あゝ楽しき勘違い
小さい頃は、大人の想像を絶するような勘違いをたくさんしていました。例えばニュースの原稿を読み上げるアナウンサー、あの人たちは自分で考えて、アドリブでしゃべっているのだと思っていました。「よくあんなに話すことを思いつくなあ」と感心するとともに、自分だったらなにを話すか、一生懸命悩んでいました。話している内容が、現実にあった事件や事故だということはわかっていなかったようです。しかしある日、自分がなりたいのはアナウンサーではなく幼稚園の先生だったことに気がついて、考えるのをやめました。
それから、なぜだか「練り消し」は紙からできていると思っていました。幼稚園の友だちが使っていたのを見て、さっそく紙を水で濡らして練ってみました。もちろん紙からつくれるわけもなく、紙はボロボロになっていきます。ムキになって何枚も固めていると、やがてなんだかよくわからない黄色い塊が完成しました(黄色い紙だったので)。それを見た家族に「なにそれ、ウ◯コ?」と言われ、大いに凹みました。
さて、わたしが小さい頃の勘違い話をするときの、鉄板ネタがこれです。
わたしは昔、全てのものは植物から生えると思っていました。それこそ全てですから、動物も無機物もです。惜しいところは、本当に植物のものでも、生え方がまちがっていたことです。わたしの頭のなかには、子どもがよく描くチューリップのような、茎の下のほうに葉っぱが二枚ついた植物のイメージしかありませんでした。しかも物が生えてくるのは全て花の部分なのです。
絵にするとこんな感じです。
左端は人参ですね。ヘタをなんだと思ってたんだろう……。
そのなかでも特に興味深く想像を繰り広げていたのが、チラシと家です。
なぜチラシ、と思われるかもしれませんが、わたしは当時チラシの裏に絵を描くのが好きだったので、わたしにとってチラシは非常になじみ深いものでした。物心ついたときからチラシの裏ばっかり使っていたので、あの紙は表がメインであるということを長い間知りませんでした。それからなぜか、チラシではなく広告紙と呼んでいました。もっとも、漢字がわかるわけもなく、「こーこくがみ」だと思っていましたが。
さて、植物の話に戻ります。そんなわけで、チラシには専用の畑があり、印刷された状態で生えてくるのだと思っていました。こんな具合です。
これを刈り取って、各家庭に配っているのだと思っていました。
家も同様に、地面から生えると思っていました。こちらは、こんな具合ですね。
こんな重いものを細い茎でどうやって支えているのか、非常に気になります。
こちらも刈り取るわけですが、わたしは家というものはスーパーかデパートで売っているものだと思っていたので、お店の棚にぎっちり詰め込まれた家々を想像していました。子どものわたしでも、さすがに家は人が住める大きさでなければいけないことはわかっていたので、家が売られるお店の棚はどれだけ大きいことだろう、と思いました。そちらは、こんなイメージです。
それだけ大きいものを売るならば床に直置きすればいいのに、わたしはお店の棚は二段以上でなければいけないと思い込んでいたので、とてつもなく大きな棚を想像していました。こんなに大きくて重いものをどうやって棚に詰め込むのか、一生懸命考えていました。結果、ジャッキで持ち上げてから棚に入れるんだろう、という結論に至りました。
店頭で好きな家を選んだら、業者さんがトラックで住所まで持ってきてくれます。ここのところは変にリアルですね。でもなぜか、トラックの大きさは普通サイズのイメージでした。
なぜこんな発想に至ったのか、本当のところはわかりませんが、ひとつ思い当たるものがあります。幼稚園で配られていた冊子に、猫さんが拾った種を畑に植える話がありました。なんの種だろうとわくわくしながら水をかける猫さん。しばらくして生えてきたのは、お魚でした。
魚って種から生えるんだ! と大変衝撃を受けたわたしは、全てのものは畑から生えてくるのだと思い込んだようです。