バックヤード
「室長、おはようございます」
部屋に入ってきたのはセンテラ・クレイン。この博物館の学芸員になってもうすぐ1年になる。黒眼黒髪で、体型は茄子かバターナッツナンキンとでも言おうか、体型の一部が極々スレンダーである。勇者の父と魔王の母を持ち、本人も人並み以上の魔力量と技術を持った魔術師である彼女だが、別に冒険者をやるでもなく、国に喧嘩を売るつもりもない。魔術師としては非常に優秀で、国立学院で研究者か教員になるか、国軍に入ることも可能性としてあったのだが、理論を伝えるには学生が未熟だと教員は自分から断り、軍では魔術が強力すぎて組織的な行動に組み込みにくいと言う理由で断られた。地形を変えかねない威力の魔術など、敵味方が入り乱れているところでは使いにくいこと夥しい。研究者の道を考えたとき、象牙の塔に籠もるより外に出て活動できそうだと博物館の学芸員を選んだのである。
国立学院ではさんざん飛び級をしたので、学芸員資格を持っているにもかかわらずまだ18歳になったばかりだ。いろいろあって、のんびりと楽しく暮らしたいお年頃なのだと言えよう。国の方も、強力な術師とはいえ博物館勤めをあっさり許可してくれた。
なぜならここナロウニア王国は物語の登場人物が暮らす国であり、魔王本人や勇者本人は言うに及ばず、最強の戦士、最強の剣士、勇者夫婦の子、転生者、魔神や魔人、異世界人などがごろごろいるからである。勇者と魔王の子など、学芸員資格を取るために行った国立学院の同学年だけでも何十人もいた。
そんなに魔王だらけで国は大丈夫なのかとも思うが、不思議なことに何か悪さをしてやろうという魔王はそれほど多くなく、人と仲良くしようと思っていたりおいしいもの、特にスイーツが食べたいと思っている魔王が多いのである。ごく稀に悪さをする魔王もいるが、そう言う魔王はやはりたくさんいる勇者や規格外の力を持つ冒険者たちにフルボッコされておとなしくなるか、さもなければ護民官に説教されることになるのだ。
「ああ、おはよう」
室長と呼ばれた方はケースケ・ベルベット・スティンガー。歴とした伯爵家、すなわち貴族の次男であるが、前世の記憶を持つ転生者でもある。転生ついでにチートな能力も手に入れており、勇者をやっていても不思議はないような剣の腕と、センテラを軽くあしらえる魔術の腕を持っている。もっとも、部下を軽くあしらえないようではこの国で役職になど就くことはできない。センテラは室長と言っているが、これはバックヤードにいるときの呼称で、この博物館の館長でもある。
こちらは鳶色の髪に褐色の眼、22歳だが伯爵家自体はそこそこ優秀な長男が継いでおり、長男には既に息子がいるのでケースケは自立するなら何をやっても良いと言ってもらっている。小さいとはいえ領地も持っており、全般的に豊かなこの国にあっても税は難民がなだれ込まない程度に押さえているので領民の受け自体は良い。領主貴族として負担しなければならない軍務については、いざというとき自ら出て行って相手を殲滅することにしているため、兵役がないのも受けが良い理由の一つだろう。
「今日は資料の収集でしたっけ?」
「ああ、龍の素材を貰いに行こうと思う」
「は? ドラゴンの素材なんて簡単に手に入るものなんですか?」
「うん、多少あてがあってね。ただ、龍とドラゴンは違うぞ」
「えっ?」
ケースケは部屋の奥にある棚に近づくと、引き出しを開けて無造作に箱を取り出した。
さらに箱から、平べったいものを取り出す。やや丸く、一部の色が変わっている。厚さはあまりないが、何やら魔力のようなものがまとわりついており、見ただけで堅く丈夫そうなことが判る。
「これが龍の鱗だ。腹の鱗が一番大きくてわかりやすいのだが、高級な防具の素材として使われるので高価で取引され、博物館になど回ってこない」
さらに、もう一つの箱から板のようなものを取り出す。色は黒く、ごつごつした感じがするが、こちらも非常に堅そうだ。
「こちらはドラゴンの革だ。もっともこれは若い個体のものなのであまり厚くはない。ま、だからこんな風に加工できたとも言えるが」
「なるほど、学院ではドラゴンについてしか習いませんでしたが、随分違うものですね。で、今回捕りに行く素材というのは」
「うん、龍の牙を貰いに行こうと思ってる」
ケースケが箱を仕舞いながらこともなげに言う。
「えっ、それこそとんでもなく高価なのでは」
「そうでもないぞ、あんなもの使い道がほとんど無いからな。さて、準備はできてるな」
ナロウニア国内には、植物園はたくさんある。元が薬草園だったものが多いが、植物は人々にとって有用かつ身近であり、花の季節など憩いの場としても大切なのであろう。また、ギルドとしても初歩の採取は薬草採取であり、畑のようにして価格を暴落させるわけにいかず、かといって放置すれば乱獲を招くだけなので植物園のようにして保護するしかなかったのだ。
また、それよりも数は少ないが動物園もあることはある。こちらは元が牧場だったものと、珍しい動物を集めたものとが半々くらいだ。どちらも逃げ出したり魔獣が引き寄せられたり、場合によっては直接魔獣化したりすることのないように管理するのが大変なので、動物園にはテイマーが欠かせない。
だが、博物館はここだけである。そもそも各種の素材はギルドと呼ばれる組織が管理、研究していることが多く、装飾品や武器防具として利用されてしまうため、素材や資料として展示してあることは少ない。そのため、ギルドに所属している冒険者は別にして、学院の研究者や図書館の関係者でない限り素材の入手方法どころか、どんなものかさえ知らないのが一般的である。この博物館はそういった民衆でも、素材や資料を見られるようにと作られたものである。
歴史上、博物学というのは金持ちの道楽によるものであり、貴族が始めたものだ。そう言う意味では伯爵家の一員であるケースケが関わっているのは正しいとも言えるが、金持ちの道楽でないと維持管理できないほど金がかかるのも事実である。
従って、この博物館、人員は今のところケースケとセンテラ2人だけ、存在がほとんど知られていないような博物館に予算が潤沢に執行されるはずもなく、基本的に資料の調達は自前である。資料と言ってもモンスターや魔獣、果ては今回のように龍の素材なんかを収集するのに何の力も持っていなかったらあっという間に返り討ちになるだろうから、この2人が学芸員というのはきわめて適任なのである。
2人はバックヤードの奥、転移陣に向かった。
さすが国立の博物館というべきか、予算をつけられない代わりとして、せめて資料の調達に少しでも不便がないようにと、国内の主要な街に転移できる転移陣がバックヤードに用意されているのである。これは博物館の設立に当たり、ケースケが設置を頼んだものだ。まぁ、この2人にとって転移魔法陣の作成など簡単なので、ほんの少しの手間と魔力の節約になっているだけだが、ケースケも自分はともかく、ホイホイと転移できるような学芸員がやってくるとは思っていなかったのだから仕方がない。
「で、今日はどこに行くの?」
「うん、北部大山脈の上の方だな」
「なんで、どこかのギルドとかじゃないの?」
「おいおい、龍の牙だぞ。あんなもの用途が限定されすぎててギルドに持ち込む奴なんかいないし、持ち込まれたところでさっさと魔術師に払い下げられるし、魔術師は触媒に使うだろうから元の形では残ってないな」
「だからって何で北部大山脈なのよっ。日帰りできないじゃない」
「大丈夫だ、明日は休館日だし食料も持った」
「そう言う問題じゃないでしょっ」
「だったら食事は自分で作れよ」
「むー」
つまり、普段の移動ではケースケが食事係なのである。貴族の息子がどこで料理を覚えたのかと思うが、そこは転生前の記憶なのであろう。食べる方のセンテラがぶーたれながらもおとなしくケースケと一緒に魔法陣の上に乗ると、魔法陣の輝きとともに2人の姿は吸い込まれるように消えた。
「ドラゴンの鱗」って、剥がせるものなんでしょうか
資料No.D-01002:龍の鱗
資料No.D-01007:ドラゴンの革