けいちゃんの野望
わたしは数年前に成人を迎えましたが、思い返せば、大人になったらやろうと決意していたのにまだやっていなかったことがたくさんあります。
まずは、永遠に回り続けることです。わたしは小さい頃、とにかく回ることが好きでした。隙あらば部屋や教室のまん中で回っていました。しかしすぐに母や先生に見つかって、「危ないからやめなさい」と注意されていました。
わたしはそれが不満でした。そこで、大人になって独り暮らしを始めたら、好きなだけ回ってやろうと心に決めたのです。しかし残念ながら今も独り暮らしではありませんし、昔より三半規管が弱ってしまったようで、回ると気持ち悪くなるので、実現していません。
次に、ふりかけをごはんにかけるのではなく、手のひらに出して舐めることです。これは、幼稚園で他の子がやっていたのを見て、憧れていました。これこそ好きなときにやればいいと思うのですが、なぜか当時のわたしにはふりかけを手のひらに出すという行為がとてつもなく背徳的に感じられて、大人になってからでないといけないような気がしていました。
同じく、塩も手のひらに出して舐めてみたかったですね。じつは、これは成人する前にやってしまいました。しょっぱいけどおいしかったです。食材にかけるより、妙においしく感じられるんです。コショウもやってみました。調味料を舐めるという行為には意外と魅力があるようで、背徳的というのもあながち間違いではなかったようです。今でこそ自制がきいていますが、こんな快感を幼児のうちに知ってしまったら、大変なことになっていたかもしれません。
それから、泥だんごをタオルで磨くことです。ある日の朝、テレビでものすごく固い泥だんごの作り方が紹介されていました。それは、泥だんごを摩擦の少ないタオルでひたすら磨き続けることでした。テレビでは、ごはんを食べているときも、テレビを見ているときも、ひたすら泥だんごを磨き続けた男の子を紹介していました。その泥だんごは、地面に落としても割れないほど固くなっていました。
さて、これもその場でやってみればよかったのですが、わたしは妙なところに気をつかってしまいました。タオルを汚しては悪いと思ったんです。だから、自分でタオルを買って、自分でタオルを洗える歳になってからやろうと思いました。未だになんでも母にやってもらっているくせに、よくわからないところで自立心を発揮してしまいました。これは、今でも機会があればやってもいいかもしれません。