺらい証拠だよ」
偶に、水面下に細長い巨大生物がいるかのような画像が紹介されることがあるが、ああいった画像に見られる細長い物の正体のほとんどは小魚の群れであり、1頭の怪物というわけではない。巨大さをアピールするためにスケール代わりに写り込んでいる舟の人たちが慌てていないのが何よりの証拠である。センテラが見つけたのも同様の群れだ。漁師達はあの小魚の群れを捕りに来たのだろう。
「なーんだ、じゃああれもそうですね」
センテラが視線をディスクの進行方向に戻して呟く。ディスクが移動する先にも、遙かに規模の小さい長さ10mほどの帯が移動している。こちらは先ほどと違い、周囲が波立っており、ディスクが近づくとその先端が水面から持ち上がった。
「おわーっ」
「きゃーっ」
ケースケは急旋回で避けようとしたが間に合わず、見事にその先端部に激突した。ケースケは咄嗟に荷物とセンテラを掴んでレビテーションで逃れ、湖面に落ちるのは防いだ。
激突した相手であるウナギっぽい何かは体をくねらせているが白い腹を見せて浮かんでいる。頭のすぐ後ろ辺りから前脚らしき物が生えており、魚類であるウナギとは異なる別の物らしい。
ディスクは丁度ひっくり返ってお皿のように浮かんでおり、ケースケは慎重にその上に降り立つ。不本意ながらセンテラの意見を採用して舟として利用することになってしまった。ひっくり返った怪物にロープを掛け、辛うじて見えていた岸まで引っ張って来て陸に上げた。
「どうする、これ」
「蒲焼きがいいです!」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
幸いこの付近は砂利を含んだ土質になっており、足元はめり込まない程度にはしっかりしている。蒲焼き蒲焼きと鼻歌交じりに焚き火を用意するセンテラの横で、ケースケは湖畔に引っ張り上げたウナギっぽいやつの長さを測り、全体像をスケッチし、持って行ける前脚や骨の一部を引き剥がしていく。一通りデータを取ったところで、待ち構えるセンテラに焼いて良いと許可を出す。体表は結構ヌルヌルしていて捌きにくいと思うのだが、蒲焼きのためにセンテラは全く躊躇しないで切り分けていく。その様子は同じ食材であるはずの節足動物に対する扱いと差がありすぎて何とも釈然としない。
持ち運ぶ手段が限られているので、結局その大半は湖畔に埋めて行くことになった。どうやらこの個体は♂だったようなので、通常の繁殖方法をしているとすれば、他にも何個体かいるのだろう。おそらく湖の中で分布している領域が限られ、それを熟知している漁師達はこちら側にいなかったのだと思われる。
「サンショウウオっぽい味でしたね」
「そうなのか?」
残念ながら、ケースケは同意できるほどサンショウウオを食べた経験がない。食に対する好奇心は、ケースケよりもセンテラの方が遙かに上のようだ。
「あれがソウザ、この国の首都になる」
ディスクの乾燥を兼ねて飛行を続け、ようやく対岸というか下流側に近づいたところでケースケが遠くに見える建物の塊を見やって言う。砂漠に沿って街道を進み、ソウザ峠を越えるルートなら街道沿いだが、こちらからだとかなり離れた場所になる。
「どうしてあんなに湖から離れた中途半端な場所にあるんですか」
「湖の周囲には街どころか家がないだろ? こちら側に森があるってことは降水量が多いってことだ。雨季にはあそこまで湖が広がるんだよ」
増水することが判っているのに、水没する場所に家を建てるわけがない。柱を長くして水面から高い場所に床を作る方法もあるが、水面の差が大きいと登るのが大変だし子どもが落ちたりすると危ないのだ。水上ハウスと呼ばれるように舟の上に家を造ろうにも、ウナギっぽいのがいるような環境では危険この上ない。結果的に、増水時に湖畔になる位置に街を作るのが最も安全かつ合理的なのである。また、定期的に増水するような川は肥沃な土地を齎してくれるので、近くに都市を作らないという選択肢は存在しない。
「特に用事はないよな、このままメンドまで行くぞ」
「りょ、了解です」
昼前にがっつりと蒲焼きを食べているので、首都ソウザに寄る用事もない。ケースケが海岸の港町の名前を口にすると、センテラは頷き、しっかりとケースケにしがみついた。
水中の「帯状の生物」の画像はよくありますが、「スク」やボラの稚魚群を見たことがあれば、似たようなものだと判るものが多いです