蝋人形
「素材の性質の確認がてら、風の妖精のふぃぎゅあも作ってみたぞい」
そう言ってゲオルグが出してきたのは
何と、妖精のフィギュアだった。
「ほう、良くできてるな」
人間には妖精を見ることができる者は少ないようだが、そう言っているケースケはなぜか見ることができる。ゲオルグはと言うと、本人はもちろん夫婦どちらも妖精を見ることが可能だ。フィギュアはややデフォルメされているようだが、彼らから見た妖精というのは実際にこんな感じなのであろう。なお、ゲオルグは何も言っていないがこのフィギュア、魔力を通して動かすことができる。小さくとも、ゴーレムとして機能するのだ。
ケースケが話したことのあるフィギュアの概念からあっさりとこんなものを作ってしまうとは、ゲオルグ侮りがたしである。
「この羽根はどうやったんだ?」
「おう、これか。曲がったり破れたりしたらまずいんで、これはフィルム? じゃったか、あれに翅脈を描いたんじゃ」
フィルムの成形もそうだが、この細かい翅脈を手描きするとはさすがである。そもそも、金属ではない物質をこれほど薄くする必要性も必然性も、ナロウニア王国には存在しない。
一応ケースケとゲオルグの名誉のために述べておくと、フィギュアは彼らがこの国で初めて創りだした訳ではなく、その元になったのは蝋人形だ。
ファンタジーに出てくるゴーレムという構造は、目的によって金属や土、木でできているものが多い。形態を維持しやすいためと、攻撃や防御に使われることが多いためだ。だが、「精密な形状を構築」し、対象を愛でるためには、金属製は都合が悪い。
そのとき使われたのが、蝋人形である。
蜜蝋というのは、簡単に言うとミツバチの巣である。ミツバチの蜜を取った後の巣を熱して融かすと、蝋の塊として得ることができるのだ。色の濃い薄いはあるが、この時点で何となく濃いめの人肌に似た色になる。精製すると白くなるので、混ぜ合わせることによって様々な色の肌を表現できるのだ。
この蜜蝋を使った蝋人形は既に存在しており、1/1スケールの蝋人形がいろいろな場所で作られてはいた。ケースケがゲオルグに伝えたのは、それを小型にして妖精でも作ってみたらどうかと言うことだけだ。だが、蜜蝋では困ったことがあった、融ける温度が低すぎるのである。
それは加工しやすいとも言えるが、固まるのに時間がかかるし熱したコテの影響が広範囲に及び細かい造形が崩れやすいという欠点にもなる。また、ゴーレムとして動かすと、関節部が脆くて崩れやすいという問題点もあった。
人サイズの蝋人形を作っている分にはゲオルグにとって困難な点など何もないのだが、妖精のフィギュアを作るにあたってはその大きさと崩れやすさが問題になった。そこでゲオルグはその解決のために何とウレタン樹脂を作ってしまった。要するに、ゲオルグは石墨を水と反応させて炭化水素にし、そこからプラスティックを練金できるようになったのである。プラスティックの利用方法や可能性については、既にゲオルグは現代地球人なみに詳しいかもしれない。
元素に対する理解と相まって、もうほとんどの素材を作ることができるだろう。合金の方でもジュラルミンとかあっさり作ってしまうかもしれない。
いままではアルミニウムの精錬が難しく、アルミニウムとその合金は作らなかった。アルミニウムの精錬には多量の電気が必要だからである。
だが、ナラニーは当然というか、サンダーボルトを使うことができる。雷系統の魔術が使えると言うことは、電気を利用できる可能性があり、アルミニウムも精錬可能だと言うことなのだ。
このフィギュア、物好きな貴族にでも売ったら大儲けなのではないだろうか。いや、これに限らずさっきの合金も……。
フィギュアの需要は、それなりにあるだろう。場合によっては、年中発情している者すらいる異世界人にも受けるかもしれない。だが、今のところウレタン樹脂を作ることのできる、すなわちフィギュアの安定した供給が可能なナロウニア住人はゲオルグだけなのだ。ジュラルミンとかの方も、軽くて丈夫な防具を求める冒険者に多くの需要があるだろう。
ただ、見ているとイリアの方は儲ける気などないし、ゲオルグは作業が楽しいだけで売るつもりなどないようだ。
と、ここでセンテラはさっきゲオルグが「風の妖精のふぃぎゅあ”も”」と言ったのを思い出し、今までもゲオルグが多くのものを作ったりしているのではないかと思いついた。だが、ここには他のフィギュアは見あたらないし、博物館でも見た覚えはない。
ということは……。
センテラは、予算が潤沢にあるわけでもないのに、なぜ博物館の資料の集まりが良いのかちょっと判ったような気がしたのである。
「おっと、忘れるところだった。センテラ、串を出してくれ」
ケースケに言われ、センテラは持ってきた荷物からフットの街で入手した串を取り出す。
「イリア、この串は何の植物からできてるか判るか?」
「へぇ、これはまた珍しいもの持ってきたね。これはかなり北の方に行くと生えているワジュヤシの葉柄だわね」
「ヤシなのか」
「そうね、ヤシの仲間なんだろうけど、実は食べるところがないほど小さいわよ」
イリアの方も植物のことになるとさすがに詳しく、串に加工してある一部からあっさりどんな植物か見抜いてしまった。
「おう、このヤシの枝は革の内側に貼って防具にも使えるぞい」
ゲオルグも、ワジュヤシの素材としての使い方を述べる。
「そういえば、ゲオルグさんは武器や防具は作られないんですか」
ドワーフと言えば、武器や防具である。そのため、センテラは何の気なしに尋ねてみた。
「ほっ、嬢ちゃんは武具も判るのかい」
そう言ったゲオルグは奥でゴソゴソやったあと、いくつか防具に見える物を出してきた。一見するとフルフェイスのヘルメットの頭の上に、棒が数本突き出しているようだ。棒は細く尖っており、兜の「鍬形」と言う訳でもなさそうだ。
「これは兜なんじゃが……説明はケースケに任せるぞい」
「なんだ、こっちに振るのか。これは避雷針付きの兜だな。これだけでは単にサンダーボルトなんかの影響を少なくする程度の効果しかないが……」
そう言いながら、鎧を手に取る。鎧の背中側には銀線が入り、規則正しい文様を描いている。
「こっちの鎧・ロッドとセットになっていて、この鎧の両側にはコンデンサーが24個仕込んである。で、つないだロッドがスタンロッドとして機能するようになっている優れものだ」
サンダーボルトを打ち込んだ方も、まさか相手から電撃の報復を喰らうとは思っても見ないであろう。大気中に何百万V以上の電圧を作り出すファンタジーもとんでもないが、その中にコンデンサー付き回路を持ち込むケースケもどうかしている。
「あと、この鎧は結構な汎用性があって、ロッドをつなぎ替えると水を電気分解してファイアーボールもどきが撃てたり、安全装置なしの釘打ち機になったりするんだ。要するに、魔術が使えなくても魔術使いと似たような攻撃が可能な訳だな……」
一般的に釘打ち機は危険防止のため、壁などに接触していないと釘を射出することはできない。それを安全装置なしにすると言うことは、空中、すなわち離れた相手に向けて銃のように釘を撃ち出せると言うことである。
説明を振られたことに文句を言いつつも喜々として説明するケースケを見ながら、これらファンタジーブレイカーとも言うべき防具が誰の発想で創られたのか、良―く理解できてしまうセンテラだった。
「えっと、ほ、他にどんなものを作られたんですか?」
「こんなものもあるわ、これは便利よ」
センテラの問いに、なぜかイリアが参加し、畳んだハンカチくらいの大きさの物を持ってきた。それを見たケースケの話がピタリと止まる。
「? 館長、これは?」
「うっ、高分子ポリマーだ」
「はあ?」
ゲオルグの作る防具のコンセプトは単純な物理攻撃を緩和できるものではなく、魔術による攻撃も軽減・無効化できる防具である。そのため術式の直接の無効化だけではなく、発動してしまった術に対する対抗策も防具に装備させようとしているのだ。水魔術をどうにかするための方法として、ケースケが提示したのは高分子ポリマーによる吸収であった。結果的には大量の水を吸収できるものの、水を吸って重くなってしまい却って動きが悪くなるためボツになったのだが、その副産物がこれである。作らされたゲオルグはかなり困惑していたが、イリアもナラニーも重宝している。
「うふふ、これは女の子専用の防具。男共は話し出すと止まらないからね。さ、ご飯にしましょう」
ハチの巣は泥利用タイプ、木材利用タイプ、蝋生成タイプがあります
ファンタジーで肉食のハチの巣から蜜を見つけるシーンが偶にありますが、肉食のVespa属で、巣に蜜をため込む種はいないようです
資料No.I-80085:蜜蝋