龍の娘
龍が住むと言われる北部大山脈……の麓、フットの街。
ケースケとセンテラは、登山前の腹ごしらえとばかり屋台の焼き肉を囓っていた。
「どうしたんですか、館長。もう一串食べたいんですか?」
食べ終わった串をじっと見つめるケースケに、センテラが問いかける。博物館の外なので「館長」と呼びかけるのにも慣れてきたようだ。
「いや、この串がな。串に適した植物というのは実は意外に少ない。で、この串に使われているのは今まで見たことのない素材なんで、もしかすると植物園の土産になるんじゃないか、と思ったんだ」
「ふーん、竹じゃないんですか、これ。パピルスでもないし」
学芸員たるもの、常にこのような好奇心を持つべきである。もっとも、端から見れば物欲しそうに食べ終わった串を見つめる兄ちゃんであるが……。
「こんな竹があるか。ま、戻ったら知り合いのエルフにでも聞いてみよう、仕舞っておいてくれ」
「はいっ」
パピルス、というセンテラの呟きに、ケースケは周辺の地面をを見回した。見ると、串に刺した焼き肉を売っている店が並んでいるというのに、食べ終わった後の串がほとんど落ちていない。
「ふむ」
ケースケは、センテラに串を渡すのを止め、串の端っこを囓ってみた。
「もが……うーん、当たり前だが筋だらけで食えたもんじゃないな」
「ど、どうしたんですか、館長」
いきなり串を囓り始めたケースケを見たセンテラが焦って問いかける。ケースケがゲテモノ食いに目覚めてしまったら、被害が及ぶのは同じ食材を食べさせられることが多い自分である。
「いや、あんまり串が落ちてないもんだから、もしかするとアスパラガスかセロリの類でできた食べられる串なのかと思ってな。だが、この堅さではあり得ないな」
ケースケがそう言っている間に、屋台で買った焼肉を食べ終わった男がポイッと串を投げ捨てると、放し飼いされている山羊のような動物がトコトコと串に近づき、モグモグと食べてしまった。よく見ると、串は落ちていないがチョコボールのような固まりが道の端に少々落ちている。
「(人間に)食べられる串じゃなかったですね」
「そうだな、それじゃあ予定通り仕舞っておいてくれ」
「待て、探査は基本だろ」
登山道を上り始めてすぐ、ケースケから叱責が飛ぶ。センテラももちろん判ってはいるのだが、ケースケと移動すると危険らしきものに遭遇することがまずないため、つい範囲探査が疎かになってしまう。今も周辺の探査だけして上空の探査をはしょったため、注意を受けたのだ。
「ねぇ、こんな歩きにくいところごそごそ歩いてないで、さっさと飛んで行こうよ」
低木が生い茂る登山道を歩き始めたばかりだというのに、引っかかる枝に辟易したセンテラが文句を言う。センテラ・クレインは紛うことなき天才魔術師である。彼女にとって、飛行魔術など長距離走よりも楽なものであろう。ケースケも、当然ながら飛行魔術で飛んで移動することができる。
「だめだ、そんな魔術に頼って自分の筋肉を使わないでいるとうちの甥っ子みたいにぷくぷくに太るぞ。それにまた子どもに見られたらどうすんだ」
「むうっ」
飛行魔術が平気で使えると言っても、普通は自分の足で歩くし、飛ぶ時はなるべくかっこ悪く低空飛行をすることにしている。ケースケも訓練や意地悪で飛行をさせないわけではない。だがこのセンテラという魔術師は、自分が天才魔術師と言う自覚がいまいち乏しいようで、魔術がらみで何度もトラブルを起こしているのである。
颯爽と上空を飛んでいるのを見ると、自らの可能性をある程度把握している大人はともかく、子どもは無邪気に自分も飛んでみたいと考える。鳥のように飛べる。人と違う景色が見れる(※ら抜き)。誰しも飛行魔術にはあこがれるらしい。
センテラが学芸員として博物館にやってきて2ヶ月たった頃。ケースケとセンテラは、王国市内の植物調査をしていた。そして、樹冠に咲く花を調べるため、飛行魔術で飛び上がったセンテラを見た少女が、休憩中に寄ってきて飛行魔術を教えてくれと頼んできたのである。せがまれたセンテラは安易に教えてしまった。
「えーっとね、背中にある羽を羽ばたいているイメージで……」
不幸なことに、さすがナロウニア王国の住人、その少女は結構な魔術の素養と適性があった。結果、簡単に浮くことはできたのである。その少女は、体が浮いたことに感激し、さらなる応用を求めた。
「片方の羽の動きを止めて、体が流れたところでもう一度羽ばたくの」
これは、飛行に慣れた者が戦闘の対応にジグザグに飛ぶための練習方法である。しかし、「羽の片方の魔力を止めるイメージで」などと言う指示を、子どもが簡単にできるはずがない。やっと飛び始めたばかりの制御できないうちに一方の飛行イメージを止めてしまったら、羽をもいだセミと同じである。
その子はバランスを崩し、手を放した風船のように回転しながら吹っ飛んで頭から落ちた。
「びええええぇぇぇ」
良く死ななかったものだ。
しかし、今は山登りの最中である。もちろん、こんなところに子どもなど居るわけがない。北部大山脈、竜の住処と言われる魔物すらほとんど出現しない過酷な地である。尤もその分、出現するモンスターの強さは半端ないのであるが……。
大きな影が地上を流れる。見上げると、羽を広げた大きなトカゲ体形の飛行物体が旋回している。ワイバーンだ。低級とはいえ、竜種である。
ヒトのような大きさのものは、餌に見えるらしい。ましてや飛行魔術で飛んでいれば、完全に餌認定される。
だがこの運の悪いワイバーンは、餌として目をつけてはいけない連中を餌認定してしまったようだ。
センテラはこともなげに直径50cmほどの透明な液体の球を数個創り出すと、ワイバーンに向けて飛ばした。このボール、ウォーターボールなどではない。こんな乾燥した空気の薄い山腹でそんなに水を集められるわけがないではないか。このボールは-196℃の液体窒素である。
「あっ、止めっ」
ケースケは慌てて止めようとしたが、少し遅かった。液体窒素のボールは狙い過たず、飛行するワイバーンに向かっていく。
「グギャッ」
羽が見事に凍りつたワイバーンは羽ばたきの違和感に悲鳴を上げると、揚力を失ってケースケに向かって落下してくる。
「てええい、うりゃっ」
ケースケはワイバーンの鼻先を掴むと、はね飛ばすようにセンテラのいる方と反対側に放り投げた。
「ハァハァ。危ねぇなっ、どっちに向かって落ちるか考えろよっ」
ワイバーンを放り投げ、センテラを怒鳴り付ける。あんまり怒って機嫌を悪くすると、こいつは人の鼻に魔術で作った氷を詰めてきたりするので要注意だ。
「えー、当たった時にどっち向いてるかなんて予想できないよー」
「嘘をつけ、正確に飛行ルートを予測して命中させてるじゃないか」
「てへっ」
「てへっ、じゃない。次に同じことをやったらお前の方に弾き飛ばすからな」
それでも体力強化を使えば山登りくらい簡単である。全くペースを落とさずに登り続け、昼をだいぶ過ぎた頃、ケースケが道の先を指さす。山頂近くの岩場にその洞窟はあった。
「この中に?」
「うん、ここだ。
おーい、セレナいるかー」
ケースケが洞窟の奥に向かって呼びかける。と、そのとき。小さな影が突然飛ぶようにケースケに近づいてきた。
それは、かなり広範囲の探査を続けていたはずのセンテラが反応できない速さで飛び込んできて、
「父たーん」
「ふごおおおおぉぉっ」
ドガガッ、と、およそ人にぶつかって発してはいけないような音を立ててケ-スケにぶつかった。ぶつかられたケースケはみごとに吹っ飛び、体半分ほど岩にめり込んだ。
ぶつかった方は、見かけ5歳くらいの女の子で、白っぽい布を適当に巻いただけというかなりワイルドな格好をしている。
「おー、エリュ。元気そうだな。セレナは?」
めり込んだ岩の中からマンガのように平然と出てきたケースケが女の子に話しかける。
「ん、いるよ。
母たーん、父たん来たー」
女の子はとてとてと洞窟の奥に入っていく。
「父たん? 館長、独身のはずですよね」
「あー、確かに産ませたのは俺なんだが……」
「ちょっ」
それは……とセンテラが言いかけたところで洞窟の奥から二十代くらいに見える女性が出てきた。白髪、紅眼で非常に綺麗でスタイルも良いのだが、こちらはエリュと呼ばれた少女とは異なり、素っ裸、すっぽんぽんである。
「あ、セレナ、こっちは俺が館長やってる博物館の学芸員でセンテラ・クレインだ。で、彼女が……センテラ、どうした?」
センテラは数歩後ずさって、どうして良いか判らないようにオロオロしている。さすがにあふれる魔力を感じたのか、そのとんでもない存在にどう対処して良いか判らないようだ。強力な魔術師でほとんどのことに平然と対処できる彼女が、これほど動揺するのも珍しい。
「館長やってる? おぉ、言っていた博物館を始めたのだな。
で、そっちの娘が従業員をやっているのか。ん、どうした」
「あうあう、あの、えっと、そちらの方は」
「ああ、この山に住んでいる龍で、セレナという。で、さっきの娘がエリュ、あの影から覗いているのがイリュで、どちらもセレナの娘だな」
「か、彼女が龍、ですか。
あの、初めまして、センテラ・クレインです。
えーっと、娘さんが、館長を父たんって、その、それで、どうして裸なんですか」
まだ少々、動揺しているようである。
屋台の「串」って、竹がない世界では何を使ってるんでしょうかね
資料No.01081:謎の植物の一部